2024年03月10日

今日聴いた音楽からA(2024/3/10)

 ベートーヴェンの交響曲第5番、運命交響曲を聴く。
 演奏はレナード・バーンスタインが指揮したニューヨーク・フィル<SONY>で、1961年の録音。
 ときたら、もちろん冒頭から一気呵成、飛ばしに飛ばして大興奮。
 だって、あの超特急、ウェーバーの舞踏への勧誘を演奏したコンビだもの。
 だが、予想は裏切られる。
 冒頭の運命の動機以降、遅くはないものの、ゆったりとしたテンポ。
 大きな構え、なおかつ細部まで目配りの届いた演奏で、ジャジャジャジャーンの動機が音楽を支配して、遂には華々しい終幕を迎えるというこの作品の構造を見事に明示する。
 もちろん、知情意を兼ね備えたバーンスタインだけに、ここぞというところではしっかり熱が入る。
 入るが、崩れることはない。
 ニューヨーク・フィルもそうしたバーンスタインの意図によくそって、シンフォニックな拡がりとまとまりのよいアンサンブルを聴かせてくれる。
 中でも、第2楽章のファゴットのソロが印象に残った。
 ところで、バーンスタインがどうしてこのような演奏を行ったのか?
 推測するに、自身とニューヨーク・フィルの組み合わせということも含めて、ベートーヴェンの交響曲第5番をよく知る人よりも初めて聴く人のほうがこのアルバムを購入することをバーンスタインは意識したのではなかろうか。
 啓蒙の人、バーンスタインならばそれも当然のように思われる。

 なおこのアルバムには、バーンスタインによるこの曲の第1楽章の解説が含まれている。
 ベートーヴェンがどのように今ある形にこの曲を完成させていったのか、その一端がよくわかる解説だ。
 バーンスタインの語りも明晰である。

 そして、ウィーン・フィルとの再録音の第1楽章<DG>を途中までながら聴きした。
 解釈自体は共通しているけれど、録音のせいもあるのか、なんだか良くも悪くも老成してしまったような感じだな。
 なんだかなあという気持ちで、バイエルン放送交響楽団とのライヴ録音<DG>も同じようにながら聴きしたら、おお、こっちは活き活きとしていて聴き応えがあるぞ!
posted by figarok492na at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

図書館へ行った日曜日(CLACLA日記)

 どんよりとした感じも強いが、青空の見える一日。

 日中、気温が少しだけ上がったか。
 風は冷たいものの。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 身体はだいぶん楽だけれど、やはり頭は重たい。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでアンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルが演奏したベートーヴェンのバレエ音楽『プロメテウスの創造物』序曲を聴き、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・スタジアム交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、いろいろトラブルが発生し4時少し前に寝床に就く。


 10時過ぎに起きる。

 午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでヴァルター・ギーゼキングが弾いたドビュッシーの小さな黒ん坊とハイドンを讃えてを聴き、フルートの新井道代、ヴァイオリンの池田梨枝子、チェロの野津真亮が演奏したハイドンの6つのディヴェルティメントを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、櫻木みわの『コークスが燃えている』<集英社>を読み始めたりしたのち、CDでハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの大学祝典序曲を聴く。
 ながら聴きになってしまったが、新井道代らがピリオド楽器で演奏したハイドンはとても聴き心地がよい。
 録音も実にクリアだ。


 13時台に外出し、下京図書館へ。
 借りていた本を返却し、灰原薬の『応天の門』14<新潮社>を新たに借りる。
 で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したメンデルスゾーンの序曲『フィンガルの洞窟』とシューマンの劇音楽『マンフレッド』序曲を聴き、ダリオ・サルヴィ指揮フラデツ・クラーロヴェー・フィルが演奏したマルシュナーの序曲と舞台音楽集第2集、ダニイェル・プレツェリが弾いたブラームスのピアノによる変奏曲集、バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したバーンスタイン自身のバレエ音楽『ファクシミリ』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、『コークスが燃えている』を読み進めたり、『応天の門』14を読み始めたりしたのち、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したヴェルディの歌劇『アイーダ』第2幕からバレエ音楽を聴く。


 途中夕飯を挟み、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。
 今週も面白し。


 夕飯後、amazon music unlimitedでフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したウェーバーの歌劇『オベロン』序曲を聴き、レナード・スラットキン指揮アメリカ・ソヴィエト・ユース・オーケストラが演奏したドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『コークスが燃えている』と『応天の門』14を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第5番を聴き、ラン・ランとサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルが演奏したプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とバルトークのピアノ協奏曲第2番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『応天の門』14を読み進めたりし、ギーゼキングが弾いたドビュッシーの夢を聴き、MBSラジオのヤンタン日曜日を聴いたりしながら雑件を片付ける。


 今日も、チョコレートを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/3/10)

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したメンデルスゾーンの序曲『フィンガルの洞窟』とシューマンの劇音楽『マンフレッド』序曲<WARENER>を聴く。
 フィンガルの洞窟は、音の風景画家といったメンデルスゾーンのイメージを象徴する作品だが、フルトヴェングラーが指揮すると風景そのものというよりも、風景を見ている人間の中に残った風景であるとか、風景に対する感情の変化とかを耳にし、目にしているように思えてくる。
 長調に転じた感情の放射や、中間部での哀切さをおびた優美さ、終盤のぐんぐんと音を前に進める追い込みが強く印象に残った。
 音質は今一つ。

 一方、シューマンでは、作品の持つ悲劇性もあって、鬱々と沈潜する感情がより色濃く表現される。
 とともに、フルトヴェングラーはこの『マンフレッド』序曲の中に、ベートーヴェンの序曲『コリオラン』や劇音楽『エグモント』序曲を見ているのではないか。
 ベートーヴェンの一連の短調の作品の如く、何か曰く言い難いものが、運命として迫ってくるかのように音楽が響く。
 だからこそ、一瞬の抒情的な旋律がひときわ甘美に聴こえもする。
 そして、徐々に音楽が消えていくラストが忘れ難い。
 こちらもモノラル録音だが、フィンガルの洞窟よりはクリアに音が聴こえた。
posted by figarok492na at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする