2024年02月28日

今日聴いた音楽からA(2024/2/28)

 トリスタンとイゾルデづいてきたわけじゃないけど、ヴァイオリンとヴィオラとチェロが各2人でコントラバスが1人の弦楽7重奏用に編曲されたワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』抜粋<Coviello>を聴いた。
 演奏は、若手弦楽器奏者による室内アンサンブル、ゾリステンアンサンブル・ダコール。
 57分程度の収録時間だが、これでも全曲の3分の1から4分の1にしかならない。
 それだけでも、『トリスタンとイゾルデ』がどれだけの大曲かがわかる。
 そして、わかるといえば、あえて弦楽7重奏に絞ることによって、かえって『トリスタンとイゾルデ』の音楽の構造がよくわかる。
 一つには、フルトヴェングラーとベルリン・フィルの没入的な演奏と異なり、音楽と演奏者との間に的確で適度な距離感があるからでもあるだろう。
 弦楽器の音色自体もべったりべとべとと粘ったものではなく、清澄さやときに歯切れのよさを感じさせるものにもなっている。
 CDの新譜紹介に「まるで(シェーンベルク)の浄夜」という言葉があったが、まさしくこの『トリスタンとイゾルデ』の和音構造や音楽の流れがのちの後期ロマン派、さらには新ウィーン楽派に与えた影響を色濃く演奏にもなっていた。
 もちろん、愛の死では、それこそロマン派音楽の頂点であることも強く感じたが。
 録音も非常にクリアだった。
posted by figarok492na at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ようやく晴れた(CLACLA日記)

 ようやく晴れた。

 気温も上がる。
 その分、花粉も飛ぶ。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度と寒さのトリプルパンチ!!!
 体調、今一つ。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでソフィー・パチーニが弾いたショパンとスクリャービンのピアノ作品集、クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団が演奏したロッシーニの歌劇『コリントの包囲』序曲と歌劇『アルジェのイタリア女』序曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、2時半過ぎに寝床に就く。


 9時半過ぎに起きる。

 午前中から正午過ぎにかけて、amazon music unlimitedでアバド指揮ロンドン交響楽団が演奏したロッシーニの歌劇『どろぼうかささぎ』序曲(村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』のひそみに倣って、パスタを湯がきながら)、ズビン・メータ指揮フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第5番と第6番「田園」、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、小川金男の『皇室の茶坊主』<創元社>を読み進めたりする。


 午後、仕事関係の予定をすませる。
 で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したドビュッシーの牧神の午後への前奏曲とデュカスの交響詩『魔法使いの弟子』を聴き、オランダ・バロックが演奏した『バッハの女王(オルガン曲の室内オーケストラ編曲版)』、メゾソプラノのクリスタ・ルートヴィヒがジェラルド・ムーアのピアノ伴奏で歌ったマーラーの歌曲集、レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったりする。

 『皇室の茶坊主』を読了する。
 ああ、面白かった!!


 夕飯後、KBS京都の『角田龍平の蛤御門のヘン』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったりする。
 『角田龍平の蛤御門のヘン』のゲストは、お久しぶりの花房観音さん。

 入浴後、amazon music unlimitedでゾリステンアンサンブル・ダコールが演奏した弦楽7重奏版のワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』抜粋を聴き、チェンバロの西山まりえが弾いたヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集、ロベール・カサドシュとジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団が演奏したカサドシュ自身のピアノ協奏曲第2番「ディミトリ・ミトロプーロスのための」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、少しだけ甘いものを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/2/28)

 グイド・カンテッリがフィルハーモニア管弦楽団を指揮して遺した録音の中から、1954年6月に録音されたドビュッシーの牧神の午後への前奏曲とデュカスの交響詩『魔法使いの弟子』<WARENER>を聴く。
 牧神の午後への前奏曲は、冒頭のフルートの独奏から穏やかな美しさだ。
 官能性にも不足しないが、昨夜聴いたフルトヴェングラーの『トリスタンとイゾルデ』とは違って、もっと清澄で抑制されている。
 一転、魔法使いの弟子は、冒頭からきびきびとした音楽でぐっと惹きつけられる。
 魔法使いの弟子が箒に命じて水汲みをさせるも、それをとめる呪文がわからず水はどんどん溢れかえる、それではと箒をばらばらにすると今度はばらばらになった破片が箒になってますます水汲みをし始める…。
 そうした筋書きのよくわかる、要所急所を巧みに抑えたドラマティックな音楽づくりに感心した。
 先日聴いたロジンスキーのから10年足らずの間に録音されたものだが、よくコントロールされたオーケストラという点では共通しているものの、カンテッリのほうはよりスタイリッシュでモダン、現代的な音色というのか、細部まで音がよく馴らされている。
 機能性や均整と躍動性劇性をよく兼ね備えた演奏と言い換えてもよい。
 二つの曲とも大いに愉しめた。
posted by figarok492na at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする