2023年04月21日

小谷麻理子さんが亡くなられていた(CLACLA日記)

 快晴。
 目まぐるしく変わるお天気なり。

 気温は上昇したが、昨日よりは少し下がったか。
 季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 寒暖の差にも弱い中瀬宏之であった。
 ああ。


 戦争反対!
 どさくさ紛れの改憲も反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、KBS京都でナインティナインのオールナイトニッポンを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたのち、2時50分過ぎに寝床に就く。
 ナイナイのオールナイトをがっつり聴いたのは久しぶり。
 何しろaikoがゲストなので。


 9時過ぎに起きる。

 午前から正午過ぎにかけて、amazon music unlimitedでフリードリヒ・グルダが弾いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第8番、第10番、第14番、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第39番、第40番、第41番「ジュピター」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 午後、仕事関係の予定をすませる。

 その後、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、amazon music unlimitedでピンカス・ズーカーマンとズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルが演奏したバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したブラームスの交響曲第3番(1946年)、コントラルトのモーリン・フォレスターとシャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団が演奏したマーラーのさすらう若人の歌と亡き子をしのぶ歌、ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団が演奏したエルガーの夢の子供たちからアンダンテと3つのバイエルン舞曲から子守歌、バリトンのピーター・ドーソンとバルビローリ指揮グランド・オーケストラが演奏したエルガーのカンタータ『カラクタクス』から「Oh! My warriors」と「Leap, leap to light」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、未完成の作品を書き進めたり、山下紘加の『あくてえ』<河出書房新社>を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、YouTubeの東映時代劇公式アカウントで『影の軍団V』第21話の拾い観をする。
 ゲストのヒロインは遠藤真理子、悪のボスは水原麻紀だったが、最後の殺陣の見せ場は千葉真一と近い曽根晴美に与えられていた。
 他に、中村孝雄や河合絃司も出演。


 夕飯後、amazon music unlimitedでエンジェルス弦楽4重奏団が演奏したハイドンの弦楽4重奏曲第57番と第59番、ジャン=フランソワ・パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団が演奏したヨハン・セバスティアン・バッハの音楽の捧げものから6声のリチェルカーレと主よ、人の望みの喜びよを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 『あくてえ』を読了する。
 中盤以降、どんどん読み進めてしまった。


 入浴後、amazon music unlimitedでマレイ・ペライアが弾いたシューマンのピアノ・ソナタ第2番とシューベルトのピアノ・ソナタ第20番、レオン・フライシャーが弾いたヨハン・セバスティアン・バッハの主よ、人の望みの喜びよと羊は安らかに草をはみ、ドメニコ・スカルラッティのソナタホ長調K.380、ショパンのマズルカ 嬰ハ短調Op.50-3と夜想曲 変ニ長調Op.27-2、ドビュッシーの月の光、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番、フェスティヴァル・カルテットが演奏したブラームスのピアノ4重奏曲第1番、ホルンのジョゼフ・エガー、ピアノのヴィクター・バビン、ヴァイオリンのヘンリク・シェリングが演奏したブラームスのホルン3重奏曲、エガーとバビンが演奏したベートーヴェンのホルン・ソナタ、TBSラジオの『ハライチのターン』のポッドキャストを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
 ペライアは、若い頃の録音。
 全くいい加減な演奏ではないけど、ちょっとだけ軽い感じがする。
 フライシャーは右手が快復したのちの録音で、音楽へのひたむきさ、音楽の暖かさに魅かれる。


 今日は、甘いものはほんの少しだけ食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 昨夜、大阪交響楽団のオーボエ奏者小谷麻理子さんが3月末に亡くなられていたことを知った。
 実は、大阪交響楽団が大阪シンフォニカーと呼ばれていた頃、僕は事務職員の見習いをしたことがあった。
 結局、ひと月程度で「逃げ出した」のだが、次に転がり込んだJEUGIA四条店に小谷さんがよくお客さんとして見えられていたのだ。
 その後、引っ越したマンションの近くに小谷さんのご実家があって、時折ばったりしてお話をする仲だった。
 買い物の行き帰りにご実家の前を通っては、小谷さんどうされてるかなと思っていたのだが。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする