2024年03月03日

今日聴いた音楽からA(2024/3/3)

 グレン・グールドが弾くワーグナーのピアノ・トランスクリプション集<SONY>を聴いた。
 収録曲は、楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲、楽劇『神々の黄昏』から夜明けとジークフリートのラインへの旅、ジークフリート牧歌の3曲で、いずれもグールド自身の編曲による。
 音楽的効果を考えて、マイスタージンガーのラストでは二重録音が用いられているというが、と言って、自らの高い技量、ヴィルトゥオーゾぶりを発揮するためのアルバムでないことは言うまでもない。
 そして、音色そのものでは当然大管弦楽の持つ華々しさにかなわないことは、グールドも十分承知していただろう。
 ここでもグールドは、メロディーやリズムといった音楽的構成、音楽的構造を明瞭に腑分けする。
 マイスタージンガーの中間部や、ラインへの旅あたりの音の細かい動き、対位法の強調はグールドの本領発揮といってもよい。
 ただ、23分をかけてゆっくりと演奏されたジークフリート牧歌では、グールドのロマンティシズム、リリカルさが全面に押し出される。
 後半の高揚する部分も抑制が効いて、うるささを感じない。
 特に、繰り返しあらわれる冒頭の主題の愛しむような表現が忘れ難い。

 今、晩年のグールドがトロント交響楽団の団員を指揮して録音した初演時の編成によるジークフリート牧歌を聴いているが、ピアノ独奏版の録音がこの演奏のための予行演習のように思えてならない。
 実に美しい演奏だ。
posted by figarok492na at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

心身ともに今一つ(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空。

 今日も寒さが厳しい。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 心身ともに今一つ。
 偏頭痛あり。
 胃も痛む。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したベルリオーズの幻想交響曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進め、オーマンディ編曲によるウェーバーの舞踏への勧誘(やけに俗っぽいオーケストレーションで、もしかしてオーマンディ自身?と思ったらやっぱりそうだった)とヴィクター・ハーバート編曲によるリストの愛の夢第3番を聴き、1時前に寝床に就いてKBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴きながら眠る。


 9時20分過ぎに起きる。

 午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したグリンカの歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲を聴き、ヨハネス・クルンプ指揮ハイデルベルク交響楽団が演奏したハイドンの交響曲第18番、第2番、第20番、第17番、第19番、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルが演奏したコープランドのエル・サロン・メヒコを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『映画監督放浪記』を読み進めたりする。


 12時台に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、だるさもあり少し昼寝をする。

 その後、amazon music unlimitedでグスターボ・ドゥダメル指揮ウィーン・フィルが演奏したムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』と交響詩『はげ山の一夜』、チャイコフスキーのバレエ音楽『白鳥の湖』からワルツを聴き、クラウディオ・アバド指揮ボストン交響楽団他が演奏したラヴェルのバレエ音楽『ダフニスとクロエ』組曲第2番と亡き王女のためのパヴァーヌ、ドビュッシーの夜想曲、ニール・トムソン指揮ゴイアス・フィル他が演奏したエジノ・クリーゲルの管弦楽作品集、テノールのリチャード・タッカーとクルト・バウム、ソプラノのダニザ・イリッチ、マックス・ルドルフ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団他が演奏したヴェルディのデュエット集を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったり、『映画監督放浪記』を読み始めたりする。


 夕飯後、amazon music unlimitedでオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団他が演奏したホルストの組曲『惑星』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『映画監督放浪記』を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでグレン・グールドが弾いたワーグナー・ピアノ・トランスクリプション集を聴き、西本智実指揮日本フィルが演奏したチャイコフスキーの幻想序曲『ロメオとジュリエット』とプロコフィエフのバレエ音楽『ロメオとジュリエット』抜粋を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『映画監督放浪記』を読み進めたりし、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したマクダウェルの野ばらに寄すを聴き、MBSラジオのヤンタン日曜日を聴いたりしながら雑件を片付ける。


 今日も、チョコレートを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 19:58| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/3/3)

 ベネズエラ出身の指揮者、グスターボ・ドゥダメルがウィーン・フィルを指揮して録音したムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』(ラヴェル編曲)と交響詩『はげ山の一夜』(リムスキー=コルサコフ編曲)<DG>を聴く。
 ドゥダメルといえば、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラとのリズミカルでエネルギッシュな演奏をどうしても思い起こすが、それとともにオーケストラをスタイリッシュにコントロールしようとする指揮者であることも忘れてはなるまい。
 『展覧会の絵』ではそうしたドゥダメルの二つの側面がよく表れている。
 加えてここでは、表面的なざらつき、粗さを残すことで、通常のラヴェル編曲版を用いながらも耳慣れない音の響きを感じさせるなど、独特な音色を生み出してもいる。
 ただそれには、キエフの大門のラストなど、一部の楽器をクローズアップする録音の影響も考えておいたほうがよいかもしれないが。
 セッション録音が行われた本拠地、ウィーン・ムジークフェラインザールよりももう少し残響の少ない、ドライで分離のよいホールでの実演ならば、ドゥダメルの意図が一層伝わるような気がする。
 『はげ山の一夜』は、強弱緩急をしっかりつけてぐいぐい音楽を進めていくノリのよい演奏。
 一方、アンコールピース的にカップリングされたチャイコフスキーのバレエ音楽『白鳥の湖』のワルツは、ドゥダメルのそのような解釈と音楽の本質との齟齬が目立っていたように感じる。
posted by figarok492na at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする