2020年11月03日

文化の日(CLACLA日記)

 文化の日。
 世は休日なり。


 青空は見えたが、どんよりとした感じも強い。

 気温はそれほど上昇せず。
 過ごしやすし。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
 新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
 風邪にもお気をつけのほど。


 体調、今一つ。
 両耳の不調も続く。


 自民党内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、2時過ぎに寝床に就く。


 9時20分に起きてささっと準備をすませて外出し、下京図書館へ。
 木下聡の『斎藤氏四代』<ミネルヴァ書房>と中島さなえの『あふれる家』<朝日新聞出版>を返却し、予約しておいた中島京子の『夢見る帝国図書館』<文藝春秋>と松井玲奈の『カモフラージュ』<集英社>、ピアノのレオン・フライシャー他が演奏したコルンゴルトの組曲とフランツ・シュミットのピアノ5重奏曲<SONY>、ウラディーミル・ユロフスキ指揮ロシア国立アカデミー管弦楽団が演奏したプロコフィエフの交響曲第2番と第3番<PENTATONE>を新たに借りる。


 帰宅後、早速レオン・フライシャーのCDを聴く。
 先ごろ亡くなったレオン・フライシャーは右手の故障のため、長年左手のみでの演奏活動を余儀なくされていたが、このCDはその左手のみの活動の終わり頃に録音されており、カップリングの二曲ともに、隻腕のピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインのために書かれたものである。
 洗練と機智のコルンゴルト、濃密な官能性の漂うフランツ・シュミット、いずれも後期ロマン派流儀の美しい音楽だが、フライシャーはそれに耽溺することなく演奏を行っている。
 また、ヴァイオリンのシルヴァースタインにラレード、チェロのヨーヨー・マといった弦楽器陣も達者な演奏を聴かせる。

 午前中、仕事関係の作業を進めたり、『夢見る帝国図書館』を読み進めたりする。


 午後、ABCラジオの『森脇健児のケンケン・ゴウゴウ』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。

 その後、ユロフスキが指揮したプロコフィエフの交響曲を聴く。
 録音の加減もあってか、特に第2番の冒頭など、なだか野暮たい感じがした。
 まあ、曲自体、バーバリズムの象徴のようなものなんだけど。

 休日ゆえ、近所の四条大宮プロジェクトや四条堀川計画の工事がお休みなので、いやあ静かだなあと喜んでいたら、四条通に面しているしもた屋のボロ家の工事がキュインキュインギインギインとやたらと喧しい。
 己の都合を優先させるのが、しもた屋のボロ家らしい。
 大馬鹿者が。
 施工主と担当の工務店の経営者が、三年以内に筆舌に尽くし難い不幸に陥らないか非常に心配である。

 15時半過ぎに再び外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、YouTubeでトマーシュ・ネトピル指揮プラハ放送交響楽団が演奏したヤナーチェクの歌劇『イェヌーファ』組曲、歌劇『カーチャ・カバノヴァー』組曲、歌劇『運命』組曲を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『妻夫木夫妻と生方氏』を書き進めたり、『夢見る帝国図書館』と上沼八郎の『伊沢修二』<吉川弘文館>を読み進めたりする。


 夕飯後、YouTubeでジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レヴォリュショネール・エ・ロマンティークが演奏したベートーヴェンの交響曲第7番、クラウス・テンシュテット指揮南西ドイツ放送交響楽団が演奏したハイドンの交響曲第64番、ABCラジオの『よなよな…火曜日』、アレグリ・カルテットが演奏したテュイレの弦楽4重奏曲第1番、四重奏断章、弦楽4重奏曲第2番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『夢見る帝国図書館』を読み進めたりする。
 ガーディナーのベートーヴェンの交響曲第7番は、舞踏の神化というこの曲への評を体現するかのような演奏。
 歯切れがよくって活きがよい。
 一転、テンシュテットのハイドンはゆっくりとしたテンポをとりつつ、音楽の表情を豊かに変化させる。
 特に、第2楽章に魅かれた。
 そして、テュイレの弦楽4重奏曲の明晰な美しさ!
 これは、聴きものだ。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:05| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする