2019年10月27日

お芝居を観たあと、身体のメンテナンスですっきりした!!!(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空になる。

 気温も上昇する。
 寒暖の差が激しいので、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。


 体調、今一つ。
 両耳の不調も続く。


 安倍内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。


 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、ピアノの内田光子とマーク・スタインバーグが演奏したモーツァルトのピアノとヴァイオリンのためのソナタ集<PHILIPS>、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、島田雅彦の『人類最年長』<文藝春秋>を読み進めたり、作業を進めたりしたのち、3時40分過ぎに寝床に就く。


 10時に起きて洗濯をすませたのち、デヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」<RCA>やABCラジオの『全力投球!!妹尾和夫ですサンデー』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『マリー・ペシャメの穏やかな一日』の改稿作業を進めたりする。


 午後、仕事関係の作業を進めたり、『人類最年長』を読み進めたりする。


 13時40分過ぎに外出し、買い物をしてから人間座スタジオへ。
 B級演劇王国 ボンク☆ランドvol.7『まるだし純情フォークロア』(西マサト国王作・演出)を愉しむ。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 ああ、面白かった!!!

 終演後、カナート洛北へ。
 本当はスタバを利用しようかと思っていたが、改装中で×。
 というか、ペット関連のショップやHMV、隣の楽器店など以外、ほとんどの店は閉まっていた…。
 結局、1階の休憩中チェアを利用して、ボンク☆ランドの観劇記録の下書き(粗書き)をすませる。

 その後、古本屋吉岡書店の外の新書コーナーをのぞいてから(やっぱり岩波新書の柴田南雄の『マーラー』は手元になかった。100円なので買っておくべきだった)、身体のメンテナンスへ。
 じっくりメンテナンスしてもらい、非常に楽になる。
 ああ、すっきりした!!!

 それから夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団他が演奏したシューベルトの交響曲第7番「未完成」他<同>を聴いたりしながら、観劇記録をアップする。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『リサイタル・パッシオ』を聴く。
 フィンランドの民族楽器、カンテレのはざた雅子の出演。


 夕飯後、ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルが演奏したラヴェルのラ・ヴァルスとボレロ<同>、MBSラジオのヤンタン日曜日を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『人類最年長』を読み進めたりする。


 今日も、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:27| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

B級演劇王国 ボンク☆ランドvol.7『まるだし純情フォークロア』

B級演劇王国 ボンク☆ランドvol.7『まるだし純情フォークロア』

 作・演出:西マサト
(2019年10月27日15時の回/人間座スタジオ)


 シュトルム・ウント・ドランク。
 疾風怒濤。
 であり、疾風怒頭。
 そして、疾風努禱。
 B級演劇王国 ボンク☆ランドにとって久しぶりの公演となるvol.7『まるだし純情フォークロア』をそれらしい言葉で表すとすればこうなるか。

 罪悪感を抱きながらも、オネショタと呼ばれるジャンルのエロ漫画家としてなんとか生きている男は、謎めいた手紙に導かれて永く離れた郷里の町へと戻って来る。
 ところがそこにはすでに実家はなく、男は途方に暮れる。
 周囲の人々の厚意でようやく人心地は着くものの、『八つ墓村』の寺田辰弥も真っ青の怪しげな展開で謎は深まるばかり…。

 開演前からすでに舞台上(左右扇型風に分かれた客席に向かって、いわゆる素舞台。ただし、奥に段差が設けられている)に、西国王以外の演者陣が集まり、おしゃべりを続ける合間、西国王に対する不満をあからさまに口にする。
 と、開演の口上にあわせて西国王が登場。
 メタ的なやり取りを挟んだのち、本篇に入る。
 で、ここからはまさしく西国王の独壇場、妄想が炸裂しまくる。
 いや、もちろんその他の演者陣も適宜、必須の演技を行うのだが、やはり肝はほとんど出ずっぱり、しかもモノローグも多数の西国王ということになるだろう。
 まさしく、疾きこと風の如く、動くこと雷霆の如し。
 滑稽な邪劇的要素にも事かかないが、当然そこには激しい心情と信条と身上の吐露がある。
 痛切な嘆きがある。
 ただ、それを単にまるだしの純情、ならぬ垂れ流しの感情と理解するのも大きな誤りだ。
 以前、フランスのピアニスト、クレール=マリ・ル・ゲの演奏について「知性を感性で抑制する」と評したことがあるのだけれど、西国王の場合も同様に、完璧を期せば知的で巧緻な結構・仕掛けにさらに徹するところをあえて…。
 いや、ちょっと違うか。
 自分自身の公演をはじめ、京都ロマンポップや努力クラブといった演劇的経験、それから、作中でも言及されている、横溝正史や江戸川乱歩等々(諸星大二郎や京極夏彦もそうか?)、本格派にオカルトミステリー的蓄積に裏打ちされた…。
 いや、それだけじゃない。
 そうした経験蓄積は、知的創作的背景のみならず、西国王にとって生き延びるための糧なのである。
 とうてい彼の想いや思いと不可分、切り離すことのできない両輪のうちの一つなのだ。
 いずれにしてもこの作品が、与えられた人生を辛く息苦しく惨めに感じ打ちひしがれている人たちにとって大きな救いになるように思えて僕には仕方ない。

 斉藤ひかり(いつもながらのオフビートかつパワフルな演技)、深草友紀子(重要な役。彼女がこの役を演じたことは大正解だった)、福原由惟(エネルギー全開)、坊俊幸(落ち着いた感じ)、美土路朝太郎(役が柄に合っている)、諸岡航平(どことなく若き日の高坂正堯のような鼻持ちのならなさ。誉め言葉)と、西国王以外の演者陣は、各々の特性を発揮しつつ、役回りにあわせた演技を心掛けていた。
 一方で、意図された以上に西国王や作品とのそれぞれの距離や齟齬、ばかりか、個々人の実人生で抱えた諸々が垣間見えてしまったこともあえて記しておきたい。

 安易に記せる言葉でないと思いつつ、西国王の次回作を心待ちにしたい。
 ああ、面白かった!!!
posted by figarok492na at 20:23| Comment(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする