まだ日曜のお昼にNHK・FMで『きらクラ!』を放送していたころだ。
たまたま途中からラジオをつけると、耳なじみの良すぎる合唱曲がかかっている。
なんだ、この偽善臭ふんぷんとする音楽はと顔をしかめていたら曲が終わって、ジョン・ラターが作曲した宗教曲ということがわかった。
ラター自身、慢性疲労症候群に罹患しているとあとで知ったので、彼にとってはこうした曲調の作品は書かざるをえないものとして書いたのかもと思い直しはしたものの、どうにもむず痒さを感じてしまうことも事実だ。
一つには、ふかわりょうか遠藤真理かリスナーかの絶賛の言葉に鼻白んだことも大きいのだけれど。
そのジョン・ラターがマンチェスター・カメラータを指揮したオーケストラ小品集『クラシカル・トランクウィリティ』<Collegium>が昨年リリースされたので、あえて聴いてみた。
アイルランド民謡のシー・ムーヴド・スルー・ザ・フェア、サティのデイドリーム(ジムノペディ第1番から)、ディーリアスの春初めてのカッコウの声を聴いて、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ、自作の「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください」、グリーグの鉄道の子供たち、ヨハン・セバスティアン・バッハのあなたが傍にいて下さるなら、ラヴェルのメヌエット(ソナチネから)、ドビュッシーの月の光、ヘンデルの「そなたの赴くところ」(オラトリオ『セメレ』から)、ヨハン・セバスティアン・バッハの「羊は安らかに草を食み」というカップリングで、ディーリアスと亡き王女のためのパヴァーヌ以外はラター自身の作編曲によるものである。
そもそもラター好みの作品を揃えているからそうなるのだろうけれど、全篇癒しに満ち満ちた音楽であり演奏となっている。
正直、ジムノペディでも月の光でも、それどころか編曲はしていないディーリアスでも、角が丸められてすべすべとした感じ、本来あるはずの翳りに無理から陽の光をあてたかのようなラターの音楽のつくりにはどうしても違和感が残る。
嫌味ではなく、どうにも毎日が辛くて世の中のあれこれにも目を閉ざしていなければ苦しくて生きていけない人、音楽に慰めをこそ求める人には大いにお薦めしたい。
2024年02月24日
昼過ぎ、図書館へ行った(CLACLA日記)
晴天。
気温は低めで、寒さを強く感じる。
皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。
体調、まだしっくりこない。
咳込みも続く。
戦争反対!
火事場泥棒の改憲にも反対!
中東も非常に危うい状態になってきた。
この先、本当に不安でならない。
自民党内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、amazon music unlimitedでズビン・メータ指揮フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第1番と第2番、KBS京都で霜降り明星のオールナイトニッポンを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、2時直前に寝床に就く。
9時半に起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
その間、CDでチャールズ・グローヴズ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したルロイ・アンダーソンのプリンク・プレンク・プランク!を聴く。
午前中から午後にかけて、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』、amazon music unlimitedでクリストフ・シュペリング指揮ダス・ノイエ・オルケスター他が演奏したレーガーとマーラーの管弦楽伴奏歌曲集、ギドン・クレーメルとレナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルが演奏したネッド・ローレムのヴァイオリン協奏曲、バーンスタイン指揮フランス国立管弦楽団が演奏したルーセルの交響曲第3番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
14時台に外出し、下京図書館へ。
借りていた本を返却し、予約しておいた小池水音の『息』<新潮社>と小川金男の『皇室の茶坊主』<創元社>を新たに借りる。
で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
帰宅後、amazon music unlimitedでルドルフ・ゼルキンが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」と第23番「熱情」を聴き、メータ指揮フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」と第4番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったり、『皇室の茶坊主』を読み始めたりする。
夕飯後、amazon music unlimitedでオイゲン・ヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデンが演奏したブルックナーの交響曲第1番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『皇室の茶坊主』を読み進めたりする。
入浴後、amazon music unlimitedでジョン・ラター指揮マンチェスター・カメラータが演奏した『クラシカル・トランクウィリティ〜管弦楽編曲集』を聴き、 テノールのクラウス・フロリアン・フォークトがアンサンブル・アハトの伴奏で歌ったシューベルトの歌曲集『美しき水車小屋の娘』、クリストファー・ギルドが弾いたウィリアム・ワーズワースのピアノ独奏曲全集を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『皇室の茶坊主』を読み進めたりする。
今日は、山崎製パンの小豆の甘納豆を食す。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
気温は低めで、寒さを強く感じる。
皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。
体調、まだしっくりこない。
咳込みも続く。
戦争反対!
火事場泥棒の改憲にも反対!
中東も非常に危うい状態になってきた。
この先、本当に不安でならない。
自民党内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、amazon music unlimitedでズビン・メータ指揮フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第1番と第2番、KBS京都で霜降り明星のオールナイトニッポンを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、2時直前に寝床に就く。
9時半に起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
その間、CDでチャールズ・グローヴズ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したルロイ・アンダーソンのプリンク・プレンク・プランク!を聴く。
午前中から午後にかけて、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』、amazon music unlimitedでクリストフ・シュペリング指揮ダス・ノイエ・オルケスター他が演奏したレーガーとマーラーの管弦楽伴奏歌曲集、ギドン・クレーメルとレナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルが演奏したネッド・ローレムのヴァイオリン協奏曲、バーンスタイン指揮フランス国立管弦楽団が演奏したルーセルの交響曲第3番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
14時台に外出し、下京図書館へ。
借りていた本を返却し、予約しておいた小池水音の『息』<新潮社>と小川金男の『皇室の茶坊主』<創元社>を新たに借りる。
で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
帰宅後、amazon music unlimitedでルドルフ・ゼルキンが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」と第23番「熱情」を聴き、メータ指揮フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」と第4番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったり、『皇室の茶坊主』を読み始めたりする。
夕飯後、amazon music unlimitedでオイゲン・ヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデンが演奏したブルックナーの交響曲第1番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『皇室の茶坊主』を読み進めたりする。
入浴後、amazon music unlimitedでジョン・ラター指揮マンチェスター・カメラータが演奏した『クラシカル・トランクウィリティ〜管弦楽編曲集』を聴き、 テノールのクラウス・フロリアン・フォークトがアンサンブル・アハトの伴奏で歌ったシューベルトの歌曲集『美しき水車小屋の娘』、クリストファー・ギルドが弾いたウィリアム・ワーズワースのピアノ独奏曲全集を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『皇室の茶坊主』を読み進めたりする。
今日は、山崎製パンの小豆の甘納豆を食す。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
今日聴いた音楽から@(2024/2/24)
ルドルフ・ゼルキンという音楽家にとって、ベートーヴェンはその中心となるレパートリーだった。
そのルドルフ・ゼルキンが最晩年に録音したピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」と第23番「熱情」<DG>を聴いた。
前者は1986年、後者は1989年というからルドルフ・ゼルキンにとって最晩年の録音である。
実は、この二つの録音は諸般の事情でお蔵入りになっていたもので、昨年になってようやくリリースされた。
販売を許可した娘のジュディス・ゼルキンが断りを入れているように、最終段階まで編集された「完璧」なアルバムではない。
録音時期に曲調もあってワルトシュタインはまだしも、熱情のほうは、正直聴いていて辛い部分もある。
例えば、解釈もあるのだろうが、終楽章の遅さはどうしてももたつき気味に聴こえてしまう。
だが、それでもそれこそ熱情の迸りを強く感じもする。
特に終楽章のコーダ。
一気にテンポが速まる、全力全身で音楽を鳴り響かせる。
また、ワルトシュタインでは硬質で透明な強音や過度に陥らない抒情性がよく発揮されてもいた。
ルドルフ・ゼルキンが人生をかけて何と向き合ってきたがわかる貴重なドキュメントだ。
そのルドルフ・ゼルキンが最晩年に録音したピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」と第23番「熱情」<DG>を聴いた。
前者は1986年、後者は1989年というからルドルフ・ゼルキンにとって最晩年の録音である。
実は、この二つの録音は諸般の事情でお蔵入りになっていたもので、昨年になってようやくリリースされた。
販売を許可した娘のジュディス・ゼルキンが断りを入れているように、最終段階まで編集された「完璧」なアルバムではない。
録音時期に曲調もあってワルトシュタインはまだしも、熱情のほうは、正直聴いていて辛い部分もある。
例えば、解釈もあるのだろうが、終楽章の遅さはどうしてももたつき気味に聴こえてしまう。
だが、それでもそれこそ熱情の迸りを強く感じもする。
特に終楽章のコーダ。
一気にテンポが速まる、全力全身で音楽を鳴り響かせる。
また、ワルトシュタインでは硬質で透明な強音や過度に陥らない抒情性がよく発揮されてもいた。
ルドルフ・ゼルキンが人生をかけて何と向き合ってきたがわかる貴重なドキュメントだ。