青空からどんよりとしたお天気へ。
気温は上昇せず。
寒さが厳しい。
皆さん、くれぐれもご自愛ください。
風邪やインフルエンザにはお気をつけのほど。
気圧と湿度のWパンチ。
体調、今一つ。
両耳の不調も続く。
受験シーズン。
いろいろと想い、いろいろと考えることあり。
京都市長選がスタートする。
抜け作はもういいよ。
抜け作はもういらない。
安倍内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、2時40分過ぎに寝床に就く。
9時半過ぎに起きる。
午前中、ABCラジオの『全力投球!!妹尾和夫ですサンデー』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、遠野遥の『改良』<河出書房新社>を読み進めたりする。
午後、YouTubeでダニエル・バレンボイムが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第3番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『改良』を読み進めたりする。
13時20分過ぎに外出し、買い物をすませてから旧知の松田裕一郎さん宅へ。
で、1階のスタジオ松田の家で、THE GO AND MO’S 黒川寄席vol.1を愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
ああ、面白かった!!!
終演後、出演の黒川猛さんら関係各氏と挨拶し、松田さんと少し立ち話をする。
その後、買い物をすませて帰宅した。
帰宅後、YouTubeでバレンボイムが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第4番〜第11番を聴きながら、仕事関係の作業を進める。
『改良』を読了し、田之倉稔の『林達夫・回想のイタリア旅行』<イタリア書房>を読み始める。
NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』を聴く。
エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団が演奏したチャイコフスキーの幻想序曲『ロメオとジュリエット』と祝典序曲『1812年』のライヴ録音などが放送されていた。
夕飯後、YouTubeでバレンボイムが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第13番、第14番「月光」、MBSラジオのヤンタン日曜日を聴いたりしながら、『夜汽車にて』を書き始めたり、『林達夫・回想のイタリア旅行』を読み進めたりする。
今日は、マジックツインクラッカー・バター味を食す。
近くのドラッグランドひかりで購入した、ベトナム原産のもの。
バタークリームを挟んだ三段重ねのクラッカーで、まあまあ美味しうございました。
ごちそうさま!
明日明後日はアルバイトなり。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2020年01月19日
THE GO AND MO'S 黒川寄席vol.1
☆THE GO AND MO’S 黒川寄席 vol.1
出演:黒川猛
(2020年1月19日14時開演/スタジオ松田の家)
THE GO AND MO’Sの黒川猛さんが、旧知の松田裕一郎さん宅1階のスタジオ松田の家で毎月1回ずつ新たな企画を始めるというので早速足を運んだ。
題して、黒川寄席!
創作落語を二本ずつ演じていこうという意欲的な企てである。
で、一本目は「蜘蛛の糸」。
ごぞんじ芥川龍之介の名作を落語に仕立て直したものだ。
閻魔様の前に現れたカンダタならぬカンダタカシ(往年の名脇役神田隆じゃないよ)だったが、なんと死神のミスで2年も早く死ぬことになってしまったと。
それならすぐさま現世に戻してほしいところだけれど、残念ながら一度地獄へ行ってお釈迦様に助けてもらわなければならないと閻魔様は言う。
仕方がないので地獄に向かったカンダタカシだったが、善行の少ない彼に与えられる脱出アイテムというのが揃いも揃って…。
まずもってお釈迦様が次々と落とすアイテムのチョイスに捻りがあるし、必死のぱっちの黒川さんの様がまたおかしい。
大いに笑う。
続いて、二本目は「落とし物」。
財布を持たない人間ゆえ、去年二回もお札を落としてしまったとマクラで語ったのちの本題は、封筒に入った5万円を拾った男の葛藤を描いた作品。
心のうちの悪魔と天使(?)のキャラクター付けが面白く、中盤以降の天使(?)の妄想ぶりには、古典の「湯屋番」を想起したりもする。
ラスボス登場の感もあるサゲにも納得。
もちろん黒川さんのこと、善悪てななんだなんて大上段に振りかぶることは全くないけれど、二本の創作落語に繋がるものもあって、その点でも存分に愉しめた。
〆て40分程度。
ああ、面白かった!!!
日曜の午後のひととき、ご都合よろしければ皆さんもぜひ!
Vol.2は、2月9日14時開演の予定です。
出演:黒川猛
(2020年1月19日14時開演/スタジオ松田の家)
THE GO AND MO’Sの黒川猛さんが、旧知の松田裕一郎さん宅1階のスタジオ松田の家で毎月1回ずつ新たな企画を始めるというので早速足を運んだ。
題して、黒川寄席!
創作落語を二本ずつ演じていこうという意欲的な企てである。
で、一本目は「蜘蛛の糸」。
ごぞんじ芥川龍之介の名作を落語に仕立て直したものだ。
閻魔様の前に現れたカンダタならぬカンダタカシ(往年の名脇役神田隆じゃないよ)だったが、なんと死神のミスで2年も早く死ぬことになってしまったと。
それならすぐさま現世に戻してほしいところだけれど、残念ながら一度地獄へ行ってお釈迦様に助けてもらわなければならないと閻魔様は言う。
仕方がないので地獄に向かったカンダタカシだったが、善行の少ない彼に与えられる脱出アイテムというのが揃いも揃って…。
まずもってお釈迦様が次々と落とすアイテムのチョイスに捻りがあるし、必死のぱっちの黒川さんの様がまたおかしい。
大いに笑う。
続いて、二本目は「落とし物」。
財布を持たない人間ゆえ、去年二回もお札を落としてしまったとマクラで語ったのちの本題は、封筒に入った5万円を拾った男の葛藤を描いた作品。
心のうちの悪魔と天使(?)のキャラクター付けが面白く、中盤以降の天使(?)の妄想ぶりには、古典の「湯屋番」を想起したりもする。
ラスボス登場の感もあるサゲにも納得。
もちろん黒川さんのこと、善悪てななんだなんて大上段に振りかぶることは全くないけれど、二本の創作落語に繋がるものもあって、その点でも存分に愉しめた。
〆て40分程度。
ああ、面白かった!!!
日曜の午後のひととき、ご都合よろしければ皆さんもぜひ!
Vol.2は、2月9日14時開演の予定です。
愉しく面白かった一日(深夜のCLACLA)
青空は見えつつも、どんよりとした感じも強し。
小雨も降る。
気温は上昇せず。
寒さがとても厳しい。
皆さん、くれぐれもご自愛ください。
風邪やインフルエンザにはお気をつけのほど。
体調、今一つ。
両耳の不調も続く。
安倍内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
昨夜、フィラルモニ・ド・パリのサイトでモディリアーニ・クヮルテットが演奏したモーツァルトの弦楽4重奏曲第15番、ショスタコーヴィチの弦楽4重奏曲第1番、シューマンの弦楽4重奏曲第3番他を聴いたりしながら作業を進めたのち、2時40分過ぎに寝床に就く。
途中、GYAO!の無料配信で『相棒』と『科捜研の女』のとばし観もした。
宮内悠介の『遠い他国でひょんと死ぬるや』<祥伝社>を読了する。
9時台に起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
その間、下京図書館へ。
『遠い他国でひょんと死ぬるや』を返却し、予約しておいた田之倉稔の『林達夫・回想のイタリア旅行』<イタリア書房>、六代目三遊亭円楽の『流されて円楽に 流れつくか圓生に』<竹書房>を新たに借りる。
帰宅後、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
13時半少し前に外出し、京都コンサートホールへ。
大ホールで、京都市交響楽団第641回定期演奏会を愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
これは足を運んで大正解。
ああ、素晴らしかった!!!
終演後、昔JEUGIA四条店でアルバイトをしていたときにお世話になった常連のお客さんと久方ぶりにお話できる。
その後、河原町界隈へ移動し、丸善京都本店で仕事関係の用件を片付け18時過ぎに帰宅する。
帰宅後、大切な予定をすませる。
ああ、面白かった!!!
以上、1月18日の日記。
小雨も降る。
気温は上昇せず。
寒さがとても厳しい。
皆さん、くれぐれもご自愛ください。
風邪やインフルエンザにはお気をつけのほど。
体調、今一つ。
両耳の不調も続く。
安倍内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
昨夜、フィラルモニ・ド・パリのサイトでモディリアーニ・クヮルテットが演奏したモーツァルトの弦楽4重奏曲第15番、ショスタコーヴィチの弦楽4重奏曲第1番、シューマンの弦楽4重奏曲第3番他を聴いたりしながら作業を進めたのち、2時40分過ぎに寝床に就く。
途中、GYAO!の無料配信で『相棒』と『科捜研の女』のとばし観もした。
宮内悠介の『遠い他国でひょんと死ぬるや』<祥伝社>を読了する。
9時台に起きて、近くのコインランドリーで洗濯をすませる。
その間、下京図書館へ。
『遠い他国でひょんと死ぬるや』を返却し、予約しておいた田之倉稔の『林達夫・回想のイタリア旅行』<イタリア書房>、六代目三遊亭円楽の『流されて円楽に 流れつくか圓生に』<竹書房>を新たに借りる。
帰宅後、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。
13時半少し前に外出し、京都コンサートホールへ。
大ホールで、京都市交響楽団第641回定期演奏会を愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
これは足を運んで大正解。
ああ、素晴らしかった!!!
終演後、昔JEUGIA四条店でアルバイトをしていたときにお世話になった常連のお客さんと久方ぶりにお話できる。
その後、河原町界隈へ移動し、丸善京都本店で仕事関係の用件を片付け18時過ぎに帰宅する。
帰宅後、大切な予定をすませる。
ああ、面白かった!!!
以上、1月18日の日記。
京都市交響楽団第641回定期演奏会
☆京都市交響楽団第641回定期演奏会
指揮:ジョン・アクセルロッド
独奏:アンドレアス・ブラウ(フルート)
管弦楽:京都市交響楽団
座席:3階LB1列5番
(2020年1月18日14時半開演/京都コンサートホール大ホール)
2020年いっとう最初の京都市交響楽団の定期演奏会に足を運んだ。
指揮はこれまで何度も客演しており、来シーズンからは首席客演指揮者への就任が決まっているジョン・アクセルロッド。
それにしても、今回のプログラムはアクセルロッド側の希望か、それともアクセルロッドのレパートリーから京響側の担当者が選んだものか。
19世紀初頭に長い眠りを醒ました女神アテーナ―が、オスマン帝国の支配によって廃墟となったアテネよりハンガリーのペストへと移動するという劇音楽『アテネの廃墟』の序曲。
シナイ半島で戦車の中で死んだイスラエルのフルーティスト、ヤディンの追悼のために作曲されたバーンスタインの「ハリル」。
第二次世界大戦中、ドイツ軍に攻囲されたレニングラードでその第3楽章までが書かれ、初演されるや否や連合国側で数多く演奏されることとなったショスタコーヴィチの交響曲第7番。
昨今のきな臭い状況を考えれば実に意味深い、しかし逆にアクセルロッドがアメリカ出身ということもあって、より政治性の強さを批判される可能性もなくはない、いずれにしてもはっきりとした主題を持ったプログラミングだ。
(ちなみに、ショスタコーヴィチの交響曲第7番の作曲や初演の過程については、ひのまどかの労作『戦火のシンフォニー』<新潮社>をご参照のほど)
だが、アクセルロッドは的確な楽曲把握やオーケストラとの固い信頼関係によって、そうした主題に寄りかかることなく、音楽の持つ力、作品の魅力をまずもって示してくれた。
一曲目の『アテネの廃墟』序曲は、ピリオド・スタイルの影響もうかがわせるクリアで軽快な演奏。
見事なソロを披露したオーボエやファゴット奏者とともにティンパニの中山航介に一人で立つようアクセルロッドが促したのも大いに頷ける。
続く、独奏フルートと弦楽オーケストラ、打楽器のためのノクターン「ハリル」は、ヘブライ語でフルートの意味のあるハリルという名に恥じぬ、フルートの技巧が発揮されるように工夫された内容で、基本の旋律は耳馴染みがよい。
独奏は、長くベルリン・フィルのソロ・フルート奏者をつとめたアンドレアス・ブラウ。
抜群の妙演であることは言うまでもないのだけれど、そこはオーケストラで活躍してきたブラウだけあって、それが己の巧さをひけらかすためのものではないこともしっかりと伝わってくる。
アルトフルートとピッコロ、打楽器群との絡みも素晴らしかった。
アンコールは、ドビュッシーのシランクスで、こちらも惚れ惚れとする音色だ。
加えて、長年の経験から培ったブラウの揺るぎのなさをひと際感じさせられた。
そして、休憩を挟んだメインのショスタコーヴィチの交響曲第7番には強く心を動かされた。
と、言っても、アクセルロッドがこれ見よがしの大爆演、身も世もあらぬ大芝居ではったりかましたわけではないことは、上述した通りだ。
会場の盛大な拍手を受けて最後にスコアを手にした如く、アクセルロッドは作品をよく読みこんで全体の結構をよく捉え、鳴らすべきところは壮大に鳴らしつつ、抑えるべきところは精緻に抑えるなど、要所急所をよく押さえた音楽づくりに徹していた。
例えば、かつてアーノルド・シュワルツェネッガーと宮沢りえが「ちちんぷいぷい」とCMで歌ったことのある第1楽章の戦争の主題の暴力性に圧倒されるのは、その前の平和の生活の主題のゆったりと美しい表現や、戦争の主題の開始のスネアドラムと弦のピチカートの弱音があってこそのものだと改めて思い知らされた。
とともに、この部分がラヴェルのボレロに影響されたものであろうことも改めて思い起こされた。
そう、今回の演奏では、この作品の持つ諧謔性や旋律の美しさもよく再現されていたのである。
ソロ・アンサンブル両面で京都市交響楽団はアクセルロッドによく応えており、今後のさらなる共同作業が愉しみで仕方ない。
いやあ、本当にいいものを聴いた。
ああ、素晴らしかった!!!
指揮:ジョン・アクセルロッド
独奏:アンドレアス・ブラウ(フルート)
管弦楽:京都市交響楽団
座席:3階LB1列5番
(2020年1月18日14時半開演/京都コンサートホール大ホール)
2020年いっとう最初の京都市交響楽団の定期演奏会に足を運んだ。
指揮はこれまで何度も客演しており、来シーズンからは首席客演指揮者への就任が決まっているジョン・アクセルロッド。
それにしても、今回のプログラムはアクセルロッド側の希望か、それともアクセルロッドのレパートリーから京響側の担当者が選んだものか。
19世紀初頭に長い眠りを醒ました女神アテーナ―が、オスマン帝国の支配によって廃墟となったアテネよりハンガリーのペストへと移動するという劇音楽『アテネの廃墟』の序曲。
シナイ半島で戦車の中で死んだイスラエルのフルーティスト、ヤディンの追悼のために作曲されたバーンスタインの「ハリル」。
第二次世界大戦中、ドイツ軍に攻囲されたレニングラードでその第3楽章までが書かれ、初演されるや否や連合国側で数多く演奏されることとなったショスタコーヴィチの交響曲第7番。
昨今のきな臭い状況を考えれば実に意味深い、しかし逆にアクセルロッドがアメリカ出身ということもあって、より政治性の強さを批判される可能性もなくはない、いずれにしてもはっきりとした主題を持ったプログラミングだ。
(ちなみに、ショスタコーヴィチの交響曲第7番の作曲や初演の過程については、ひのまどかの労作『戦火のシンフォニー』<新潮社>をご参照のほど)
だが、アクセルロッドは的確な楽曲把握やオーケストラとの固い信頼関係によって、そうした主題に寄りかかることなく、音楽の持つ力、作品の魅力をまずもって示してくれた。
一曲目の『アテネの廃墟』序曲は、ピリオド・スタイルの影響もうかがわせるクリアで軽快な演奏。
見事なソロを披露したオーボエやファゴット奏者とともにティンパニの中山航介に一人で立つようアクセルロッドが促したのも大いに頷ける。
続く、独奏フルートと弦楽オーケストラ、打楽器のためのノクターン「ハリル」は、ヘブライ語でフルートの意味のあるハリルという名に恥じぬ、フルートの技巧が発揮されるように工夫された内容で、基本の旋律は耳馴染みがよい。
独奏は、長くベルリン・フィルのソロ・フルート奏者をつとめたアンドレアス・ブラウ。
抜群の妙演であることは言うまでもないのだけれど、そこはオーケストラで活躍してきたブラウだけあって、それが己の巧さをひけらかすためのものではないこともしっかりと伝わってくる。
アルトフルートとピッコロ、打楽器群との絡みも素晴らしかった。
アンコールは、ドビュッシーのシランクスで、こちらも惚れ惚れとする音色だ。
加えて、長年の経験から培ったブラウの揺るぎのなさをひと際感じさせられた。
そして、休憩を挟んだメインのショスタコーヴィチの交響曲第7番には強く心を動かされた。
と、言っても、アクセルロッドがこれ見よがしの大爆演、身も世もあらぬ大芝居ではったりかましたわけではないことは、上述した通りだ。
会場の盛大な拍手を受けて最後にスコアを手にした如く、アクセルロッドは作品をよく読みこんで全体の結構をよく捉え、鳴らすべきところは壮大に鳴らしつつ、抑えるべきところは精緻に抑えるなど、要所急所をよく押さえた音楽づくりに徹していた。
例えば、かつてアーノルド・シュワルツェネッガーと宮沢りえが「ちちんぷいぷい」とCMで歌ったことのある第1楽章の戦争の主題の暴力性に圧倒されるのは、その前の平和の生活の主題のゆったりと美しい表現や、戦争の主題の開始のスネアドラムと弦のピチカートの弱音があってこそのものだと改めて思い知らされた。
とともに、この部分がラヴェルのボレロに影響されたものであろうことも改めて思い起こされた。
そう、今回の演奏では、この作品の持つ諧謔性や旋律の美しさもよく再現されていたのである。
ソロ・アンサンブル両面で京都市交響楽団はアクセルロッドによく応えており、今後のさらなる共同作業が愉しみで仕方ない。
いやあ、本当にいいものを聴いた。
ああ、素晴らしかった!!!