2020年01月26日

お芝居を観たあと、大切な予定をすませた(CLACLA日記)

 どんよりとした感じから青空へ。

 気温はあまり上昇せず。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
 風邪やインフルエンザにはお気をつけのほど。


 メンテナンスのおかげで、だいぶん身体が楽になる。


 京都市長選。
 現職の門川大作は追い詰められているのか。
 もうこの人には、というかこの人が代表するようなやり方にはうんざりというのが正直な気持ちだ。


 安倍内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。


 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、1時40分過ぎに寝床に就く。


 9時半過ぎに起きる。

 午前中、NHK・FMの『名演奏ライブラリー』でピエール・モントゥー指揮ハンブルク北ドイツ放送交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」、オーストラリアABCでピンカス・ズーカーマン指揮アデレード交響楽団が演奏したベートーヴェンの劇音楽『エグモント』序曲、ズーカーマンが弾き振りしたモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、エルガーのエニグマ変奏曲(2019年11月2日、アデレード・タウンホール)、ABCラジオの『全力投球!!妹尾和夫ですサンデー』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『夜汽車にて』を書き進めたり、島田雅彦の『君が異端だった頃』<集英社>を読み進めたりする。


 13時少し前に外出し、京都芸術センターへ。
 講堂で下鴨車窓『散乱マリン』(田辺剛さん脚本+演出)を愉しむ。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 ああ、面白かった!!!

 田辺さんに挨拶をしたほか、同じ回を観にきた関係各氏と話をしたり挨拶をしたりする。

 終演後、大切な予定をすませる。
 多謝。

 その後、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、DRでキリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィルが演奏した、ダニエル・ハーディングの独奏によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番、スークの交響曲第2番(2020年1月9日、ベルリン・フィルハーモニー大ホール)、パブロ・ゴンザレス指揮スロヴェニア放送交響楽団が演奏したニールセンの序曲『ヘリオス』(2019年3月14日、リュブリャナ)、アレクサンドル・ヴェデルニコフ指揮DR交響楽団が演奏したハイドンの交響曲第82番「熊」(同年12月12日、DRコンサートホール)を聴いたりしながら、観劇記録をアップしたり、仕事関係の作業を進めたり、『君が異端だった頃』を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』でロッセン・ミラノフ指揮兵庫県立芸術文化センター管弦楽団が演奏したリムスキー=コルサコフの序曲『ロシアの復活祭』とストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』のライヴ録音を聴く。

 その後、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。


 夕飯後、DRでヴェデルニコフ指揮DR交響楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第4番(同)、MBSラジオのヤンタン日曜日を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『君が異端だった頃』を読み進めたりする。


 今日は、甘いものは食さず。
 その代わり、お土産にもらったぬれ煎餅を食す。
 独特の食感で、実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:00| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

下鴨車窓『散乱マリン』

☆下鴨車窓『散乱マリン』

 脚本+演出:田辺剛
(2020年1月26日14時開演の回/京都芸術センター講堂)


 2016年8月の『旅行者』以来だから、約3年半ぶりに下鴨車窓の公演を観た。
 作品は、『散乱マリン』。
 ここは自転車の保管場所か。
 冒頭、ばらばらになってごちゃごちゃとなった自転車の部品を目の前に、女性(福井菜月)が自分の自転車の残骸を必死に探している。
 付き従う職員(北川啓太)は、実に申し訳なさそうだ。
 と、不穏な犬の鳴き声が響き、二人は一目散に逃げ始める。
 ところがやって来たのは、芸術家のアシスタントたち。
 せっかくのオブジェの材料がカラスどもらに奪われてしまうと言う…。

 2014年に書かれた『scattered(deeply)』を改題した作品で、自分にとって大切な自転車をなんとか元通りにしようとする女性には相手が野犬に見えてしまい、一方、芸術作品を生み出そうとする人々には相手がカラスに見えてしまう。
 もともと、東日本大震災による様々な分断を強く意識した設定なのだろうが、5年の歳月を経て、その震災が一つの引き金となった現在の諸状況がそこに大きく重なって、実にアクチュアリティに富んだ作品となっている。
 とともに、記憶(クロノス)への留意、マジックリアリズムと言ってしまうとかえって陳腐になってしまいそうな、リアリズムに基盤を持ちながら幻想性や寓話性を効果的に取り入れた展開、詩的言語の挿入等々、田辺さんの一連の作品に通底する諸要素がより強靭に、かつ柔軟性を失わない形で進化を遂げている点も忘れてはなるまい。
 加えて、上述したモティーフを表現するに際して、登場人物間の距離感、齟齬、志向嗜好の違いを巧みにクロスさせていたことにも大いに感心した。

 田辺さんの柔軟性、進化は、座組み・配役という面にもよく表れているのではないか。
 シリアスな側面からコメディエンヌ性とふり幅の広い役回りを的確にこなした福井さんをはじめ、ベテランの西村貴治、北川君、澤村喜一郎、岡田菜見、コメディリリーフの西マサト国王、坂井初音(この役は、かつてだったら飯坂美鶴妃が演じたかもしれない)という演者陣も、個々の特性を活かして田辺さんの意図に応える努力を重ねていた。
 そして、トリックスターのF・ジャパン。
 ずるいや。

 3月には広島公演、4月には津での公演が予定されているとのこと。
 ご都合よろしい方はぜひ。

 ああ、面白かった!!!
posted by figarok492na at 17:25| Comment(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする