天皇誕生日。
いやさかいやさか。
どんよりとしつつも、青空も見えるお天気。
気温、それほど上昇せず。
肌寒い。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
風邪やインフルエンザ、新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。
花粉症が出始めている。
マスクがないのが辛い。
両耳の不調も続く。
俳優の勝田久が亡くなった。92歳。
鎌倉アカデミアの出身で、東宝演劇部からNHK東京放送劇団を経て、日本の声優の草分け的存在となる。
中でも、『鉄腕アトム』のお茶の水博士は生涯の持ち役となった。
また、後進の指導にも尽力した。
著書に、『昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち』<駒草出版>がある。
深く、深く、深く、深く黙禱。
安倍内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、DRでジョン・ウィルソン指揮DR交響楽団他が演奏したホルストの組曲『惑星』(2019年9月12日、コペンハーゲンDRコンサートホール)、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、2時少し前に寝床に就く。
9時台に起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
その後、BBC Radio3でカルロス・ミゲル・プリエト指揮BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団が演奏したベートーヴェンの歌劇『レオノーレ』序曲第3番とウォルトンの交響曲第1番(2020年2月9日、カーディフ・セント・デイヴィッズホール)、ABCラジオの『全力投球!!妹尾和夫ですサンデー』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『夜汽車にて』を書き進めたり、川田稔の『木戸幸一』<文春新書>を読み進めたりする。
午後、ストックホルム・フィルハーモニのサイトでアラン・ギルバート指揮ロイヤル・ストックホルム・フィル他が演奏したブーランジェの『ファウストとエレーネ』(2019年4月、ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニコンサートホール)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、北野武の『純、文学』<河出書房新社>と『木戸幸一』を読み進めたりする。
13時過ぎに外出し、THEATRE E9 KYOTOへ。
ルドルフvol.7『隕石の栞』(筒井加寿子さん脚本・演出)を愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
ああ、面白かった!!!
開演前終演後、関係各氏と挨拶をする。
で、終演後、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
帰宅後、BBC Radio3でマーク・エルダー指揮ハレ管弦楽団他が演奏したベートーヴェンの歌劇『レオノーレ』序曲第3番、劇音楽『アテネの廃墟』序曲、交響曲第9番「合唱付き」他(2020年1月30日、マンチェスター・ブリッジタワーホール)を聴いたりしながら、観劇記録をアップしたり、仕事関係の作業を進めたり、『木戸幸一』を読み進めたりする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』で尾高忠明指揮大阪フィルが演奏したブルックナーの交響曲第3番のライヴ録音(第534回定期演奏会/同年同月16日、フェスティバルホール)を聴く。
夕飯後、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』、ORFでラハフ・シャニ指揮ウィーン・フィル他が演奏したモーツァルトのフルートとハープのための協奏曲、シャニ自身の独奏によるピアノ協奏曲第27番、交響曲第40番(同年同月29日、ザルツブルク祝祭大劇場)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『純、文学』と『木戸幸一』を読み進めたりする。
今日は、サンドイッチビスケット(バニラ)を食す。
寺町の業務スーパーで購入したもの。
バニラクリームをサンドした硬めのビスケットで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2020年02月23日
ルドルフvol.7『隕石の栞』
☆ルドルフvol.7『隕石の栞』
脚本・演出:筒井加寿子
(2020年2月23日14時開演の回/THEATRE E9 KYOTO)
子供の頃から星を見るのが好きだ。
冬の風呂上がり、夜空の星を飽かずに眺めていて、何度風邪をひきかけたことだろうか。
それから年を経るごとに、宇宙とは? とか 生命とは? といったことを徐々に考えるようになっていった。
そんな人間にとって、ルドルフのvol.7『隕石の栞』はど真ん中もど真ん中。
自分の興味関心とどんぴしゃの内容だった。
ひょんなことから共同生活を送る先生こと柴本(二口大学)と要(森脇康貴)のもとに、行方不明の父親を捜索する栞(渡辺綾子)という女性が突然現れる。
実は、柴本にも要にも複雑な事情があって…。
といった展開の『隕石の栞』だけれど、感情表現のギアは大きく入るものの、はじまってしばらくは、ところどころおおと思わせられたり、くすっとさせられたりしつつも、物語そのものは激しく動かない。
だが、そうした布石が俄然意味を持ってくるのが中盤以降だ。
中でも、筒井さんの持つ思考嗜好、誉め言葉としてのきちがいっぷりも全開となった幻想的なシーンには、そうそうこれこれと大いに頷いたし、大いに心も動かされた。
そして、それを、はじめは目につかなかった星々がどんどん光り輝き出して、遂には夜空一面に拡がっている様に例えても過言ではないだろう。
加えて、こうした表現の構成が、ルドルフのvol.0『結婚申込み』(2008年11月、チェーホフ作・筒井さん演出)ですでに試行されていたことを改めて思い起こし、この間の筒井さんの変化と成果を強く感じたりもした。
2010年5月4日の京都芸術センターの明倫ワークショップで、ルドルフがvol.2の『授業』(イヨネスコ作・水沼健演出)の公開稽古を行った際、所要で参加できなかった永野宗典の代役をその場で志願したのが、当時イッパイアンテナに所属していた渡辺綾子だった。
それが引き金となって、翌年6月のルドルフvol.3『ルドルフのまっしろけでゴー』で渡辺さんは、筒井加寿子自身が投影された娘役を演じることとなる。
今回の『隕石の栞』でも、渡辺さんは筒井さん自身の一端が仮託された役回り・栞を演じている。
その意味で、これは筒井さん自身の物語である。
しかしながら、それとともに、栞はまた、演劇的にも紆余曲折を続けてきた渡辺さんの姿とも重なる。
つまり、これは渡辺さん自身の物語でもある。
いや、それだけではない、今回、筒井さんが二口大学、森本研典、飛鳥井かゞり、黒川猛、森脇康貴という演者陣を集めたのも、彼彼女らが「ずっと一緒にやりたかった俳優さん」(公演プログラムより)だったのは当然として、この面々がなんらかの痛切、切実な体験や大きな転機を重ねてきたからでもあったのではないかと僕には思えてならない。
そう、これは彼彼女ら自身の物語でもある。
そして、そうだからこそ、この『隕石の栞』は私、私たち自身の物語にもなったのではないか。
いずれにしても、崇拝と支配の狭間からでは生み出されることのない共同作業、作品世界を愉しんだ。
ああ、面白かった!!!
脚本・演出:筒井加寿子
(2020年2月23日14時開演の回/THEATRE E9 KYOTO)
子供の頃から星を見るのが好きだ。
冬の風呂上がり、夜空の星を飽かずに眺めていて、何度風邪をひきかけたことだろうか。
それから年を経るごとに、宇宙とは? とか 生命とは? といったことを徐々に考えるようになっていった。
そんな人間にとって、ルドルフのvol.7『隕石の栞』はど真ん中もど真ん中。
自分の興味関心とどんぴしゃの内容だった。
ひょんなことから共同生活を送る先生こと柴本(二口大学)と要(森脇康貴)のもとに、行方不明の父親を捜索する栞(渡辺綾子)という女性が突然現れる。
実は、柴本にも要にも複雑な事情があって…。
といった展開の『隕石の栞』だけれど、感情表現のギアは大きく入るものの、はじまってしばらくは、ところどころおおと思わせられたり、くすっとさせられたりしつつも、物語そのものは激しく動かない。
だが、そうした布石が俄然意味を持ってくるのが中盤以降だ。
中でも、筒井さんの持つ思考嗜好、誉め言葉としてのきちがいっぷりも全開となった幻想的なシーンには、そうそうこれこれと大いに頷いたし、大いに心も動かされた。
そして、それを、はじめは目につかなかった星々がどんどん光り輝き出して、遂には夜空一面に拡がっている様に例えても過言ではないだろう。
加えて、こうした表現の構成が、ルドルフのvol.0『結婚申込み』(2008年11月、チェーホフ作・筒井さん演出)ですでに試行されていたことを改めて思い起こし、この間の筒井さんの変化と成果を強く感じたりもした。
2010年5月4日の京都芸術センターの明倫ワークショップで、ルドルフがvol.2の『授業』(イヨネスコ作・水沼健演出)の公開稽古を行った際、所要で参加できなかった永野宗典の代役をその場で志願したのが、当時イッパイアンテナに所属していた渡辺綾子だった。
それが引き金となって、翌年6月のルドルフvol.3『ルドルフのまっしろけでゴー』で渡辺さんは、筒井加寿子自身が投影された娘役を演じることとなる。
今回の『隕石の栞』でも、渡辺さんは筒井さん自身の一端が仮託された役回り・栞を演じている。
その意味で、これは筒井さん自身の物語である。
しかしながら、それとともに、栞はまた、演劇的にも紆余曲折を続けてきた渡辺さんの姿とも重なる。
つまり、これは渡辺さん自身の物語でもある。
いや、それだけではない、今回、筒井さんが二口大学、森本研典、飛鳥井かゞり、黒川猛、森脇康貴という演者陣を集めたのも、彼彼女らが「ずっと一緒にやりたかった俳優さん」(公演プログラムより)だったのは当然として、この面々がなんらかの痛切、切実な体験や大きな転機を重ねてきたからでもあったのではないかと僕には思えてならない。
そう、これは彼彼女ら自身の物語でもある。
そして、そうだからこそ、この『隕石の栞』は私、私たち自身の物語にもなったのではないか。
いずれにしても、崇拝と支配の狭間からでは生み出されることのない共同作業、作品世界を愉しんだ。
ああ、面白かった!!!