2019年10月12日

台風19号接近(CLACLA日記)

 台風19号が首都圏を直撃する。
 大きな被害が発生しないか心配だ。

 京都は雨降り。
 どんよりとしたお天気の一日。

 じめじめとして、快ならぬ一日。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。


 気圧と湿度のWパンチ。
 体調、芳しからず。
 両耳の不調も続く。


 映画の美術監督でプロデューサー、西岡善信さんが亡くなった。97歳。
 奈良県の出身で、敗戦後大映京都撮影所に入り、美術監督として数多くの作品に携わった。
 大映倒産後は映像京都を設立、代表取締役社長を務めた。
 京都映画界を代表するお一人だった。
 深く、深く、深く、深く黙禱。


 エチオピアのアビー・アハメド・アリ首相がノーベル平和賞に選ばれた。
 長年続いていたエリトリアとの国境紛争を終結させたことが評価されたため。
 非常に個人的な事情で、エチオピアとエリトリアとの国境紛争についてはずっと気にかかっていたこともあり、感慨深い。


 安倍内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、読解力、記憶力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、諸作業を進めたのち、4時40分過ぎに寝床に就く。


 体調に加えてアラームをかけ忘れたために、気がつけば13時少し前。
 大昼寝坊…。


 午後、山田和樹指揮東京混声合唱団&東京交響楽団が演奏した團伊玖磨の『筑後川』、佐藤眞のカンタータ『土の歌』他<EXTON>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、李琴峰の『五つ数えれば三日月が』<文藝春秋>を読み始めたりする。


 15時過ぎに外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
 途中、ブックファーストで調べ物もする。
 思った以上にお客さんがいた。


 帰宅後、小津安二郎監督の『東京暮色』(1957年)のDVDを観る。
 よりにもよって台風の日に観てしまった。
 当然の如く、ますますどんよりと気分に陥る。
 なんとも切なく、やるせなく、救いのない妊娠小説、ならぬ妊娠映画だ。
 山田五十鈴、笠智衆、原節子、杉村春子、中村伸郎、藤原釜足(やっぱりいいな)、三好榮子(この女医がまたいい)、宮口精二、信欣三、高橋貞二(麻雀をしているときの彼のおかしな口調は、小西得郎の野球解説の真似だ)、須賀不二男、山村聰、浦辺粂子、長岡輝子、櫻むつ子他と役者陣はとても充実している。
 そして、若き日の有馬稲子がなんとも魅力的。
 だからこそ、あの最後はどうなんだろう、といつも通り思ってしまう。


 その後、仕事関係の作業を進めたり、『ミゲルの悔悛』を書き進めたりする。


 途中夕飯を挟み、ABCラジオの『土曜いそべ堂』を聴く。


 夕飯後、ジョヴァンニ・アントニーニ指揮バーゼル室内管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第1番&第2番<OEHMS>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『五つ数えれば三日月が』を読み進めたりする。


 今日は、山崎製パンのアーモンドカステラを食す。
 昨日、六角通のローソンストア100で購入しておいたもの。
 アーモンド型をしたアーモンド風味のスポンジケーキで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:45| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都市交響楽団第639回定期演奏会(後半のみ)

☆京都市交響楽団第639回定期演奏会(後半のみ)

 指揮:ラルフ・ワイケルト
管弦楽:京都市交響楽団

 座席:3階LB-2列2番
(2019年10月11日/京都コンサートホール大ホール)


 長生きも芸のうち。
 とは、先代の桂文楽に吉井勇が与えた和歌の冒頭の部分で、のちに吉井は元気で長生きもと言葉を付け加えた旨、矢野誠一の著書で目にした記憶があるのだが、いずれにしても、芸術芸能に関する至言ではなかろうか。
 そして、京都市交響楽団の第639回定期演奏会のメインプログラム、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」を指揮するラルフ・ワイケルトの姿を目にしたとたん、その至言のことがすぐに思い起こされた。

 ワイケルトは、ブルックナーと関係の深いオーストリアのザンクト・フローリアンの生まれ。
 はじめリンツ・ブルックナー音楽院で学び、ウィーン国立音楽大学ではハンス・スワロフスキーに薫陶を受けた。
 コンサート、オペラの両面で活躍し、かつてはNHK交響楽団、近年では新国立歌劇場や新日本フィルハーモニー交響楽団への客演と来日回数も少なくない。
 ただ、僕自身にとってワイケルトといえば、クラシック音楽を聴き始めた頃にNHKのFMで接したザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団との小ぶりなモーツァルトの印象が強く、当然実演に接するのも今夜の京都市交響楽団の定期演奏会が初めである。

 で、1940年の11月というからまもなく79歳になるワイケルトだけれど、まさしく長生きも芸のうち、元気で長生きも芸のうち、と口にしたくなるような指揮ぶりであり音楽づくりだった。
 と、言っても、セルジュ・チェリビダッケ流儀の非常にゆったりとしたテンポのブルックナーやロヴロ・フォン・マタチッチ流儀のグロテスクさも厭わぬ荒々しいブルックナーといった、これぞ老巨匠のブルックナー演奏とは、ワイケルトの行き方は違う。
 ワイケルトの演奏には、身近な場所にずっとブルックナーの音楽が存在していたことから生まれるぶれのなさ、けれんのなさ、ブルックナーはかくあるべきという自信と矜持をまずもって感じる。
 むろん、そこはスワロフスキー門下、テキストの細部まで精緻に目配りを行い、オーケストラの均整を巧みにとることによって、緩急強弱、さらには音色の硬軟の変化を的確に生み出していたことも忘れてはなるまいが。
 そして、例えば、金管楽器の強奏部分などでは単にオーケストラ・コンサートでの経験ばかりでなく、ワーグナーをはじめとしたオペラ指揮で培われてきた劇場感覚の片鱗もまた大きく窺われもした。
 いずれにしても、ワイケルトの指揮者としての長年の経験が結実した演奏であり、非常に聴き応えがあった。
 ホルンの垣本昌芳をはじめ、ソロ・アンサンブルともに京都市交響楽団の面々もワイケルトの解釈のよくそって全体的に精度の高い演奏を繰り広げていたのではないか。
 中でも、ティンパニの中山航介の第2楽章での連続音やここぞというところでの鋭い連打が忘れがたい。
 適うことならば、ワイケルトと京都市交響楽団の組み合わせでブルックナーのほかの交響曲、特に後期の第7番、第8番、第9番をぜひ聴いてみたい。
 ああ、面白かった!!!

 そうそう、ワイケルトの著書『指揮者の指名』が水曜社から刊行されて、ホールでも販売されていたのだった。
 果たしてどのような内容か。
 とても興味深い。
posted by figarok492na at 02:14| Comment(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする