作家の西村賢太が亡くなったことをTwitterで知る。
移動中のタクシーで意識を失い病院に搬送されたが、そのまま亡くなったという。
まだ54歳。
自分より僅か2歳年上ということもあり、本当にショックである。
西村さんの生き方、考え方にはいろいろと想うことがあって、たぶん直接会ったら心の底では相容れぬだろうなと思いつつ、自分自身のもろもろをあるときは露悪的に、あるときは抒情的に作品として表した様はまさしく文藝、それもとびきりの文「藝」であると感じてもいた。
特にここのところ、試行錯誤とは違うか、作品に新たな展開が見え始めていたときだっただけに、非常に残念でならない。
70を過ぎた彼が書いた作品を愉しみにしていたのに。
深く、深く、深く、深く黙禱。
(まさか西村さんが筒井康隆より早く亡くなるとは思っていなかった)
晴天。
寒さが厳しい。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
自民党内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、KBS京都で霜降り明星のオールナイトニッポン、三四郎のオールナイトニッポンゼロを聴いたりしながら作業を進めたのち、3時40分過ぎに寝床に就く。
9時台に起きる。
午前中、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』、YouTubeでベンジャミン・レヴィ指揮カンヌ国立管弦楽団が演奏したロッシーニの歌劇『どろぼうかささぎ』序曲とベートーヴェンの交響曲第4番、yleでニコラス・コロン指揮フィンランド放送交響楽団が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、松田青子の『持続可能な魂の利用』<中央公論新社>を読み進めたりする。
午後、YouTubeでテノールのパヴォル・ブレスリクがパトリック・ランゲ指揮ミュンヘン放送管弦楽団の伴奏で歌ったモーツァルトのアリア集(ヨセ・ヴァン・ダムも助演。一部の曲を除く)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
ブレスリクは、これぞまさしくモーツァルトのテナーと呼びたくなるような軽みと美しさに満ちた歌声。
ちょっぴり硬さを感じなくもないけれど、例えばドン・オッターヴィオのアリアでの「モルテミダ」の情感の込め方なんて二重の意味で「ヤバい」。
15時少し前に外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
まずお米10キロを買ったので、いったん部屋にそれを置いてから別の買い物をすませた。
帰宅後、YouTubeでヴァシリー・ペトレンコ指揮スヴェトラーノフ記念ロシア国立交響楽団が演奏したスメタナの歌劇『売られた花嫁』序曲、ドヴォルザークのチェロ協奏曲(ミッシャ・マイスキーの独奏)、エルガーの交響曲第2番他、yleでアンドルー・マンゼ指揮フィンランド放送交響楽団が演奏したラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(フランチェスコ・ピエモンテージの独奏)、シベリウスの組曲『恋人』、ラヴェルのバレエ音楽『マ・メール・ロワ』を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『持続可能な魂の利用』を読み進めたりする。
途中夕飯を挟み、yleでスザンナ・マルッキ指揮ヘルシンキ・フィルが演奏したシベリウスの交響詩『タピオラ』とチャイコフスキーの交響曲第4番を聴く。
夕飯後、YouTubeでマリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第9番、ロビン・ティチアーティ指揮スコットランド室内管弦楽団が演奏したシューマンの交響曲第2番と第3番「ライン」、松本宗利音指揮名古屋フィルが演奏したモーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』序曲とセレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」から第1楽章、ビゼーの劇音楽『アルルの女』組曲第2番からファランドールと歌劇『カルメン』組曲から闘牛士、ヨハン・シュトラウスU世のポルカ『雷鳴と電光』、チャイコフスキーのバレエ音楽『くるみ割り人形』から花のワルツ、ディーナ・ウゴルスカヤが弾いたウストヴォーリスカヤのピアノ・ソナタ第5番を聴いたりしながら仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、『持続可能な魂の利用』を読み進めたりする。
今日も、甘いものは少しだけ食す。
なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。