2022年09月17日

台風が近づいている(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気へ。
 台風14号が近づいている。

 まだまだ暑い。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。


 気圧と湿度のダブルパンチ!!
 いろいろと重たし。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!
 安倍晋三元総理の国葬にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、作業を進めたのち、3時過ぎに寝床に就く。


 9時台に起きる。

 10時過ぎに外出し、買い物をすませて帰宅する。

 帰宅後、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』、YouTubeでマリオ・ヴェンツァゴ指揮ベルン交響楽団が演奏したオネゲルの交響的運動第2番『ラグビー』、ダニエーレ・ルスティオーニ指揮アルスター管弦楽団が演奏したブルーサの交響曲第2番とシンプリー・ラルゴを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、坪内祐三の『テレビもあるでよ』<河出書房新社>を読み進めたりする。


 午後、仕事関係の予定をすませる。


 その後、YouTubeでジョン・ウィリアムズ指揮ボストン・ポップス他が演奏したプロコフィエフの交響的物語『ピーターと狼』とチャイコフスキーのバレエ音楽『くるみ割り人形』組曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、作品の加筆作業を進めたり、『テレビもあるでよ』を読み進めたりする。


 17時に外出し、THEATRE E9 KYOTOへ。
 第30次笑の内閣『なんであんたはんは市会議員になれへんのか』を愉しむ。
 詳しくは、前回の観劇参考記録をご参照のほど。

 で、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。

 途中少し降ったようだが、行き帰りは雨でなかったので助かった。


 遅めの夕飯後、YouTubeでバリトンのマティアス・ゲルネがクリストフ・エッシェンバッハのピアノ伴奏で歌ったシューベルトの歌曲集『美しき水車小屋の娘』、ハヴィエル・ペリアネスが弾いたシューベルトの4つの即興曲D.899と3つの小品、ユーリ・アーロノヴィチ指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団が演奏したブルックナーの交響曲第7番、ニコライ・コッペルが弾いたニールセンの5つの小品と3つのピアノのための小品を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、『テレビもあるでよ』を読み進めたりする。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第30次笑の内閣『なんであんたはんは市会議員になれへんのか』

☆第30次笑の内閣『なんであんたはんは市会議員になれへんのか』

 作・演出:高間響
(2022年9月17日18時開演の回/THEATRE E9 KYOTO)


 昨年7月の第29次笑の内閣『マクラDEリア王』以来、1年以上ぶりの観劇である。
 ただし、自分自身舞台上の美術(選挙の「ため書き」)に写真出演している上に、服用している薬のせいで1時間以上観劇できない状態のため途中退座した部分があることもあり、今回の感想はあくまで参考記録であることを最初に断っておきたい。

 助駒市中央区にある寄席三十三堂亭が存続の危機を迎えた。
 そんな中、芸人たちが考え付いたのは、次期市会議員選挙に自分たちの三十三堂亭を護るべき存在を立候補させること。
 そして、かつて三十三堂亭で活躍し、今は東京を活動拠点とする漫談家漫画武郎こと、龍池裕士に白羽の矢が立った。

 といった筋書きを初めに目にしたとき、市会議員選挙開票の日に高間響とともに最後まで選挙事務所に残った一人(ほかに山野博生君もいた)として、家庭的個人的あれこれを経て、ようやく彼も自分の選挙戦を創作化することができたかと感慨を覚えたものだ。
 そう、この『なんであんたはんは市会議員になれへんのか』は、高間君の作品の中で最近とみに色濃くなってきた「私戯曲」的性格が一層強く反映した内容となっている。
 むろんそこは、喜劇の書き手という矜持に加え、今後の展望へのふくみもあってだろう、演劇から演芸へ舞台を移すばかりでなく、高間君の投影である龍池裕士をはじめとした登場人物の造形や、さらには劇団員である髭だるマンや由良真介の役の与え方など様々なバランスもとられてはいるのだが。

 作品自体、ここ数年の高間君の変化がよく示されており、ときにはっとさせられるような見せ場聞かせ場があった反面、シラスでのラジオドラマの放送という構成もあってか、核となるものが詰まり切っていない物足りなさを感じたことも否定できない。
 後述講談で自虐的に語っていた玉田玉山の大声張り声は藝のうちとして、あの飯坂美鶴妃や松田裕一郎その他が大劇場並の大きな声で喧しかったのは、そういった詰まり切らない部分を熱量で押し切ろうとしているんじゃないかとすら僕には思われて仕方なかった。
(3回目の上演回、実況中継の回ということも考慮に入れなければなるまいけれど)
 これが昔の笑の内閣のぐだぐだ上等(誉め言葉でもある)の演者陣ならまだしも、真面目に本寸法の芝居を心がけているだけに、戯曲と演者、演出と演者、演者どうしの齟齬が目立ってしまったのかもしれない。
 その意味で、ガチンコとプロレスのあわいにある高間君のぐだった演技が僕には一番おかしかった。

 当夜の白眉はアフターイベントのミニ寄席。
 トップバッターBANRIの歌謡ショーでは、彼女が自分の自己顕示欲を意識的に外向けに発していることがよくわかった。
 実は、彼女のことをちょっとちゃんみお楠海緒さんみたいな人かと思っていたのだ。
 楠さんの場合は、自己顕示欲を秘めようとするがそうならず、その反動が内側(自分の内面と舞台裏)に向かっていた気がする。
 そして、頓服亭座薬こと松田さんの落語『酒の粕』、焼酎亭ロックこと谷屋俊輔の落語『ぜんざい公社』を挟んだ圧巻は、玉田玉山の講談『玉田玉山物語〜高間響との戦い〜』。
 かつての丸山交通公園としての体験とプロの講談師玉田玉山としての研鑽が重なり合って、心底愉しくおかしくわくわくする出し物になっていた。
 ああ、面白かった!!!

 そうそう、他に高瀬川すてらと宗岡茉侑が耳なじみのよい声を聞かせてくれていたのも嬉しかった。
(宗岡さんがナレーションの中で京都三条会商店街のお店を「ケーキのあっくん」と呼んでいたようだが、「ケーキとあっくん」が本来のお店の名前なので、もしそう呼んでいたら高間君あたり、一言訂正を入れておいたほうがよいと思う)
posted by figarok492na at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする