2021年02月26日

その後のCLACLA日記(CLACLA日記・下)

 『病院坂の首縊りの家』のDVDを観たあと外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅する。


 帰宅後、YouTubeでロリアンヌ・コルネイユが弾いたリスト編曲によるシューマンの献呈、クラリネットのフローラン・エオとヴォーチェ・カルテット他が演奏したブラームスのクラリネット3重奏曲とクラリネット5重奏曲、アンタル・ドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカが演奏したハイドンの交響曲第22番「哲学者」〜第25番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、多和田葉子の『星に仄めかされて』<講談社>を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、ABCラジオの『伊藤史隆のラジオノオト』を聴く。
 正直、今シーズンのこの番組はあんまり面白くない。
 誰に評価されたいものやら。


 夕飯後、YouTubeで曽我大介指揮東京ニューシティ管弦楽団が演奏した伊福部昭のシンフォニア・タプカーラ(2020年9月27日、東京芸術劇場コンサートホール/第133回定期演奏会)、太田弦指揮神奈川フィルが演奏したチャイコフスキーの幻想序曲『ロメオとジュリエット』(同年9月12日、クアーズテック秦野カルチャーホール)、アレクサンドル・メルニコフが弾いたショスタコーヴィチの24の前奏曲とフーガを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『星に仄めかされて』を読み進めたりする。


 今日は、西友・みなさまのお墨付き・おいしさと糖質を考えたシュークリームを食す。
 近くの西友で、税抜71円に値下げされていたもの。
 甘さ控えめで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:35| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『病院坂の首縊りの家』を観た(CLACLA日記・上)

 昨夜から今朝にかけて雨。
 その後は止むも、どんよりとした感じが続く。

 気温も上昇せず、寒さを感じる。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。


 気圧と湿度と花粉のトリプルパンチ。
 やれやれ。


 山田真貴子内閣広報官隠しだろう。
 大阪府京都府兵庫県などの緊急事態宣言の先行解除について、菅総理大臣は会見を見送るという。
 恥ずかしいかぎり。
 それを許すマスコミやら何やらを含めて。

 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、KBS京都でナインティナインのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、3時40分過ぎに寝床に就く。


 朝からいくつか予定をすませる。

 その後、KBS京都の『妹尾和夫のパラダイスkyoto』、YouTubeでテノールのマイケル・ファビアーノがエンリケ・マッツォーラ指揮ロンドン・フィルの伴奏で歌ったヴェルディとドニゼッティのオペラのアリアを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、多和田葉子の『星に仄めかされて』<講談社>を読み進めたりする。


 午後、ABCラジオの『兵動大樹のほわ〜っとエエ感じ。』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 急遽予定がなくなったため、市川崑監督の『病院坂の首縊りの家』のDVDを確認のために観出したら、ついつい最後まで観てしまった。
 横溝正史が最晩年に完成させた長篇小説(その他の作品同様、京極夏彦に大きな影響を与えているはず)を映画化したものだが、解決までに20年もの歳月が必要とされる原作と違って、映画では昭和26年の短い時期に起こった事件という設定となっている。
 『犬神家の一族』を皮切りとする一連のシリーズであの手この手を使い尽くしたあとの最終作だけに、当然苦心惨憺のあとも随所に観受けらる一方、市川崑という人の特性特質はそういった部分も含めて色濃く出ている作品かもしれない。
 何よりもまず感心したのは、佐久間良子という人の美しさ。
 正直、ずっと好みの俳優さんではなかったのだけれど、今回彼女の演技、表情を観て、この人が長年映画女優として評価されてきたことが大いに納得できた。
 それと、一人二役を演じた桜田淳子が『It's Only a Paper Moon』をとても達者に歌っていたことにも驚いた。
 のちのちあんなことにならなけりゃとつくづく思う。
 ほかに、哀愁悲嘆な面持ちの金田一耕助(もちろん石坂浩二)に比してコメディーリリーフを演じる草刈正雄の爽快さも印象に残るし、無法松の一生ばりの小林昭二の抑制の効いた演技も忘れ難い。
 そうそう、横溝正史夫妻が出演しているのが実に嬉しいんだった。
 あと、中井貴恵演じる女性の名前が「さた(佐田)」!
 それにしても、設定の変更やシリーズ最終作といった物理的な問題はひとまず置いて、市川崑という人はやっぱり歪というか一筋縄ではいかないというか。
 久富惟晴演じる人物のマチズモ、男根主義者的性質を漫画的というか根性物のドラマというか、いずれにしてもわざとらしく描いた上に、佐久間良子はまだしも晩年の入江たか子にまで若作りをさせるという過剰さ。
 『犬神家の一族』での松子竹子梅子三姉妹や、『女王蜂』の仲代達矢(詰襟の学生服)と岸恵子をすぐに思い出してしまった。
 加藤武、小沢栄太郎、大滝秀治、三条美紀、草笛光子、三木のり平、三谷昇らおなじみの面々に、あおい輝彦、萩尾みどり、清水綋治、岡本信人、白石加代子、ピーター、河原さぶ(河原裕昌)、林ゆたか、常田富士男らも出演。


 しかしながら、『病院坂の首縊りの家』の原作なども含め、小学校2年か3年の頃から横溝正史の小説を読みふけっていたというのに、結局谷崎潤一郎譲りの耽美性や悪魔性になびくことなく、金田一耕助が口にする「あっはっは」という笑い声が象徴するような奇妙さおかしさや、映画での加藤武らのすっとこどっこいさのほうに寄ってしまったあたりが、中瀬宏之の中瀬宏之たる所以であるなあ。
posted by figarok492na at 19:49| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする