2019年12月01日

マリス・ヤンソンスが亡くなった 用件を片付けたあとお芝居を愉しんだ(CLACLA日記)

 今日から12月。
 今年も残すところ1ケ月を切った。
 一日一日を本当に大切にしていかなければ。
 そして、絶対に死を忘れないこと。


 晴天。

 気温、低し。
 朝晩の寒さが厳しい。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
 風邪やインフルエンザにはお気をつけのほど。


 体調、今一つ。
 精神的にもダルな感じ。
 両耳の不調も続く。


 指揮者のマリス・ヤンソンスが亡くなった。76歳。
 ラトヴィア(旧ソ連)の生まれで、父は同じ指揮者のアルヴィド・ヤンソンス。
 国際的に活躍した指揮者の一人。
 遂に実演に接することがかなわなかった。
 深く、深く、深く、深く黙禱。


 安倍内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。


 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、YouTubeでクラウス・マケラ指揮オスロ・フィル他が演奏したベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」(2019年1月4日、オスロ・コンサートホール)、ベルナルト・ハイティンク指揮オランダ放送フィルが演奏した、カミラ・ティリングのソプラノ独唱によるリヒャルト・シュトラウスの5つの歌曲とブルックナーの交響曲第7番(同年6月15日、アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール)を聴いたりしながら、『斎藤隆夫日記』上<中央公論新社>を読み進めたり、作業を進めたりしたのち、4時少し前に寝床に就く。
 が、いろいろと考えごとをしていて、6時近くまで寝つけず。


 9時過ぎに起きて洗濯をすませたところで、急な知らせがある。
 結果、不義理を行ってしまう。
 暗澹たる気分だが、仕方ない。


 YouTubeでアンソニー・ヘルムス指揮BBCスコティッシュ交響楽団が演奏したハイドンの交響曲第22番「哲学者」、サラ・ハーシュコウィッツのソプラノ独唱によるリゲティのマカーブルの秘密(同年11月28日、グラスゴー・シティホール)、ABCラジオの『全力投球!!妹尾和夫ですサンデー』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、12月の創作活動について考え『馬猿譚』の改稿作業を行ったり、『斎藤隆夫日記』上を読み進めたりする。


 午後、vimeoでバーバラ・ハニガン指揮エーテボリ交響楽団が演奏したガーシュウィンの『ガール・クレイジー』組曲(ハニガン自身のソプラノ独唱)、サントゥ・マティアス・ロウヴァリ指揮エーテボリ交響楽団が演奏したヒグドンのロコ、ジョアナ・カルネイロ指揮エーテボリ交響楽団が演奏したローリンのジュニパーの歌を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『斎藤隆夫日記』上を読み進めたりする。


 14時少し前に外出し、下京図書館へ。
 アントニオ・パッパーノ指揮コヴェントガーデン・ロイヤル・オペラハウス管弦楽団他が演奏したモーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』上演のDVD<日本コロムビア>、イザベル・ファウストとジョヴァンニ・アントニーニ指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコが演奏したモーツァのヴァイオリン協奏曲全集<ハルモニアムンディ・フランス>、『ドナルド・キーンの東京下町日記』<東京新聞>、吉田篤弘の『天使も怪物も眠る夜』<中央公論新社>を返却し、予約しておいたリカルド・ムーティ指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団他が演奏したヴェルディの歌劇『ファルスタッフ』上演のDVD<TDKコア>、武藤英明指揮ロンドン・フィルが演奏した『行進曲』<EXTON>を新たに借りる。

 その後、ひと・まち交流館京都に寄って用件を片付けたのち、THEATRE E9 KYOTOへ。
 第27次笑の内閣『ただしヤクザを除く』(高間響君作、髭だるマン君演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 ああ、面白かった!!

 終演後、髭君や高間君その他と話をしたりしたのち、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、『行進曲』を聴く。
 「世界に冠たる日本のマーチ」と副題にある通り、古関裕而の『オリンピック・マーチ』、團伊玖磨の『祝典行進曲』、古関裕而の『栄冠は君に輝く』(夏の甲子園)、レイモンド服部の『コバルトの空』(TBSのスポーツ番組のテーマ)、吉本光蔵の『君が代行進曲』、瀬戸口藤吉の『軍艦行進曲』、奥村一の『太陽の下に』、川崎優の『希望』、大沼哲の『立派な青年』、古関裕而の『スポーツショー行進曲』(NHKのスポーツ番組のテーマ)、黛敏郎の『スポーツ行進曲』(日本テレビのスポーツ番組のテーマ)、高井達雄の『鉄腕アトム』と日本の有数の行進曲を集めたアルバム。
 ロンドン・フィルの精度の高さもあって、実に聴き応えがある。
 39分の収録は長いものではないが、これだけの曲が集まっているだけで嬉しいかぎりだ。

 その間、観劇記録をアップする。


 その後、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』で尾高忠明指揮大阪フィルが演奏した武満徹の『トゥイル・バイ・トワイライト』と、アレクサンデル・ガジェヴと井上道義指揮大阪フィルが演奏したバーバーのピアノ協奏曲のライヴ録音、ABCラジオの『サニー・フランシスのマサララジオ』を聴く。


 夕飯後、YouTubeでアンドレイ・ボレイコ指揮ワルシャワ国立フィルが演奏したハイドンのオラトリオ『天地創造』の導入曲とストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』(両曲は続けて演奏されている/2019年10月5日、ワルシャワ・フィルハーモニック・コンサートホール)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『斎藤隆夫日記』上を読み進めたりする。


 今日は、東ハトのハーベスト・香ばしセサミを食す。
 寺町の業務スーパーで購入したもの。
 さくさくとした食感でごまが入ったおなじみの薄いビスケットで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:45| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第27次笑の内閣『ただしヤクザを除く』

☆第27次笑の内閣『ただしヤクザを除く』

 作:高間響
 演出:髭だるマン
(2019年12月1日15時半の回/THEATRE E9 KYOTO)


 笑の内閣の一連の公演や、和田謙二で作演出をつとめた『食い合わせのグルメ』に『カーニバルの朝』と、印象に残る髭だるマンの舞台は数々あれど、なんと言ってもいっとう忘れがたいのは丸山交通公園ワンマンショー名作選2での一人芝居である。
 一見私戯曲かと疑いたくなるような、亡くなった弟に対する複雑な感情の表出は、髭だるマンという一人の人間の核そのもののように思われて僕には仕方なかった。
 で、京都市議選出馬で代表交代まではまだしも、『ツレがウヨになりまして。』じゃない、『ツレがうつになりまして。』でもない、『前代表高間響がうつになりまして。』という緊急事態の中で行われた『ただしヤクザを除く』の再演でも、登場人物の造形やラストの処理など、リリカルさとシニカルさが綯い交ぜになったかのような髭君の特性が垣間見えていたのではないか。
 と、ともに、楷書のつくりというか、演劇に対する真摯さ、丁寧さを求める彼の真面目さもまたよく表されていたように感じた。
 結果、なんでもあり、やたけた、やったもん勝ちの笑いは抑制されていたものの、その分、高間君の作品の肝、主題、主張はより明確に示された。
 また、主人公(というか、大まかに言えば黒澤明監督の『酔ひどれ天使』の三船敏郎的な役回り)の髭君自身はもちろんのこと、ヒロイン役の近藤珠理、杉田一起、田宮ヨシノリ、和泉聡一郎、熊谷みずほの演者陣も、個々の特性を発揮しつつ、そうした髭君の意図にそったアンサンブルを生み出す努力を重ねていた。
 ただ、要所急所の集中に比して、平場においてめの詰まらなさというか、隙間というか、空白というか、空気の薄さを感じてしまったことも事実だ。
 その意味で、ファックジャパンの数日の長を改めて痛感したりもした。
(前回の『そこまで言わんでモリエール』は論外として、今回の公演は座組みの人間関係の良さという点では笑の内閣の公演の中でも五本の指には入るはずだろうことは指摘しておきたい)
 そして、そうした空気の薄さ、空気の希釈は、高間響の不在(今回の出演シーンでの破壊力たるや!)によるものではあるのだけれど、一方でその全てを髭君の演出の責任に帰するのはあまりにも酷だろう。
 なぜなら、そうした空気の変化は、確かに高間君の不在が決定打となって一層顕現化されたにせよ、実はこの間の演者陣の変化や高間君の作品の意匠、表層の変化によって良くも悪くも徐々に進んでいたことだからだ。
 要は、高間君の寛解を待った上で、そうした変化をどう受け留め、どう対応していくかが今後の笑の内閣という「集まり」、「形」、「場」の課題ということである。
 いずれにしても、代表であり演出兼出演者、まさしく座長として今回の公演を乗り切った髭君をはじめ、演者陣スタッフ陣にまずは大きな拍手を送りたい。
(こうした諸々は、お客さんから「そんなん知らんがな」と言われても仕方のないことでもある。あるのだけれど、僕は髭君や高間君、笑の内閣をしっかり観護っていきたいとも強く思う)

 それにしても、ヤクザなんてクズもクズ、義理や人情の任侠道なんて真っ赤な嘘、欲と欲との醜い争いといった事どもは上述した『酔ひどれ天使』や深作欣二監督の『仁義なき戦い』シリーズ等々でこれでもかと描かれていたが、この『ただしヤクザを除く』はその先、そうしたクズの人権の問題についてしっかり言及している点でさらにアクチュアリティを持っていると強く感じる。
 なにせ、関西では暗雲が何やら立ち込めているばかりか、桜を見る会の問題が取り沙汰されているのだから。
 でも、それより僕が驚き感じ入るのは、例えば『名誉男性鈴子』での楠海緒の役回りもそうであったように、ここでも高間君の身近な未来がそれとなく予見されていることだ。
 高間君自身は全く自覚がないだろうけれど、僕は彼のそうした勘の強さ、予測力は馬鹿にはできないと思っている。

 ああ、面白かった!!
posted by figarok492na at 20:01| Comment(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする