2022年05月10日

野島稔が亡くなった(CLACLA日記)

 朝は晴れていたのに、どんどんどんよりとした感じが増す。
 明日は雨らしい。

 気温は上がったか。
 季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。


 身体、重たし。


 ピアニストの野島稔が亡くなった。76歳。
 横須賀の出身で、桐朋学園大学で学んだのちモスクワ音楽院に留学。
 ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで2位となり、国内外で活躍した。
 リストやラヴェルのアルバムも遺している。
 一方、後進の指導にも積極的で東京音楽大学の学長でもあった。
 野島さんの実演には、二度接したことがある。
 一度目は1985年9月15日、諫早文化会館での東京フィルのコンサート(文化庁移動芸術祭)。
 開演前ロビーで、東フィルのベテラン奏者の「(何かの)ギャラが出ない」という嘆きを耳にしてどよんとなったあとに聴いたラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲の野島さんのソロ、特に有名な第18変奏が実に美しかった記憶がある。
 二度目は1999年6月6日、ザ・シンフォニーホールでのソロ・リサイタル。
 当時とても親しくしていた女友だちと行った演奏会で、確か得意のリストがプログラムされていたように思う。
 ザ・シンフォニーホールの2階真正面奥の席だったので野島さんの表情はよく見えなかったけれど、そのテクニカルでクリアなピアノの音はしっかりと届いた。
 予想以上に感動し、女友だちと「よかったね」と言い合ったものだ。
 深く、深く、深く、深く黙禱。


 戦争反対!
 火事場泥棒にも反対!
 改憲にも反対!

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時55分に寝床に就く。


 7時過ぎに起きて、YouTubeでジャン・マルティノン指揮ロンドン・フィルが演奏したオッフェンバックらフランスのオペラ・オペレッタの序曲集を聴いたりしながら朝の準備をすませたのち、8時21分に外出する。


 で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 夕飯後、YouTubeでロベルト・トレヴィーノ指揮バスク国立管弦楽団が演奏したバーンスタインの『ウエスト・サイド・ストーリー』からシンフォニック・ダンスと交響曲第2番「不安の時代」(ユリアンナ・アヴデーエワのピアノ独奏)、野島稔が弾いたリストのラ・カンパネラと鬼火、メフィスト・ワルツ第1番と夕べの調べ、ジョン・マクローリン・ウィリアムズ指揮ウクライナ国立交響楽団が演奏したカーペンターの交響曲第2番と乳母車の冒険、テオドレ・クチャル指揮ウクライナ国立交響楽団が演奏したロイ・ハリスの交響曲第7番、勇気あるJ.F.K.へのエピローグ、交響曲第9番、ジョン・ネシェリング指揮サンパウロ交響楽団が演奏したベートーヴェンの『献堂式』序曲を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、竹内貴久雄の『クラシック幻盤偏執譜』<ヤマハ>を読み進めたりする。


 今日も、仕事先でいただいたお菓子を食す。
 実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする