2020年02月15日

のんびりと過ごした一日(CLACLA日記)

 どんよりとした感じは強いながらも、青空も見えた一日。

 気温は少し下がったか。
 それでも、2月とは思えないことに変わりないが。
 寒暖の差が激しいので、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 風邪やインフルエンザ、新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。


 体調、今一つ。
 両耳の不調も続く。


 安倍内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。


 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、YouTubeでディオゲネス・クヮルテットが演奏したシューベルトの弦楽4重奏曲第15番他を聴いたりしながら作業を進めたのち、2時半過ぎに寝床に就く。


 9時台に起きて、近くの安いコインランドリーで洗濯をすませる。
 その間、銀行を回ったり、近くのブックファーストで調べ物をしたりする。


 午前中、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『夜汽車にて』を書き進めたりする。


 午後、ORFでエンリケ・マッツォーラ指揮ウィーン交響楽団が演奏したメンデルスゾーンの序曲『フィンガルの洞窟』とドヴォルザークの交響曲第7番(2020年1月30日、ウィーン・ムジークフェライン大ホール)、BBC Radio3でローランス・エキルベイ指揮ロイヤル・ノーザン・シンフォニアが演奏したシューベルトの劇音楽『キプロスの女王ロザムンデ』序曲、イルカー・アルカニーリックのテノール独唱による管弦楽伴奏編曲版の歌曲集、交響曲第4番「悲劇的」、『キプロスの女王ロザムンデ』から間奏曲(同年2月7日、セージ・ゲイツヘッド・コンサートホール)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、ロームシアター京都に関する記事をブログ等にアップしたり、木内昇の『万波を翔る』<日本経済新聞出版社>を読み進めたりする。


 16時台に外出し、京都芸術センターで用件を片付けたのち、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、仕事関係の作業を進めたり、『万波を翔る』を読み進めたりする。


 夕飯前、NHK・FMでパーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団の第1935回定期公演の実況中継を聴く。
 シュテファン・ドールの独奏によるアブラハムセンのホルン協奏曲、ブルックナーの交響曲第7番が演奏されていた。


 途中夕飯を挟み、ABCラジオの『上方落語をきく会』の実況中継を聴く。


 その後、『クラシックの迷宮』を聴く。
 作曲家アンドレ・プレヴィンの特集が組まれていた。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『夜汽車にて』を書き進めたり、『万波を翔る』を読み進めたりする。


 今日は、三ツ矢製菓のココナッツクッキーを食す。
 六角通のローソンストア100で購入したもの。
 ココナッツ入りのクッキーで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 のんびりと過ごした一日だった。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:50| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

除目に利害なき人 もしくは、ロームシアター京都の夢想人事

除目に司得ぬ人じゃないや。
直接利害関係のない人間にとって除目をあれこれ夢想することは実に愉しいことだ。
プロ野球の監督にオーダー、交響楽団の音楽監督に客演陣。そういや、中高生の頃なんて自分勝手な閣僚人事まで政治好きの友人連中と夢想したものだった。
ならば、劇場人事も夢想しちゃえ!

ロームシアター京都の自分勝手得手勝手な人事案。
現実なんてお構いなし。
で、まずは一部の世情を賑わしている館長には、竹内銃一郎さん。
演劇的業績もあれば、京都在住だし、近畿大学で教育にも携わっていた。
ついでにいえば、一連の騒動にも直接かかわっていない。
1年もしくは2年の暫定で。

館長補佐は、杉山準さん。
人望はないし、「中瀬君の言うことなんて誰も聴くわけないじゃない」と図星刺されて正直含むところはあるんだけど。このまま腐らせておくのはもったいない。
でも、ほんとは杉山さんには演出やってもらいたいんだよね、もう一回。

あと、館長の下で芸術関係のプログラムを専門に担う人は、青柳敦子さん(もしくは山谷典子さん/青柳さんならオペラ込み)、いいむろなおきさん、スズキ拓朗さん(もしくは柏木俊彦さん)、田上豊さん。
直接接してこの人はと思ったり、気になるなと思った人たちだ。
ただ、スズキさんの枠は別の女性がいいかとも思う。

いやあ、利害関係がないって得手勝手なことが夢想できて愉しいなあ。
posted by figarok492na at 16:09| Comment(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アルバイトが終わったあと、コンサートを愉しんだ(深夜のCLACLA)

 どんよりとした感じから青空へ。
 ただし、夜は霧が出ていたような。

 気温は少し下がったか。
 それでも、冬と感じは全くしない。
 寒暖の差が激しいので、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 風邪やインフルエンザ、新型コロナウイルスにはお気をつけのほど。


 体調、今一つ。
 両耳の不調も続く。


 安倍内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。


 地点における三浦基さんのパワハラ問題に関し、平田オリザさんが声明を出すとともに、平田さんを含む連名の公開質問状(鈴江俊郎さん、松田正隆さん、土田英生さんの名もあった)も提出された。
 いろいろと考えることあり。


 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、23時半過ぎに寝床に就く。


 7時過ぎに起きて8時20分に外出し、夕方までアルバイトに勤しむ。
 お昼にちょっとだけチョコをおすそ分けしてもらった。
 実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 終了後、一度帰宅して弁当箱など荷物を置いてから、北山の京都コンサートホールへ。
 京都市交響楽団第642回定期演奏会の後半のみ聴く。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 ああ、面白かった!!!

 同じコンサートを聴きに来ていた旧知の本保弘人さんと休憩中、終演後とあれこれ話をする。

 で、途中で別れ、百万遍のハイライトで「重い」夕飯をすませ、ついでに買い物もすませて22時台に帰宅する。


 以上、2月14日の日記。
posted by figarok492na at 01:05| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都市交響楽団第642回定期演奏会(後半のみ)

☆京都市交響楽団第642回定期演奏会(後半のみ)

 指揮:リオ・クオクマン
管弦楽:京都市交響楽団

 座席:3階LB1列5番
(2020年2月14日/京都コンサートホール大ホール)


 仕事終わりに自転車を必死でこいで、京都市交響楽団第642回定期演奏会の後半、メインのプロコフィエフの交響曲第5番を聴いた。
 プロコフィエフの交響曲第5番を生で聴くのは、1991年7月2日の同じ京都市交響楽団の第336回定期演奏会(京都会館第1ホール)以来ということで、なんと約30年ぶりということになる。
 よくよく考えてみれば、崩壊間際とはいえ、あのときはまだソ連が存在していたのだということに思い当たる。
 指揮はセルジュ・ボド。
 当時の京都市交響楽団の水準や京都会館のデッドな音響、そしてボドの押しの強い音楽づくりもあって、猛進なれどとっちらかった印象も強い演奏だったような記憶が残っている。
 一方、今回の指揮はマカオ出身でアメリカでも学んだリオ・クオクマン。
 第1楽章の強音、第2楽章の駆け足、そして第4楽章でのせかされるような幕切れと、ごちゃごちゃとごちゃつくことのないオケの鳴らしっぷりをよく心得ていることはいうまでもない。
 が、それとともに、クオクマンはこの曲のもう一面である抒情性、ロマンティックな表情を重視することも忘れてはいない。
 中でも第3楽章、音を手繰り寄せるような指揮の下、弦楽器がたっぷりと歌う。
 まるで映画音楽かなにかのようなわかりやすい美しさだ。
 だけど、それ以上に強く印象に残ったのは後半、同じ弦がぞわぞわと這い上がるというか、近寄ってくるような部分だった。
 いずれにしても、この曲の持つ多様な側面を改めて考えることができて、実に愉しかった。
 クオクマンの指揮に応えて、京都市交響楽団も精度の高い演奏。
 これで、後半券1000円はほんとに安い。
 ああ、面白かった!!!

 それにしても、芥川也寸志ってプロコフィエフの交響曲第5番の影響を相当受けてるんだなあ。
 ふとそんなことも思ってしまった。
posted by figarok492na at 00:41| Comment(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする