どんよりとしたお天気が続く。
朝は小雨もぽつぽつと降っていた。
が、16時頃になってようやく青空が見える。
まだまだ寒い。
関東は今日も雪だった。
皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。
頭と身体が重たし。
首、肩、背中のこり、はり、痛みがひどい。
戦争反対!
火事場泥棒にも反対!
改憲にも反対!
自民党内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、CDで福田進一が弾いた武満徹編曲によるギターのための12の歌から「星の世界」と「インターナショナル」を聴き、23時40分台に寝床に就く。
7時ちょうど起きて、amazon music unlimitedでフォルテピアノのバルト・ファン・オールトが弾いたモーツァルトの12の変奏曲K. 500、デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲K. 573、「女ほどすばらしいものはない」による8つの変奏曲K. 613聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。
で、夕方まで仕事に勤しみ、帰りがけしばらく人と話をし、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
年齢の上下を問わず、信頼のおける人と話をするといろいろと刺激を受けるし、愉しい。
多謝。
入浴後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したスメタナの交響詩『モルダウ』を聴き、オールトが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第1番、フィッシャーのメヌエットによる12の変奏曲K. 179 (189a)、ピアノ・ソナタ第2番、サリエリの「わがいとしのアドーネ」による6つの変奏曲K. 180、ピアノ・ソナタ第3番と第4番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったり、井上荒野の『僕の女を探しているんだ』<新潮社>を読み進めたりする。
今日も、仕事先でいただいたお菓子を食す。
実に実に実に美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2024年02月06日
今日聴いた音楽から(2024/2/6)
スメタナの連作交響詩『我が祖国』の中で第2曲「モルダウ(ヴルタヴァ)」は、もっとも有名な作品だ。
我が祖国の中でどころか、スメタナの作品の中で、どころかチェコの作曲家が作曲した作品の中でドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」と並んで有名な管弦楽曲の作品だろう。
いや、知名度でいえば、全ての作曲家が作曲した管弦楽曲の中で少なくともベスト30にはノミネートされる作品ではないか。
そのモルダウをヴィルヘルム・フルトヴェングラーとウィーン・フィルが録音している。
単純な自然描写にとどまらず、チェコ(ボヘミア)の愛国心を鼓舞する音楽であるモルダウだが、一方でハプスブルク帝国の文化圏の中で生まれた音楽でもあり、独墺を代表する指揮者とオーケストラが録音してもちっとも不思議ではない。
余談だがフルトヴェングラーとベルリン・フィルが演奏したドヴォルザークの新世界よりの第二次世界大戦中のライヴ録音<PHILIPS>なるものをCD初期に買って聴いたことがあるが、のちにオスヴァルド・カバスタ指揮ミュンヘン・フィルが本当の演奏者であることを知った。
このスメタナのほうは、正規のセッション録音である。
ゆっくりと流れだし、ここぞというところでスピードを上げる。
緩急強弱のはっきりとした、まさしくドラマティックな演奏だが、農夫たちの結婚式の終わりの低弦の深い響きが印象的だったり、それに続く月の光の下の水の妖精たちの踊りにワーグナーの歌劇『ローエングリン』の第1幕への前奏曲を思い出したりするのは、やはりフルトヴェングラーの演奏だからだろう。
そうそう、最後の喜びの表現には、ベートーヴェンの第九を思い出しもしたんだった。
ただ、聖ヤンの急流の荒々しさ、激しさは、もっと音質が良ければと残念でならない。
リマスタリングを加えてもなお、ノイズが多すぎる。
我が祖国の中でどころか、スメタナの作品の中で、どころかチェコの作曲家が作曲した作品の中でドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」と並んで有名な管弦楽曲の作品だろう。
いや、知名度でいえば、全ての作曲家が作曲した管弦楽曲の中で少なくともベスト30にはノミネートされる作品ではないか。
そのモルダウをヴィルヘルム・フルトヴェングラーとウィーン・フィルが録音している。
単純な自然描写にとどまらず、チェコ(ボヘミア)の愛国心を鼓舞する音楽であるモルダウだが、一方でハプスブルク帝国の文化圏の中で生まれた音楽でもあり、独墺を代表する指揮者とオーケストラが録音してもちっとも不思議ではない。
余談だがフルトヴェングラーとベルリン・フィルが演奏したドヴォルザークの新世界よりの第二次世界大戦中のライヴ録音<PHILIPS>なるものをCD初期に買って聴いたことがあるが、のちにオスヴァルド・カバスタ指揮ミュンヘン・フィルが本当の演奏者であることを知った。
このスメタナのほうは、正規のセッション録音である。
ゆっくりと流れだし、ここぞというところでスピードを上げる。
緩急強弱のはっきりとした、まさしくドラマティックな演奏だが、農夫たちの結婚式の終わりの低弦の深い響きが印象的だったり、それに続く月の光の下の水の妖精たちの踊りにワーグナーの歌劇『ローエングリン』の第1幕への前奏曲を思い出したりするのは、やはりフルトヴェングラーの演奏だからだろう。
そうそう、最後の喜びの表現には、ベートーヴェンの第九を思い出しもしたんだった。
ただ、聖ヤンの急流の荒々しさ、激しさは、もっと音質が良ければと残念でならない。
リマスタリングを加えてもなお、ノイズが多すぎる。