2024年02月29日

今日聴いた音楽から(2024/2/29)

 グイド・カンテッリがフィルハーモニア管弦楽団と遺した録音の中から、ファリャのバレエ音楽『三角帽子』組曲第2番<WARENER>を聴く。
 ここでもカンテッリはオーケストラをよくコントロールして、ドラマティックな音楽を生み出している。
 ラストに向けてテンポが速まり熱量も高まっていくが、我を忘れることなく均整を見失わない終幕の踊りなど、特にカンテッリの面目躍如である。
 とともに、粉屋の踊りなど、この作品の持つ翳り、アイロニーといったものも的確に表現されていることも忘れてはなるまい。
 返す返すも彼の早世が残念でならない。
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今年は閏年(CLACLA日記)

 今日で2月が終わる。
 一日一日を本当に大切にしていかなければ。
 そして、死を絶対に忘れないこと。

 今年は閏年なので、2月が29日まであった。


 再びどんよりとしたお天気へ。
 夕方以降、雨降りになる。

 じめじめとじめ寒い。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度のダブルパンチ!!
 うんざり。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時40分に寝床に就く。


 6時台に起きて、amazon music unlimitedでメゾソプラノのクリスタ・ルートヴィヒがジェフリー・パーソンズのピアノ伴奏で歌ったシューベルトの歌曲集を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 途中夕飯を挟み、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『天を斬る』第15話の拾い観をする。
 メインのゲストは、前田吟。
 ほかに、亀井光代や野口元夫も出演していた。
 そうそう、亀井光代という人は満洲の出身でいろいろと移ったあと、長崎の純心女子高で
学んだ人だった。

 夕飯後、amazon music unlimitedでクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィル他が演奏したベートーヴェンの『献堂式』の音楽、フルートのジャン・ピエール・ランパルとレナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したバーンスタイン自身のハリルを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったりのち、2月の創作について振り返ったりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したファリャのバレエ音楽『三角帽子』組曲第2番を聴き、ズビン・メータ指揮フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第7番と第8番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 そして、来月がいい月でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2024年02月28日

今日聴いた音楽からA(2024/2/28)

 トリスタンとイゾルデづいてきたわけじゃないけど、ヴァイオリンとヴィオラとチェロが各2人でコントラバスが1人の弦楽7重奏用に編曲されたワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』抜粋<Coviello>を聴いた。
 演奏は、若手弦楽器奏者による室内アンサンブル、ゾリステンアンサンブル・ダコール。
 57分程度の収録時間だが、これでも全曲の3分の1から4分の1にしかならない。
 それだけでも、『トリスタンとイゾルデ』がどれだけの大曲かがわかる。
 そして、わかるといえば、あえて弦楽7重奏に絞ることによって、かえって『トリスタンとイゾルデ』の音楽の構造がよくわかる。
 一つには、フルトヴェングラーとベルリン・フィルの没入的な演奏と異なり、音楽と演奏者との間に的確で適度な距離感があるからでもあるだろう。
 弦楽器の音色自体もべったりべとべとと粘ったものではなく、清澄さやときに歯切れのよさを感じさせるものにもなっている。
 CDの新譜紹介に「まるで(シェーンベルク)の浄夜」という言葉があったが、まさしくこの『トリスタンとイゾルデ』の和音構造や音楽の流れがのちの後期ロマン派、さらには新ウィーン楽派に与えた影響を色濃く演奏にもなっていた。
 もちろん、愛の死では、それこそロマン派音楽の頂点であることも強く感じたが。
 録音も非常にクリアだった。
posted by figarok492na at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ようやく晴れた(CLACLA日記)

 ようやく晴れた。

 気温も上がる。
 その分、花粉も飛ぶ。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度と寒さのトリプルパンチ!!!
 体調、今一つ。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでソフィー・パチーニが弾いたショパンとスクリャービンのピアノ作品集、クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団が演奏したロッシーニの歌劇『コリントの包囲』序曲と歌劇『アルジェのイタリア女』序曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、2時半過ぎに寝床に就く。


 9時半過ぎに起きる。

 午前中から正午過ぎにかけて、amazon music unlimitedでアバド指揮ロンドン交響楽団が演奏したロッシーニの歌劇『どろぼうかささぎ』序曲(村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』のひそみに倣って、パスタを湯がきながら)、ズビン・メータ指揮フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第5番と第6番「田園」、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、小川金男の『皇室の茶坊主』<創元社>を読み進めたりする。


 午後、仕事関係の予定をすませる。
 で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したドビュッシーの牧神の午後への前奏曲とデュカスの交響詩『魔法使いの弟子』を聴き、オランダ・バロックが演奏した『バッハの女王(オルガン曲の室内オーケストラ編曲版)』、メゾソプラノのクリスタ・ルートヴィヒがジェラルド・ムーアのピアノ伴奏で歌ったマーラーの歌曲集、レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったりする。

 『皇室の茶坊主』を読了する。
 ああ、面白かった!!


 夕飯後、KBS京都の『角田龍平の蛤御門のヘン』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったりする。
 『角田龍平の蛤御門のヘン』のゲストは、お久しぶりの花房観音さん。

 入浴後、amazon music unlimitedでゾリステンアンサンブル・ダコールが演奏した弦楽7重奏版のワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』抜粋を聴き、チェンバロの西山まりえが弾いたヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集、ロベール・カサドシュとジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団が演奏したカサドシュ自身のピアノ協奏曲第2番「ディミトリ・ミトロプーロスのための」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、少しだけ甘いものを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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今日聴いた音楽から@(2024/2/28)

 グイド・カンテッリがフィルハーモニア管弦楽団を指揮して遺した録音の中から、1954年6月に録音されたドビュッシーの牧神の午後への前奏曲とデュカスの交響詩『魔法使いの弟子』<WARENER>を聴く。
 牧神の午後への前奏曲は、冒頭のフルートの独奏から穏やかな美しさだ。
 官能性にも不足しないが、昨夜聴いたフルトヴェングラーの『トリスタンとイゾルデ』とは違って、もっと清澄で抑制されている。
 一転、魔法使いの弟子は、冒頭からきびきびとした音楽でぐっと惹きつけられる。
 魔法使いの弟子が箒に命じて水汲みをさせるも、それをとめる呪文がわからず水はどんどん溢れかえる、それではと箒をばらばらにすると今度はばらばらになった破片が箒になってますます水汲みをし始める…。
 そうした筋書きのよくわかる、要所急所を巧みに抑えたドラマティックな音楽づくりに感心した。
 先日聴いたロジンスキーのから10年足らずの間に録音されたものだが、よくコントロールされたオーケストラという点では共通しているものの、カンテッリのほうはよりスタイリッシュでモダン、現代的な音色というのか、細部まで音がよく馴らされている。
 機能性や均整と躍動性劇性をよく兼ね備えた演奏と言い換えてもよい。
 二つの曲とも大いに愉しめた。
posted by figarok492na at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月27日

人と話をして、反省自戒する(CLACLA日記)

 今日も、どんよりとした感じが強い。
 朝は雪か霰か、白いものが降っていた。

 寒さが強い。。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気温が下がり、とたんに耳鳴りが増す。
 体調、芳しからず。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時40分頃に寝床に就く。


 6時台に起きて、amazon music unlimitedでジャン=ピエール・ランパルとジャン=ピエール・ヴァレーズ指揮パリ室内管弦楽団が演奏したベンダのフルート協奏曲ホ短調L2.4、クヴァンツのフルート協奏曲ハ短調、フリードリヒ大王のフルート協奏曲ニ長調から第2楽章を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、しばらく人と話をしたのち、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
 反省自戒すること多し。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、小川金男の『皇室の茶坊主』を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルが演奏したワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』第1幕への前奏曲と愛の死を聴き、レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第1番と第2番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったりする。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から(2024/2/27)

 それまでちっともぴんとこなかったくせに、40代の終わりごろになって、ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』の第1幕への前奏曲と愛の死を聴く機会が急に増えた。
 といって、突然愛だのなんだのの世界に目醒めたということではない。
 人生の先、人生という砂時計の砂がどんどん流れ落ちていく感覚と、この音楽の持ついわく言い難い「たまらなさ」が重なり合うように思えてきたからだ。
 今夜は、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがベルリン・フィルを指揮した1938年2月の録音<WARENER>を聴いた。
 リマスタリングが施されているとはいえ、SP録音ゆえの音質の古さは否めないし、セッション録音のために音楽との間に距離があるというか、ライヴ録音のような没入感には若干不足する。
 それでも、特に愛の死のエロスとタナトスがないまでになってうねり上がっていくような音楽の様はよくわかる。
 ベルリン・フィルも分厚い響きを聴かせている。
 ところで、当時のドイツは、ご存じのとおりナチス・ヒトラーの政権下にあった。
 この録音の翌月、ドイツはオーストリアを併合し、10月にはミュンヘン会談でチェコスロヴァキアからズデーテン地方を割譲された。
 そして翌年には第二次世界大戦が始まる。
 愛と官能の世界に耽溺する音楽であり演奏であったとしても、いやそうだからこそなおのこと僕はそのことについて考えざるをえない。
 とともに、そうした演奏を今の日本で、今の世界の中で聴くことについても考えざるをえない。
 そうした意味でもアクチュアリティを持った演奏であり録音である。
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2024年02月26日

今日聴いた音楽から(2024/2/26)

 アルトゥール・ロジンスキーがニューヨーク・フィルを指揮した録音の中から、エネスコのルーマニア狂詩曲第1番(1946年2月録音)、リストのメフィスト・ワルツ第1番(1945年2月)、ヴォルフ=フェラーリの歌劇『スザンナの秘密』序曲(同)<SONY>を聴く。
 いずれもSP原盤で、オリジナルのLPはエネスコとリストの2曲のみ、そこに同時期の録音のヴォルフ=フェラーリを加えて配信されているものだ。
 ロジンスキーといえばオーケストラビルダー(オーケストラを鍛える名人)として著名である一方、血の気の多いエネルギッシュな音楽づくりでも知られた指揮者だ。
 激しく怒っているが冷静さを失わない、もしくは徹底したコントロールの上に情熱を放射しているといったロジンスキーの特性が、このエネスコ、リスト、ヴォルフ=フェラーリの3曲ではことによく表れている。
 伸びやかなメロディーで始まり徐々に加速し熱狂的に終わるエネスコ、激しい動きと良い意味での怪しさを兼ね備えたリスト、そして超快速のヴォルフ=フェラーリ。
 いずれもよくコントロールされて乱れず、それでいてこれぞ熱も失わない。
 実に聴き応え十分だ。
 ニューヨーク・フィルも達者というほかないし、リマスタリングの成果もあって音質も非常にクリアである。
 これが太平洋戦争中に録音されていたんだから、そりゃ日本が勝てるわけはない。
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三連休明け(CLACLA日記)

 三連休明け。


 青空は見えつつも、どんよりとした感じも強い。
 小雨もぱらついていた。

 気温はまだまだ低く、寒さを感じる。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度と花粉のトリプルパンチ!!!
 体調、未だよろしからず。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時半過ぎに寝床に就く。


 7時に起きて、amazon music unlimitedでフォルテピアノのバルト・ファン・オールトとウルスラ・デュッチュラーが弾いたモーツァルトの4手のためのピアノ・ソナタハ長調K.521と変ロ長調K.358(186c)を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでオールトとデュッチュラーが弾いたモーツァルトのアダージョとアレグロヘ短調K.594と2台のピアノのためのフーガハ短調K.426を聴いたりしながら、夕飯の準備をすませる。


 途中夕飯を挟み、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『遠山の金さん2』第17話の拾い観をする。
 丘みつ子がメインのゲスト。
 ほかに、北原義郎、五味龍太郎らも出演していた。


 夕飯後、amazon music unlimitedでオールトとデュッチュラーが弾いたモーツァルトの2台のピアノのためのソナタニ長調K.448を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったり、小川金男の『皇室の茶坊主』<創元社>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでアルトゥール・ロジンスキー指揮ニューヨーク・フィルが演奏したエネスコのルーマニア狂詩曲第1番、リストのメフィスト・ワルツ第1番、ヴォルフ=フェラーリの歌劇『スザンナの秘密』序曲を聴き、アレクサンドル・ルーディン指揮ウラル・ユース交響楽団が演奏したミヤスコフスキーの交響曲第17番と第20番、レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第4番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『皇室の茶坊主』を読み進めたりする。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月25日

今日聴いた音楽から(2024/2/25)

 グイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したシューマンの交響曲第4番<WARENER>を聴く。
 カンテッリの録音は断続的に聴いているが、このシューマンでも前進力漲る演奏になっている。
 前へ前へと進む音楽が爽快だ。
 「生き生きと(Lebhaft)」の言葉のある第3楽章から第4楽章など、カンテッリの本領が十分に発揮されており、わくわくする。
 もちろん、それでいて細部を疎かにすることなく、楽章ごとの音楽の変化にも的確に対応していることは言うまでもない。
 第2楽章の優美さもまたカンテッリならではだ。
 リマスタリングのおかげでだいぶんクリアな音質になっているが、やはりこの演奏もできることならばステレオ録音で聴きたかった。
posted by figarok492na at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

久しぶりに落語会を愉しんだ(CLACLA日記)

 雨降り。
 どんよりとしたお天気の一日。

 気温は上がらず、じめ寒い。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度と寒さのトリプルパンチ!!!
 体調、今一つ。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、2時少し過ぎに寝床に就く。


 なんと11時過ぎになって起きる。
 体調を崩して以来、睡眠時間が長くなっているのだ。

 午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでレナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したモーツァルトの交響曲第29番と第35番「ハフナー」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、小川金男の『皇室の茶坊主』<創元社>を読み進めたりする。


 12時台に外出し、阪急で河原町へ。
 丸善京都本店で用件を片付け、買い物をしたのち、誓願寺へ。
 四百年前の落語を聞く会を愉しむ。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 出演者の三遊亭はらしょうや月亭天使さんと話をしたほか、はらしょう繋がりの演劇関係の各位とも久しぶりに話をすることができた。
 終了後、観客として来ていたなじみの顔触れで少しコーヒーをのみながら話をし、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 途中夕飯を挟み、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。
 今夜も面白し。


 夕飯後、amazon music unlimitedでリヤ・ペトロワとダンカン・ウォード指揮ロイヤル・フィルが演奏したウォルトンのヴァイオリン協奏曲、ペトロワとピアノのアダム・ラルームが演奏したレスピーギのヴァイオリン・ソナタを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったり、『皇室の茶坊主』を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したシューマンの交響曲第4番を聴き、ニュー・ミュージック弦楽4重奏団が演奏したメンデルスゾーンの弦楽4重奏曲第2番と第5番、バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第3番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『皇室の茶坊主』を読み進めたりする。


 今日は、少しだけ甘いものを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

四百年前の落語を聞く会

☆四百年前の落語を聞く会

 出演:林家菊丸さん、三遊亭はらしょう、月亭天使さん
(2024/2/25 14時開演 誓願寺)


 昨年2023年は落語の祖とされる安楽庵策伝上人による醒睡笑が世に出されてちょうど400年。
 偶然そのことに気がついた旧知のドキュメンタリー落語家三遊亭はらしょう、早速策伝上人とゆかりの深い誓願寺に訊ねてみたところ、まったく関連のイベントが企画されていないことを知らされる。
 それじゃあ、自分がやりましょうと企画したのが今回の『四百年前の落語を聞く会』である。
 そういったあたりは、はらしょう自身がドキュメンタリー落語『醒睡笑』で語っていたところだが、その前に高座の横に鎮座する立命館大学所蔵の誓願寺門前図屏風の複製図について同大学の矢野桂司先生から説明をいただく。
 で、はらしょうの企画説明も兼ねたドキュメンタリー落語ののちは、月亭天使さんが高座へ上がる。
 『醒睡笑』由来の落語からということで、少し予定を変更して『平林』から。
 天使さんの『平林』は、ずいぶん前に錦湯さんの会で接したことがあるが、使いに出される丁稚(男の子)の造形がやはり柄に合っている。
 平林の読み方を尋ね尋ねしているうちにうかれてくるあたりが印象に残った。
 仲入りを挟んで、再び天使さんが高座へ。
 もともと予定していた『犬の無筆』をかける。
 これだけではあまりにも短いということで、先に『平林』を話したのだ。
 本人が語っていたように、猫好きの天使さんが犬を演じてみせるのがおかしい。
 そして、三人目に登場するのは、林家菊丸さん。
 ラジオなどで前々から接していたが、生の菊丸さんは実はこれが初めて。
 20日の七本松落語会はまだ体調が今一つだったため、残念ながら断念してしまっていた。
 今日かけたのは『青菜』。
 季節は外れるが、これも『醒睡笑』がもとになる噺なのだ。
 まずは自分の落語家人生のスタートがかつて新京極にあった京都花月だと語り、続けて師匠に入門したあとの梅田花月の楽屋風景で大いにわかす。
 本題も、笑いのツボをしっかり押さえて評判に違わぬおかしさ。
 とともに、細やかさも兼ね備えた充実した口演になっていた。
 いやあ、面白かった。
 最後に再びはらしょうが登場し、本当なら『青菜』で〆るのがベストなのだがと、自作のドキュメンタリー落語『誓願寺とビートルズ』を演じる。
 あな、懐かしや。
 この誓願寺ではらしょう、当時ハラダリャンは演劇公演を行ったのだ。
 僕もちゃんと観に行っている。
 ただし、主筋はそこではなくてこの公演の際に使用したビートルズと自分の出会いについて。
 それこそかつての一人芝居のおなじみのキャラも登場し、そうそうはらしょう、ではなくこの場合はハラダリャンはこれなんだと感慨ひとしおだった。
 菊丸さん、はらしょう、天使さん、おつかれさまでした。
posted by figarok492na at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 落語・ネオ落語記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月24日

今日聴いた音楽からA(2024/2/24)

 まだ日曜のお昼にNHK・FMで『きらクラ!』を放送していたころだ。
 たまたま途中からラジオをつけると、耳なじみの良すぎる合唱曲がかかっている。
 なんだ、この偽善臭ふんぷんとする音楽はと顔をしかめていたら曲が終わって、ジョン・ラターが作曲した宗教曲ということがわかった。
 ラター自身、慢性疲労症候群に罹患しているとあとで知ったので、彼にとってはこうした曲調の作品は書かざるをえないものとして書いたのかもと思い直しはしたものの、どうにもむず痒さを感じてしまうことも事実だ。
 一つには、ふかわりょうか遠藤真理かリスナーかの絶賛の言葉に鼻白んだことも大きいのだけれど。
 そのジョン・ラターがマンチェスター・カメラータを指揮したオーケストラ小品集『クラシカル・トランクウィリティ』<Collegium>が昨年リリースされたので、あえて聴いてみた。
 アイルランド民謡のシー・ムーヴド・スルー・ザ・フェア、サティのデイドリーム(ジムノペディ第1番から)、ディーリアスの春初めてのカッコウの声を聴いて、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ、自作の「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください」、グリーグの鉄道の子供たち、ヨハン・セバスティアン・バッハのあなたが傍にいて下さるなら、ラヴェルのメヌエット(ソナチネから)、ドビュッシーの月の光、ヘンデルの「そなたの赴くところ」(オラトリオ『セメレ』から)、ヨハン・セバスティアン・バッハの「羊は安らかに草を食み」というカップリングで、ディーリアスと亡き王女のためのパヴァーヌ以外はラター自身の作編曲によるものである。
 そもそもラター好みの作品を揃えているからそうなるのだろうけれど、全篇癒しに満ち満ちた音楽であり演奏となっている。
 正直、ジムノペディでも月の光でも、それどころか編曲はしていないディーリアスでも、角が丸められてすべすべとした感じ、本来あるはずの翳りに無理から陽の光をあてたかのようなラターの音楽のつくりにはどうしても違和感が残る。
 嫌味ではなく、どうにも毎日が辛くて世の中のあれこれにも目を閉ざしていなければ苦しくて生きていけない人、音楽に慰めをこそ求める人には大いにお薦めしたい。
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昼過ぎ、図書館へ行った(CLACLA日記)

 晴天。

 気温は低めで、寒さを強く感じる。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 体調、まだしっくりこない。
 咳込みも続く。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでズビン・メータ指揮フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第1番と第2番、KBS京都で霜降り明星のオールナイトニッポンを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、2時直前に寝床に就く。


 9時半に起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
 その間、CDでチャールズ・グローヴズ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したルロイ・アンダーソンのプリンク・プレンク・プランク!を聴く。

 午前中から午後にかけて、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』、amazon music unlimitedでクリストフ・シュペリング指揮ダス・ノイエ・オルケスター他が演奏したレーガーとマーラーの管弦楽伴奏歌曲集、ギドン・クレーメルとレナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルが演奏したネッド・ローレムのヴァイオリン協奏曲、バーンスタイン指揮フランス国立管弦楽団が演奏したルーセルの交響曲第3番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 14時台に外出し、下京図書館へ。
 借りていた本を返却し、予約しておいた小池水音の『息』<新潮社>と小川金男の『皇室の茶坊主』<創元社>を新たに借りる。
 で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでルドルフ・ゼルキンが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」と第23番「熱情」を聴き、メータ指揮フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」と第4番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったり、『皇室の茶坊主』を読み始めたりする。


 夕飯後、amazon music unlimitedでオイゲン・ヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデンが演奏したブルックナーの交響曲第1番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『皇室の茶坊主』を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでジョン・ラター指揮マンチェスター・カメラータが演奏した『クラシカル・トランクウィリティ〜管弦楽編曲集』を聴き、 テノールのクラウス・フロリアン・フォークトがアンサンブル・アハトの伴奏で歌ったシューベルトの歌曲集『美しき水車小屋の娘』、クリストファー・ギルドが弾いたウィリアム・ワーズワースのピアノ独奏曲全集を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『皇室の茶坊主』を読み進めたりする。


 今日は、山崎製パンの小豆の甘納豆を食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/2/24)

 ルドルフ・ゼルキンという音楽家にとって、ベートーヴェンはその中心となるレパートリーだった。
 そのルドルフ・ゼルキンが最晩年に録音したピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」と第23番「熱情」<DG>を聴いた。
 前者は1986年、後者は1989年というからルドルフ・ゼルキンにとって最晩年の録音である。
 実は、この二つの録音は諸般の事情でお蔵入りになっていたもので、昨年になってようやくリリースされた。
 販売を許可した娘のジュディス・ゼルキンが断りを入れているように、最終段階まで編集された「完璧」なアルバムではない。
 録音時期に曲調もあってワルトシュタインはまだしも、熱情のほうは、正直聴いていて辛い部分もある。
 例えば、解釈もあるのだろうが、終楽章の遅さはどうしてももたつき気味に聴こえてしまう。
 だが、それでもそれこそ熱情の迸りを強く感じもする。
 特に終楽章のコーダ。
 一気にテンポが速まる、全力全身で音楽を鳴り響かせる。
 また、ワルトシュタインでは硬質で透明な強音や過度に陥らない抒情性がよく発揮されてもいた。
 ルドルフ・ゼルキンが人生をかけて何と向き合ってきたがわかる貴重なドキュメントだ。
posted by figarok492na at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月23日

今日聴いた音楽からA(2024/2/23)

 マレク・ヤノフスキとドレスデン・フィルが演奏したシューベルトの交響曲第7番「未完成」と第8番「ザ・グレート」<PENTATONE>を聴いた。
 ヤノフスキは1939年にポーランドのワルシャワで生まれたが、幼少期からドイツで学んだこともあり、現在ではドイツの指揮者と見なされている。
 事実、そのレパートリーの核も古典派からロマン派を経て、現代音楽に至るドイツの作曲家だ。
 ヤノフスキの指揮の特徴はオーケストラをバランスよくコントロールし、均整のとれた音楽をつくるところにあるのではないか。
 このシューベルトでも、そうした彼の特徴がよく表れている。
 速いテンポで粘ることなく、かつ歌唱性にも富んだ見通しのよい音楽だ。
 そうした音楽づくりは僕自身の好みにもぴったりあっている。
 ただ、そうした音楽づくりだからこそ、物足りなさを感じた点もあった。
 それは、ティンパニの音がやけに遠くに聴こえたことである。
 もちろん、何がなんでものべつまくなしティンタンティンタンティンパニが響いていればよいというものでもないが、しかし、この録音では他の楽器の分離の良さに比べて、防音マットでも被せているんじゃないかというのは言い過ぎにしてもティンパニの音が目立たない。
 ヤノフスキの音楽の好みもあるのだろうが、未完成にしてもザ・グレートにしてもここぞというところでのティンパニの一閃は大きな意味を持っている。
 それが今一つしっかり聴こえてこないというのは、もどかしい。
 そこがクリアであれば、より魅力的なアルバムになっただろうに。

 もしかして自分の耳のせいではと、試しにヤン・ヴィレム・デ・フリーントが京都市交響楽団とハーグ・レジデンティ管弦楽団を指揮したザ・グレートの一部をながら聴きしたが、ピリオド・スタイルということもあってかティンパニがよく鳴っていた。
 ううん。
posted by figarok492na at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天皇誕生日(CLACLA日記)

 天皇誕生日。
 世は三連休の一日目。
 弥栄弥栄。


 どんよりとした感じが続く。
 青空も見えてはいたが。

 気温も上がらず。
 まだまだ寒い。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 体調、未だ芳しからず。
 咳込みも続いている。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでクイン・グエンが弾いたタイユフェールのピアノ作品集、ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団が演奏したドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、KBS京都でナインティナインのオールナイトニッポンを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、2時少し前に寝床に就く。


 10時台に起きる。

 午前中から午後にかけて、CDでアルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団が演奏したロッシーニの歌劇『コリントの包囲』序曲、歌劇『セミラーミデ』序曲、歌劇『ウィリアム・テル』序曲、歌劇『アルジェのイタリア女』序曲、ドーマスが演奏したブラームスのピアノ4重奏曲第1番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。

 滝口悠生の『水平線』<新潮社>を読了する。
 読み応えのある作品だった。


 14時台に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、CDでジョン・ウィリアムズ指揮ボストン・ポップスが演奏したジョン・ウィリアムズ自身のオリンピック・ファンファーレ、映画『11人のカウボーイ』序曲、帝国のマーチ、ミッション・テーマ、『スター・ウォーズ』のメイン・タイトルを聴いたりしながら雑件を片付け、amazon music unlimitedでオットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したストラヴィンスキーのバレエ音楽『プルチネッラ』組曲を聴き、ヴァイオリンのタスミン・リトルとピアノのマーティン・ロスコーが演奏したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第8番、第9番「クロイツェル」、第10番、TBSラジオ『ハライチのターン』アフタートークのポッドキャストを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったりする。


 夕飯後、amazon music unlimitedでクシシュトフ・カチカとフェリペ・トリスタン指揮ヤナーチェク・フィルが演奏したライネッケのフルート協奏曲とペンデレツキのフルートと室内オーケストラのための協奏曲を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。

 入浴後、amazon music unlimitedでマレク・ヤノフスキ指揮ドレスデン・フィルが演奏したシューベルトの交響曲第7番「未完成」と第8番「ザ・グレート」を聴き、ジャン=ニコラ・ディアトキンが弾いたショパンのピアノ・ソナタ第3番と前奏曲全曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、山崎製パンの吹雪まんを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/2/23)

 ストラヴィンスキーが遺した数多い作品の中で何が一番好きかと問われたら、迷うことなくバレエ音楽『プルチネッラ』を挙げる。
 ペルゴレージ、と思いきや実は無名のドメニコ・ガッロやらヴァッセナール伯やらの音楽を下敷きにしてストラヴィンスキーが仕立て直した茶番劇。
 できれば三人の独唱者も加わった全曲版がいいが、美味しい部分を選り抜いた管弦楽だけの組曲版でも文句ない。
 なんならヴァイオリンやチェロのために編曲されたイタリア組曲でもいい。
 いずれにしても、『プルチネッラ』の音楽を聴いたら嬉しくなってくる。
 今日は、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏した組曲<WARENER>を聴いた。
 クレンペラーといえばドイツ・ロマン派の巨匠といった扱いがされがちだが、もとはといえば新即物主義的な楽曲解釈の持ち主で、第1次世界大戦後ベルリンのクロール・オペラを舞台に斬新な出し物を取り上げて大いに脚光を浴びた指揮者でもあった。
 まあ、それから幾星霜、1964年に録音されたこの録音では縦の線がきっちり揃わなかったり、リズムが緩くなったりと寄る年波による変化は如実にあらわれてしまっているのだけれど。
 かつて鳴らした人物の昔話を聴くような味わいがある。
 かえってわかりにくい譬えになるかもしれないが、若き日は新国劇の大看板として鋭い殺陣を見せていた辰巳柳太郎が、晩年あえて耄碌爺を演じきっていたというか。
 ただ、そうしたぴっちり全体をまとめ上げる演奏ではないからこそ、ストラヴィンスキーが手を加えた部分の個性、おなじみ三大バレエに通じロシア的な響きなどがよくわかるように感じたことも事実だ。
 例えば、エサ・ペッカ・サロネン指揮ロンドン・シンフォニエッタ他によるスタイリッシュでシャープな演奏に慣れ親しんでいる人にこそお薦めしたい録音である。
posted by figarok492na at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月22日

今日聴いた音楽から(2024/2/22)

 クラシック音楽のレコードを買い始めて、今年でちょうど40年になる。
 少ない小遣いの中でできるだけたくさんのレコードを聴こうと廉価盤のそれも中古のLPばかり買っていたので、否も応もなくマニアックな演奏家の録音ばかり聴くことになった。
 だから、いわゆる巨匠の名録音はたいして持っていなかった。
 ヴィルヘルム・フルトヴェングラーのLP、もモノラル録音を電気的に加工した疑似ステレオを2枚持っていただけ。
 1枚は有名なバイロイト音楽祭のベートーヴェンの第九で、もう1枚はウィーン・フィルと録音したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」とリストの交響詩『前奏曲』がカップリングされたものだった。
 その前奏曲を、今日30年ぶりぐらいに聴いた。
 ただし、今回聴いたのはリマスタリングはされているが、モノラル録音である。
 前奏曲は、「人生は死への前奏曲」というラマルティーヌの詩に基づいた、リストの遺した交響詩の中ではもっとも有名な作品。
 死との葛藤を経て華々しい凱歌で終わる、至極明快な音楽だ。
 なおかつ穏やかで美しい旋律にも不足していない。
 フルトヴェングラーは強弱緩急のはっきりした音楽づくりで、作品の持つ劇性を巧く表現していた。
 これでもっと録音がよければと思わずにはいられない。
posted by figarok492na at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山本陽子が亡くなった(CLACLA日記)

 今日もどんよりとしたお天気。

 気温がぐっと下がり、寒さが厳しい。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度と花粉のトリプルパンチ!!!
 咳込み、未だ続く。
 うんざり。


 山本陽子の時代があった。
 日活ニューフェイスの一人として芸能界にデビューしたが、映画の世界では今一つ人気が上がらなかった彼女だけれど、テレビドラマに転じて活躍の幅を広げた。
 また、いわゆる商業演劇の世界でも重要な役回りを演じた。
 山本山のCMが端的に象徴するような、着物の似合うしっとりとした和風の美人という風情。
 しかし、今風の芯の強さもしっかり持っていた。
 『黒革の手帖』の主人公など、強さと弱さ、新しさと古さ、そうした彼女の魅力がよく表れていた。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時半過ぎに寝床に就く。


 7時に起きて、amazon music unlimitedでフォルテピアノのバルト・ファン・オールトとウルスラ・デュッチュラーが弾いたモーツァルトの4手のためのピアノ・ソナタヘ長調K.497とハ長調K.19dを聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 CDで近衛秀麿指揮ベルリン・フィルが演奏したハイドンの交響曲第91番を聴いたりしながら、夕飯の準備をすませる。


 夕飯後、amazon music unlimitedでアントニー・ヴィト指揮ノールショピング交響楽団他が演奏したペンデレツキのトランペット・コンチェルティーノ、ヴァイオリンとヴィオラのための2重協奏曲、交響曲第6番「中国の歌」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったり、滝口悠生の『水平線』<新潮社>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したリストの交響詩『前奏曲』を聴き、ヴァイオリンのタスミン・リトルとピアノのマーティン・ロスコーが演奏したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第6番と第7番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『水平線』を読み進めたりする。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月21日

今日聴いた音楽からA(2024/2/21)

 グイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」(1955年録音)<WARENER>を聴いた。
 メンデルスゾーンといえば、未だに音の風景画家といった捉え方がされていて、事実そうした側面が皆無ではないのだけれど、やはりこの交響曲を聴いてもそれだけにとどまる作曲家ではないと改めて思う。
 少なくとも、メンデルスゾーンも他のロマン派の作曲家同様、振幅の激しい感情表現を行っていた。
 例えば、それこそイタリアの陽光を感じさせるような第1楽章にも、明らかに感情の翳りを聴くことができるし、サルタレッロ舞曲の執拗な反復が続く終楽章などはことにそうだ。
 飛び跳ねるようなリズムの中に、焦燥感が潜んでいる。
 カンテッリはそうしたメンデルスゾーンの音楽の持つ感情の動きを的確に再現しているのではないか。
 フィルハーモニア管弦楽団も安定したアンサンブルを聴かせる。
 以前聴いたシューベルトの未完成交響よくでもそう思ったが、カンテッリの一層の表現の深化を聴くことができなかったことは本当に残念でならない。
posted by figarok492na at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雨降り 咳込む(CLACLA日記)

 雨降り。
 どんよりとしたお天気の一日。

 気温も下がる。
 じめじめとじめ寒し。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度のダブルパンチ!!
 咳込みも続く。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、2時に寝床に就く。


 9時台に起きる。

 午前中から正午過ぎにかけて、amazon music unlimitedでイーゴリ・マルケヴィチ指揮ロンドン交響楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」、ヴァイオリンのタスミン・リトルとピアノのマーティン・ロスコーが演奏したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、滝口悠生の『水平線』<新潮社>を読み進めたりする。


 13時台に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでピエタリ・インキネン指揮ドイツ放送フィルが演奏したドヴォルザークの交響曲第7番と第8番を聴き、アンドルー・デイヴィス指揮BBCフィルが演奏したストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲(ジェームズ・エーネスの独奏)、ロシア風スケルツォ、組曲第1番と第2番、バレエ音楽『ミューズを率いるアポロ』、ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団他が演奏したサン・サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、『水平線』を読み進めたりする。


 夕飯後、KBS京都の『角田龍平の蛤御門のヘン』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 『角田龍平の蛤御門のヘン』は、情報社会学者の塚越健司さんがゲスト出演。

 入浴後、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」(1955年録音)を聴き、ヴァイオリンのスーイエ・パクとピアノのローランド・ペンティネンが演奏したシマノフスキの神話、ヴァイオリン・ソナタ、ロマンス、夜想曲とタランテラ、アイタコ・エニアの子守歌、ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したマーラーの交響曲第10番から第1楽章を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、甘いものは少しだけ食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/2/21)

 ドイツ放送フィルが進めているドヴォルザークの交響曲全集から、今年リリースされたばかりの第7番と第8番<SRW>を聴く。
 もともとはカレル・マーク・チチョンの指揮で始められた録音だが、日本フィルの首席指揮者としても有名だったピエタリ・インキネンが今は引き継いでいる。
 第7番と第8番も、そのインキネンの指揮。
 インキネンはオーケストラのコントロールに秀でた指揮者だが、このアルバムでもそうした彼の特性がよく発揮されていた。
 まず第7番は、この曲の構成的な堅固さを真正面からとらえた演奏で、全篇間然としない。
 第3楽章のリズムもキレがよい。
 一方、第8番は強弱緩急のメリハリが一層効いている。
 第3楽章の牧歌的美しさも巧く表現されているし、この交響曲のぎくしゃくとして突拍子のない感じも巧く出ていた。
 ザールブリュッケンとカイザースラウテルンの放送オケが合併してできたドイツ放送フィルは、ソロとしてもアンサンブルとしても精度が高い。
 派手さはないが、手堅く充実したアルバムである。
posted by figarok492na at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月20日

今日聴いた音楽から(2024/2/20)

 昨夜に続いて、グイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したモーツァルトを聴く。
 今日は、交響曲第29番<WARENER>。
 交響曲第29番といえば、第25番と並んでモーツァルトの初期の交響曲の中では有名な作品だが、カンテッリとフィルハーモニア管弦楽団は実に瑞々しい音楽を聴かせてくれる。
 テンポは速めだが、ただただ速く演奏するための速さに終わるのではなく、長調の中の翳りといった音楽の陰影も丹念に描き込んでいく。
 また、終楽章では交響的拡がりを感じることもできた。
posted by figarok492na at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝から霧がひどかった(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気が続く。
 朝から霧がひどかった。

 夕方以降、気温が下がったか。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度と花粉のトリプルパンチ!!!
 体調、よろしからず。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時半過ぎに寝床に就く。


 7時に起きて、amazon music unlimitedでフォルテピアノのバルト・ファン・オールトとウルスラ・デュッチュラーが弾いたモーツァルトの4手のためのピアノ・ソナタニ長調K.381、フーガト短調K. 401、幻想曲ヘ短調K.608、アンダンテと5つの変奏ト長調K. 501を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 夕飯後、amazon music unlimitedでヴァイオリンのタスミン・リトルとピアノのマーティン・ロスコーが演奏したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第2番、第3番、第4番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったり、滝口悠生の『水平線』<新潮社>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第29番を聴き、カール・ベーム指揮ウィーン・フィル他が演奏したモーツァルトの歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』全曲(1974年、ザルツブルク音楽祭ライヴ録音)を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『水平線』を読み進めたりする。


 今日も、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月19日

今日聴いた音楽から(2024/2/19)

 村の楽士たちのへっぽこ演奏を茶化しに茶化したのが、モーツァルトの音楽の冗談。
 なんだけど、グイド・カンテッリとフィルハーモニア管弦楽団の演奏<WARENER>で聴くと、なんだか立派な音楽に聴こえてしまうのがおかしい。
 速いテンポで流麗、音色も実に上品だ。
 下手さの巧さ、って変な言葉だけど、へっぽこ楽士ぶりを発揮しているのは、ホルン。
 何しろ、あの名手デニス・ブレインらがソロなんだから舌を巻く下手さの巧さだ。
 何度も聴き返すのにふさわしい演奏だと思う。
posted by figarok492na at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

月曜がどんよりとしたお天気はつらいなあ(CLACLA日記)

 雨降り。
 どんよりとしたお天気の一日。

 日中、さらに気温が上がる。
 が、じめじめむしむしとして快ならず。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 体調、まだ芳しからず。
 鼻のぐじゅぐじゅがひどし。
 うんざり。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時10分過ぎに寝床に就く。


 7時に起きて、amazon music unlimitedでフォルテピアノのバルト・ファン・オールトが弾いたモーツァルトの小品集を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時18分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 夕飯後、amazon music unlimitedでヴァイオリンのタスミン・リトルとピアノのマーティン・ロスコーが演奏したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第1番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、滝口悠生の『水平線』<新潮社>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したモーツァルトの音楽の冗談を聴き、
ワイス・カプラン・スタンプ・トリオが演奏したベートーヴェンのピアノ3重奏曲第7番「大公」、イーゴリ・マルケヴィチ指揮ロンドン交響楽団が演奏したチャイコフスキーのマンフレッド交響曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『水平線』を読み進めたりする。


 今日も、仕事先でいただいたチョコやお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 月曜がどんよりとしたお天気はつらいなあ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2024年02月18日

今日聴いた音楽からA(2024/2/18)

 オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団が演奏したシューマンの交響曲第1番「春」<WARENER>を聴く。
 ゆっくりとしたテンポだが、過度な重さや鈍さは感じない。
 まさしく当為のものとして春の訪れを感じるような、堂々とした演奏だ。
 とともに、この曲の持つ旋律の美しさや歌唱性も強く感じる。
 スタイルは大きく異なるとはいえ、フィリップ・ヘレヴェッヘとアントワープ交響楽団による演奏にも通じる感想を持った。

 ほかに、劇音楽『マンフレッド』序曲も聴く。
 こちらも遅めのテンポ。
 それでも悲劇的な切迫感がある。
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体調、なかなか快復せず(CLACLA日記)

 どんよりとした感じはあるも、青空も見える。
 明日はまた雨らしいが。
 うんざり。

 日中、気温も上がる。
 その分、花粉も飛ぶ。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 体調、なかなか快復せず。
 花粉症も徐々に強く出ている。


 世論調査で岸田内閣の支持率が14パーセントで、不支持率が80パーセントを超えたという。
 当然だろう。
 というか、いつまでこういう状況を許容していればよいのか。

 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、1時少し前に寝床に就く。
 KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴こうと思っていたが、ついついうとうとしてしまい、気がつくとほとんど終わりの時間だった。


 10時少し前に起きる。

 午前中から正午過ぎにかけて、amazon music unlimitedでシモーネ・ラムスマとロバート・トレヴィーノ指揮マルメ交響楽団を指揮したラウタヴァーラのファンタジア、イン・ザ・ビギニング、2つのセレナード、失われた風景を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、滝口悠生の『水平線』<新潮社>と灰原薬の『応天の門』13<同>を読み進めたりする。


 12時台に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでヨハネス・クルンプ指揮エッセン・フォルクヴァンク室内管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第1番、第28番、第41番「ジュピター」を聴き、イーゴリ・マルケヴィチ指揮ロンドン交響楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第4番、マルケヴィチ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団が演奏した幻想序曲『ハムレット』、ワイス・カプラン・スタンプ・トリオが演奏したベートーヴェンのピアノ3重奏曲第5番「幽霊」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたりする。

 『応天の門』13を読了する。
 ああ、面白かった!!!


 途中夕飯を挟み、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。
 今週も面白し。


 夕飯後、amazon music unlimitedでソプラノのアンナ・ルチア・リヒターとヤクブ・フルシャ指揮バンベルク交響楽団が演奏したマーラーの交響曲第4番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『水平線』を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでオットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団が演奏したシューマンの交響曲第1番「春」と劇音楽『マンフレッド』序曲を聴き、アニア・ドーフマンが弾いたショパンのワルツ集(14曲)、ワイス・カプラン・スタンプ・トリオが演奏したベートーヴェンのピアノ3重奏曲第6番、MBSラジオのヤンタン日曜日を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日も、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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今日聴いた音楽から@(2024/2/18)

 ヨハネス・クルンプとエッセン・フォルクヴァンク室内管弦楽団によるモーツァルト・シリーズから、交響曲第1番、第28番、第41番「ジュピター」を集めたアルバム<GENUIN>を聴いた。
 スピーディーで快活、まさしくピリオド・スタイルのモーツァルトなんだけど…。
 実は、この組み合わせが演奏したディヴェルティメントK.136、K.137、K.138を聴いたときと同じく、はじめは爽快に思えた速いテンポがどんどん無機的に感じられてしまい、正直これって速さのための速さじゃないのかとどんどんつまらなくなってしまうのである。
 両端楽章の追いかけっこ競争のような表現の単調さも大きな原因になっているのだろうが。

 クルンプいえば、不慮の事故のために再起不能となったトーマス・ファイに代わってハイデルベルク交響楽団とのハイドンの交響曲全集を進めているが、今年に入って一気に4枚分のアルバムがリリースされたんだった。
 同じピリオド・スタイルとはいえ、師匠ニコラウス・アーノンクール譲り、あちらをこう立たせてこちらはこう退いてといった綿密極まる音楽づくりを重ねていたファイと異なり、クルンプならば、あ〜らよ出前一丁ならぬあ〜らよハイドン一丁、あ〜らよモーツァルト一丁とばかりさくさくスピーディーに録音を進めていけるだろう。
 その手際の良さはそれこそ古典派作品、古典派作曲家のあり様にも通じるものだ。
 ただ、そうした手際の良さへのアンチテーゼとしてピリオド・スタイルは台頭してきたのではなかったのか?
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2024年02月17日

今日聴いた音楽から(2024/2/17)

 日曜日からずっと体調不良である。
 ながら聴きならまだしも、じっと音楽に集中しているのがつらかった。
 なので、しばらく音楽の感想をアップすることもしなかった。
 今夜、リハビリを兼ねてクラウディオ・アラウが弾いたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番<WARENER>を聴いた。
 アルチェオ・ガリエラ指揮フィルハーモニア管弦楽団との共演で、1960年のステレオ録音。
 前に聴いたウェーバーのコンツェルトシュテュックと同時に録音されたものだ。
 横綱相撲とでも評したくなるような、堂々とした演奏である。
 テクニック的に全く無理がなく、なおかつ抒情性にも不足していない。
 ドラマティックな部分では当然熱の入った演奏になるが、安っぽくなることはない。
 ガリエラ指揮フィルハーモニア管弦楽団もソロに伍して立派な演奏を聴かせている。
 聴き応え十分だった。
posted by figarok492na at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

買い物の前、図書館へ行った(CLACLA日記)

 どんよりとした感じから晴天へ。

 日中、気温が上がる。
 寒暖差がこたえる。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 体調、未だ快復せず。
 花粉症も強くなっている。
 うんざり。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、作業を進めたのち、1時少し前に寝床に就く。

 またぞろ同じマンションの馬鹿がかまびすしい。
 馬鹿は死ぬまで治らない。

 10時少し前に起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。

 午前中から午後にかけて、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』、amazon music unlimitedでインバル・セゲフとマリン・オールソップ指揮ロンドン・フィルが演奏したクラインのダンスとエルガーのチェロ協奏曲、ワイス・カプラン・スタンプ・トリオが演奏したベートーヴェンのピアノ3重奏曲第3番と創作主題による14の変奏曲Op.44を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、滝口悠生の『水平線』<新潮社>を読み進めたりする。


 14時台に外出して下京図書館へ。
 借りていた本を返却し、予約しておいた灰原薬の『応天の門』13<同>を新たに借りる。
 で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでゲルハルト・マルクソン指揮アイルランド国立交響楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『マクベス』と交響詩『英雄の生涯』、デヴィッド・ジンマン指揮ピッツバーグ交響楽団が演奏したダニエルプールの管弦楽のための協奏曲とアニマ・ムンディ、ワイス・カプラン・スタンプ・トリオが演奏したベートーヴェンのワイス・カプラン・スタンプ・トリオが演奏したベートーヴェンのカカドゥ変奏曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、『応天の門』13を読み始めたりする。


 夕飯後、NHK・FMの『クラシックの迷宮』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『水平線』と『応天の門』13を読み進めたりする。
 『クラシックの迷宮』は、先ごろ亡くなった小澤征爾を偲ぶ特集で、小澤征爾がNHK交響楽団を指揮したメシアンのトゥランガリラ交響曲などが放送されていた。

 入浴後、amazon music unlimitedでクラウディオ・アラウとアルチェオ・ガリエラ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を聴き、イーゴリ・マルケヴィチ指揮ロンドン交響楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第3番「ポーランド」、マルケヴィチ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団が演奏したチャイコフスキーの幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』、スイス・チェンバー・ソロイスツが演奏したチェルハのヘルダーリンの8つの断章、オーボエ5重奏曲、9つのバガテル、シギスヴァルト・クイケンさん指揮エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団が演奏したハイドンの交響曲第82番「熊」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日も、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月16日

焦っても仕方ない(CLACLA日記)

 晴天へ。

 気温が下がり、寒さが厳しい。
 寒暖差がこたえる。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 体調、なかなか快復せず。
 休めということだ、これは。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、KBS京都でナインティナインのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、1時50分に寝床に就く。


 10時20分過ぎに起きる。
 近頃にない朝寝坊。
 それだけ、身体の調子がよくないということだろう。

 午前中から午後にかけて、ABCラジオの『きっちり!まったり!桂吉弥です』、amazon music unlimitedでアンドルー・マンゼ指揮ハノーヴァーNDRフィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第5番と第7番、ワイス・カプラン・スタンプ・トリオが演奏したベートーヴェンのピアノ3重奏曲第2番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、滝口悠生の『水平線』<新潮社>を読み進めたりする。


 14時台に外出して用件を片付けたのち、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでイーゴリ・マルケヴィチ指揮ロンドン交響楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」と第2番「ウクライナ」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『水平線』を読み進めたりする。


 夕飯後、amazon music unlimitedでヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルが演奏したラヴェル編曲によるムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』(1986年録音)を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『水平線』を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでアリエル・カルテットが演奏したブラームスの弦楽4重奏曲第2番とバルトークの弦楽4重奏曲第1番、クリストフ・エッシェンバッハとティモス・カルテット他が演奏したシューベルトのピアノ5重奏曲「ます」他、アコーディオンのニコラ・ジョリチとマンハイム・プファルツ選帝侯室内管弦楽団が演奏したヨハン・セバスティアン・バッハのチェンバロ協奏曲ト短調BWV1058とニ短調BWV1052、ピアソラのバンドネオン協奏曲「アコンガグア」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『水平線』を読み進めたりする。


 今日も、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 焦っても仕方ない。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月15日

よく降るなあ(CLACLA日記)

 雨降り。

 じめじめとして快ならず。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度のダブルパンチ!!!
 体調、未だよろしからず。
 本当は予定があって有給をもらったが、仕方ない。
 あえてだらだらと過ごすことに決める。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、作業を進めたのち、1時半過ぎに寝床に就く。


 9時台に起きる。

 午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでエルヴェ・ニケ指揮ル・コンセール・スピリチュエル他が演奏したヴィヴァルディのグローリアニ長調RV589、詩篇第121篇「われ喜びに満てり」RV607、マニフィカトト短調RV610a、詩篇第147篇「エルサレムよ、主を讃めたたえよ」RV609、ABCラジオの『ますだおかだ増田のラジオハンター』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 ヴィヴァルディは、女声合唱と弦楽合奏による演奏。
 正直、物足りない。
 というか、そもそも合唱曲自体それほど積極的に聴かないのに、女声のみの合唱やら男声のみの合唱やらには全く食指が動かない。


 身体がだるく、うとうとしながらNHK・FMの『クラシック・カフェ』を久しぶりに聴く。
 なんとかという合成音のような読み方をする女性はだいぶん前に辞めたらしい。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでペーター・シュライア一指揮カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ室内管弦楽団他が演奏したモーツァルトの歌劇『カイロの鵞鳥』、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィル他が演奏したベートーヴェンの劇音楽『レオノーレ・プロハスカ』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、滝口悠生の『水平線』<新潮社>を読み進めたりする。
 未完のオペラ『カイロの鵞鳥』は、モーツァルトの没後200年を記念して1990年に録音されたエリック・スミスによる編集稿。
 手元にCDがあって、何度も繰り返し聴いたものだった。
 指揮者で歌い手の一人でもあるシュライアーやディートリヒ・フィッシャー=ディースカウなど達者な歌手陣揃い。
 ただ、amazon music unlimitedには尻切れトンボの箇所があるのが残念。


 途中夕飯を挟み、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『天を斬る』第13話の拾い観をする。


 夕飯後、amazon music unlimitedでレナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・スタジアム交響楽団が演奏したブラームスの交響曲第4番、カメラータ・バキエンシスが演奏したテレマン、モルターのフルート、オーボエによる4重奏曲集、ベン・キムとコンセルトヘボウ室内管弦楽団が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第17番と第23番、ワイス・カプラン・スタンプ・トリオが演奏したベートーヴェンのピアノ3重奏曲第1番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『水平線』を読み進めたりする。


 今日も、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 夜になって、雨が激しく降る。
 よく降るなあ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月14日

地震が起きた(CLACLA日記)

 晴天が続く。
 いいお天気、いい青空の一日。

 日中、さらに気温が上がる。。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 花粉のせいもあって、体調未だ不調なり。
 鼻はぐじゅつき喉は枯れる。
 どうにもこうにも。


 伏見を震源とする地震が発生した。
 仕事中だったので、そこまで驚かずにすんだが、自分のマンションだったら慌てふためいてしまったのではないか。
 能登半島地震の際にも恐怖を感じたが。
 他人事ではない。

 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時少し前に寝床に就く。
 昨日ほどではないが、何度か目が醒める。


 7時に起きて、amazon music unlimitedでフォルテピアノのバルト・ファン・オールトが弾いたモーツァルトの小品集を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
 バレンタインデーということで、チョコやお菓子をいただく。
 ありがたいかぎり。


 夕飯後、KBS京都の『角田龍平の蛤御門のヘン』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、滝口悠生の『水平線』<新潮社>を読み進めたりする。


 入浴後、amazon music unlimitedでアラン・トゥルーデル指揮ラヴァル交響楽団が演奏したレスピーギの組曲『鳥』、日没(イザベル・バイラクダリアンのソプラノ独唱)、ボッティチェッリの三幅対、リュートのための古風な舞曲とアリア組曲第1番、クリスチャン・レッタが弾いたベートーヴェンのディアベッリの主題による変奏曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品の第1稿を完成させる。


 今日は、仕事先でいただいたチョコやお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月13日

4連休明け 花粉禍のスタート(CLACLA日記)

 4連休明け。


 晴天。
 いいお天気、いい青空の一日。

 朝は冷えるも、日中は気温が上がる。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 体調、非常によろしからず。
 花粉禍のスタートなり。
 うんざり。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、CDでクリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックが演奏したハイドンの交響曲第77番と第76番を聴き、21時過ぎには寝床に就く。
 が、細切れ睡眠でしっかり眠れた感じはせず。


 6時台に起きて、amazon music unlimitedでフォルテピアノのバルト・ファン・オールトが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第16番、歌劇『後宮からの逃走』序曲他小品集を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時25分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 夕飯後、amazon music unlimitedでヘルマン・クレバースとベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。

 灰原薬の『応天の門』12<新潮社>を読了する。
 ああ、面白かった!!
 まだ文章を読む気力も書く気力もなし。


 入浴後、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌを聴き、トリオ・オリゴが演奏したベートーヴェンのクラリネット チェロとフォルテピアノのための3重奏曲変ロ長調Op.11「街の歌」と変ホ長調Op.38(7重奏曲Op.20の編曲)を聴いたりしながら作業を進める。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2024年02月12日

体調不良(CLACLA日記)

 花粉症の発症などで、昨日今日と体調不良が続く。
 うんざり。


 14時台に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅する。


 夕方になって、amazon music unlimitedでレナード・バーンスタインがウィーン・フィルを弾き振りしたモーツァルトのピアノ協奏曲第17番を聴いたりしながら夕飯の準備をすませる。

 途中夕飯を挟み、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『遠山の金さん2』第15話の拾い観をする。
 瞳順子、水上保広(阪東妻三郎の子息)、森幹太、岩尾正隆、結城市朗(山本一郎名義)、子役の福田信義がゲストで出演。

 夕飯後、amazon music unlimitedでバーンスタイン指揮ニューヨーク・スタジアム交響楽団が演奏したシューマンの交響曲第2番を聴いたりしながら、雑件を片付ける。


 今日は、抹茶カステラを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2024年02月10日

今日聴いた音楽からA(2024/2/10)

 小澤征爾が指揮した演奏を続けて聴く。
 今回は水戸室内管弦楽団とのベートーヴェンの交響曲第1番とピアノ協奏曲第1番<DECCA>。
 交響曲は2017年1月の、マルタ・アルゲリッチをソロに迎えたピアノ協奏曲は同じ年の5月の、ともに水戸芸術館コンサートホールATMにおける定期演奏会でのライヴ録音だ。
 まず交響曲第1番は、昨夜聴いた運命の延長線上にあることがよくわかる演奏。
 何しろ80代に入ってからの指揮だもの、昔ほどには力いっぱいというわけにはいかないけれど、若干ピリオド奏法への目配りもあるのか、比較的速めのテンポで弦楽器も小刻みに動く。
 ただ、そうした音楽づくりである分、かえってオーケストラの編成の少なさやコントロールの衰えが聴こえたりもした。
 一方、ピアノ協奏曲第1番はさらにピリオド奏法への目配りが効いて、冒頭から力強くスピーディー。
 もちろん、それにはアルゲリッチとの共演ということが大きく作用しているのだろうが。
 といっても、単なるテンポどうこうの問題ではなく、そうした速めのテンポをやすやすと弾き切る技量を維持したアルゲリッチの持つエネルギーやパワーからの影響ということだ。
 事実、アルゲリッチのソロには感心感嘆した。
 両端楽章、特に終楽章の一気呵成な演奏には、同じくアルゲリッチの十八番であるショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番を思い出したほどだ。
 しかも、テクニカルな衰えを感じさせることなく一気呵成であるにもかかわらず。目まぐるしい表現の変化にも不足していない。
 そうした変化の豊かさという意味でも、第2楽章が強く印象に残った。
 これは、ぜひ実演に接しておきたかったと強く思う。

 なお、アルゲリッチと小澤征爾のこの曲は、1983年のバイエルン放送交響楽団のコンサートのライヴ録画も残っている。
 できれば一度触れておきたい。
posted by figarok492na at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日も図書館へ行った(CLACLA日記)

 青空も見えてはいたが、どんよりとした感じが強し。
 雨も降る。

 日中、気温が上がる。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度のダブルパンチへ…。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでドミニク・ケリが弾いたリストの3つのシューベルトの行進曲、シューベルトの4手のための「ハンガリー風ディヴェルティメント」からのハンガリーのメロディ、シューベルト:ウィーンの夜会 - 第6曲、フォルテピアノのバルト・ファン・オールトが弾いたモーツァルトの前奏曲とフーガK.394、ピアノ・ソナタ第15番、組曲K.399、ジーグ「ライプツィヒ・ジーグ」K.574、KBS京都で霜降り明星のオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、3時過ぎに寝床に就く。


 9時台に起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
 その間、CDでアルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団が演奏したロッシーニの歌劇『ブルスキーノ氏』序曲を聴く。

 その後、午前中から午後にかけて、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』、amazon music unlimitedでソプラノのアドリアンヌ・ピエチョンカがウルフ・シルマー指揮ミュンヘン放送管弦楽団の伴奏で歌ったワーグナーのアリア集とヴェーゼンドンク歌曲集、リヒャルト・シュトラウスのアリア集、シュロモ・ミンツとクラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団楽団が演奏したメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、レナード・バーンスタインがロサンゼルス・フィルを弾き振りしたガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルー他を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、滝口悠生の『水平線』<新潮社>と灰原薬の『応天の門』11<同>を読み進めたりする。


 14時過ぎに外出して仕事関係の予定をすませ、ついでに下京図書館へ。
 予約しておいた灰原薬の『応天の門』12<同>を新たに借りる。
 で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedで小澤征爾指揮シカゴ交響楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第5番とムソルグスキーの交響詩『はげ山の一夜』を聴き、小澤征爾指揮シカゴ交響楽団が演奏したリムスキー=コルサコフの交響組曲『シェエラザード』とボロディンの歌劇『イーゴリ公』から「だったん人の踊り」、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したストラヴィンスキーの交響曲ハ調と3楽章の交響曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、作品の改稿作業を行ったり、『水平線』を読み進めたりする。

 『応天の門』11を読了し、12を読み始める。
 面白いので、ついつい読み進めてしまう。


 夕飯後、NHK・FMの『クラシックの迷宮』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『水平線』を読み進めたりする。
 『クラシックの迷宮』は、「混迷の時代の“雪解けクラシック”」と題し、いわゆる雪解け時代に旧ソ連を訪れた西側諸国の音楽家たちによる演奏記録を特集していた。

 入浴後、amazon music unlimitedで小澤征爾指揮水戸室内管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第1番とピアノ協奏曲第1番(マルタ・アルゲリッチの独奏)を聴き、ウィリアム・スタインバーグ指揮ボストン交響楽団他が演奏したホルストの組曲『惑星』、アンドラーシュ・ケラー指揮コンチェルト・ブダペストが演奏したシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『水平線』と『応天の門』12を読み進めたりする。


 今日は、甘いものは少しだけ食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/2/10)

 昨夜に続いて、小澤征爾がシカゴ交響楽団を指揮したアルバムを聴く。
 チャイコフスキーの交響曲第5番とムソルグスキーの交響詩『はげ山の一夜』のカップリング<RCA>で、運命と未完成と同時期に録音されている。
 昨夜の運命について記したような、前進性と的確なコントロールが兼ね備わった、実に若々しく、実に輝かしい演奏だ。
 作曲者の内面の含みや屈折はほとんどうかがえないが、圧倒的で華やかな終楽章のコーダを聴けば、やはり胸は空く。
 とともに、チャイコフスキーの持つ抒情性よく歌い込まれていて、それもこの演奏の魅力になっている。
 第2楽章のホルンをはじめ、管楽器のソロが巧みだし、終楽章では金管群が底力を聴かせる。
 ほんの少しほころびがないわけではないが、シカゴ交響楽団の高水準なアンサンブルもあり、全く古さを感じさせない。
 『はげ山の一夜』は、良い意味でお化け屋敷の舞台裏を見せられたような感じ。
 リズムをどのようにとったり、楽器をどのように鳴らしたりすれば、おどろおどろしさが醸し出されるか?
 そういった音楽のつくりを教えてくれるクリアでシャープな演奏だった。
posted by figarok492na at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月09日

今日聴いた音楽からA(2024/2/9)

 小澤征爾が亡くなった。
 彼を悼んで、シカゴ交響楽団と録音したベートーヴェンの交響曲第5番とシューベルトの第7番「未完成」<RCA>を聴く。
 1968年というから小澤征爾がまだ30代に入ってすぐ、国際的な地歩をしっかり築き始めたころの録音だ。
 小澤征爾は、斎藤秀雄や1960年代までのヘルベルト・フォン・カラヤンといった新即物主義の流れを汲む歯切れがよくて見通しのよい的確なオーケストラ・コントロールを第一とする指揮者に学ぶ一方で、レナード・バーンスタインやシャルル・ミュンシュのような熱量の高い激しい感情表現の持ち主にも強い影響を受けた。
 ベートーヴェンの交響曲第5番は、まさしくそうした小澤征爾の音楽的な遍歴が如実に示されている。
 おなじみ冒頭の動機から勢いがよく、前へ前へと進んで行く。
 すこぶる爽快だ。
 しかし、勢い任せでは終わらない。
 相手がシカゴ交響楽団という世界でも屈指の技量を誇るオーケストラということも手伝って、均整のとれたまとまりのよい演奏にもなっている。
 例えば、第3楽章の後半など、冒頭の動機がどう変容しているか、今どの楽器からどの楽器へ冒頭の動機が受け渡されたかといった、音楽のつくりがよくわかる。
 ラスト、ちょっと音が軽くなるきらいがないではないが、実に聴き応えのある演奏だった。
 続く未完成交響曲も、若々しくて清新だが、この曲の持つ「特異性」や抒情性、歌唱性を意識した分、小澤征爾自身のそれとの齟齬が垣間見えてしまっていることも否めない。
 結果、はまっている部分とそうでない部分との差が大きく聴こえてしまった。
 そしてそれは、若いときばかりでなく後年のサイトウ・キネン・オーケストラとの同じシューベルトやブラームスの交響曲演奏にも繋がっている問題だと思う。
 それにしても、若かった小澤征爾がその後クラシック音楽界のトップの一角を占めるも、晩年は闘病生活に苦しみ、遂には88歳で亡くなってしまう。
 時の流れはあまりにも残酷だ。
posted by figarok492na at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小澤征爾に関する覚え書き(CLACLA日記)

 晴天。
 いい青空、いいお天気の一日。

 日中、気温も少し上がったか。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 頭も身体も重たし。


 結局、小澤征爾の実演に接することはできなかった。
 当然、機会がなかったわけではないが、どこかで躊躇したのは、日本フィル分裂に際する彼の行動にどうしてもぬぐい切れない不信というか、すっきりとしない感情を抱いていたからだ。
 思想信条的にも、僕は小澤さんや山本直純が結成した新日本フィルより、日本フィルの側に立っていた。
 だから、落合陽一のような人物が関係するようになった今の日本フィルには、かつてほどのシンパシーは感じていない。
 小澤征爾が世界的な指揮者であることは言われずともわかっているし、彼の遺した録音の中のいくつかは非常に魅力的なものだとも思う。
 日本ばかりか、アジアにとっても、小澤さんがクラシック音楽の世界で果たした役割はあまりにも大きいものだろう。
 五族協和の旗印を心底信じていたアジア主義者小澤開作の子として旧満洲で生まれた彼にとって、それは大いなる名誉でもあったろう。
 小澤さんは後輩の育成にも熱心だった。
 実演に接することはなかったが、齋藤友香理や三ツ橋敬子が指揮をした2009年の小澤征爾音楽塾の発表コンサートで、観客席から若い指揮者へステージマナーを教えていたのを目にして、彼らしいなと感じたものだ。
 小澤さんの人生の後半は闘病の連続だった。
 それでも、なんとか現役であろうともがき続けた小澤さんの姿を目にするのは、正直辛かった。
 井上道義が余力を残す中で引退を決めたのも、先輩である小澤征爾のあり様に対する強い想いの表れではないか。
 特に、2022年11月に小澤さんが指揮したベートーヴェンの『エグモント』序曲を目にし耳にしたときは、なんともたまらない感情に囚われた。
 もしそれでも演奏するならば、師の斎藤秀雄が亡くなる直前に指揮したモーツァルトのディヴェルティメントK.136の第2楽章にすればよいのにとも思った。
 けれど、小澤さんはまだ現役でありたいと念じていたのかもしれない。
 昨年、「小澤征爾が亡くなった」と知る夢を見た。
 88歳の死は、彼自身にとってはまだまだ早過ぎるものだったのではないか。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでフォルテピアノのバルト・ファン・オールトが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」、KBS京都でナインティナインのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、1時40分に寝床に就く。


 7時台に起きて、CDでアルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団が演奏したロッシーニの歌劇『セビリャの理髪師』序曲、歌劇『ラ・チェネレントラ』序曲、歌劇『どろぼうかささぎ』序曲を聴き、準備をすませたのち8時台に外出する。

 で、かかりつけの病院で診察してもらい、買い物をすませてからスギ薬局で薬を受け取り帰宅した。


 帰宅後、午前中から午後にかけて、ABCラジオの『きっちり!まったり!桂吉弥です』、amazon music unlimitedでオールトが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第12番、アナ・ベアトリス・マンサニーリャ指揮カメラータ・アトランティカが演奏したアゼヴェードの弦楽のためのシンフォニエッタ、フラゴーソのロマンティック協奏曲から第1楽章「前奏曲」(マンサニーリャの独奏)、アゼヴェードの弦楽のための音楽〜ベーラ・バルトークの思い出に、ブラガ・サントスの弦楽のための協奏曲、園子ミリアム・ヴェルデとタビタ・ベルグルンド指揮オスロ・フィルが演奏したブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番とヴォーン・ウィリアムズの揚げひばり、園子ミリアム・ヴェルデとジョシュア・ワイラースタイン指揮オスロ・フィルが演奏したバーバーのヴァイオリン協奏曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 15時台に再び外出し、下京図書館へ。
 借りていた本を返却し、予約しておいた滝口悠生の『水平線』<新潮社>と灰原薬の『応天の門』11<同>を新たに借りる。
 そのあと、京都芸術センターで用件を片付け、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでクラウディオ・アラウとアルチェオ・ガリエラ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したウェーバーのピアノと管弦楽のためのコンツェルトシュテュックを聴き、メゾソプラノのクリスタ・ルートヴィヒがジェフリー・パーソンズのピアノ伴奏で歌ったブラームスの歌曲集(16曲、1969年録音)、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」、バリトンのホーカン・ハーゲゴードがマズア指揮ニューヨーク・フィルの伴奏で歌ったマーラーのさすらう若人の歌、TBSラジオの『ハライチのターン』アフタートークのポッドキャストを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、作品の改稿作業を行ったり、『水平線』と『応天の門』11を読み始めたりする。


 夕飯後、amazon music unlimitedでヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したハイドンのトランペット協奏曲(デヴィッド・ビルジャーの独奏)と交響曲第86番、小澤征爾指揮ウィーン・フィル他が演奏したモーツァルトの歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』冒頭部分を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『水平線』を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedで小澤征爾指揮シカゴ交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第5番とシューベルトの交響曲第7番「未完成」を聴き、小澤征爾指揮パリ管弦楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第4番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、山崎製パンの小豆の甘納豆を食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/2/9)

 チリ出身のピアニスト、クラウディオ・アラウとアルチェオ・ガリエラ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したウェーバーのピアノと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック(小協奏曲)<WARENER>を聴いた。
 1960年のステレオ録音。
 ウェーバーというと、歌劇『魔弾の射手』をはじめ、耳なじみがよい旋律の快活で鳴りの良い音楽の書き手だが、それが時に行きすぎて、例えば2つの交響曲だとかクラリネット協奏曲をはじめとした協奏曲となるとやけに騒々しいというか、演奏次第では極端にいえばジンタ調の安っぽい音楽になってしまう危険が伴っている。
 コンツェルトシュテュックでも、テンポ・ディ・マルチャの部分など特にそう。
 まさしく軍楽隊の行進曲風で、やり様によっては聴いちゃいられない。
 まあ、ウェーバー自身、十字軍がどうのこうのというこの曲にまつわる物語を語ってみせたらしいから、軍楽隊の行進曲風で間違いはないんだけどね。
 オーケストラ中心のパートだけれど、この録音ではアラウに感化されたかガリエラとフィルハーモニア管弦楽団の面々も勇壮堂々として、なおかつ抑制の効いた演奏を行っている。
 もちろん、アラウのソロは見事というほかない。
 華麗なテクニックの持ち主ではあるが、そこに情感と気品が兼ね備わっていて、全篇弛緩するところがない。
 抒情性の表現も十分で、大いに満足がいった。
 そして、その抒情的な部分はメンデルスゾーンやシューマン、ブラームスに繋がり、勇壮堂々とした部分はリストやワーグナーに繋がったのだということを改めて感じた。
 リマスタリングの効果で、非常にクリアな音質。
 もしかしたら、指揮者とフィルハーモニア管弦楽団のほうはその分下駄を履いているかもしれない。
posted by figarok492na at 17:18| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月08日

今日聴いた音楽から(2024/2/8)

 昨年、ながらでなくamazon music unlimitedで聴いたアルバムの中に、ドイツ出身のテノール歌手ヨナス・カウフマンが歌ったプッチーニのオペラ・アリア集<SONY>があった。
 暗い情熱とでも呼びたくなるような翳りがあって深みのある重心の低い歌声と役柄にあわせて的確に歌い分ける細やかな歌唱があいまって、非常に充実したアルバムだった。
 ただ残念だったのは、珍しいオペラのアリアが多く集められているのに対し、プッチーニならまずはこれ! というおなじみのアリアがほとんど録音されていなかったことだ。
 今回聴いた、リチャード・タッカーのアリア集<SONY>ではそんな出し惜しみは一切ない。
 『ジャンニ・スキッキ』や『西部の女』からのアリアも含まれているとはいえ、メインはやはり『トスカ』や『トゥーランドット』、『ラ・ボエーム』のおなじみアリアであって、その点非常に満足がいく。
 タッカーは1940年代から60年代にかけて一世を風靡したアメリカ出身のテノール歌手。
 ちょっと鼻にかかって伸びと張りのある美声の持ち主である。
 ただ、問題なのはどの曲も感情過多というのか、歌いぶりが一辺倒なこと。
 そして、そのことと深く関係しているが、歌のそこここに自己の歌唱へのナルシズムが漂っていること。
 少し前までだったら、思わず「臭い」と断じてしまいそうだけど。
 最近、amazon music unlimitedで昔の歌い手の歌を結構聴く機会ができて、これも一つの歴史的証言、過去の大スターの藝のあり様を愉しめるようになってきた。
 なので目くじらを立てる気にはならない。
 伴奏はファウスト・クレーヴァ指揮コロンビア交響楽団で、1960年の録音だ。
posted by figarok492na at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

眼鏡を忘れた(CLACLA日記)

 ようやく晴れたなと思ったら、またぞろどんよりとしたお天気へ。
 なかなかすっきりとしない。

 寒さもまだまだ厳しい。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 体調、芳しからず。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、日付が変わる少し前に寝床に就く。


 7時ちょうど起きて、amazon music unlimitedでフォルテピアノのバルト・ファン・オールトが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第7番、サルティの歌劇『二人が争えば3人目が得をする』のミンゴーネのアリア「子羊のように」による8つの変奏曲K.460 (454a)、「ああ、お母さん聞いて」による12の変奏曲(きらきら星変奏曲)K. 265、クラヴィーアのための8つのメヌエットとトリオK.315g聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
 いつもと別に眼鏡を置いていて、仕事先に持って行くのを忘れてしまった。
 なんとか裸眼で乗り切ったものの、首、肩、背中のこり、はり、痛みが今日一日で一気に増してしまった。


 途中夕飯を挟み、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『天を斬る』第12話の拾い観をする。


 夕飯後、amazon music unlimitedでオールトが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第8番と第9番、6つのドイツ舞曲K.509を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったりする。

 井上荒野の『僕の女を探しているんだ』<新潮社>を読了する。
 『愛の不時着』へのオマージュとして執筆された連作短篇集。
 『愛の不時着』を観たことはないが、面白かった。


 入浴後、amazon music unlimitedでテノールのリチャード・タッカーがファウスト・クレーヴァ指揮コロンビア交響楽団の伴奏で歌ったプッチーニのオペラ・アリア集を聴き、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団が演奏したハイドンの交響曲第67番、第68番、第11番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月07日

今日聴いた音楽からA(2024/2/7)

 1960年代、積極的にマーラーの交響曲を取り上げた数少ない指揮者の一人が、イギリス出身のジョン・バルビローリだった。
 手元に名盤の誉れが高いベルリン・フィルとの交響曲第9番のCD<EMI>があるけれど、コンサートでの成功に感動したオーケストラが急遽セッション録音を決めたというだけあって、作品の核となるものと指揮者の音楽性が一体化した熱量の高い演奏となっている。
 そのバルビローリがロンドン交響楽団と録音したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『英雄の生涯』<WARENER>を聴いた。
 1969年というから翌年亡くなったバルビローリにとっては、最晩年の録音になる。
 遅い。
 通常45分程度のものが、50分もかかる。
 一つには健康状態があまりよくなかったのもあるのだろう、これがセルジュ・チェリビダッケのように遅さが細部まで丹念に再現し尽くすための遅さならまだしも、冒頭部分からしてどうも締まらない感じがする。
 そもそもリヒャルト・シュトラウスは、職人肌というのか自らのオーケストレーションに対して強い自信と自負を持った作曲家だ。
 おまけに、韜晦と皮肉をたっぷりとためたユーモア感覚の持ち主でもあった。
 己の世界に没入して、世界に向けて感情を晒しまくるようなマーラーを冷ややかな視線で見つめていた風でもある。
 それこそ、ジョージ・セルやヘルベルト・フォン・カラヤンのようなオーケストラのコントロールを第一義とするような指揮者にこそぴったりの音楽なのだ。
 だから、バルビローリだとどうしても緩さが気になって仕方がない。
 ドイツの名門楽団のような重々しさはないけれど、ロンドン交響楽団は技量の高いオーケストラで、ここでも達者なソロが聴ける。
 聴けるのに、それがはまるべきところにすとんとはまらないもどかしさをそこここで感じてしまった。
 ところが曲が進んでいく中で、緩やかな部分、陰影が増す部分ではバルビローリの音楽性が本来の作品以上の効果を見せる、聴かせる。
 それこそまるで、マーラーのアダージョやアダージェットのように。
 そして迎える「英雄の引退と完成」の穏やかで優しい諦念には、はっと驚かされた。
 この交響詩を作曲したとき、リヒャルト・シュトラウスがまだ三十代半ばだったということなどどこかへ吹き飛んでしまう。
 自らを「英雄」だなどと勘違いはせぬだろうバルビローリという一人の音楽家の生涯だけがそこには映し出されている。
 不思議な感慨にとらわれる演奏であり録音だ。
posted by figarok492na at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日は遠出をせず(CLACLA日記)

 どんよりとした感じはあるも、青空が見えた。

 まだまだ寒い。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 体調、今一つ。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでステンハンマル・カルテットが演奏したステンハンマルの弦楽4重奏曲第1番、第2番、第3番、第4番、組曲『ロドレッシの歌』からエレジーと間奏曲、KBS京都であののオールナイトニッポン0を聴いたりしながら作業を進めたのち、4時過ぎに寝床に就く。


 9時40分過ぎに起きる。

 午前中から正午過ぎにかけて、amazon music unlimitedでステンハンマル・カルテットが演奏したステンハンマルの弦楽4重奏曲第5番「セレナード」、ヘ短調、第6番、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、井上荒野の『僕の女を探しているんだ』<新潮社>を読み進めたりする。。


 13時台に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでが演奏したマルティン・ヴァルベルグ指揮オルケルテル・ノルドが演奏したモーツァルトの交響曲第25番、グレトリーの組曲『セファールとプロクリス』、モーツァルトの劇音楽『エジプト王タモス』組曲を聴き、カール・ベーム指揮ウィーン・フィル他が演奏したヒンデミットの木管とハープのための協奏曲、ブルックナーの交響曲第7番(1964年9月6日/ルツェルン・クンストハウス、ライヴ録音)、ジャン・マルティノン指揮パリ音楽院管弦楽団が演奏したアダンのバレエ音楽『ジゼル』、フォルテピアノのバルト・ファン・オールトが弾いたロンドニ長調K.485、ピアノ・ソナタ第5番、ロンドイ短調K.511、ピアノ・ソナタ第6番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、作品の改稿作業を行ったり、『僕の女を探しているんだ』を読み進めたりする。


 夕飯後、KBS京都の『角田龍平の蛤御門のヘン』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『僕の女を探しているんだ』を読み進めたりする。
 『角田龍平の蛤御門のヘン』のゲストは、剃刀負け弁護士軍団の長谷川さんと大谷さん。

 入浴後、amazon music unlimitedでジョン・バルビローリ指揮ロンドン交響楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『英雄の生涯』を聴き、トリオ・メトラルが演奏したショーソンのピアノ3重奏曲とラヴェルのピアノ3重奏曲、テノールのリチャード・タッカーとソプラノのアイリーン・ファーレルがファウスト・クレーヴァ指揮コロンビア交響楽団の伴奏で歌ったヴェルディのオペラ・デュエット集を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、山崎製パンのアーモンドカステラを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 今日は遠出をせず。
 朝からの予定も変更した。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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今日聴いた音楽から@(2024/2/7)

 ノルウェー出身のチェロ奏者で指揮者マルティン・ヴァルベルグ率いる古楽器オーケストラ、オルケルテル・ノルドが演奏したアルバム『1773』<Aparte>を聴いた。
 『1773』は、そのタイトルにもある1773年に作曲されたモーツァルトの交響曲第25番に劇音楽『エジプト王タモス』とグレトリーの組曲『セファールとプロクリス』という興味深いカップリングだ。
 1曲目のモーツァルトの交響曲第25番は、攻めまくりの演奏。
 映画『アマデウス』の冒頭部分で印象的に使われたこともあって、モーツァルトの初期の交響曲では第29番と並んで有名な作品だが、その『アマデウス』のネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズの演奏が生ぬるく感じられるほどの荒々しい速さで音楽は始まる。
 歯切れがよくてスピーディー、ばかりでなく仕掛けも十分。
 オーボエのソロが装飾を加えたり、オーボエの後ろで通奏低音のフォルテピアノが装飾を加えたり。
 実をいえば、古典派の管弦楽曲にチェンバロやフォルテピアノの通奏低音が入るのはあまり好みではないのだけれど、第3楽章をフォルテピアノの独奏でしめたのには感心した。
 続いては、グレトリーの組曲。
 当時モーツァルトが17歳ならば、グレトリーは31歳。
 大人(たいじん)とまでは言えないかもしれないが、おとなの音楽であることには間違いない。
 激しい刺激はないものの、華々しかったり穏やかだったり軽快だったり、聴きどころに満ちたウェルメイドな音楽になっている。
 とともに、フルート(トラヴェルソ)のどこか朴訥で美しいソロに、思わず「北欧」を感じてしまったりもした。
 最後は、再びモーツァルトで『エジプト王タモス』からの組曲。
 栴檀は双葉より芳し、やっぱりモーツァルトは天才…。
 ちょっと待て、モーツァルトのほうはやけにメリハリが効いているし、グレトリーではなかったフォルテピアノの通奏低音がまたもチャラチャラやってるではないか、これは意図的な印象操作では…。
 というのは、いじわるな見方聴き方かな。
 双方の音楽の違いから導かれた、演奏スタイルの違いなのだろうし。
 いずれにしても、刺激的なアルバムだった。
posted by figarok492na at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月06日

人と話をすると刺激を受けるし、愉しい(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気が続く。
 朝は小雨もぽつぽつと降っていた。
 が、16時頃になってようやく青空が見える。

 まだまだ寒い。
 関東は今日も雪だった。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 頭と身体が重たし。
 首、肩、背中のこり、はり、痛みがひどい。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、CDで福田進一が弾いた武満徹編曲によるギターのための12の歌から「星の世界」と「インターナショナル」を聴き、23時40分台に寝床に就く。


 7時ちょうど起きて、amazon music unlimitedでフォルテピアノのバルト・ファン・オールトが弾いたモーツァルトの12の変奏曲K. 500、デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲K. 573、「女ほどすばらしいものはない」による8つの変奏曲K. 613聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、帰りがけしばらく人と話をし、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
 年齢の上下を問わず、信頼のおける人と話をするといろいろと刺激を受けるし、愉しい。
 多謝。


 入浴後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したスメタナの交響詩『モルダウ』を聴き、オールトが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第1番、フィッシャーのメヌエットによる12の変奏曲K. 179 (189a)、ピアノ・ソナタ第2番、サリエリの「わがいとしのアドーネ」による6つの変奏曲K. 180、ピアノ・ソナタ第3番と第4番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の改稿作業を行ったり、井上荒野の『僕の女を探しているんだ』<新潮社>を読み進めたりする。


 今日も、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から(2024/2/6)

 スメタナの連作交響詩『我が祖国』の中で第2曲「モルダウ(ヴルタヴァ)」は、もっとも有名な作品だ。
 我が祖国の中でどころか、スメタナの作品の中で、どころかチェコの作曲家が作曲した作品の中でドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」と並んで有名な管弦楽曲の作品だろう。
 いや、知名度でいえば、全ての作曲家が作曲した管弦楽曲の中で少なくともベスト30にはノミネートされる作品ではないか。
 そのモルダウをヴィルヘルム・フルトヴェングラーとウィーン・フィルが録音している。
 単純な自然描写にとどまらず、チェコ(ボヘミア)の愛国心を鼓舞する音楽であるモルダウだが、一方でハプスブルク帝国の文化圏の中で生まれた音楽でもあり、独墺を代表する指揮者とオーケストラが録音してもちっとも不思議ではない。
 余談だがフルトヴェングラーとベルリン・フィルが演奏したドヴォルザークの新世界よりの第二次世界大戦中のライヴ録音<PHILIPS>なるものをCD初期に買って聴いたことがあるが、のちにオスヴァルド・カバスタ指揮ミュンヘン・フィルが本当の演奏者であることを知った。
 このスメタナのほうは、正規のセッション録音である。
 ゆっくりと流れだし、ここぞというところでスピードを上げる。
 緩急強弱のはっきりとした、まさしくドラマティックな演奏だが、農夫たちの結婚式の終わりの低弦の深い響きが印象的だったり、それに続く月の光の下の水の妖精たちの踊りにワーグナーの歌劇『ローエングリン』の第1幕への前奏曲を思い出したりするのは、やはりフルトヴェングラーの演奏だからだろう。
 そうそう、最後の喜びの表現には、ベートーヴェンの第九を思い出しもしたんだった。
 ただ、聖ヤンの急流の荒々しさ、激しさは、もっと音質が良ければと残念でならない。
 リマスタリングを加えてもなお、ノイズが多すぎる。
posted by figarok492na at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする