2024年02月04日

今日聴いた音楽からA(2024/2/4)

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第5番<WARENER>を聴く。
 フルトヴェングラーが指揮したベートーヴェンの交響曲第5番の中ではもっとも有名な、1954年のセッション録音である。
 ベートーヴェンの交響曲第5番を運命と呼ぶ習慣があるのは、日本だけらしいが、このフルトヴェングラーの演奏を聴くと、まさしく運命という感じがして仕方ない。
 苦悩から勝利へ、という図式的な解釈はもはや時代遅れだし、フルトヴェングラーにとって最晩年にあたる録音だから全盛時のライヴ録音に比べると若干エネルギーに不足する部分もなくはないものの、やはり音楽の劇性をしっかりととらまえていることは確かだ。
 中でも、第3楽章の後半が繰り返されたあとの再現部の圧倒的なスケールはフルトヴェングラーならではのものだろう。
 たまにはこういった演奏、こういった音楽が聴きたくなる。
 特に、今夜はそうだ。
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京都市長選の投開票日(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空へ。
 ただし、明日は雨らしい…。

 日中もまだ寒い。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 右膝、痛し。
 そして、どうやら花粉が飛び始めているような…。
 頭と身体が重たい。


 京都市長選の投票日。
 前橋市長選では、野党候補が勝利した。

 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、2時40分台に寝床に就く。


 9時半過ぎに起きる。

 午前中から正午過ぎにかけて、amazon music unlimitedでロリン・マゼール指揮ベルリン放送交響楽団が演奏したファリャのバレエ音楽『恋は魔術師』(グレース・バンブリーのメゾソプラノ独唱)とバレエ音楽『三角帽子』組曲、ストラヴィンスキーの交響詩『夜鳴きうぐいすの歌』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。

 ジェフリー・ロバーツの『スターリンの図書室』<白水社>を読了する。
 その蔵書に遺した書き込みなどを通して、スターリンの思考志向嗜好について考察した一冊。
 いろいろと想い、いろいろと考える。


 13時過ぎに外出して京都市長選の投票をすませてから、下京図書館へ。
 借りていた本を返却し、予約しておいた井上荒野の『僕の女を探しているんだ』<新潮社>を新たに借りる。
 で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでハンス・ペーター・オクセンホファー指揮フィルハーモニック・アンサンブル・ウィーン“モーツァルティステン”が演奏したハイドンの交響曲第101番「時計」、モーツァルトの弦楽のためのアダージョとフーガ、シューベルトの交響曲第5番を聴き、ピエール・モントゥー指揮ウィーン・フィルが演奏したハイドンの交響曲第101番「時計」、モントゥー指揮ロンドン交響楽団が演奏したブラームスのハイドンの主題による変奏曲、マゼール指揮フランス国立放送管弦楽団他が演奏したラヴェルの歌劇『子供と魔法』と歌劇『スペインの時』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、作品の改稿作業を行ったり、『僕の女を探しているんだ』を読み始めたりする。


 途中夕飯を挟み、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。
 今回も面白し。


 夕飯後、amazon music unlimitedでマリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したシベリウスの交響曲第1番、ブリテンの青少年のための管弦楽入門、ウェーベルンの夏風の中でを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『僕の女を探しているんだ』を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第5番を聴き、マゼール指揮ベルリン放送交響楽団が演奏したストラヴィンスキーのバレエ音楽『火の鳥』組曲、イーゴリ・マルケヴィチ指揮ロンドン交響楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第5番、MBSラジオのヤンタン日曜日を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、山崎製パンの小豆甘納豆を食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 京都市長選は福山和人候補と接戦の末、自公立民の推す松井孝治候補が勝利した。
 いろいろと想い、いろいろと考えることあり。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/2/4)

 ながらで聴き始めて、これはじっくりと聴きたいなと思ったアルバム、ハンス・ペーター・オクセンホファー指揮フィルハーモニック・アンサンブル・ウィーン“モーツァルティステン”が演奏したハイドンの交響曲第101番「時計」、モーツァルトの弦楽のためのアダージョとフーガ、シューベルトの交響曲第5番<カメラータ・トウキョウ>だが、やはりそうして大正解だった。
 1948年にオーストリアのグラーツで生まれたオクセンホファーは、長年ウィーン交響楽団やウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン・フィルでヴィオラ奏者として活躍したのち、室内オーケストラ、フィルハーモニック・アンサンブル・ウィーン“モーツァルティステン”
を結成した。
 フィルハーモニック・アンサンブル・ウィーン“モーツァルティステン”は、オクセンホファー同様、ウィーン・フィルのメンバーを中心にしたアンサンブルだ。
 録音を聴くかぎり、相当奏者を絞っているようで、強奏などときに線の細さが気になる箇所もなくはなかったが、逆に室内楽的な精度の高さとインティメートな雰囲気は大きな魅力だと感じた。
 昨夜聴いたラルテ・デル・モンドのようなピリオド・スタイルとは全く異なり、どちらかといえばゆっくりめのテンポをとっているものの、それでも過度に遅くなるようなこともない。
 良い意味で、まさしく中庸である。
 と言って、音楽の要所急所は心得て強弱緩急のメリハリはきっちりと付ける。
 例えば、ハイドンの第2楽章の時計のリズムが一段落着いたあと徐々に音楽が強くなっていくあたりだとかシューベルトの第3楽章の冒頭部分では鋭い音を聴かせて、その後の穏やかな部分とのコントラストを見事に生み出している。
 モーツァルトのアダージョとフーガは鳴りの良い演奏だが、音楽のつくりもよくわかる。
 特にフーガは、なるほどこの曲はこういう風につくられているんだと感心する。
 そのフーガのあとに、シューベルトの第5番が始まると、ぱっと陽の光が見えてきたような明るさに包まれる。
 もちろん、第1楽章の途中や終楽章など、この曲の持つ心のうちの嵐も巧く再現されていたが。
 それにしても、この曲の第2楽章はなんて美しいんだろう。
 ハイドンの第3楽章の中間部のフルートとファゴットの掛け合いなど、個々の奏者の技量の確かさは言うまでもない。
 響きの良さと見通しの良さを兼ね備えた録音が演奏の魅力を引き出していることも書き添えておきたい。

 そうそう、ハイドンを聴きながらどこかでこういった演奏を聴いたことがあると思い、これを書きながらピエール・モントゥー指揮ウィーン・フィルが演奏した同じ曲の古い録音を聴いたらやっぱりそうだった。
 僕はこの録音のLPを買って何度も聴いていたのだ。
 当然、時代にあわせて変化しているところもあるけれど。
 それとともに、モントゥーとウィーン・フィルの演奏が古臭さをあまり感じさせなかったことにも少し驚いた。
posted by figarok492na at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする