青空は見えつつも、どんよりとした感じも強し。
気温、上昇せず。
風が吹き、寒さを強く感じる。
皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。
身体のメンテナンスのおかげで、だいぶん楽になった。
戦争反対!
火事場泥棒の改憲にも反対!
中東も非常に危うい状態になってきた。
この先、本当に不安でならない。
自民党内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、amazon music unlimitedでユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したワーグナーのジークフリート牧歌を聴き、ガリー・ベルティーニ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団他が演奏したドビュッシーの選ばれし乙女、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルが演奏したコープランドのクラリネット協奏曲(スタンリー・ドラッカーの独奏)と劇場のための音楽を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、2時50分過ぎに寝床に就く。
8時過ぎに起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
その間、amazon music unlimitedでヴィリー・ボスコフスキー指揮フィルハーモニア・フンガリカが演奏したリストのラコッツィ行進曲を聴く。
洗濯物を干したあと再び外出し、文具店で用件を片付けたのち、お米10キロを買って帰宅する。
お米もどんどん高くなっている。
腹立たしいかぎり。
帰宅後、午前中から午後にかけて、ジャン・マルティノン指揮シカゴ交響楽団が演奏したラロの歌劇『イスの王様』序曲を聴き、カルロ・アルベルト・バッキが弾いたクレメンティのピアノ・ソナタ集、TBSラジオ『ハライチのターン』アフタートークのポッドキャスト、バーンスタイン指揮ロサンゼルス・フィルが演奏したバーンスタイン自身の『ウェストサイド・ストーリー』からシンフォニック・ダンスを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、堀江敏幸の『中継地にて』<中央公論新社>を読み進めたりする。
『イスの王様』序曲は、ワーグナーの影響がはっきりとうかがえる音楽だ。
昼過ぎ、少し昼寝をしようとしたが、斜め横のマンションの清掃作業がかまびすしく、寝損ねる。
掃除機を使って3時間も4時間もバワバワバウバウ、親の仇かと思うほどバカみたいにうるさくやっている。
自分のマンションだけきれいになればそれでいいというやり口に腹が立って仕方ない。
近いうちに、掃除を行っている愚か者に天罰天誅が下らないか非常に心配である。
夕方になってまた外出し、仕事関係の用件を片付ける。
そのあと、身体のメンテナンスをすませる。
じっくりメンテナンスしてもらった。
ああ、すっきりした!!!
で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
途中夕飯を挟み、CDでフェルディナント・ライトナー指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第31番「パリ」とバレエ音楽『レ・プティ・リアン』序曲を聴く。
夕飯後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したワーグナー編曲によるグルックの歌劇『アウリスのイフィゲニア』序曲を聴く。
入浴後、amazon music unlimitedでスティーヴン・ハフが弾いたモンポウのピアノ作品集を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
今日は、山崎製パンの吹雪まんを食す。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2024年03月08日
今日聴いた音楽からA(2024/3/8)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがウィーン・フィルを指揮したワーグナー編曲によるグルックの歌劇『アウリスのイフィゲニア』序曲<WARENER>を聴く。
ギリシャ悲劇によるグルックのフランス語のオペラをワーグナーがドイツ語に訳して編曲した上に、さらに演奏会用にコーダを施したもの。
冒頭から重々しい足取りで、まさしく荘厳な古典劇が始まる予感がする。
そして、そのまま重たい足取りのまま音楽は続く。
時折、まるで宿命天命を表すかのようなファンファーレが何度か繰り返される。
フルトヴェングラーの持つ音楽的劇性が全開となった演奏だ。
しかし、この曲で最も強く印象に残ったのは、徐々に静謐さに向かうコーダだ。
特に、消え入るような最後にはぞくぞくとした。
濃密な10分間だ。
念のため、原曲であるグルックの『オーリードのイフィジェニー』の序曲を聴いてみる。
ジョン・エリオット・ガーディナーがピリオド楽器のオーケストラ、イングリッシュ・バロック・ソロイスツと録音した全曲盤から。
テンポは速めだが、冒頭部分は荘厳さを感じないでもない。
ところが、しばらくすると音楽は一転、フルトヴェングラーではそのまま歩む速度は変わらないのに、こちらガーディナーのほうは突然駆け出す。
悲劇もへったくれもない走りっぷりは、軽やかで楽し気ですらある。
まあ、もとはといえば、グルックの音楽自体、本当はそういった性格のものであって、フルトヴェングラーとウィーン・フィルの演奏はあくまでもワーグナーという19世紀最大のロマンティストのフィルターを通したものであるということだ。
ちなみに、こちらのほうは6分ちょっと。
そら速いわな。
ギリシャ悲劇によるグルックのフランス語のオペラをワーグナーがドイツ語に訳して編曲した上に、さらに演奏会用にコーダを施したもの。
冒頭から重々しい足取りで、まさしく荘厳な古典劇が始まる予感がする。
そして、そのまま重たい足取りのまま音楽は続く。
時折、まるで宿命天命を表すかのようなファンファーレが何度か繰り返される。
フルトヴェングラーの持つ音楽的劇性が全開となった演奏だ。
しかし、この曲で最も強く印象に残ったのは、徐々に静謐さに向かうコーダだ。
特に、消え入るような最後にはぞくぞくとした。
濃密な10分間だ。
念のため、原曲であるグルックの『オーリードのイフィジェニー』の序曲を聴いてみる。
ジョン・エリオット・ガーディナーがピリオド楽器のオーケストラ、イングリッシュ・バロック・ソロイスツと録音した全曲盤から。
テンポは速めだが、冒頭部分は荘厳さを感じないでもない。
ところが、しばらくすると音楽は一転、フルトヴェングラーではそのまま歩む速度は変わらないのに、こちらガーディナーのほうは突然駆け出す。
悲劇もへったくれもない走りっぷりは、軽やかで楽し気ですらある。
まあ、もとはといえば、グルックの音楽自体、本当はそういった性格のものであって、フルトヴェングラーとウィーン・フィルの演奏はあくまでもワーグナーという19世紀最大のロマンティストのフィルターを通したものであるということだ。
ちなみに、こちらのほうは6分ちょっと。
そら速いわな。
今日聴いた音楽から@(2024/3/8)
亡くなった1956年の5月にグイド・カンテッリがフィルハーモニア管弦楽団を指揮して録音したラヴェルのバレエ音楽『ダフニスとクロエ』組曲第2番<WARENER>を聴く。
ここでもカンテッリはよくオーケストラをコントロールして、華々しさと拡がり、静謐さを兼ね備えた音楽を生み出している。
フィルハーモニア管弦楽団も、アンサンブル・ソロ両面で優れた音楽を聴かせる。
もしこれが良質のステレオ録音だったら、そして実演だったらと思わずにはいられない。
ここでもカンテッリはよくオーケストラをコントロールして、華々しさと拡がり、静謐さを兼ね備えた音楽を生み出している。
フィルハーモニア管弦楽団も、アンサンブル・ソロ両面で優れた音楽を聴かせる。
もしこれが良質のステレオ録音だったら、そして実演だったらと思わずにはいられない。