世は三連休明け。
もしくは、お盆休み中。
青空は見えつつも、どんどんどんよりとした感じが増す。
風も吹いてきた。
台風10号が近づいている。
気温は今日も上昇し、暑さがとても厳しい。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
熱中症にはお気をつけのほど。
体調、今一つ。
両耳の不調も続く。
安倍晋三が父晋太郎の墓前で改憲がどうのこうのと口にしたらしい。
トランプ大統領=アメリカによる農産品購入要求に屈するだろう人間が何を偉そうにと思わずにはいられない。
うんざりするばかり。
安倍内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
気持ちの悪い人間が気持ちの悪い言動を繰り返している。
それに気持ちの悪い人間が追従する。
気持ちの悪い世の中だ。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、ラルキブデッリが演奏したメンデルスゾーンとガーデの弦楽8重奏曲<SONY>を聴いたりしながら作業を進めたのち、3時過ぎに寝床に就く。
8時台に起きて洗濯をすませたのち、外出する。
髪を切るためだったが、ありゃりゃGUEST三条店はお盆休みだった。
電話で確認しておくべきだった…。
帰宅後、グレン・グールドとレオポルド・ストコフスキー指揮アメリカ交響楽団が演奏したベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」<SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、今後の創作活動について考えたりする。
午後、ストコフスキー指揮ナショナル・フィルが演奏したブラームスの悲劇的序曲&交響曲第2番<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、今後の創作活動について考えたりする。
その後、岡本喜八監督の『ジャズ大名』(1986年)のDVDを観る。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
ああ、面白かった!
夕方になって再び外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
帰宅後、ストコフスキー指揮ナショナル・フィルが演奏したメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」&ビゼーの交響曲第1番<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、今後の創作活動について考えたりする。
夕飯後、ストコフスキー指揮ナショナル・フィルが演奏したシベリウスの交響曲第1番&交響詩『トゥオネラの白鳥』<同>、ABCラジオの『よなよな…火曜日』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、今後の創作活動について考えたりする。
中村文則の『土の中の子供』<新潮社>を読了する。
表題作は芥川賞受賞作。
最近のエンターテイメント的な作品とは色合いが大きく異なるものの、核となるものはやはり通底している。
そして、やはり中村文則は文章が巧いと痛感した。
今日は、オイシスの牛乳好きのためのみるくロールを食す。
六角通のローソンストア100で、30円引きだったもの。
あっさりした味わいのミルククリームがたっぷりのったスポンジケーキで、なかなか美味しうございました。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2019年08月13日
ジャズ大名
☆『ジャズ大名』(1986年)
監督:岡本喜八
脚本:岡本喜八、石堂淑朗
原作:筒井康隆
自ら『不良少年の映画史』<文春文庫>をものしているように、筒井康隆という人は幼少の頃から映画に慣れ親しんでいた。
だから、その作品も映像化に適している…。
と、考えるのは果たしてどうだろう。
確かに、筒井康隆は物語の骨法というものをよく掴み、よく押さえている小説の書き手だ。
若き日のSF短篇小説しかり、中間小説しかり、後年の純文学的長篇小説しかり。
まさしくストーリーテラーと評して間違いはあるまい。
だけど、一方で筒井作品といえば実験なんて言葉を軽く超越した言語文章のアクロバティックな躍動が持ち味でもあって、さらにそこに透徹したロマンチシズムやセンチメンタリズムの要素が加わり、しかも躁状態丸出しのやりたい放題な展開まで待っているわけだから、『世にも奇妙な物語』的な掌篇映像ならまだしも、長尺の作品となると、なかなか一筋縄ではいかない。
『時をかける少女』のようなジュブナイルならいざ知らず、スラプスティックを売りにした原作の映像化は、筒井康隆の側にそおうという意図が明確である分、かえって様々な齟齬が現れてしまっているのではないか。
それでは、筒井康隆自身が大いに影響を受けた岡本喜八が映画化した、『ジャズ大名』はどうだろう。
たぶん筒井康隆の小説を愛する向きには、いろいろと残念さを覚える内容となっているのではないか。
けれど、筒井康隆は筒井康隆であり、岡本喜八は岡本喜八、原作は原作であり、映画は映画、である。
『ジャズ大名』もまた岡本喜八らしさが全面に押し出された作品となっている。
幕末、薩長と幕府が最後の争いを繰り広げる中、アメリカ出身の三人の黒人たちが楽器とともに東海道の交通の要所である駿河国庵原藩内に漂着する。
好奇心旺盛な藩主海郷亮勝は三人が奏でる音楽に魅了され、そのうち家臣一堂もジャズのセッションにのめり込む。
薩長と幕府の争いなど知ったことか。
遂には、ええじゃないかの集団までがセッションに加わって…。
まさしくアナーキー極まる展開だ。
でも、そこには、戦争経験からくる苦い感情、屈折が多分に含まれている。
薩長・幕府がお互いの大義の下に無駄な殺し合いを重ねる。
なのに、一方の親玉である徳川慶喜はいつの間にか大阪城から船に乗って江戸へと逃げ帰る…。
そして、この『ジャズ大名』においては、その曰く言い難い悲憤、鬱積の反動として、「ええじゃないか」とジャズ・セッションの狂奏、狂躁が対置される。
そうそう、これは石堂淑朗のアイデアかもしれないが、古谷一行(久しぶりに彼の演技に感心した)演じる殿様と財津一郎演じる家老のやり取りで、「耐え難きを耐え…」などという言葉を聴くと、どうしても『日本のいちばん長い日』のことを思い出してしまう。
それもあって、責任を感じて切腹しようとする財津一郎がまた阿南惟幾に重なって見えて仕方がなかった。
(ここでの財津一郎の演技がいい。「喜劇をやろうと思うな」という榎本健一の教えを守っているかのようだ)
あと、この作品が米ソ冷戦下の1986年につくられたということも忘れてはなるまい。
役者陣はほかに、本田博太郎、神崎愛、殿山泰司、今福将雄、ミッキー・カーチス、唐十郎、小川真司(声でわかる)、利重剛、樋浦勉、香川良介、六平直政、野崎海太郎といった人々。
喜八一家のほか、ラストのジャズセッションには筒井康隆繋がりの山下洋輔や細野晴臣も参加。
同じく筒井康隆と親しいタモリもちょっとだけ顔を出していた。
(ちなみに、殿様の妹の姫様役の岡本真実は岡本監督の娘である)
監督:岡本喜八
脚本:岡本喜八、石堂淑朗
原作:筒井康隆
自ら『不良少年の映画史』<文春文庫>をものしているように、筒井康隆という人は幼少の頃から映画に慣れ親しんでいた。
だから、その作品も映像化に適している…。
と、考えるのは果たしてどうだろう。
確かに、筒井康隆は物語の骨法というものをよく掴み、よく押さえている小説の書き手だ。
若き日のSF短篇小説しかり、中間小説しかり、後年の純文学的長篇小説しかり。
まさしくストーリーテラーと評して間違いはあるまい。
だけど、一方で筒井作品といえば実験なんて言葉を軽く超越した言語文章のアクロバティックな躍動が持ち味でもあって、さらにそこに透徹したロマンチシズムやセンチメンタリズムの要素が加わり、しかも躁状態丸出しのやりたい放題な展開まで待っているわけだから、『世にも奇妙な物語』的な掌篇映像ならまだしも、長尺の作品となると、なかなか一筋縄ではいかない。
『時をかける少女』のようなジュブナイルならいざ知らず、スラプスティックを売りにした原作の映像化は、筒井康隆の側にそおうという意図が明確である分、かえって様々な齟齬が現れてしまっているのではないか。
それでは、筒井康隆自身が大いに影響を受けた岡本喜八が映画化した、『ジャズ大名』はどうだろう。
たぶん筒井康隆の小説を愛する向きには、いろいろと残念さを覚える内容となっているのではないか。
けれど、筒井康隆は筒井康隆であり、岡本喜八は岡本喜八、原作は原作であり、映画は映画、である。
『ジャズ大名』もまた岡本喜八らしさが全面に押し出された作品となっている。
幕末、薩長と幕府が最後の争いを繰り広げる中、アメリカ出身の三人の黒人たちが楽器とともに東海道の交通の要所である駿河国庵原藩内に漂着する。
好奇心旺盛な藩主海郷亮勝は三人が奏でる音楽に魅了され、そのうち家臣一堂もジャズのセッションにのめり込む。
薩長と幕府の争いなど知ったことか。
遂には、ええじゃないかの集団までがセッションに加わって…。
まさしくアナーキー極まる展開だ。
でも、そこには、戦争経験からくる苦い感情、屈折が多分に含まれている。
薩長・幕府がお互いの大義の下に無駄な殺し合いを重ねる。
なのに、一方の親玉である徳川慶喜はいつの間にか大阪城から船に乗って江戸へと逃げ帰る…。
そして、この『ジャズ大名』においては、その曰く言い難い悲憤、鬱積の反動として、「ええじゃないか」とジャズ・セッションの狂奏、狂躁が対置される。
そうそう、これは石堂淑朗のアイデアかもしれないが、古谷一行(久しぶりに彼の演技に感心した)演じる殿様と財津一郎演じる家老のやり取りで、「耐え難きを耐え…」などという言葉を聴くと、どうしても『日本のいちばん長い日』のことを思い出してしまう。
それもあって、責任を感じて切腹しようとする財津一郎がまた阿南惟幾に重なって見えて仕方がなかった。
(ここでの財津一郎の演技がいい。「喜劇をやろうと思うな」という榎本健一の教えを守っているかのようだ)
あと、この作品が米ソ冷戦下の1986年につくられたということも忘れてはなるまい。
役者陣はほかに、本田博太郎、神崎愛、殿山泰司、今福将雄、ミッキー・カーチス、唐十郎、小川真司(声でわかる)、利重剛、樋浦勉、香川良介、六平直政、野崎海太郎といった人々。
喜八一家のほか、ラストのジャズセッションには筒井康隆繋がりの山下洋輔や細野晴臣も参加。
同じく筒井康隆と親しいタモリもちょっとだけ顔を出していた。
(ちなみに、殿様の妹の姫様役の岡本真実は岡本監督の娘である)