2021年02月11日

森たけしのスカタンラジオがなかなか面白かった(続きのCLACLA日記)

 『帰って来たヨッパライ』を観たあと、YouTubeでバリトンのマティアス・ゲルネがアンドレアス・ヘフリガーのピアノ伴奏で歌ったシューベルトの夕映えの中でD.799、さすらい人D.493、夜咲きすみれD.752、森にてD.834、ノルマンの歌D.846、精霊の踊りD.116、宝堀り人の願いD.761、月に寄せてD.259、魔王D.328、湖のほとりでD.746、アリンデD.904、反映D.949、鱒D.550、流れD.693、夕焼けD.690、嘆きD.415、川D.565、漁夫の歌D.881、ルックの丘にてD.853、イアン・ホブソン指揮シンフォニア・ヴァルソヴィアが演奏したマルティヌーのスケルツォの形式による前奏曲、大管弦楽のための作品、村の祝宴、夜想曲、小さな舞踏組曲を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり、久保田哲の『明治十四年の政変』<集英社インターナショナル新書>を読み進めたりする。
 ゲルネとヘフリガーのシューベルトはDECCAレーベルのCDが手元にあるが、今日聴いたのはHMF音源のもの。
 表情がさらに豊かさを増している。
 マルティヌーは機智に富んだ音楽で、聴いていて実に愉しい。


 北野武の『浅草迄』<河出書房新社>を読了する。
 面白くって、ついつい読み進め、読み終えてしまった。
 文学なんて何も知らずに書いているのではなく、いろいろと知っているけど、結局自分にはこれしかないと決めた上でこう書いているような潔さも感じる。


 途中夕飯を挟み、MBSラジオの『森たけしのスカタンラジオ』を聴く。
 今日初めて聞いたが、特に古いレコードを聴くコーナーが面白かった。
 元読売テレビといえば御用御用の辛抱ならない人物がABCラジオで重用されているけれど、僕は断然森たけし支持だ。


 夕飯後、YouTubeでベルトラン・シャマユが弾いたシューベルトの連禱(リスト編曲)、美しき水車小屋の娘から「水車職人と小川」(同)、12のドイツ舞曲D.790、アレグレット ハ短調D. 915、レントラーD.366-12、3つの小品D. 946、クーペルヴィーザー・ワルツ(リヒャルト・シュトラウス補作)、水の上にて歌う(リスト編曲)、ペーター・ルジツカ指揮北ドイツ放送交響楽団が演奏した自作のフォアエコー、ナッハクラング、G.Sのための追憶、夜の小品、シモーネ・ヤング指揮ハンブルク州立フィルが演奏したブルックナーの交響曲第1番、アレクサンドル・トラーゼとゲオルゲ・ヴァチナーゼが演奏したショスタコーヴィチの2台のピアノのためのコンチェルティーノを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、新しい作品を書き進めたり『明治十四年の政変』を読み進めたりする。


 今日は、ゴーフレットクランチミルクチョコを食す。
 近くのダイソーで購入したもの。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:26| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鴨下信一と『帰って来たヨッパライ』と小林信彦(CLACLA日記)

 今日も晴天なり。

 気温も上昇する。
 季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪やインフルエンザにもお気をつけのほど。


 体調、今一つ。
 身体が重たい。


 テレビプロデューサーで演出家、文筆家でもあった鴨下信一が亡くなった。85歳。
 東京の生まれで、東京大学文学部美学科を卒業後、ラジオ東京(現在のTBS)に入社する。
 「ドラマのTBS」を代表する演出家の一人で、『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』などテレビ史に残る作品の演出を手掛けた。
 また、白石加代子の朗読シリーズの演出でも知られた。
 一方、大の読書家でもあり、著書も少なくなかった。
 そうそう、鴨下さんといえば、TBSで放映されていた『植木等ショー』での共同作業について、小林信彦が『テレビの黄金時代』<文春文庫>で詳しく触れていたのだ。
 二人の出会いが早世した作家の山川方夫の家であり、「一晩、<世の中でもっとも変な小説は何か?>という話をして盛り上がっ」たという辺りに鴨下さんの読書家の片鱗(全鱗?)が現れている。
 深く、深く、深く、深く黙禱。


 森喜朗がようやく辞意を示したという。
 が、後任は森元総理よりも年上でしかも差別思想を平然とあらわにしている川淵三郎が有力視されているらしい。
 どうにもこうにも。


 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、作業を進めたのち2時半過ぎに寝床に就く。


 朝からいくつか連絡作業をすませる。

 その後、YouTubeでソプラノのアンナ・ネトレプコがジャナンドレア・ノセダ指揮トリノ王立歌劇場管弦楽団の伴奏で歌ったヴェルディの歌劇『マクベス』から「勝利の日に私は出会った」、「来たれ、急いで」、「地獄の使いどもよ」、「日の光が薄らいで」、「消えてしまえ、このしみよ」、歌劇『ジョヴァンナ・ダルコ』から「ここに、ここに!」、「おお予言の森よ」、歌劇『シチリア島の夕べの祈り』から「アリーゴ、ああ、心に語れ」、「ありがとう愛する友よ」、歌劇『ドン・カルロ』から「世の空しさを知る神」、歌劇『イル・トロヴァトーレ』から「もういいわ」、「恋は薔薇色の翼に乗って」、「ミゼレーレ、主よ憐れみたまえ」、「私よりも、あなたを強く愛している者が」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 11時台に外出し、京都駅近くのヨドバシカメラ・マルチメディア京都へ。
 シェーバーの部品がだめになってしまったため。
 が、部品の到着まで時間がかかる上に料金も新しいものを買うのと大きな違いがないことがわかり、結局新しいものを買ってしまう。
 それにしても、保証期間が終わってしばらくしてから物がだめになるとは、パナソニックはんもええ商売してはりまんなあ。
 そして、先日観た田坂具隆監督の『スクラップ集団』のことをすぐに思い出す。


 帰宅後、大島渚監督の『帰って来たヨッパライ』(1968年/松竹・創造社)のDVDを観る。
 ザ・フォーク・クルセダーズのヒット曲を下敷きにした、フォークル三人が出演したスラプスティック・コメディ。
 なんて具合にはもちろんいかない。
 徹頭徹尾大島渚作品、とでも呼びたくなるような直截な主題と展開と試行による映画であり、大島渚に真正面から人差し指を突き刺されているような感じがする。
(実際、大島渚自身が出演しているのだ)
 若き日の緑魔子に、佐藤慶、渡辺文雄、小松方正、そして殿山泰司(大活躍!)のいつもの面々の出演が嬉しい。
 音楽は林光さん。
 あと、フォークルの面々は正直棒読みで巧くない。
 でも、中途半端に演技をかじった人間の自分はわかってます感全開の臭みに比べれば、よっぽど好きだ。
 僕自身の反省でもあるが、魅力的な演技、面白い演技、心を打つ演技というのは、一流超一流の玄人のものか、さらっさらの素人のものかのいずれではないのか。
 中途半端が一番辛いしつまらない。
 けれど、玄人になるのも、何度演技を重ねてもさらっさらの素人でいるのも、いずれも非常に難しいのだ。
 そして、韓国人の学生を演じた車大善の表情がどうにも忘れ難い。
 ちなみに、この作品の併映作は小林信彦が脚本を書いた、前田陽一監督の『進めジャガーズ!敵前上陸』。
 『映画を夢みて』<ちくま文庫>所収の「和製B級映画はどう作られるか」の中で、
>ぎりぎりで、大島渚の『帰ってきたヨッパライ』のそえ物になることに決った。
 私は、むろん、『帰ってきたヨッパライ』の内容を知らなかったが、この組合わせはまずいと思った。
と記している。
 大島渚映画のファン層と、私どもの娯楽映画は、水と油であるからだ<
(補足しておくと、小林信彦は大島渚と親しく、大島監督の『白昼の通り魔』にも出演している)


 長くなるので、ここでいったん終了。
posted by figarok492na at 22:00| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする