今日から3月。
一日一日を本当に大切にして、自らが為したいこと為すべきことをしっかり為していく。
そして、死を絶対に忘れないこと。
雨降り。
どんよりとしたお天気の一日。
気温は上昇するも、じめじめとして快ならず。
皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
戦争反対。
ウクライナとロシアの停戦協議は継続ということになったが。
核の使用をちらつかせるプーチンに怒りを覚える。
そして、尻馬に乗ろうとする日本の馬鹿おろかどもにも怒りを覚える。
自民党内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、日付が変わる直前に寝床に就く。
5時過ぎに目が醒め、いろいろと考えごとをしていて寝直せず。
6時台に起きて、YouTubeで竹本泰蔵指揮日本フィルが演奏した日本映画音楽集(日本映画音楽の巨匠たち シンフォニック・フィルム・スペクタキュラー 12)を聴いたりしながら朝の準備をすませたのち、8時19分に外出する。
竹本泰蔵が指揮した日本フィルは確かにシンフォニックな響きを出しているが、アレンジのせいか、演奏のせいか、映像がないせいか、正直甘過ぎるというか、薄っぺらいというか、安っぽいというか、今どきの映画やドラマのための音楽に聴こえてしまうようなものもあった。
例えば、『赤ひげ』なんて特にそう。
黒澤明監督の映画によくそった音楽の持つ重厚さや厳粛さがちっとも感じられない。
三船敏郎ではなく船越英一郎の赤ひげにぴったりなんて言ったら失礼かな。
で、夕方まで仕事に勤しみ、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
憂さ晴らしもあってシードルを買って夕飯のときに飲んだんだけど、いやあこの程度ではちっともアルコールを飲んだ気にならない。
美味しかったとはいえ。
夕飯後、YouTubeでニコラス・ウォード指揮ノーザン室内管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第1番と第2番、ルーン・バーグマン指揮カルガリー・フィルが演奏したリヒャルト・シュトラウスの楽劇『ばらの騎士』組曲と4つの最後の歌(ルネ・フレミングのソプラノ独唱)、ラルス・フォークト指揮ビルバオ交響楽団が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第21番(フォークト自身の独奏)とベートーヴェンの交響曲第6番「田園」、ダニエル・バレンボイムが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第4番、ジョージナ・ゼラン・スミスが弾いたベートーヴェンのゴッド・セイヴ・ザ・キングの主題による変奏曲、ハインツ・ホリガー指揮ケルンWDR交響楽団が演奏したシューベルトの9重奏曲D.79、モーザーの響きの部屋(D.79による)、ホリガーの呼吸の弓、フォルテピアノのアレクサンドル・メルニコフが弾いたベルリオーズの幻想交響曲、ジュリアン・ラクリン指揮ワルシャワ・フィルが演奏したマキシム・ベレゾフスキーの交響曲ハ長調、ソプラノのドロテー・ミルズがトビアス・コッホのフォルテピアノ/クラヴィコード伴奏で歌ったカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの声楽曲とコッホが弾いた鍵盤楽器のための作品、バリトンのゲオルク・ニグルがオルガ・パシチェンコのフォルテピアノ伴奏で歌ったシューベルトの鳩の便りを聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、3月の創作について考えたのち過去の作品を読み返したり、新しい作品を書き進めたり、古川緑波の『ロッパ食談』<河出文庫>を読み進めたりする。
今日も、仕事先でいただいたお菓子を食す。
実に美味しうございました。
ごちそうさま!
いろいろ切り換えていかないと。
そして、諦めないこと。
人生は一回きりだ。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。