文化の日。
今日から通いの仕事は四連休なり。
晴天。
今日も秋晴れ。
日中は気温が上がり、穏やか。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
風邪にもお気をつけのほど。
体調、今一つ。
身体が重たい。
北朝鮮がしきりとミサイルを発射している。
そのこと自体は、本当に度し難い。
しかし、北朝鮮と密接な関係にある統一教会とこれまた密接な関係にある岸田自民党内閣がここぞとばかり大騒ぎしていることにも腹が立つ。
うさん臭くきな臭いかぎり。
戦争反対!
どさくさ紛れの改憲も反対!
自民党内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、作業を進めたのち、3時50分に寝床に就く。
9時台に起きる。
午前中から午後にかけて、YouTubeでオルフェウス室内管弦楽団が演奏したレスピーギの組曲『鳥』、リュートのための古風な舞曲とアリア組曲第1番と第3番、ボッティチェリの3枚の絵、ヴァイオリンのエマニュエル・チェクナヴォリアンとクリスティアン・マチェラル指揮ケルンWDR交響楽団が演奏したブラームスのヴァイオリン協奏曲、エマニュエル・チェクナヴォリアンとピアノのアンドレアス・ヘフリガーが演奏したブラームスの2つの歌作品91(アンナ・ルチア・リヒターのソプラノ独唱/この曲のみエマニュエル・チェクナヴォリアンはヴィオラ)、『調べのように私を通り抜ける』と『子守歌』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
九段理江の『Schoolgirl』<文藝春秋>を読了する。
表題作もだけど、「カップリング」されている『悪い音楽』がまたいい。
ああ、面白かった!!
15時台に外出し、下京図書館へ。
借りていた本を返却し、予約しておいた坪内祐三の『本の雑誌の坪内祐三』<本の雑誌社>を新たに借りる。
その後、文具店のTAGで万年筆のインクカートリッジを購入し(先日、室町通のストアデポが4月中に閉店していたことを知る。がっくり)、京都芸術センターで用件を片付けたのち、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
帰宅後、YouTubeでヴァイオリンのヒラリー・ハーンとミッコ・フランク指揮フランス放送フィルが演奏したショーソンの詩曲、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番、ラウタヴァーラの2つのセレナード、ヴァイオリンのリチャード・トニェッティ&オーストラリア室内管弦楽団が演奏したグリーグの弦楽4重奏曲、2つの悲しき旋律、愛の歌、ホルベルク組曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『本の雑誌の坪内祐三』を読み始めたりする。
途中夕飯を挟み、YouTubeの東映関係の公式サイトで『ベルサイユのトラック姐ちゃん』第18話「京都の恋に裸はぬれる」の拾い観をする。
前回の奈良に続いて、今回は京都が舞台。
で、この回に関して、出演者の殿山泰司が当方の愛読書『JAMJAM日記』<ちくま文庫>で何度か触れている。
トノさん殿山泰司は「祇園の芸者にうつつをぬかしている土建屋の社長の役」だが、わざわざ京都まで足を運んだものの「台本に手をいれたらトノさんの京都ロケはなくなりました、どうぞお帰りください、すいません」と言われて、「ハメットが読めるがな。ダシール・ハメット万歳!!」と帰りの新幹線に乗る。
と、言うことは、料亭のシーンなどは東映大泉で撮影されたものか。
それと、「オレのオンナを横取りしやがった谷隼人を子分と一緒にいびっていると、どこからともなく突如として現れた浜木綿子・木原光知子・田坂都・マッハ文朱という姐ちゃんたちに、反対にキイキイといびられるというシーンを撮る。仕事と関係なく密室でいびられてみたいナア、ヒヒヒヒ」とあるが、実際にいびられているのは佐藤京一らが演じる子分で、殿山泰司自身は直接いびられていない。
あとオープンセットでの撮影中、自衛隊のヘリコプターの音に撮影が中断される流れで、殿山泰司は「その国住む人間が、その国が守るに価する国だと信じれば、武器なんかなくても守れるものだとオレは信じてるんだけどね。ちがいますかね?国家なんかどうでもいいと思ってるのに、こんな発言をするのはオカシイな、ヒヒヒヒ」という至極真っ当な言葉を記している。
夕飯後、YouTubeでニコラ・シモン指揮カーン管弦楽団が演奏したエルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(ホフマン物語のホフマン)の交響曲変ホ長調、レオン・ボッツタイン指揮アメリカ交響楽団が演奏したスタンフォードの交響曲第3番(第3楽章にブラームスの交響曲第4番第2楽章冒頭そっくりのメロディーが出てくる。アイルランド民謡らしいけど、ブラームスの影響著しいスタンフォードゆえ、当然意識していたのではないか)、スークの幻想的スケルツォ、サリヴァンの舞踏会で、フローラン・シュミットの幽霊屋敷、鈴木優人指揮バッハ・コレギウム・バッハが演奏したモーツァルトの交響曲第39番、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団が演奏したドヴォルザークの交響曲第8番と第9番「新世界より」、プロコフィエフの古典交響曲、トーマス・ダウスゴー指揮スウェーデン室内管弦楽団が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第1番、加川良が歌った教訓1、ピート・シーガーが歌った腰まで泥まみれを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『本の雑誌の坪内祐三』を読み進めたりする。
坪内さんが司会で加わった週刊新潮の元編集長岩波剛と週刊文春の元編集長田中健五の対談を読んでいて、田中さんは今年の5月に亡くなったが、今年92歳になった岩波さんはご存命。
坪内さんの早世を想う。
今日は、甘いものは少しだけ食す。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。