2022年09月29日

これで53歳(CLACLA日記)

 晴天かと思ったら、どんよりとした感じが強くなる。
 ただし、雨は降らなかったのでほっとした。

 気温も下がる。
 季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。


 いろいろと疲れがたまっているなあ。


 元プロ野球西鉄ライオンズの投手、池永正明が亡くなった。76歳。
 西鉄を代表する投手だったが、1969年に野球賭博(八百長)がらみのいわゆる黒い霧事件で球界を追放され、2005年になってようやく処分が解かれた。
 深く、深く、深く黙禱。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時40分頃寝床に就く。


 7時少し前に起きて、YouTubeでヴァレリー・クレショフが弾いたピアノ編曲集『オマージュ・ホロヴィッツ』を聴いたりしながら朝の準備をすませたのち、8時18分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、終了後西院へ。
 京新ビルで玉田玉山講談勉強会を愉しむ。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 ああ、面白かった!!!

 終了後、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 夕飯後、YouTubeでクララ・ハスキルとカルロ・ゼッキ指揮ロンドン・フィルが演奏したベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、ハスキルが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」と第18番(1960年録音)、ヴァイオリンのアルテュール・グリュミオーとハスキルが演奏したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第3番、内田光子が弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第14番と第17番、シャーンドル・ヴェーグ指揮カメラータ・アカデミカ・モーツァルテウム・ザルツブルクが演奏したモーツァルトのセレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」と第6番「セレナータ・ノットゥルナ」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、坪内祐三の『玉電松原物語』<新潮社>を読み進めたりする。


 今日は、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 仕事先のお昼休み、同僚の前で弁当のお箸を指揮棒に見立てて指揮の真似をして踊り狂っていたら膝を少し捻って傷めてしまった。
 これで53歳。
 救いようのない馬鹿である。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

玉田玉山講談勉強会

☆玉田玉山講談勉強会

(2022年9月29日19時開演/京都西院・京新ビル3F)


 かつて大好きな京都小劇場の演者の一人に、丸山交通公園がいた。
 自ら率いる友達図鑑や劇団員だった月面クロワッサンもそうだが、彼の本領発揮といえばやっぱり丸山交通公園ワンマンショーだろう。
 本当に足繁く通ったものだ。
 だけど、彼が四代目玉田玉秀斎に入門し、講談師玉田玉山となってからは、コロナだのなんだのあってなかなか接する機会を得ず、先日の第30次笑の内閣『なんであんたはんは市会議員になれへんのか』でようやく久しぶりの「再会」を果たした。
 その丸山交通公園改め玉田玉山が、京都西院で初の講談勉強会を開くというので迷わず足を運んだ。
 会場は、前はウエストコートといったんじゃなかったっけ、今はアイハートというスーパーが1階に入る京新ビルの3階奥の部屋。
 ワンマンショーの会場を少し広くしてよりディープにした、という説明じゃわかりにくいかな、小ぶりな学習塾の教室といった趣の部屋だった。

 で、初の勉強会となる今夜は古典と彼自身のエピソードを講談に仕立てた玉田玉山物語が読まれていた。
 古典のほうは、『般若寺の焼き討ち』。
 大坂の陣の折、奈良の般若寺に滞在中の徳川家康が、真田幸村の謀略によって寺を爆破され、命からがら逃げのびるといった内容。
 武将と武将、武士と武士の激突を流れよくメリハリをつけて読むいわゆる修羅場では、玉田玉山のこの間の研鑽がよく表れていた。
 一方、台詞の部分では彼の演者としての経験(に古い邦画好きも加えていいか)も巧く活かされていたように思う。
 そして、この『般若寺の焼き討ち』の前後は、なんと140を数えるという玉田玉山物語の中から家族のエピソード、それから修業中のエピソードが読まれた。
 こうした自分語りはワンマンショー時代も得意中の得意だったけれど、「我流では限界がある、後ろ盾となるものが必要」という自覚の中で選んだ講談の藝が大きな力となってより構成が堅固になり、要所急所のツボも明確に押さえられるようになっていた。
 とともに、講談の独特の語り口も笑いに厚みを加えていたのではないか。
 いずれにしても、今後の玉田玉山の研鑽と活躍を心から願うに相応しい足を運んで大正解の勉強会だった。
 ああ、面白かった!!!
posted by figarok492na at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 落語・ネオ落語記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする