2024年01月31日

今日で1月が終わる(CLACLA日記)

 今日で1月が終わる。
 一日一日を本当に大切にしていかなければ。
 そして、死を絶対に忘れないこと。


 雨降り。
 どんよりとしたお天気の一日。

 じめじめとしてじめ寒い。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度のダブルパンチ!!
 左目の下のぴくぴくも続き、偏頭痛もある。
 まだまだ死にたくない。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでテノールのヴィットリオ・グリゴーロがピエール・ジョルジョ・モランディ指揮パルマ・レージョ歌劇場管弦楽団の伴奏で歌ったオペラ・アリア集『ジ・イタリアン・テナー』、ピアノのオルガ・シェプスとクス・カルテットが演奏したヴァインベルクのピアノ5重奏曲を聴いたりしながら作業を進めたのち、3時20分過ぎに寝床に就く。


 朝早くからいくつか予定をすませる。

 その後、午前中から正午過ぎにかけて、amazon music unlimitedでアンドリュー・デイヴィス指揮メルボルン交響楽団が演奏したユージン・グーセンスの幻想協奏曲(タスミン・リトルのヴァイオリン独奏)と交響曲第2番、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、ジェフリー・ロバーツの『スターリンの図書室』<白水社>を読み進めたりする。


 12時台に外出し、仕事関係の用件を片付け、下京図書館へ。
 借りていた本を返却し、予約しておいた灰原薬の『応天の門』9と10<ともに新潮社>を新たに借りる。
 で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでニコラウス・アーノンクール指揮コンツェントゥス・ムジクス・ウィーンが演奏したモーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン」と交響曲第35番「ハフナー」他を聴き、トマス・ダウスゴー指揮スウェーデン室内管弦楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」と幻想序曲『ロメオとジュリエット』、エドワード・ガードナー指揮BBC交響楽団が演奏したウォルトンの交響曲第1番とヴァイオリン協奏曲(リトルの独奏)、レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したハイドンの主題による変奏曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたのち1月の創作について振り返ったり、『スターリンの図書室』を読み進めたり、『応天の門』9を読み始めたりする。


 夕飯後、仕事関係の予定をすませる。


 入浴後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したグルックの歌劇『アルチェステ』序曲、アンタル・ドラティ指揮ミネアポリス交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」を聴き、バーンスタイン指揮フランス国立管弦楽団が演奏したサン・サーンスの交響詩『オンファールの糸車』、メナヘム・プレスラーが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番、ショパンの夜想曲第20番、バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したベートーヴェンの劇音楽『シュテファン王』序曲を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 今日は、山崎製パンの千鬼まんを食す。
 サツマイモの入った蒸し饅頭なり。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 そして、来月がいい月でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽からA(2024/1/31)

 アンタル・ドラティがミネアポリス交響楽団を指揮してマーキュリー・レーベルに遺したステレオ・アルバムの中から、1957年に録音されたベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」を聴いてみる。
 ドラティ&ミネアポリス交響楽団のマーキュリーへの一連の録音は、概して速いテンポの素っ気ない演奏が多いのだけれど、案の定、このベートーヴェンもそう。
 新即物主義といえば新即物主義なんだろうが、正直ただただ前へ前へ進んで行くだけで面白みが少ない。
 ベートーヴェンの数ある交響曲のうち、仕掛けの多さでは指折りの英雄だから、全く物足りなかった。
 全ての声部が鮮明にわかるのはよいとして、録音の残響が少ないのも一層平板な印象を与える原因となっている。
 古典派なら少しは趣が違うかと思って聴いたが、これは非常に残念。
 なお、ドラティは1970年代の半ばにロイヤル・フィルとベートーヴェンの交響曲全集を録音していて、試しに第3番の第1楽章の出だしを1分半ほどと終楽章の出だしを少しだけ聴いてみた。
 確かに、基本的な音楽との向き合い方は同じなものの、切れ味が鋭い上により抑揚があってこちらのほうがずっと愉しめそうだった。
posted by figarok492na at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/1/31)

 ニコラウス・アーノンクールがコンツェントゥス・ムジクス・ウィーンと録音したモーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン」と交響曲第35番「ハフナー」他<SONY>を聴いた。
 いずれも、アーノンクールにとっては再録音。
 セレナード第9番はその詳細な経緯ははっきりとしないものの、なんらかの祝典・行事を見込んで作曲された編成、時間ともに大規模な作品である。
 で、ここではそうしたセレナードを演奏する際、入場時に楽士たちが奏でたと思しき行進曲ニ長調K.335-1が演奏されているのだが、まずもってその行進曲からして威勢がいい。
 晩年に至ってなお激しい音楽づくりに驚く。
 ただ、アーノンクールはあえて角を矯めない鋭角な音楽を生み出すが、それは決して粗雑なものではない。
 全篇、アーノンクールの音楽像、演奏美学に則って徹頭徹尾統べられた首尾一貫した演奏なのだ。
 中でも強く印象に残ったのは、第4楽章のロンド。
 フルートとオーボエのかけ合いが美しい、それこそロココ調の音楽として通常は軽やかに演奏される。
 しかし、アーノンクールはそんな予定調和を選ばない。
 なにしろ、冒頭などフルートとオーボエよりもそれを支える弦楽器の動きがやけに強く聴こえてくるのだから。
 でも、そうやって聴き進めていくうちに、まるでこの楽章が『フィガロの結婚』か何かの二重唱のように聴こえてくる。
 そういえば、アーノンクールが京都賞を受賞したときの公開トークと京都フィルハーモニー室内合奏団を相手にした公開リハーサルの席で、自らの劇場感覚についてしきりと語っていたっけ。
 続く第5楽章のアンダンティーノも宗教曲のような悲嘆としてではなく、オペラのアリアのような悲哀のように感じられた。
 もしかしたら、アーノンクールはこの曲をシンフォニックな楽曲としてばかりでなく、様々な仕掛けの施された一種のシアターピースとして捉えているのではないか。
 いずれにしても、充実した演奏であった。
 続く、ハフナー交響曲もいわゆる「機会音楽」的な要素の強い作品だが、当然の如く、強弱緩急のはっきりした祝祭的気分の横溢した演奏に仕上がっている。
 第1楽章や終楽章など、まさしく攻めの姿勢の音楽だ。
 だからこそ、第3楽章のメヌエットのトリオや、それより何より第2楽章の憂愁さ翳りが浮き彫りにされてもいた。
 コンツェントゥス・ムジクス・ウィーンはアーノンクールに応えて万全のアンサンブル。
 セレナード第9番のニックネームのもととなった第6楽章のポストホルン(郵便馬車のホルン)も朗々としたソロだった。
 それにしても、改めてアーノンクールは凄い音楽家だったなあと驚嘆する。
posted by figarok492na at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月30日

今日聴いた音楽から(2024/1/30)

 ヴァイオリンのジュリアーノ・カルミニョーラ、チェロのソル・ガベッタ、ピアノ(フォルテピアノ)のデヤン・ラツィックとジョヴァンニ・アントニーニ指揮バーゼル室内管弦楽団が演奏したベートーヴェンの3重協奏曲<SONY>を聴いた。
 アントニーニとバーゼル室内管弦楽団にとっては、OEHMSレーベルからリリースした交響曲第1番と第2番に始まり、その後はSONYレーベルへと移って完成させたベートーヴェンの交響曲全集を補完するアルバムでもある。
 かつてはベートーヴェンにとってウェリントンの勝利と並ぶ愚作失敗作とも評された3重協奏曲だが、それって結局ベートーヴェンの音楽にまずもって精神性を求める芸術的権威主義の裏返しなのではないかと僕などは思う。
 祝祭性に満ちた陽性、非常に耳なじみのよい音楽であることは確かだけれど、同時代の協奏交響曲と比較すれば古典派の規矩を打ち破ってロマン派の幕開けを感じさせる作品に仕上がっていることも否定できまい。
 それに、ちょっと耳をすませばピアノ3重奏曲第7番「大公」やヴァイオリン協奏曲、チェロ・ソナタ第3番などのエコーを聴くこともできる。
 ソリストばかりでなく、バーゼル室内管弦楽団もたぶん大半の楽器をピリオド楽器に持ち替えているはずだが、いずれも腕扱き揃いでスリリング、スピーディー、かつインティメートな音楽を生み出していて、爽快だ。
 3重協奏曲の前後には、バレエ音楽『プロメテウスの創造物』序曲、劇音楽『エグモント』序曲、序曲『コリオラン』も収録されている。
 もちろん、こちらもピリオド・スタイルの演奏。
 ちょっと腰が軽い感じもするが、中でもコリオランの悲劇が息せき切って追いかけてくるような感じが印象に残った。
posted by figarok492na at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

まだまだ春は遠いか(CLACLA日記)

 晴天。

 気温も上昇する。
 日中、少し穏やかな感じがした。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 心身ともに今一つの状態が続く。
 左目の下のぴくぴくも続いている。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、日付が変わる少し前に寝床に就く。


 6時台に起きて、amazon music unlimitedでフルートのジャン=ピエール・ランパルが吹いた『日本の調べ』を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 途中夕飯を挟み、amazon music unlimitedでルイ・フレモー指揮バーミンガム市交響楽団が演奏したマスネの歌劇『ル・シッド』からバレエ組曲、組曲第4番『絵のような風景』、オラトリオ『聖処女』から前奏曲「聖処女の永眠」を聴く。


 夕飯後、amazon music unlimitedでメゾソプラノのクリスタ・ルートヴィヒとエードリアン・ボールト指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したマーラーのさすらう若人の歌とワーグナーのヴェーゼンドンクの5つの歌から第3曲「温室にて」、ルートヴィヒとアンドレ・ヴァンデルノート指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したマーラーの亡き子をしのぶ歌を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、ジェフリー・ロバーツの『スターリンの図書室』<白水社>を読み始めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでヴァイオリンのジュリアーノ・カルミニョーラ、チェロのソル・ガベッタ、ピアノのデヤン・ラツィック、ジョヴァンニ・アントニーニ指揮バーゼル室内管弦楽団が演奏したベートーヴェンの3重協奏曲とバレエ音楽『プロメテウスの創造物』序曲、劇音楽『エグモント』序曲、序曲『コリオラン』を聴き、ルートヴィヒとバスのヴァルター・ベリーがジェラルド・ムーアのピアノ伴奏で歌ったベートーヴェン、ハイドン、ロッシーニ、ブラームス、レーガー、リヒャルト・シュトラウス、ヴォルフ、パーセルの歌曲、2重唱集他を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 今日も、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 今日は、春の足音が少し聴こえたような。
 でも、まだまだ春は遠いか。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月29日

今日聴いた音楽から(2024/1/29)

 CDを聴いていたころは、主にデジタル録音のそれも新しいアルバムばかり買っていたのが、現金なものでサブスク(amazon music unlimited)を利用し始めたとたん、過去の巨匠の演奏もよく聴くようになった。
 昨夜に続いて、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがウィーン・フィルを指揮した録音を聴く。
 今夜は、ハイドンの交響曲第94番「驚愕」<WARENER>、びっくりシンフォニーだ。
 モーツァルトの交響曲第40番がロマンティックな表情の濃い演奏だとすれば、ハイドンのほうは古典的均整を尊重した音楽になっている。
 おなじみ第2楽章の仕掛けも、至極真っ当というかわざとらしいことはしない。
 ただ、それでもその仕掛けのあとに弦がゆっくりと力強く進行する部分だとか、第3楽章のメヌエットの拍の刻みの強さだとか、フルトヴェングラーの強弱緩急のはっきりした独特な音楽づくりの片鱗がうかがえる。
 枠組みと細部のせめぎ合いとまでいえば言い過ぎかもしれないが、そうした二つの要素がまざり合っているいる様を興味深く聴いた。
posted by figarok492na at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

まだまだ死ねない(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気から青空へ。

 まだ寒い。
 特に朝が冷えた。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 体調、今一つ。
 左目の下のぴくぴくが続く。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時50分過ぎに寝床に就く。


 6時台に起きて、amazon music unlimitedでフルートのジャン=ピエール・ランパルがプラシド・ドミンゴ指揮ロイヤル・フィルの伴奏で吹いたオペラに関係した楽曲やアリアの編曲を集めた『オペラ座の夜』(モーツァルトの歌劇『魔笛』のタミーノのアリアは、ドミンゴ自身が歌っていた)を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 夕飯後、amazon music unlimitedでヴァイオリンのヤン・パスカル・トルトゥリエとルイ・フレモー指揮バーミンガム市交響楽団が演奏したラロのスペイン交響曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、ジェフリー・ロバーツの『スターリンの図書室』<白水社>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したハイドンの交響曲第94番「驚愕」を聴き、イルジー・ビエロフラーヴェク指揮BBC交響楽団が演奏したスークの交響曲第1番、ニーノ・グヴェタッゼが弾いたショパンの24の前奏曲、練習曲集作品10−6、ワルツ第9番、第3番、第10番、スケルツォ第2番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『スターリンの図書室』を読み進めたりする。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 まだまだ死ねない。
 まだまだ死にたくない。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月28日

今日聴いた音楽からA(2024/1/28)

 1940年代の終わりにヴィルヘルム・フルトヴェングラーがウィーン・フィルとセッション録音したモーツァルトの交響曲第40番<WARENER>を久しぶりに聴いた。
 速いテンポの演奏だが、いわゆるピリオド奏法のように身軽さ歯切れのよさよりも、もっと切迫感にあふれている。
 そして、その速いテンポと切迫感は、絶望や宿命、悲嘆に惑溺するのではなく、それを振り払うためのもののようにも感じられた。
 音質はよいとは言えないものの、リマスタリングの効果でだいぶん聴きやすくなった。

 交響曲第40番の前に、ソプラノのウィルマ・リップを伴奏した同じモーツァルトの歌劇『魔笛』から夜の女王のアリアも聴いた。
posted by figarok492na at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この週末もあまりのんびりできなかった(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気から雨降りへ。

 じめじめとじめ寒い。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度のダブルパンチ!!
 あと、木金土の自分の仕事で疲れ、ときどき左目の下がぴくぴくする。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、3時過ぎに寝床に就く。


 9時半頃起きる。


 午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでウラディーミル・ユロフスキ指揮ロンドン・フィルが演奏したラフマニノフの交響詩『死の島』と交響曲第1番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『サーカスから来た執達吏』を読み始めたりする。


 13時少し前に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでクリストフ・シュペリング指揮ダス・ノイエ・オルケスターとコールス・ムジクス・ケルン他が演奏したヨハン・セバスティアン・バッハのカンタータ第33番『ただあなたにのみ、主イエス・キリストよ』を聴いたりしながら雑件を片付けたのち、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮アントワープ交響楽団が演奏したシューマンの交響曲第1番「春」と第3番「ライン」を聴き、ジョルディ・サヴァール指揮ル・コンセール・デ・ナシオンが演奏したメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」(1834年最終稿)と同(1833年初稿)、エドワード・ガードナー指揮バーミンガム市交響楽団が演奏したシューベルトの交響曲第1番と第4番「悲劇的」、歌劇『フィエラブラス』序曲、レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの大学祝典序曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『サーカスから来た執達吏』を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。
 今週もまた面白し。


 夕飯後、amazon music unlimitedでクリストフ・シュペリング指揮ダス・ノイエ・オルケスターとコールス・ムジクス・ケルン他が演奏したヨハン・セバスティアン・バッハのカンタータ第94番『私はこの世に何を求めよう』、第111番『わが神のみこころが、常に成就しますように』、第113番『主イエス・キリストよ、この上なく貴き宝よ』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『サーカスから来た執達吏』を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したモーツァルトの歌劇『魔笛』から夜の女王のアリア(ウィルマ・リップのソプラノ独唱)と交響曲第40番を聴き、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルが演奏したベートーヴェンの交響曲第1番、クリストフ・シュペリング指揮ダス・ノイエ・オルケスターとコールス・ムジクス・ケルン他が演奏したヨハン・セバスティアン・バッハのカンタータ第135番『ああ主よ、この憐れな罪びとを』と第178番『主なる神、我らの側に留まりたまわず』、バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したストラヴィンスキーのバレエの情景を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。

 『サーカスから来た執達吏』を読了する。
 ああ、面白かった!!!
 夕木さんの大正物はこれで全部読んでしまったことになるのかな?


 今日は、山崎製パンのきんつばを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 結局、この週末もあまりのんびりできなかった。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/1/28)

 フィリップ・ヘレヴェッヘにとって二度目となるシューマンの交響曲全集<Phi>から、完結篇にあたる第1番「春」と第3番「ライン」を聴いた。
 前回はピリオド楽器のシャンゼリゼ管弦楽団との録音だったが、今回はモダン楽器オーケストラのアントワープ交響楽団が相手をつとめる。
 ただし、金管楽器など一部ピリオド楽器が使われているようにも思う。
 シャンゼリゼ管弦楽団との全集は線がはっきりした演奏だったように記憶しているけれど、楽器の違いに加え録音の加減もあってか、より響きが豊かに感じる。
 演奏自体も、スピーディーで歯切れがよくて前のめりな行き方や楽曲と適度な距離を保ったうえで徹底的に腑分けしてみせる行き方は異なり、ヴィヴラートを抑制しつつ旋律を清澄に流れよく歌うといった趣が強かった。
 特に、第1番第4楽章の中間でホルンが『美しく青きドナウ』に似た音型を吹き、フルートが小鳥のようにさえずる部分だとか、第3番第1楽章の憂愁を含んだ雰囲気などは、そうしたヘレヴェッヘの志向や嗜好がよく表れていた。
 若干弱さはあるものの、アントワープ交響楽団もヘレヴェッヘの解釈によく応えているのではないか。
 中でもホルンの朗々とした音色は魅力的だった。
posted by figarok492na at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月27日

今日聴いた音楽からA(2024/1/27)

 同じく指揮者の兄アダムと共にハンガリーの若手注目株だったイヴァン・フィッシャーの飛躍の大きなきっかけとなったのは、やはり自らブダペスト・フェスティヴァル管弦楽団を設立したことだろう。
 オランダのPHILIPSレーベルと契約して以降は、一層知名度を上げた。
 ただ、ツィンバロンが加わったブラームスのハンガリー舞曲やリストのハンガリー狂詩曲がヒットしたこともあってか、イヴァン・フィッシャーというとどこか曲者というのか、エネルギッシュでパワフルな音楽の創り手といったイメージがなくもない。
 だが、イヴァン・フィッシャーとブダペスト・フェスティヴァル管弦楽団が演奏したマーラーの大地の歌<CHANNEL>を聴けば、そうした偏見はすぐに払拭されるはずだ。
 例えば、第4楽章「美について」では同じマーラーの交響曲第9番第3楽章に通じる乱痴気騒ぎが仕掛けられているが、イヴァン・フィッシャーは鳴らすべきところはしっかり鳴らしながらも、全く粗暴にならない。
 というか、全篇に抑制が効いて、実に心地よく美しい音楽となっているのである。
 独唱陣、リート歌手としても活躍中のアルトのゲルヒルト・ロンベルガー、ワーグナー歌手として知られるテノールのロバート・ディーン・スミスの二人の歌声がまずそうだし、ブダペスト・フェスティヴァル管弦楽団がまた優れた演奏を聴かせる。
 大地の歌は管楽器のソロが魅力の一つだけれど、オーボエやクラリネット、ホルン、いずれも精度が高い上に音色が澄んでいる。
 弦楽器も艶やかで、なおかつシャープだ。
 だからこそ、第6楽章「告別」の18分から20分あたりの激しい暗雲に慄然とする。
 そして、そのあと訪れる、命あるものは全て消え去るということの甘受に強く心打たれる。
 付け加えるならば、このアルバムは録音がことのほかよい。
 クリアでありながら、適切な残響もあってとても耳に心地よかった。
 こういう演奏、こういう録音に接すると、音楽は本当に素晴らしいと心から思える。
posted by figarok492na at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

根を詰め過ぎて疲れた(CLACLA日記)

 晴天。

 気温は少しだけ上がったか。
 それでも、まだ寒さは厳しい。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 体調、今一つ。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでヘスス・ロペス=コボス指揮ローザンヌ室内管弦楽団他が演奏したロッシーニの歌劇『アルジェのイタリア女』全曲を聴いたりしながら作業を進めたのち、2時半過ぎに寝床に就く。
 『アルジェのイタリア女』は、タイトルロールのジェニファー・ラーモアはじめ、粒ぞろいの歌手陣で実に聴き応えがあった。


 9時半頃起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
 その間、下京図書館へ行って借りていた本を返却し、予約しておいた夕木春央の『サーカスから来た執達吏』<講談社>とジェフリー・ロバーツの『スターリンの図書室』<白水社>を新たに借りる。


 午前中から午後にかけて、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』、amazon music unlimitedでエリアフ・インバル指揮スイス・ロマンド管弦楽団が演奏したバルトークの弦楽器・打楽器・チェレスタのための音楽と管弦楽のための協奏曲、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』、交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』、交響詩『マクベス』、ジャン=ジャック・カントロフとエマニュエル・クリヴィヌ指揮オランダ・フィルが演奏したシューマンのヴァイオリン協奏曲、シューベルトの小協奏曲、ポロネーズ、ロンドを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『サーカスから来た執達吏』を読み始めたりする。


 15時近くに外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでダニエル・バレンボイム指揮イギリス室内管弦楽団が演奏したエルガーの小品集を聴き、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したシベリウスの交響曲第7番(1960年録音)と第2番(1957年録音)、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルが演奏したウィリアム・シューマンの交響曲第3番、クリストフ・シュペリング指揮ダス・ノイエ・オルケスターとコールス・ムジクス・ケルン他が演奏したヨハン・セバスティアン・バッハのカンタータ第5番『私は、どこへ逃れることができよう?』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『サーカスから来た執達吏』を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『銭形平次』第115話の拾い観をする。
 昨年末に亡くなったばかりの中村メイコがメインのゲスト。
 ほかに、早川保も出演していた。


 夕飯後、NHK・FMの『クラシックの迷宮』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『サーカスから来た執達吏』を読み進めたりする。
 『クラシックの迷宮』は、イタリアの作曲家ルイジ・ノーノの生誕100年を記念した特集が組まれていた。

 入浴後、amazon music unlimitedでアルトのゲルヒルト・ロンベルガー、テノールのロバート・ディーン・スミス、イヴァン・フィッシャー指揮ブダペスト・フェスティヴァル管弦楽団が演奏したマーラーの大地の歌を聴き、カルミナ・カルテットが演奏したブラームスの弦楽4重奏曲第2番と第1番、ロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズが演奏したシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『サーカスから来た執達吏』を読み進めたりする。


 今日は、あわしま堂の栗どら(焼き)を食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 根を詰め過ぎて、疲れた。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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今日聴いた音楽から@(2024/1/27)

 先日、ロンドン・フィルとの威勢のいいエルガーを聴いたばかりのダニエル・バレンボイムだけれど、今日はイギリス室内管弦楽団を指揮した小品集<SONY>を聴く。
 夜の歌、朝の歌、弦楽のためのエレジー、弦楽のためのセレナード、愛の挨拶、ファゴットと管弦楽のためのロマンス(マーティン・ガットの独奏)、ローズマリー、カリッシマ、ソスピーリというラインナップから一目瞭然、いずれもエルガーのメロディーメーカーぶりを証明する作品だ。
 先日の威風堂々ほどではないにせよ、バレンボイムは速めのテンポで音楽を進めていく。
 ただし、旋律の美しさを意識した表情付けも忘れずにだが。
 中では、弦楽セレナードに魅かれた。
 速めのテンポをとることで、かえってこの曲の持つ泣きそうな顔で笑っているような優しさ、清新さが際立っているように感じられたからだ。
 逆に、続けて演奏される有名な愛のあいさつは、今一つ。
 歌い回し、節回しがちょっとわざとらしく、シルクハットに燕尾服のキザでナルな男がターゲットの女性の周りを薔薇の花一輪手にしてぐるぐる回っているようなくどさ、残念さを覚えた。
 それでも、好みに合った弦楽セレナードを聴けたので、十分満足がいった。
posted by figarok492na at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月26日

今日聴いた音楽からA(2024/1/26)

 ブラームスの室内楽が好きだ。
 中でも、弦楽5重奏曲第1番の第1楽章は一二を争うほどに好きだ。
 院生時代、友人が貸してくれたCDの中にベルリン・フィル8重奏団員が演奏したこの曲があって、一聴、冒頭の伸びやかで優しいメロディに心をつかまれた。
 そのブラームスの弦楽5重奏曲第1番と第2番を、タカーチ・カルテットにヴィオラのローレンス・パワーが加わった演奏で聴いた。
 Hyperionレーベルによる録音。
 タカーチ・カルテットはハンガリーで結成された弦楽4重奏団で、現在はアメリカを拠点にしている。
 ちなみにその名前は、設立メンバーのガボール・タカーチ=ナジによるもの。
 タカーチ=ナジは、現在指揮者として活躍している。
 タカーチ・カルテットの演奏には一度だけ実演に接したことがあるが、攻めの姿勢とインティメートな感覚を兼ね備えた高度なアンサンブルだと感嘆した。
 このアルバムでも、実に濃密な演奏を披歴している。
 いわゆるピリオド奏法の影響も感じられる比較的速いテンポだが、細部への目配りも十分。
 目からうろこが落ちるというか、そうか、ブラームスはここでこういう風な書き方をしているのかといったことがよくわかる。
 それこそ、今までもやのかかった画質で観ていた古い映画を4Kだの8Kだので観るような驚きである。
 正直、ベルリン・フィル8重奏団のおっとりした演奏をちょっと懐かしく思ったりもしたが。

 そうそう、タカーチとはハンガリーでポピュラーな名前のようで、以前大阪の地下鉄に落書きしたとかでタカチ・ビクターという人物が逮捕されたことがあったが、タカチ=タカーチのことだろう。
 で、ハンガリーの場合、日本や朝鮮、中国のように姓名は姓を先に名乗る。
 彼もそう名乗ったか、ニュースでビクター容疑者、ビクター容疑者と連呼しているのに、いやいや違うだろうと突っ込んだものだ。
 音楽とは一切関係ないことを書いてしまった。
posted by figarok492na at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

まず自分がしっかりしていかないと(CLACLA日記)

 晴天へ。

 昨日ほどではないが、それでも寒さが厳しい。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 頭と身体が重たし。


 盗人たけだけしい人間がごまんといるな。
 情けないったらありゃしない。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでソプラノのケリ・フュージとバリトンのロデリック・ウィリアムズ、マリオ・ヴェンツァーゴ指揮シンガポール交響楽団が演奏したバーナード・ハーマンの歌劇『嵐が丘』組曲、ジョシュア・タン指揮シンガポール交響楽団が演奏したバーナード・ハーマンのエコー、アサセッロ・カルテットが演奏したショスタコーヴィチの弦楽4重奏曲第10番と未完の弦楽4重奏曲、KBS京都でナインティナインのオールナイトニッポンとマヂカルラブリーのオールナイトニッポンゼロを聴いたりしながら作業を進めたのち、3時50分過ぎに寝床に就く。


 9時20分過ぎに起きる。

 午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第2番(1970年録音)と大学祝典序曲(1967年録音)、アサセッロ・カルテットが演奏したショスタコーヴィチの弦楽4重奏曲第11番と第12番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 境家史郎の『戦後日本政治史』<中公新書>を読了する。
 飛ばし読み。


 午後、仕事関係の予定をすませる。
 その後、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
 ついでにお米(10キロ)も買っておく。


 帰宅後、amazon music unlimitedでクシシュトフ・ウルバンスキ指揮NDRエルプ・フィルが演奏したストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』を聴き、アサセッロ・カルテットが演奏したショスタコーヴィチの弦楽4重奏曲第13番、アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団が演奏したルーセルの交響曲第3番と第4番、クリスチャン・ツィメルマンとレナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番と第4番、TBSラジオ『ハライチのターン』アフタートークのポッドキャストを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 夕飯後、amazon music unlimitedでツィメルマンとバーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団が演奏したハルトマンの交響曲第2番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでヴィオラのローレンス・パワーとタカーチ・カルテットが演奏したブラームスの弦楽5重奏曲第1番と第2番を聴く。


 今日は、甘いものは少しだけ食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 人様に偉そうなことを言う前に、まず自分がしっかりしていかないと。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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今日聴いた音楽から@(2024/1/26)

 1982年にポーランドで生まれたクシシュトフ・ウルバンスキは、現在若手中堅の指揮者の中で注目株の一人だ。
 東京交響楽団の首席客演指揮者を務めたことで、日本のクラシック音楽愛好家にもよく知られるようになった。
 そのウルバンスキが、首席客演指揮者時代にNDRエルプ・フィルとライヴ録音したストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』<α>を聴いた。
 実にバレエ的な演奏だと思う瞬間が多々あった。
 いや、バレエ音楽なのだからバレエ的もないものだけれど、目の前でダンサーたちが踊っている姿が浮かんでくるような場面が何度もあったのだ。
 全体的に重さを感じることもなくはなかったが、第1部終盤の追い込みではぐっとテンポを速めていたし、逆に第2部の終わりではあえてゆっくりとしたテンポをとることでこの作品の持つ暴力性をあぶり出してもいた。
 NDRエルプ・フィルも精度の高い演奏でウルバンスキの音楽づくりにこたえていた。
 演奏会場のハンブルク・エルプ・フィルハーモニーの音響特性も加わってか、若干音はもやもやとした感じになる。
posted by figarok492na at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月25日

今日聴いた音楽から(2024/1/25)

 クラリネット、ヴィオラ、ピアノによる3重奏団、フィロン・トリオが演奏したブルッフの8つの小品<ANALEKTA>を聴いた。
 クラリネット、ヴィオラにピアノとは渋さも渋しといった組み合わせだが、低音域中音域高音域を満遍なく使って渋さ一辺倒ではない。
 1838年に生まれて1920年に亡くなったブルッフは、メンデルスゾーンやシューマン、ブラームスといったドイツ・ロマン派盛期の流れを汲む反時代的な作品を書き続けた人物で、1910年に作曲されたにも関わらず、この8つの小品も調性のはっきりした耳なじみのよい音楽となっている。
 ノスタルジックであったり、諧謔的であったり、悲哀にとらわれていたり、軽快だったりとバラエティにも富んでおり、全篇聴き飽きることはなかった。
 カナダ、イギリス、ドイツ出身者が集まったフィロン・トリオは、個々の技量もよく、アンサンブルとしてのまとまりも実によい。
 作品演奏ともども充実した内容だ。
 ただ、1枚のCDにこれ1曲で33分程度というのはどうだろう?
 サブスク(amazon music unlimited)ゆえ、僕自身はそういった不満は感じはしないものの。
posted by figarok492na at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

寒さがこたえる(CLACLA日記)

 朝、雪が降っている。
 いったん止んだと思って外出したら、激しく降り出す。
 なんじゃらほい。
 その後止んで、青空に変わる。

 気温は低く、寒さがとてつもなく厳しい。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 寒さがこたえる。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、日付が変わってすぐに寝床に就く。


 7時ちょうどに起きて、amazon music unlimitedでテノールのリチャード・タッカーがピエール・デルヴォー指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団の伴奏で歌ったフランス・オペラ・アリア集(英語歌唱)を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時15分に外出する。
 上述の如く、タイミングを間違えた。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
 凡ミスあり。
 うんざりする。


 夕飯後、amazon music unlimitedでアンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団が演奏したドビュッシーの管弦楽のための映像、原田知世が歌った『時をかける少女』、坂本九が歌った『ともだち』、『涙くんさよなら』、『上を向いて歩こう』、『明日があるさ』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、境家史郎の『戦後日本政治史』<中公新書>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでフィロン・トリオが演奏したブルッフの8つの小品を聴き、クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団が演奏したブラームスの交響曲第4番と悲劇的序曲を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 やるべきこと、やりたいことをしっかりやっていかないと。
 与えられた人生は一度きりなのだから。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月24日

今日聴いた音楽からB(2024/1/24)

 ルチアーノ・タランティーノが弾いたピアッティの無伴奏チェロのための12の奇想曲を<BRILLIANT>聴いた。
 ピアッティは1822年に生まれ1901年に亡くなったイタリアのチェロ奏者。
 パガニーニの24の奇想曲はもちろんのこと、テレマンの無伴奏フルートのための12の幻想曲、そしてヨハン・セバスティアン・バッハの無伴奏チェロ組曲を意識したと思しき構成の作品だ。
 同時に2つの音が鳴る重音奏法など、様々な、かつ高度な技巧が試された小品集で、言葉自体はわかりやすいのだが、急に脱線脱臼したりしてとらえどころのない、同時代のイタリアというより南欧の作家が書いた短い散文を読んでいるような不思議な気持ちになる。
 タランティーノのサイトなどの写真を見る限りエンドピンのついたチェロを手にしているが、もしかしたら弦はガット弦を使用しているかもしれない。
 上述した重音奏法もあって、けっこう塩辛い音がする。
 なんとなく玄妙な雰囲気のする音楽だ。
posted by figarok492na at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雪、止んで欲しいなあ(CLACLA日記)

 青空は見えつつも、どんよりとしたお天気の一日。
 そして、雪が降り出した。

 寒さがとてつもなく厳しい。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 寒さで身体が縮こまる。


 京都市長選挙が始まった。
 朝から選挙カーがかまびすしい。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでヴァディム・ホロデンコが弾いた6つの前奏曲Op.13、5つの前奏曲Op.16、ピアノ・ソナタ第4番、悲劇的な詩Op.34、悪魔的な詩Op.36、8つの練習曲Op.42、ピアノ・ソナタ第5番Op.53、詩曲「焔に向って」、アサセッロ・カルテットが演奏したショスタコーヴィチの弦楽4重奏曲第8番と第9番を聴いたりしながら作業を進めたのち、3時半過ぎに寝床に就く。


 9時過ぎに起きる。

 あまりの寒さに予定を変更する。

 午前中から正午過ぎにかけて、amazon music unlimitedでグイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第7番「未完成」を聴き、クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第1番、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、境家史郎の『戦後日本政治史』<中公新書>を読み始めたりする。


 12時台に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでマイケル・アレクサンダー・ウィレンス指揮ケルン・アカデミーが演奏したモーツァルトの序曲集を聴き、ディーター・クレッカー指揮コンソルティウム・クラシクムが演奏したヴィンターの7重奏曲、4重奏曲、8重奏曲、ズビン・メータ指揮ニューヨーク・フィル他が演奏したホルストの組曲『惑星』、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したチャイコフスキーの幻想序曲『ロメオとジュリエット』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『戦後日本政治史』を読み進めたりする。


 夕飯後、KBS京都の『角田龍平の蛤御門のヘン』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『戦後日本政治史』を読み進めたりする。
 『角田龍平の蛤御門のヘン』は、「誠のサイキックミーティング2024冬」。
 年に2回のスペシャルで、北野誠さんと竹内義和兄貴の出演。
 しかし、『誠のサイキック青年団』の終了からもう15年が経つのか。

 入浴後、amazon music unlimitedでルチアーノ・タランティーノが弾いたピアッティの無伴奏チェロのための12の奇想曲を聴き、アバド指揮シュターツカペレ・ドレスデンが演奏したブラームスの交響曲第3番とハイドンの主題による変奏曲、アサセッロ・カルテットが演奏したショスタコーヴィチの弦楽4重奏曲第9番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『戦後日本政治史』を読み進めたりする。


 今日は、甘いものは少しだけ食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 雪、止んでほしいなあ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽からA(2024/1/24)

 マイケル・アレクサンダー・ウィレンス率いるピリオド楽器オーケストラ、ケルン・アカデミーが演奏したモーツァルトの序曲集<BIS>を聴いた。
 収録されているのは、『救われたベトゥーリア』、『イドメネオ』、『フィガロの結婚』、『後宮からの逃走』、『コジ・ファン・トゥッテ』、『劇場支配人』、『ポントの王ミトリダーテ』、『偽の女庭師』、『ドン・ジョヴァンニ』、『ルチオ・シッラ』、『皇帝ティートの慈悲』、『魔笛』の12の序曲。
 1993年の晩夏から1994年の初春まで滞在したケルンは古楽器、ピリオド楽器演奏のメッカの一つだったが、ケルン・アカデミーの結成は1996年なため、あいにく実演には接しそびれたままだ。
 個々の技量も確かだしアンサンブルもよくまとまっている一方、ウィレンスとケルン・アカデミーは予想通り歯切れがよくてスピーディー、加えて荒々しい音も辞さないパワフルな演奏で、先日聴いたブルーノ・ワルターとコロンビア交響楽団の演奏が実に穏やかで古風に思えてきた。
 実演録音問わず、このコンビのオペラ演奏を聴いていないからその劇場感覚について判断するのはひとまず控えるものの、それこそ「革命劇」のはじまりに相応しい『フィガロの結婚』序曲はじめ、そのままオペラが始まらないのがどうにも残念なわくわくとする音楽を聴かせてくれる。
 ちなみにこの場合の劇場感覚とは、オペラ演奏の多寡に基づき、オペラのだれ場見(聴か)せ場を見極めて音楽の持つドラマ性を的確に再現することと、上演当日のオーケストラ、舞台上、客席にいたる劇場の状態にあわせて臨機応変に対応すること、そういった劇と劇場全体に通じた能力と考えてもらえればよい。
 演奏そのものではなくアルバムのコンセプトに若干疑問や不満があるとすれば、ある程度は予想はつくものの曲の順番についてあまり明確でないこと。
 収録時間はまだ十分に残っているにも関わらず、『アポロンとヒュアキントス』、『バスティアンとバスティエンヌ』、『偽ののろま娘』、『アルバのアスカニオ』、『羊飼いの王様』、バレエ音楽『レ・プティ・リアン』の序曲が除外されていること。
 それから、『偽の女庭師』序曲が最初の軽快な部分に戻らず中間部で終わってしまっていることだろうか。
 繰り返しになるが、演奏そのものは十分十二分に愉しめる。
posted by figarok492na at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/1/24)

 グイド・カンテッリは1920年生まれのイタリアの指揮者。
 第二次世界大戦に敗戦後、同じイタリア出身の巨匠アルトゥーロ・トスカニーニに見出され、彼の若き後継者と目されていたが、1956年に惜しくも飛行機事故で命を奪われた。
 今回聴いたフィルハーモニア管弦楽団とのシューベルトの交響曲第7番「未完成」<WARENER>は、1955年のステレオ録音だから、カンテッリにとっては最晩年の録音にあたる。
 上述したように、トスカニーニの流れを汲む指揮者だけに、速いテンポで勢いよく前進していくものと思っていたが、予想は大きく外れた。
 どちらかといえば、トスカニーニよりも昨夜聴いたフルトヴェングラーのほうに解釈の近さを感じるほどだ。
 ただし、フルトヴェングラーが深淵と諦念の深淵とより向き合っているとすれば、カンテッリの場合は諦念のほうに一層傾いているが。
 そして、シューベルトの音楽の持つ歌謡性を的確にとらえて、旋律をよく歌わせる。
 もちろん、過剰な感情移入は避けつつ。
 そのような音楽づくりゆえ、第2楽章がことのほか美しい。
 管楽器の受け渡しのあと、急に強い音になる箇所でもカンテッリの演奏は耳を鋭く刺さない。
 これは第1楽章にも共通していることだが、人を傷つけたくないし傷つきたくないといった宥めるような演奏で、まるで宗教曲のようだとまで思った。
 もしカンテッリが早世しなかったなら、彼はどのような演奏を行っていただろう。
 どうしてもそのことを考えてしまう。
posted by figarok492na at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月23日

今日聴いた音楽から(2024/1/23)

 クラシック音楽を聴き始めた1980年代半ばはまだ、教養主義の残滓というのかクラシック音楽の有名どころはある程度押さえておくのが常識といった感じが残っていた。
 百科事典と同じように、クラシックのLPやCDの名曲全集を買い揃える家庭もそこそこあったのではないか。
 シューベルトの交響曲第8番「未完成」、いわゆる未完成交響曲など、名曲中の名曲の一つとして、当然そうした全集に含まれていた。
 で、そうした常識がもろくも崩れ去った今、しかも番号まで第7番と呼ばれるようになった未完成交響曲の音楽的位置というものは、大きく変わってしまった。
 少なくとも、かってほどに崇め奉られる存在ではあるまい。
 それでも、シューベルトの晩年の作品に共通する深淵と諦念とどう向き合うかは、未だに未完成交響曲を演奏する際には避けては通れない課題であることも確かだろう。
 最近では、速いテンポで音楽を進めつつそうした深淵や諦念と果敢に切り結んだアントネッロ・マナコルダ指揮カンマーアカデミー・ポツダムの録音<SONY>が強く印象に残っている。
 深淵と諦念とどう向き合うか、ということでどうしても忘れてはならないのが、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーだろう。
 彼は、この未完成交響曲を特別な曲と感じ、演奏する際も極度に興奮緊張していたと伝えられている。
 そのフルトヴェングラーがウィーン・フィルを指揮した未完成交響曲を聴いた<WARNER>。
 ただし、1950年にウィーンでセッション録音された有名なものではなく、同じ年の10月1日に行われたコペンハーゲンでのコンサートをデンマーク国営放送がライヴ録音したものである。
 正直、最新のリマスタリングが行われているにせよ、音質はよくない。
 加えて、演奏自体も最善のものとは言えない。
 ただ、フルトヴェングラーのこの曲との向き合い方や、そうして生まれた音楽の凄さ、激しさ、美しさの一端を知ることはできた
posted by figarok492na at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

厳しい寒さがやって来る(CLACLA日記)

 晴天。

 気温はまたもぐっと下がり、寒さが非常に厳しい。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪にもお気をつけのほど。


 寒暖差がこたえる。
 頭と身体が重たし。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、日付変わってから寝床に就く。


 6時台に起きて、amazon music unlimitedでテノールのリチャード・タッカーがフランツ・アラーズ指揮コロンビア交響楽団の伴奏で歌ったウインナ・オペレッタ・アリア集(英語歌唱)を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 夕飯後、amazon music unlimitedでニコラウス・アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したチャイコフスキーの幻想序曲『ハムレット』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、夕木春央の『時計泥棒と悪人たち』<講談社>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したシューベルトの交響曲第7番「未完成」(1950年コペンハーゲン・ライヴ録音)を聴き、アレクサンダー弦楽4重奏団が演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第16番、テノールのケネス・リーゲルとバーンスタイン指揮ボストン交響楽団他が演奏したリストのファウスト交響曲を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。

 『時計泥棒と悪人たち』と灰原薬の『応天の門』8<新潮社>を読了する。
 ああ、面白かった!!!


 今日も、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 厳しい寒さがやって来る。
 被災地の方々のことを考える。
 ガザ地区やウクライナのことも考える。
 人に傷つけられた人やその家族のことも考える。
 人を傷つけた人やその家族のことも考える。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2024年01月22日

今日聴いた音楽から(2024/1/22)

 モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」を大好きになったきっかけは、カルロス・クライバーがウィーン・フィルを指揮したコンサートの録画を観聴きしたことだった。
 クライバーの指揮姿の美しさはひとまず置くとして、緩急自在というのか、押すべきところは押し、退くべきところは退きつつ、長調の中に潜む翳りをあぶり出すその手腕の見事に感嘆したし、ウィーン・フィルの柔らかな音色がそれにまたぴったりとあっていた。
 それから、この曲を好んで聴くようになった。
 もちろん、クライバーとは異なるタイプの演奏も積極的に聴いた。
 今夜聴いたオットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団<WARNER>は、まさしくクライバーとは対極にあるような演奏である。
 クレンペラーといえば、晩年になればなるほどテンポが遅くなっていったことで知られているけれど、1956年の録音ということもあって、序奏こそ重々しいし全体的に低弦は強調されてはいるものの、主部からあとは実に速い。
 緩徐楽章も含めてなべて速いテンポ設定だ。
 と、言って、いわゆるピリオド奏法のように細かい部分を丹念に掘り下げるものではなくて、ぶっちゃけちょっと素っ気ないほど。
 ただ、ところどころ凄みというか鋭い一閃というか、はっとさせられるような箇所がある。
 全部聴き終えると、またはじめから聴きたくなる。
 そんな演奏だった。
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人生、何が起こるかわからない(CLACLA日記)

 どんよりとした感じから青空へ。

 気温も少し上昇したか。
 水曜日にはまた厳しい寒さになるらしいが。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪にもお気をつけのほど。


 諸々あって、精神的にダル。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時50分頃寝床に就く。


 7時に起きて、amazon music unlimitedでテノールのリチャード・タッカーがネッロ・サンティ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団の伴奏で歌ったヴェルディのオペラ・アリア集を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 途中夕飯を挟み、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『遠山の金さん』2の第12話の拾い観をする。
 メインのゲストは、中村玉緒だ。
 明石家さんまにあのがははがははぶりを発見される前の、シリアスな演技。
 この頃の玉緒さんは、本当に薄幸の女性がぴったりだった。
 ほかに、悪役で西沢利明、西田良らも出演していた。


 夕飯後、amazon music unlimitedでレナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したチャイコフスキーの幻想序曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、夕木春央の『時計泥棒と悪人たち』<講談社>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでオットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」を聴き、アレクサンダー弦楽4重奏団が演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第14番と第15番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、灰原薬の『応天の門』8<新潮社>を読み進めたりする。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 人生、何が起こるかわからないということを痛感する。
 そのこともあって朝から精神的にきている。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2024年01月21日

今日聴いた音楽からA(2024/1/21)

 フランス系カナダ人のギタリスト、パスカル・ヴァロワが録音した『ウィーン1840〜ロマンティックなウィーンの音楽』<ANALEKTA>を聴く。
 ヴァロワは古楽器のレプリカ、いわゆるピリオド楽器によって演奏を行っているギタリストだが、このアルバムでも1830年製の楽器のレプリカが用いられている。
 収録曲は、エミリア・ジュリアーニ=グリエルの6つの前奏曲Op.46-1と3、ヨハン・カスパール・メルツの吟遊詩人の調べ、メルツ編曲によるシューベルトの『白鳥の歌』からセレナーデ、ジュリオ・レゴンディの夜想曲「夢想」、メルツのハンガリー幻想曲第1番。
 いずれも弾き手の技巧を閲するような仕掛けの施された作品だけれど、それより何よりアルバムのタイトル通り、甘やかで夢見るようで、切ない、まさしくロマンティックな旋律が魅力的だ。
 中には、あまりの旋律の美しさのせいで、若干それに淫するというのか、とりとめのなさを感じる曲もないではないが。
 ヴァロワの当時の演奏方法を意識したであろう節回し、歌い回しも強く印象に残った。
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記憶力は本当に大切だ(CLACLA日記)

 雨降り、どんよりとしたお天気から青空へ。

 気温は少し上がったか。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 身体はメンテナンスのおかげでだいぶん楽だ。
 ただし、寒暖差はこたえる。


 京都市長選挙が始まった。
 朝から選挙カーがかまびすしい。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、4時少し前に寝床に就く。


 9時過ぎに起きる。

 午前中から午後にかけて、CDでギターの福田進一が弾いたソルのモーツァルトの『魔笛』の主題による変奏曲を聴き、amazon music unlimitedでクラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団が演奏したマーラーの交響曲第1番「巨人」、ミッシャ・マイスキーとレナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したシューマンのチェロ協奏曲とを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、夕木春央の『時計泥棒と悪人たち』<講談社>を読み進めたりする。


 13時過ぎに外出し、下京図書館へ。
 灰原薬の『応天の門』7<新潮社>を返却し、予約しておいた8<同>を新たに借りる。
 その後、京都芸術センターで用件を片付けてから、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでジャン=リュック・タンゴー指揮ベルリン放送交響楽団が演奏したフランクの交響曲とショーソンの交響曲を聴き、ルネ・ヤーコプス指揮フライブルク・バロック管弦楽団他が演奏したグルックの歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』全曲、ルイ・フレモー指揮バーミンガム市交響楽団が演奏したサン・サーンスの『ノアの洪水』前奏曲、ウェディング・ケーキ、アレグロ・アパッショナート、交響詩『死の舞踏』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『時計泥棒と悪人たち』を読み進めたり、『応天の門』8を読み始めたりする。


 途中夕飯を挟み、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。
 今週も面白し。


 夕飯後、amazon music unlimitedでアンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団他が演奏したラヴェルのバレエ音楽『ダフニスとクロエ』全曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『時計泥棒と悪人たち』を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでギターのパスカル・ヴァロワが弾いた『ウィーン1840〜ロマンティックなウィーンの音楽』を聴き、アバド指揮シカゴ交響楽団が演奏したマーラーの交響曲第5番とリュッケルトの詩による5つの歌曲(ハンナ・シュヴァルツのアルト独唱)、MBSラジオのヤンタン日曜日を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『時計泥棒と悪人たち』と『応天の門』8を読み進めたりする。


 今日は、甘いものは少しだけ食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 記憶力は本当に大切だ。
 しつこいぐらいに物事は覚えておかなければならない。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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今日聴いた音楽から@(2024/1/21)

 1枚1000円はよいとして、演奏しているのがあんまり知らない東欧のオーケストラや演奏家じゃ、安かろう悪かろうじゃないの。
 と、思わせておいて、聴いてみたならおや、なかなかの演奏じゃないか。
 といった商売のやり方も昔の話。
 レパートリーの豊富さはそのままに、デビュー間もない新進気鋭の若手から進境著しい中堅層、さらにはレナード・スラットキンといったベテランとバラエティ豊かな演奏家を起用して今やナクソス・レーベルはマイナー中のメジャー、というより、メジャーやマイナーの壁も相当とっぱらってしまった。
 それに、HMVのオンライン・ショップを調べてみたら、セールでなければ会員でも1枚1600円、会員以外は2200円と値段の面でも全くお安くなくなった。

 で、そんなナクソス・レーベルが最近プッシュしている指揮者の一人が、フランス出身のジャン=リュック・タンゴーだ。
 1969年生まれだからこちらと同い年、マニュエル・ロザンタールのアシスタントなどを経てオペラ中心に活躍していた人だけれど、ナクソス・レーベルはフランス(系)の作曲家の管弦楽曲を彼に任せることにしたらしい。
 そのタンゴーがベルリン放送を指揮したフランクとショーソンの交響曲を聴いたが、これはすこぶる聴き応えのあるアルバムだった。
 当然、近年の演奏の潮流そのままに速いテンポをとるものと決めてかかったら大間違い。
 フランクは全篇、ゆっくりとしたテンポで細部を丁寧に表現していく。
 ただし、音色を濁らせず見通しが良いため、全く重たくならない。
 第1楽章もそうだし、第2楽章など、管楽器の主旋律の後ろで弦楽器が「蠢いている」のが手に取るようにわかる。
 終楽章など、昭和のヤマカズ山田一雄が京都市交響楽団を相手に呻き声を上げながら狂喜乱舞する姿が今も忘れられないのだけれど、ここでもタンゴーは焦らない。
 結果、フランクの音楽の持つ官能性(法悦性とはあえて書かない)が見事に浮き彫りになっていた。
 一方、同じく3楽章の構成等々、師匠フランクの影響を色濃く受けたショーソンの交響曲も、冒頭ゆっくりしたテンポで始まる。
 が、主部に変わったとたんの音色の変化にはっとする。
 フランクの音楽がどこか閉じられた感じがするとすれば、ショーソンの音楽には開かれた感じがするのだ。
 第2楽章は、ヴァイオリンと管弦楽のための詩曲、ヴァイオリン・ピアノと弦楽4重奏のためのコンセールと共通する艶やかさ、その美しさに心魅かれる。
 そして、終楽章ではひときわワーグナーからの影響が明確になる。
 ベルリン放送交響楽団もそうしたタンゴーの音楽づくりによく応えて、アンサンブル・ソロの両面で精度の高い演奏を行っていた。
 もし不満があるとすれば、ナクソス全般にいえることだが、録音の音質が少々浅いというか薄いというか、物足りなさを感じることか。
 クリアであることには違いないのだけれど。
 とはいえ、これは大いにお薦めしたいアルバムだ。
posted by figarok492na at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月20日

今日聴いた音楽からA(2024/1/20)

 指揮者としての活動を始めたころ、ロンドンのオーケストラと共演する機会が多かったし、コロンビア(現ソニー)レーベルの意向もあってだろう、ダニエル・バレンボイムはロンドン・フィルやイギリス室内管弦楽団とともにエルガーの管弦楽曲を網羅的に録音している。
 ただ、20世紀を迎えてシュターツカペレ・ベルリンと集中的に再録音を行ったことを考えれば、指揮者としてのバレンボイムにとって、やはりエルガーは重要な作曲家であったともいえる。
 そしてそれには、チェロ協奏曲を大切なレパートリーにしていたかつてのパートナー、ジャクリーヌ・デュ・プレとの繋がりもあるかもしれない。
 ちなみに、バレンボイムはフィラデルフィア管弦楽団を指揮してデュ・プレとエルガーのチェロ協奏曲のライヴ録音を行っている。
 そうしたバレンボイムのエルガー録音のうち、ロンドン・フィルとの威風堂々全曲、宮廷仮面劇『インドの王冠』抜粋、帝国行進曲を聴いた。
 有名な第1番からアルバムは始まるが、いやあ、速い。
 先日聴いたバーンスタインのウェーバーの舞踏への勧誘も速かったが、こちらはしょっぱなから速い。
 行進曲もへったくれもない飛ばしようだ。
 ただし、中間部での有名な旋律はゆっくりめで演奏する。
 その分、一層この旋律の美しさは際立つが、しかしやっぱり速過ぎだなあ。
 で、この速さは続く第2番から第5番でもそう。
 第4番と第5番で中間部をゆっくりと演奏するのも一緒だが。
 なんだか一枚のLPに諸々押し込むために巻いているんじゃと思えるほど。
 でも、そうは言いつつもこの第1番は繰り返し聴いてみたくもなる。
 それにしても、このテンポで乱れないロンドン・フィルはやっぱり達者なオケだと感心した。
 『インドの王冠』でも緩急のコントラストははっきりとしているが、こちらは威風堂々のようなある種脈絡のなさとは違い、音のドラマにそった速さであり遅さ。
 ときにあらわれるインドっぽさが、なんだかオリエンタリズム全開で今となってはどうにも気恥ずかしい。
 まあ、ジョージ5世とメアリー王妃のインド皇帝と皇后戴冠を祝するという意図そのものが今となってはなんとも受け入れにくいものでもあるのだけれど。
 というか、そもそもエルガー自身が帝国主義期のイギリスを象徴するような作曲家なのだ。
 『オリエンタリズム』の著者で今は亡きエドワード・サイードと深い親交のあったバレンボイムはそこらあたりをどう考えているのか。
 イスラエルでワーグナー演奏を積極的に行ったバレンボイムだけに、非常に興味がある。
posted by figarok492na at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メンテナンスでだいぶん楽になった(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気の一日。
 雨も降る。

 じめじめとして快ならず。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度のダブルパンチ!!
 ただし、後述メンテナンスのおかげでだいぶん楽になる。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでジョシュア・ベルとエサ・ペッカ・サロネン指揮ロサンゼルス・フィルが演奏したシベリウスのヴァイオリン協奏曲とゴルトマルクのヴァイオリン協奏曲第1番、ルドルフ・ケンペ指揮ウィーン・フィルが演奏したヨハン・シュトラウスU世のポルカ『クラップフェンの森で』を聴いたりしながら作業を進めたのち、2時40分過ぎに寝床に就く。


 9時に起きて準備をしたのち、9時40分過ぎに外出する。
 で、仕事関係の予定をすませてから、身体のメンテナンスへ。
 昨日捻ってしまった右脚などをじっくりメンテナンスしてもらい、だいぶん楽になった。
 本当に助かる。
 そのあと夕飯用の買い物をすませて、正午少し前に帰宅した。


 帰宅後、午前中から午後にかけて、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』の最後、amazon music unlimitedでアレクサンダー弦楽4重奏団が演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第12番、ポール・トルトゥリエとルイ・フレモー指揮バーミンガム市交響楽団が演奏したラロのチェロ協奏曲とサン・サーンスのチェロ協奏曲第1番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、夕木春央の『時計泥棒と悪人たち』<講談社>を読み進めたりする。


 眠気に勝てず、少しうとうととした。


 その後、amazon music unlimitedでマルティン・ヨップ指揮マイン・バロックオーケストラが演奏したアーベルの後期交響曲集を聴き、トン・コープマン指揮アムステルダム・バロック管弦楽団が演奏したテレマンのターフェルムジーク抜粋、アンドレイ・ガヴリーロフが弾いたスクリャービンのピアノ作品集を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『時計泥棒と悪人たち』を読み進めたりする。


 夕飯後、amazon music unlimitedでジャン=フランソワ・パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団が演奏したモーツァルトのセレナード第10番「グラン・パルティータ」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『時計泥棒と悪人たち』を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでダニエル・バレンボイム指揮ロンドン・フィルが演奏したエルガーの威風堂々全曲、宮廷仮面劇『インドの王冠』抜粋、帝国行進曲を聴き、アレクサンダー弦楽4重奏団が演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第13番と大フーガ、ハンス・グラーフ指揮シンガポール交響楽団が演奏したクレナウのヴァイオリン協奏曲(ヘ・ジユの独奏)、ピアノ協奏曲(セーアン・ラストギの独奏)、交響曲第8番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『時計泥棒と悪人たち』を読み進めたりする。


 今日は、山崎製パンの吹雪まんを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日も雨らしい。
 うんざり。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/1/20)

 1723年にドイツのケーテンで生まれた作曲家カール・フリードリヒ・アーベルは、のちにイギリスに渡ってヨハン・クリスティアン・バッハとともにバッハ=アーベル・コンサートを主催し、幼い頃のモーツァルトにも影響を与えた。
 そのアーベルにとって後期の作品にあたる交響曲を集めたアルバム<ACCENT>を聴く。
 演奏はマルティン・ヨップが指揮するピリオド楽器オーケストラ、マイン・バロックオーケストラ。
 収録されているのは、いずれも3楽章形式、ハ長調、変ロ長調、ニ長調、変ホ長調、ニ長調の5曲で3曲目のニ長調のみ協奏交響曲で、全て世界初録音になるそうだ。
 古典派の規矩に則りつつ、一曲ごとの仕掛けも施されており、明快かつ軽やかな音楽に仕上がっている。
 どちらかというと管楽器は補助にまわることが多く、弦楽器主体となるのには、アーベルが弦楽器のバリトンの開発者であることや、ヴィオラ・ダ・ガンバの名手として知られたこととも関係しているかもしれない。
 もっとも印象に残ったのは、5曲目のニ長調。
 モーツァルトを思い起こさせる旋律が魅力的だし、第2楽章ではフルート(フラウト・トラヴェルソ)も聴かせ場がある。
 同じニ長調の協奏交響曲は、ヴァイオリンとオーボエ、チェロのソロの掛け合いが愉しい。
 若干チェロの独奏にたどたどしく聴こえる箇所があるのは、作曲当時の楽器を再現したピリオド楽器だとエンドピンがないので、両足に挟んで演奏しなければならないためだろう。
 楽器の掛け合いでいえば、変ロ長調の第2楽章のオーボエとホルンのそれもチャーミングだ。
 ヨップ指揮のマイン・バロックオーケストラは精度の高い演奏で、アーベルの音楽を的確に再現していた。
 それにしても、こうやって古典派の作曲家の作品を聴くと、ハイドンやモーツァルトと彼らを分けるのは何かということについて考えざるをえない。
 もちろんハイドンやモーツァルトの後期の交響曲となれば、楽曲の洗練度や構成力(4楽章形式への移行)、旋律の魅力といった点でやはりその差は歴然としている。
 だが、初期から中期の作品に比べればそれほど遜色があるものではないと強く思う。
 そういえば、少し前までアーベルの交響曲集作品7の6曲目はモーツァルトの交響曲第3番と誤って認識されていたのだった。
posted by figarok492na at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月19日

今日聴いた音楽からA(2024/1/19)

 クラシック音楽を熱心に聴き始めた1980年代半ば以降、そのクラシック音楽界ではそれまで当たり前とされてきたことへの根本的な見直し、洗い直しが進められた。
 その代表例が作曲家がその作品を作曲した時代の演奏様式を検証再現するピリオド奏法だろう。
 それは、18世紀におけるヨーロッパ全体の音楽的規範を知らせるとともに、個々の作曲家や作品、演奏の地域的な特色を再発見するものでもあった。
 そしてその流れはさらに19世紀から20世紀前半へと進んでいった。
 そうした中で、ウインナ・ワルツならばウィーン・フィル、スメタナやドヴォルザークならチェコ・フィルといったこれまでの常識とはかけ離れた名演名録音も誕生してきた。
 むろん、その一方で演奏者自身の演奏に対するプライドも含めて、上述したような常識、作曲家と演奏家の結びつきが根強く支持されていることも否定しがたい事実だ。
 特にイタリアのオペラ、中でもその代表格のヴェルディならば、イタリア最高のオペラ劇場と目されるミラノ・スカラ座でなければという考えは未だに揺らいでいない。
 ミラノ・スカラ座のオーケストラと合唱団がヴェルディのオペラの合唱曲集<DECCA>を聴きながら、そのようなことを少しだけ考えた。
 指揮は、現在の音楽監督リッカルド・シャイー。
 彼の70歳とデッカ・レーベルへの専属契約45年を契約したアルバムだ。
 カルロ・マリア・ジュリーニ、クラウディオ・アバド、ジュゼッペ・シノーポリが亡くなった今、シャイーはリッカルド・ムーティに次ぐイタリアを代表する指揮者だが、ムーティが到達した演奏(昨年末に聴いたマスカーニの歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』のライヴ録音は、ギリシャ悲劇のようなスケールの大きさと美しさに心底驚愕し感動した)に比較すると、まだ人間らしいというか生々しいというか、若き日のよく言えば熱血的な、悪く言えば直情的な演奏の片鱗をうかがわせるものがある。
 ただし、シャイーのとる速めのテンポや楽曲の解釈が彼の性質に由来するだけではなく、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との録音に端的に示されているようなピリオド奏法からの影響によるものであろうこともやはり指摘しておかねばなるまい。
 それにしても、ミラノ・スカラ座の合唱団の層は厚い。
 ヴェルディのドラマティックな歌をよく再現していると感心した。
posted by figarok492na at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本当に用心していかなければ(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気から青空に変わる。
 ただし、明日はまた雨らしい。
 うんざり。

 日中、気温も少し上がったか。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 頭と身体が重たし。
 うんざり。


 全ては会計責任者がやったこと。
 派閥解消で問題も解決…。
 そんな馬鹿な話があるか。
 これでも自民党を支持するのなら、それは相当頭が悪いか、自民党の政治家同様性根が腐っているのだろう。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでイヴァーノ・カイアッツァ指揮ラ・レアル・カペッラ・ディ・ナポリ他が演奏した『ナポリ18世紀の驚異 - 管弦楽曲と協奏曲集』、朝比奈隆指揮大阪フィルが演奏したブラームスの交響曲第3番を聴いたりしながら作業を進めたのち、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが演奏したニコライの歌劇『ウィンザーの陽気な女房たち』序曲を聴き、3時過ぎに寝床に就く。


 8時台に起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
 その間、下京図書館へ行き、借りていた本を返却し、予約しておいた夕木春央の『時計泥棒と悪人たち』<講談社>、灰原薬の『応天の門』7<新潮社>、境家史郎の『戦後日本政治史』<中公新書>を新たに借りる。

 その後、午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでルドルフ・ケンペ指揮ウィーン・フィルが演奏したヨハン・シュトラウスU世のポルカ『浮気心』、アレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルが演奏したショスタコーヴィチの交響曲第15番、ラテン・アメリカ・カルテットが演奏したチャピの弦楽4重奏曲第3番と第4番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、蔵書の整理を行ったり、『時計泥棒と悪人たち』と『応天の門』7を読み始めたりしたのち、グイド・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したロッシーニの歌劇『どろぼうかささぎ』序曲を聴く。


 13時半過ぎに外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでウィーン8重奏団員が演奏したモーツァルトのピアノと管楽器のための5重奏曲とケーゲルシュタット・トリオを聴き、アレクサンダー弦楽4重奏団が演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第9番「ラズモフスキー第3番」、ドミトリー・リス指揮ウラル・フィルが演奏したラフマニノフの交響曲第2番、ギュンター・ヴァント指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」、TBSラジオ『ハライチのターン』アフタートークのポッドキャストを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、蔵書の整理をすませたり、新しい作品を書き進めたり、『時計泥棒と悪人たち』と『応天の門』7を読み進めたりする。


 夕飯の準備中、床が濡れていて滑ってしまい、右膝を捻る。
 去年の夏に痛めて、ようやく秋の半ばに治まっていたというのに。
 どうにもこうにも。
 しかし、これから年齢を重ねていけばますますこういうことに気をつけていかねばならないのだ。
 そのことを痛感する。


 夕飯後、amazon music unlimitedでヴァント指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第39番、第40番、第41番「ジュピター」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『時計泥棒と悪人たち』を読み進めたりする。


 入浴後、amazon music unlimitedでリッカルド・シャイー指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団が演奏したヴェルディのオペラ合唱曲集を聴き、アレクサンダー弦楽4重奏団が演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」、アンドレア・バケッティが弾いたハッセのソナタ集を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。

 『応天の門』7を読了する。
 面白くって、ついつい読み終えてしまった。


 今日は、甘いものは少しだけ食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 本当に用心していかなければ。
 まだまだ死ねない。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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今日聴いた音楽から@(2024/1/19)

 ウィーン8重奏団のDECCAレーベルへの録音がリマスタリングの上でまとめて発売されるのにあわせ、amazon music unlimitedでも配信されるようになった。
 そのうち、モーツァルトのピアノと管楽器のための5重奏曲とピアノ・クラリネット・ヴィオラのための3重奏曲「ケーゲルシュタット・トリオ」がカップリングされたアルバムを聴いてみた。
 ウィーン8重奏団は、ウィーン・フィルのコンサート・マスターであるヴィリーとクラリネット奏者のアルフレートのボスコフスキー兄弟によって結成されたアンサンブルで、その多くはウィーン・フィルのメンバーによる。
 いわゆるピリオド・スタイルの歯切れがよくて丁々発止の演奏も愉しいが、今日のようにようやく青空が見えて穏やかな感じのする日は、古風で上品な音色とインティメートさにあふれたウィーン8重奏団員の演奏が実にぴったりで、まさしくほっこりとする。
 1956年の録音ゆえ音質の古さは否めないが、リマスタリングの効果でだいぶん聴きやすくなっているとも思う。
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2024年01月18日

今日聴いた音楽から(2024/1/18)

 ジョージ・セルがクリーヴランド管弦楽団に室内楽的なアンサンブルを求めたということは、先日のリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・キホーテ』を聴いたときに書いたことだけれど、今日また彼らが演奏したハイドンの交響曲第93番と第94番「驚愕」<SONY>に接して改めてそのことを思い出した。
 例えば、第94番の第2楽章、おなじみ「びっくり」が終わってしばらくしてからの穏やかな部分での楽器の重なり合いだとか、一糸乱れず軽快に音楽を閉じる両曲の終楽章だとか、それこそ室内楽的な、インティメートで精度の高い演奏をセルとクリーヴランド管弦楽団は聴かせてくれる。
 ただ、ドン・キホーテの自在さに比べると、ハイドンではそれがよく言えば折り目の正しい楷書の芸、悪くいえば生真面目に過ぎて遊びが少ないということに繋がっているようにも感じた。
 そうそう、遊びというか仕掛けでいうと、第94番の第2楽章よりも第93番の第2楽章での一撃に僕は驚かされた。
 謹厳実直で知られる教授が、表情一つ変えず突然突拍子もない冗談を口にしたような、そんな驚きである。
 ちいかわのうさぎなら、すぐに「ハァ?」と口にするだろう、きっと、必ず。
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寒い日の雨は嫌だな(CLACLA日記)

 朝から雨。
 どんよりとしたお天気の一日。

 じめじめとじめ寒い。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪にもお気をつけのほど。


 気圧と湿度のダブルパンチ!!
 頭と身体が重たし。
 耳鳴りもひどい。


 日本共産党の委員長に田村智子が就任するとのこと。
 いろいろと想い、いろいろと考えることあり。
 そういえば、京都市長選間際になって松竹某がまたぞろ騒いでいるらしい。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時50分過ぎに寝床に就く。


 7時に起きて、amazon music unlimitedでソプラノのレオンティーン・プライス、スキッチ・ヘンダーソン指揮RCAビクター交響楽団他が演奏したガーシュウィンの歌劇『ポーギーとベス』ハイライトを聴いたりしながら準備をすませたのち、8時17分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 途中夕飯を挟み、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『天を斬る』第9話の拾い観をする。
 メインのゲストは、森光子。


 夕飯後、amazon music unlimitedでダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・フィルが演奏したベルリオーズの幻想交響曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進める。

 森泉岳土の『ぼくの大林宣彦クロニクル』<光文社>を読了する。
 漫画家で大林宣彦の一人娘大林千茱萸の夫である森泉さんが、自らの「父」である大林監督との想い出について記した一冊。
 これは読んでおいて本当によかった。
 そして、大林監督の作品を改めて観たくなった。


 入浴後、amazon music unlimitedでジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団が演奏したハイドンの交響曲第93番と第94番「驚愕」を聴き、アレクサンダー弦楽4重奏団が演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第8番「ラズモフスキー第2番」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 寒い日の雨は嫌だな。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月17日

今日聴いた音楽からA(2024/1/17)

 マタイにヨハネの両受難曲にミサ曲ロ短調、トッカータとフーガニ短調(偽作の疑いもあるんだけど)に小フーガト短調、それから無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番のシャコンヌの印象があまりにも強くって、ついついヨハン・セバスティアン・バッハはしんねりむっつりした音楽ばかり書いているものと思いがちだが、もちろんそんなことはない。
 ブランデンブルク協奏曲もあれば管弦楽組曲もあるし、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番もある、ほかにもいっぱいある。
 バロック・ヴァイオリンの寺神戸亮とチェンバロのファビオ・ボニッツォーニが演奏したバッハのヴァイオリン・ソナタの第1集<Challenge Classics>を聴きながら、短調もいいけど(第1番ロ短調)、やっぱり長調(第2番イ長調と第3番ホ長調)もいいなと改めて思う。
 中でも第2番の第2楽章や第3番の終楽章の跳ねるような明るい音楽は、実に耳になじむ。
 もはやピリオド楽器奏者としてはベテランの域に入った寺神戸亮は、艶やかで伸びやかだがどこか塩辛い感じのする音色の持ち主。
 たぶんに、それは師匠のシギスヴァルト・クイケン譲りのものでもあるだろう。
 悲劇的に短調を強調せず、躁的に長調を強調せず、良い意味で実直、誠実な演奏で、音楽のつくりや流れを的確に示す。
 ボニッツォーニとのコンビネーションもよく、聴いていて自然に耳に入ってくるアルバムだった。
posted by figarok492na at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

阪神大震災から29年が経った(CLACLA日記)

 阪神淡路大震災から29年が経った。
 犠牲となった全ての方々へ、深く、深く、深く、深く、深く黙禱を捧げます。
 そして、現在の被災者の方々を想う。


 晴天。

 日中、気温も少し上がる。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気温が上がれば上がったで、寒暖差がこたえる。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでヴァンニ・モレット指揮アタランタ・フーギエンスが演奏したフランス革命後のミラノの交響曲集、ユストゥス・フランツとレナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したシューマンのピアノ協奏曲を聴いたりしながら作業を進めたのち、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したブラームスの大学祝典序曲を聴き、3時20分に寝床に就く。


 朝早くからいくつか予定をすませる。

 その後、午前中から午後にかけて、amazon music unlimitedでウィンストン・ダン・フォーゲル指揮ショパン室内管弦楽団が演奏したイタリアの古典派作曲家のシンフォニア集、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したチャイコフスキーのスラヴ行進曲と序曲『1812年』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、森泉岳土の『ぼくの大林宣彦クロニクル』<光文社>を読み進めたりする。


 13時半過ぎに外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでクレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』、カリーナ・カネラキス指揮オランダ放送フィルが演奏したバルトークの4つの管弦楽曲と管弦楽のための協奏曲を聴き、ルイ・フレモー指揮バーミンガム市交響楽団が演奏したイベールの室内管弦楽のためのディヴェルティスマン、海の交響曲、バッカナール、ルイヴィル協奏曲、ボストニアーナ、ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『ぼくの大林宣彦クロニクル』を読み進めたりする。


 夕飯後、KBS京都の『角田龍平の蛤御門のヘン』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『ぼくの大林宣彦クロニクル』を読み進めたりする。
 『角田龍平の蛤御門のヘン』のゲストは、週刊ファイト記者の藤井敏之さんとビリーライレージム京都代表の松並修さん。
 プロレスの話で盛り上がる。

 入浴後、amazon music unlimitedでヴァイオリンの寺神戸亮とチェンバロのファビオ・ボニッツォーニが演奏したヨハン・セバスティアン・バッハのヴァイオリン・ソナタ第1番、第2番、第3番を聴き、アレクサンダー弦楽4重奏団が演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」と第10番「ハープ」、ピアノのダニエル・バレンボイムとズービン・メータ指揮ベルリン・フィルが演奏したリヒャルト・シュトラウスのブルレスケを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『ぼくの大林宣彦クロニクル』を読み進めたりする。


 今日は、甘いものは少しだけ食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 自分だっていつどうなるかわからない。
 今年は正月以来ずっとそのことを考えている。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/1/17)

 かつては女性に不向きな職業の一つと呼ばれていた指揮者だが、社会の変化の中で女性の指揮者の数は増え、ようやく世界各地のオーケストラの重要なポストを占めるようにもなってきた。
 昨シーズンからは、沖澤のどかが京都市交響楽団の常任指揮者にも就任している。
 2019年からオランダ放送フィルの首席指揮者となったアメリカ出身のカリーナ・カネラキスも、そうした活躍著しい指揮者の一人だ。
 そのカネラキスがオランダ放送フィルを指揮したバルトークのアルバム<Pentatone>を聴いた。
 2022年7月、オーケストラの本拠地であるヒルフェルスムの放送音楽センターでのライヴ録音とクレジットされている。
 カネラキスとオランダ放送フィルのライヴ演奏は、YouTubeのオランダの公共放送協会の公式アカウントから度々アップされていて、エネルギッシュな指揮ぶりと均整のとれた演奏を確認することができるが、このアルバムでもそうした基本の部分では大きな違いがない。
 メインとなる管弦楽のための協奏曲でも、カップリングの4つの管弦楽曲でも、強弱緩急をよくコントロールした見通しのよい音楽に仕上がっている。
 ただ、例えば管弦楽のための協奏曲の第3楽章「悲歌」が端的に象徴しているように、素っ気ないというわけでは全然ないが、音が軽いというか、踏み込みの浅さを感じたことも事実だ。
 一つには、録音の問題もあるような気はするが。
 できれば、他のレパートリーの、他のレーベルでのセッション録音を聴いてみたい。

 このアルバムのことはひとまず置くとして、いずれ近いうちにベルリン・フィルをはじめとした世界のトップオケで女性の指揮者が音楽監督や首席指揮者、常任指揮者の座に就くことはまず間違いないだろう。
 そしてそれは、音楽界における「ルッキズム」の問題を改めて考える契機になるかもしれない。
posted by figarok492na at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月16日

今日聴いた音楽から(2024/1/16)

 アイネ・クライネ・ナハトムジークの愛称で知られるセレナード第13番やオペラの序曲など、ブルーノ・ワルターがコロンビア交響楽団を指揮して録音したモーツァルト・アルバム<SONY>を聴いた。
 現在の古典派演奏の主流である、いわゆるピリオド・スタイルに比べれば確かにゆっくりとしたテンポだし、旋律を歌わせることに長けていることも事実だが、ウェットで過度に情感を込めたそれこそ情緒綿々とした演奏とは一線を画すことは言うまでもない。
 例えば、セレナード第13番の第1楽章が快活に演奏されることは十分予想ができることだけれど、抒情性に富んだ第2楽章においてもワルターは節度を持って音楽を進めていく。
 とともに、大きな構えというか外に開かれたというのか、線が明快でシンフォニック、なおかつメリハリが効いて冗長に陥らない演奏にもなっている。
 それと、弦楽器だけの編成であることによって、吉田秀和が『世界の指揮者』<ちくま文庫>で指摘しているようなワルター特有の低弦の強調が一層わかりやすくもあった。
 ただ、こうしたことは今回初めて気づいたのではなく、改めて思い出したと記すほうが正しい。
 と、言うのは、クラシック音楽を聴き始めたころ、初めて買ったCDのうちの一枚が、ワルターとコロンビア交響楽団によるモーツァルトの交響曲第40番と第41番「ジュピター」で、今のように具体的な言葉で表せなかったとしても、日々熱心に聴き返す中で漠然と感じていたことではあるからだ。
 ワルターが演奏するモーツァルトの明快さは、続く『劇場支配人』、『コジ・ファン・トゥッテ』、『フィガロの結婚』、『魔笛』の各序曲でさらによく示される。
 加えて、ワルターの劇場感覚が発揮されていることも指摘しておきたい。
 最後は、フリーメーソンのための葬送音楽。
 押しつけがましくない厳粛さがモーツァルトの音楽によくあっていた。
 ワルターのために編成された録音用のオーケストラ、コロンビア交響楽団には粗さや弱さを感じる面もなくはないが、ワルターの意図をよく汲む努力を行っている。
posted by figarok492na at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いやあ、寒いなあ(CLACLA日記)

 昨夜から朝にかけて雪が降る。
 どんよりとした感じはありつつも、日中は晴れた。

 気温は下がり、寒さが非常に厳しい。
 被災地の人たちのことを想う。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪にもお気をつけのほど。


 身体の凝り、張り、痛みがひどし。
 頭も重たし。
 耳鳴りも続く。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時50分過ぎに寝床に就く。


 6時台に起きて、amazon music unlimitedでソプラノのレオンティーン・プライスがフランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ指揮RCAイタリア・オペラ管弦楽団の伴奏で歌ったオペラ・アリア集を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
 帰りユニクロに寄ったが、結局何も買わず。


 夕飯後、amazon music unlimitedでバリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがヴォルフガング・サヴァリッシュのピアノ伴奏で歌ったリヒャルト・シュトラウスの2つのリートop.26、4つのリートop.27から「心を鎮めるのだ、安らかに」、「ひそやかな誘い」、「明日には!」、3つのリートop.29から「たそがれの夢」と「夜の散歩」、3つのリートop.31から「静かな散歩」、5つのリートop.32、4つのリートop.36から「ばらのおび」と「熱愛」、6つのリートop.37から「幸せに満ちたりて」、「きみを愛す」、「春日 (はるのひ)さん」、「祝婚歌」、8つのリートop.49から「若者の誓い」、6つのリートop.56から「見いだしぬ」と「夕暮れの船旅」、6つのリートop.67から「旅人の心は憩い」、5つの小さなリートop.69から「かわらぬもの」、「森を行く」、「ひどいあらしの日」、4つの歌op.87から「近づく老年」、「それが最後だった」、「明るい陽のなかで」、ルイ・フレモー指揮バーミンガム市交響楽団が演奏したラヴェルのボレロを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、森泉岳土の『ぼくの大林宣彦クロニクル』<光文社>を読み進めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団が演奏したモーツァルトのセレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、歌劇『劇場支配人』序曲、歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』序曲、歌劇『フィガロの結婚』序曲、歌劇『魔笛』序曲、フリーメーソンのための葬送音楽を聴き、アレクサンダー弦楽4重奏団が演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第3番と第4番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『ぼくの大林宣彦クロニクル』を読み進めたりする。


 今日も、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 いやあ、寒いなあ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月15日

今日聴いた音楽から(2024/1/15)

 独奏チェロをドン・キホーテに、ヴィオラをサンチョ・パンサに配し、リヒャルト・シュトラウスはおなじみセルバンテスの『ドン・キホーテ』を大管弦楽のための交響的絵巻に仕立て直した。
 そこには、この作曲家らしい皮肉やあてこすりが仕掛けられているが、それより何よりオーケストラを聴く妙味に満ち溢れている。
 かつて親交のあったセルにとって、リヒャルト・シュトラウスはまさしく十八番と呼ぶに相応しい作曲家の一人だ。
 この『ドン・キホーテ』でも、セルは抜群のオーケストラ・コントロールで精度の高い音楽を聴かせる。
 セルは室内楽的なアンサンブルをオーケストラに求めたというけれど、まさしくクリーヴランド管弦楽団は室内楽的なまとまりのよさを見せて過不足がない。
 先日聴いたロッシーニの序曲集の少々粗さの残る演奏が嘘のようだ。
 1960年というからもう60年以上前の録音になるというのに、全く古さを感じさせない。
 また、ピエール・フルニエの気品があって出しゃばらないチェロ独奏も素晴らしい。
(ちなみに、ヴィオラ独奏はエイブラハム・スカーニック。クリーヴランド管弦楽団の首席奏者だ)
 聴き応え十分なアルバムである。
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うんざりしている暇はない!(CLACLA日記)

 朝から雨が降っていたが、その後徐々に青空が見えてくる。

 気温は上昇せず。
 寒さが厳しい。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪にもお気をつけのほど。


 頭と身体が重たし。
 耳鳴りが続く。
 うんざり。


 それでも岸田内閣を支持する人がいるというのだからあきれる。
 まあ、岸田内閣で得をする人間がいるということなのだろう。
 うんざり。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時40分過ぎに寝床に就く。


 6時台に起きて、amazon music unlimitedでバイロン・ジャニスが弾いたピアノ名曲集を聴いたりしながら準備をすませたのち、8時20分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 途中夕飯を挟み、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『遠山の金さん』2の第11話の拾い観をする。
 メインのゲストは今出川西紀、トメは大奥の権力者役の東恵美子。
 ほかに、風見章子、中山昭二、山本昌平も出演していた。


 夕飯後、amazon music unlimitedでルイ・フレモー指揮バーミンガム市交響楽団が演奏したビゼーの交響曲第1番とデュカスの交響詩『魔法使いの弟子』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、森泉岳土の『ぼくの大林宣彦クロニクル』<光文社>を読み始めたりする。

 入浴後、amazon music unlimitedでチェロのピエール・フルニエ、ヴィオラのエイブラハム・スカーニック、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・キホーテ』を聴き、バリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがヴォルフガング・サヴァリッシュのピアノ伴奏で歌ったリヒャルト・シュトラウスのセレナーデ、6つのリート作品19、素朴な歌作品21、アレクサンダー弦楽4重奏団が演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第2番と第6番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 うんざりしている暇はない!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月14日

今日聴いた音楽からA(2024/1/14)

 惜しまれつつも一昨年に亡くなったピアニスト、ラルス・フォークトが最後に遺した録音のうちの一つ、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュナミ(ジュノーム)」と第24番<ONDINE>を聴いた。
 オーケストラはフォークトが音楽監督をつとめていたパリ室内管弦楽団で、指揮と独奏を兼ねている。
 できることなら、なるべくフォークトの早世を考えることなく音楽を聴くべきだろうなと思う反面、闘病生活の中で自らの死と向き合っていたということを知っているだけに、やはりどうしてもそのことについて考えざるをえない。
 考えざるをえないし、実際、そうした中で録音されたからこその稀有な美しさをためた録音になっているとも感じる。
 第9番はモーツァルトにとって初期の作品。
 いわゆるロココ風の優美な軽やかさが特徴で、ここでもはじめはそうした風で演奏が始まる。
 だが、短調に転じると様子が大きく変わる。
 もともとフォークトというピアニストは陽か陰かでいえば明らかに陰の人だったのだけれど、この演奏では一層翳りが色濃く表れる。
 カデンツァも実に切ない。
 続く第2楽章は、宗教曲のように厳粛に進む。
 ホルンの強奏がまるでレクイエムのトロンバのように聴こえるほどだ。
 終楽章は再び軽快に始まるが、途中フォークトは急に立ち止まる。
 今この時間が過ぎ去ってしまうのを惜しむかのような躊躇いに、ぐっと心をつかまれた。
 第24番は短調の曲だが、第1楽章では逆に長調に転じた際の冬の日の陽射しのような明るさが印象的だ。
 自作のカデンツァも強く印象に残る。
 第2楽章の冒頭の旋律は、モーツァルトが作曲した中でも屈指の純真さとけなげなさ、優しさを持った旋律だけれど、フォークトはそうした性格を誇張しない。
 けれど一音一音丹念に弾いていく。
 中でも何か希望が見えたかのように軽快に結ぶ楽章の終わりが忘れ難い。
 迎えた終楽章。
 激しく感情は変化するが、ここでも長調に転じた際の明るさがたまらなく切ない。
 そして、何かを決断するように音楽は終わる。
 パリ室内管弦楽団も、ソロ・アンサンブル両面でそうしたフォークトの音楽によくそっていた。

 このアルバムを聴いて、フォークトの実演に接することができなかったことを改めて強く悔やむ。
 彼の早世をどうにも残念に思う。
posted by figarok492na at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生きていかなければ(CLACLA日記)

 晴天。

 ただし、気温は上がらず。
 寒さが厳しい。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 寒さもあって、凝り、張り、痛みがひどし。
 頭も重たく、耳鳴りも強い。


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、4時近くに寝床に就く。


 9時過ぎに起きる。

 10時ごろ、マンションの管理会社の人に元日の地震で破損した部分の修繕をしてもらう。

 その後、午前中から正午過ぎにかけて、amazon music unlimitedでクラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスのハンガリー舞曲集全曲(21曲)、レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスのヴァイオリンとチェロのための2重協奏曲(ヴァイオリンのギドン・クレーメルとチェロのミッシャ・マイスキーの独奏)と悲劇的序曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、森茂暁の『足利義満』<角川選書>を読み進めたりする。


 13時台に外出して仕事関係の用件を片付けたのち、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでグレン・グールドが弾いたベートーヴェンのバガテル集を聴き、バリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがヴォルフガング・サヴァリッシュのピアノ伴奏で歌ったリヒャルト・シュトラウスの8つのリート作品10から6曲と5つのリート作品15から2曲、アレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルが演奏したショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」と第12番「1917年」、バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したチャイコフスキーのイタリア奇想曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『足利義満』を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。
 今週も面白し。


 夕飯後、amazon music unlimitedでルイ・フレモー指揮バーミンガム市交響楽団が演奏したビゼーのローマを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。

 『足利義満』を読了する。
 南北朝合体を成し遂げ、公武両面で絶大な権力を持ち、日明など海外との交流にも積極的だった室町幕府を代表する三代将軍足利義満について、彼が遺した古文書などを検証しつつ詳述した一冊だった。
 学ぶところ少なからず。

 入浴後、amazon music unlimitedでラルス・フォークトがパリ室内管弦楽団を弾き振りしたモーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュナミ(ジュノーム)」と第24番を聴き、アレクサンダー弦楽4重奏団が演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第1番と第5番、MBSラジオのヤンタン日曜日を聴いたりしながら仕事関係の作業を進める。


 今日は、山崎製パンの小豆の甘納豆を食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 生きていかなければ。
 まだまだ死ねない。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/1/14)

 グレン・グールドが弾いたベートーヴェンの7つのバガテル作品33と6つにバガテル作品126<SONY>を聴いた。
 ベートーヴェンにとってバガテル集はそれこそ些細なものだろうけれど、そうした小品だからこそなおのこと、対位法の強調に極端なテンポ設定といったモノマニアックなまでの楽曲解釈や、即興性、抒情性の追求などグールドの特性が明らかに示されているように感じる。
 その呻き声ともども、グールドの「意識」が全篇にわたって表れていた。
posted by figarok492na at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月13日

今日聴いた音楽からA(2024/1/13)

 クラシック音楽を聴き始めた1980年代半ば、実演録音両面で活動中のピアニストのうち最も高いクラスにいる人といえば、マルタ・アルゲリッチ、マウリツィオ・ポリーニ、アルフレッド・ブレンデル、そしてウラディーミル・アシュケナージということになったのではないか。
 もう少し前ならそこにダニエル・バレンボイムを加えてもよかったかもしれないが、あいにくその頃にはすでにパリ管弦楽団の音楽監督に就任するなど指揮者としてのイメージが強くなっていた。
 そんなバレンボイムの後を追ったわけでもないだろうが、アシュケナージもそれからしばらくすると指揮者のほうにより大きく活動の軸を置くようになる。
 バレンボイム同様、アシュケナージもピアノを弾き続けてはいたけれど。

 今回聴いたラヴェルのピアノ作品集<DECCA>は1982年から83年にかけてだから、当然アシュケナージが指揮者としてよりもピアニストとして認知されていた時期の録音だ。
 アシュケナージの実演に接したのは一度きりで、その際強く印象に残ったのは高度なテクニックよりも最強音になっても濁らない音色の美しさだった。
 デジタル録音初期ということで、すでにセピア色地味た音質にはなっているものの、このラヴェルでもそうした片鱗は十分に窺える。
 中でも、夜のガスパールのスカルボはその好例だろう。
 ただ、意よりも先に手がくるというのか、テクニックのためのテクニックに演奏がなっているような気もしないではない。
 亡き王女のためのパヴァーヌは抒情性に富んでいるが、線が明確というか思っていた以上に芯がしっかりしている。
 最後の高雅にして感傷的なワルツは、技量的な部分とリリカルな部分のバランスが巧くとれているが、ワルツのリズムが少しぎくしゃくとして聴こえることも否めない。
 より読み込みの鋭い演奏が増えていることもあり、今となってはどうしても若干物足りなさを感じてしまった。

 今これを書きながら、参考もかねてクリーヴランド管弦楽団を指揮した高雅にして感傷的なワルツとラ・ヴァルスを聴いているけれど、ウラディーミル・アシュケナージが指揮よりもピアノを優先していたらどうなっていただろう。
 もしかしたら、アシュケナージ自身、自らの限界を十分に認識した上での方向転換だったのかもしれないとはいえ。
posted by figarok492na at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夕方以降、冷え込んでくる(CLACLA日記)

 青空も見えたが、どんよりとした感じが強い。

 気温、上昇せず。
 皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 気圧と湿度のダブルパンチ!!


 戦争反対!
 火事場泥棒の改憲にも反対!
 中東も非常に危うい状態になってきた。
 この先、本当に不安でならない。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、amazon music unlimitedでオットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』第1幕への前奏曲と愛の死を聴き、マーティン・ジョーンズが弾いたミニョーネのピアノ作品集を聴いたりしながら作業を進めたのち、4時近くに寝床に就く。


 8時半過ぎに起きる。

 午前中から午後にかけて、CDでハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルが演奏したシューベルトの軍隊行進曲とニコライの歌劇『ウィンザーの陽気な女房たち』序曲を聴き、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』、amazon music unlimitedでレナード・スラットキン指揮セントルイス交響楽団が演奏したコープランドのオルガンと管弦楽のための交響曲、舞踏交響曲、交響曲第2番「短い交響曲」、管弦楽のための変奏曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、森茂暁の『足利義満』<角川選書>を読み進めたりする。


 12時台に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでテノールのチャールズ・カストロノヴォとイヴァン・レプシッチ指揮ミュンヘン放送管弦楽団が演奏したプッチーニの歌曲集と管弦楽曲集を聴き、クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルが演奏したベートーヴェンの歌劇『レオノーレ』序曲第1番、第2番、第3番、歌劇『フィデリオ』序曲、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルが演奏したストラヴィンスキーのバレエ音楽『火の鳥』組曲とバレエ音楽『ペトルーシュカ』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『足利義満』を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『クラシックの迷宮』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『足利義満』を読み進めたりする。
 『クラシックの迷宮』は、アレクサンドル・チェレプニンの生誕125年を記念した特集が組まれていた。

 入浴後、amazon music unlimitedでウラディーミル・アシュケナージさんが弾いたラヴェルの夜のガスパール、亡き王女のためのパヴァーヌ、高雅にして感傷的なワルツを聴き、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したフランクのプシュケとエロス、交響曲、広瀬悦子が弾いたバラキレフのピアノ作品集を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『足利義満』を読み進めたりする。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢!!


 夕方以降、冷え込んでくる。
 大地震で避難している人たちのことをどうしても考えてしまう。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日聴いた音楽から@(2024/1/13)

 昨夜、いい『ラ・ボエーム』を聴いたので何かプッチーニが聴きたいなと思って、すぐに先ごろリリースされたばかりのアルバム<BR>を思い出した。
 シチリア人を父に持ち、エクアドル人を母に持つアメリカのテノール歌手チャールズ・カストロノヴォとイヴァン・レプシッチ指揮ミュンヘン放送管弦楽団が演奏したプッチーニの歌曲集と管弦楽曲集がそれだ。
 声質の好みのストライクゾーンが極端に狭い人間ゆえ、正直カストロノヴォの硬いというか、渋いというか、古風(プッチーニを模したらしいジャケット写真が非常に様になっている)というか、バリトンに近い重い声質自体はあまり好みではない。
 どちらかといえば味で勝負の人だなと思って聴き進めているうちに、その歌いぶりの見事さにどんどん惹き込まれてしまった。
 録音からも声量の豊かさは想像でき、オペラで本領を発揮する人だと思い至った。
 で、こうやって歌曲を続けて聴くと、プッチーニの音楽の持つ特徴も改めてよくわかってくる。
 あまり単純化するものでもないが、プッチーニのつくる音楽は一連の有名なオペラ・アリアに象徴される抒情性に富んで甘やかな旋律、『トスカ』のテ・デウムのような荘重荘厳で劇的な旋律、そして『ラ・ボエーム』第2幕に代表される軍楽的な勇壮で陽キャな旋律に特徴づけられるのではないか。
 このアルバムでは、そうしたプッチーニらしさを形作る3つの要素を持った歌曲がうまい具合にプログラミングされていてバラエティに富んでいた。
 中でも、トラック15の「ローマへの讃歌」などまさしく陽キャで軍楽調の代表で、のちにムッソリーニ政権時代、ファシスト党の党歌に選ばれてしまったのも無理はない。
(あと、トラック11の「魂の歌」は、『ジャンニ・スキッキ』のリヌッチョのアリアに音のつくりが似ている)
 ちなみに、伴奏のオーケストレーションはドイツのヨハネス・クサヴァー・シャハトナーである。

 プッチーニの音楽の特徴は、カップリングの管弦楽曲、交響的前奏曲、交響的奇想曲(途中、『ラ・ボエーム』の冒頭がまんま出てくるし、ラストは第1幕最後のロドルフォとミミのやり取りを想起させる)、菊の花(ドリューによる弦楽合奏用の編曲)でも当然示されているが、それとともにワーグナーの強い影響を改めて感じもした。
 歌曲でカストロノヴォを巧く支えていたレプシッチとミュンヘン放送管弦楽団は、ここでも劇的で充実した音楽を聴かせてくれる。

 それにしても、こうしたアルバムに巡り合ったとき、どうしてもサブスク(amazon music unlimited)の有難みを感じざるをえない。
 CDならば、たぶんこのアルバムは素通りしていただろうから。
 ただし、音楽家への経済的支援という意味ではCDを購入するほうが断然いいわけで、その点非常に複雑な心境だ。
posted by figarok492na at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | CDレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする