2019年08月09日

長崎への原子爆弾の投下から74年が経った(CLACLA日記)

 アメリカによって長崎市に原子爆弾されてから74年が経った。
 犠牲となった全ての方々に、深く、深く、深く、深く、深く黙禱を捧げます。


 晴天が続く。
 ただし、台風の影響か、徐々にどんよりとし始めた。

 今日も今日とて暑さがとてつもなく厳しい。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
 熱中症にはお気をつけのほど。


 体調、今一つ。
 両耳の不調も続く。


 安倍内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。

 それにしても、広島市と長崎市の式典における安倍晋三の言動にはうんざりする。
 毎年のことではあるが。


 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、アルテミス・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第11番「セリオーソ」&第7番「ラズモフスキー第1番」<Virgin>、KBS京都で岡村隆史のオールナイトニッポン(ただし、小泉進次郎と滝川クリステルの結婚のくだりは聴かず)を聴いたりしながら、作業を進めていたが、PCの更新にぶつかってしまう。
 で、結局、4時過ぎに寝床に就く。


 午前中、諸々あってばたばたとする。


 午後、仕事関係の予定をすませる。

 その後、関川秀雄監督の『大いなる驀進』のDVDを観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 ああ、面白かった!

 DVDをみたあと、YouTubeでジャン・フレデリック・ヌーブルジェとフランソワ・グザヴィエ・ロト指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団が演奏したシューマンのピアノ協奏曲、ヌーブルジェの『事実と身振り』(2019年6月18日、ケルン・フィルハーモニー)を聴いたりしながら、映画の感想をアップしたり、内田百閧フ『百鬼園の戦前・戦中日記』上<慶應義塾大学出版会>を読み進めたりする。


 夕方になって外出し、下京図書館へ。
 『大いなる驀進』とニコラウス・アーノンクール指揮ベルリン・フィルが演奏したシューベルトの交響曲全集<ベルリン・フィル>、小林信彦の『生還』<文藝春秋>と中村文則の『その先の道に消える』<新潮社>を返却し、予約しておいた中村文則の『土の中の子供』<同>、磯崎憲一郎の『終の住処』<同>、絲山秋子の『沖で待つ』<文藝春秋>、岡本喜八監督の『ジャズ大名』(DVD)、ケント・ナガノ指揮リヨン国立歌劇場管弦楽団他が演奏したストラヴィンスキーの歌劇『ザ・レイクス・プログレス(放蕩者の遍歴)』全曲<ERATO>を新たに借りる。

 その後、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、洗濯をすませたのち、『百鬼園の戦前・戦中日記』上を読み進めたり、雑件を片付けたりする。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『まろのSP日記』第21集〜時代を切り開いた女性たち〜を聴く。
 女性演奏家や女性作曲家の録音が特集されていた。


 夕飯後、『ザ・レイクス・プログレス』を聴く。
 ストラヴィンスキーが新古典派の流儀で作曲した三幕のオペラ。
 巧緻に編まれた音楽を、ケント・ナガノが精緻に再現している。
 ジェリー・ハドリー、サミュエル・レイミー、ロバート・ロイド、グレース・バンブリーと歌手陣もなかなかの顔触れだが、やはり一押しはなんと言ってもアン役のドーン・アップショウで、スウィートな声を聴かせてくれる。

 仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、『百鬼園の戦前・戦中日記』上を読み進めたりする。


 今日は、山崎製パンの大きなツインシューを食す。
 近くのローソンで購入したもの。
 カスタードクリームとホイップクリームの入った大ぶりなシュークリームで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:35| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大いなる驀進(1960年)

☆『大いなる驀進』(1960年)

 監督:関川秀雄
 脚本:新藤兼人


 かつて長崎に生まれ育った人間にとって、飛行機や新幹線よりもなお夜行寝台特急「さくら」は、東京への上京や長崎への帰郷を強く感じさせたのではないだろうか。
 今から30年以上も前になるか、大学受験の行き帰りに「さくら」を利用した際、僕もそのことを痛感したものだった。
 加えて、飛行機や新幹線以上に同じ時間を過ごすこともあるからだろうか、夜行列車の旅では見知らぬ人と一期一会の会話を愉しむことも少なくない。
 僕自身、行きの「さくら」では大学の名誉教授の先生と芸術談義に華を咲かせてコーヒーや甘いものをご馳走になったし、一転帰りの「さくら」では企業の労務担当の中間管理職の中年男性から「おいは、共産党の言うことは正しかと思うとっとやけど、正しかことだけじゃ会社は成り立たんとさ、だけんしょんなか、民社党ば応援しとっとたいね」といった嘆きの言葉を缶ビールにちくわのセットとともにいただいたものだ。
 そんな濃密な空間だけに、当然人間ドラマには誂え向きということで、瀬川昌治監督の『喜劇急行列車』や山本薩夫監督の『皇帝のいない八月』と、「さくら」は何度か映画の舞台となってきた。
 関川秀雄監督の『大いなる驀進』は、その「さくら」を舞台にした映画の皮きりである。

 早く結婚したいが、今のままではうだつが上がらないと悩む車掌の矢島(中村賀津雄=当時)は、今回の「さくら」への乗車を最後に仕事を辞めると恋人の君枝(佐久間良子)に言い放つ。
 だが、矢島に車掌を辞めて欲しくない君枝は、彼の心を変えようと思わず「さくら」に飛び乗ってしまう。
 二人をはじめ、専務車掌の松崎(三國連太郎)や矢島に恋心を抱く食堂車の乗務員(中原ひとみ)、憲政党の政治家(上田吉二郎)とその秘書(大村文武)、政治家から懐中時計を掏り取るスリの名人(花澤徳衛)、闇の世界の男(波島進 特別機動捜査隊!)と彼を付け狙うチンピラ(曽根晴美)、自殺を図る元炭鉱経営者(小川虎之助)と彼を救う医師(小沢栄太郎)、長崎医大へ血清を届けねばならない大阪医大の女性(久保菜穂子)といった様々な人々が集う「さくら」は、長崎に向けて驀進するが、途中台風の直撃にあって…。

 といった、いわゆるグランドホテル形式の作品なのだけれど、肝は雨風に打たれながらも土砂崩れの岩やら石やら土砂やら枝木やらを押しどけようと一丸となって必死に作業を続ける国鉄職員たちの姿ではなかろうか。
(フィクションとはいえ、佐久間良子や中原ひとみ、久保菜穂子といった女性たちも思わず復旧作業に加わっている。その点も忘れてはなるまい)
 1時間半ほどの尺でもあり、正直、予告編や惹句で煽るほどには激しいスリルを感じさせる内容ではないが、観て嫌な気分になることのない向日性に富んだ作品であることも確かだろう。
 それと、関川監督の実兄が国鉄の幹部だったということもあってだろうが、国鉄の全面協力を受けている分、鉄道好きにはたまらない映像が多数含まれていて、それも見物だ。

 屈折した感じ、翳りが持ち味の中村賀津雄と、自分の想いに正直に行動する佐久間良子のほか、上述の如く、俳優陣も多士済々。
 ただし、その要は、同じく国鉄の全面協力で撮影された関川秀雄監督の前作『大いなる旅路』同様、三國連太郎か。
 ところどころ腹に一物を秘めた様子もあって、ついつい『皇帝のいない八月』で演じた陸上自衛隊の警務部長役での怪演を思い出してしまったが。
 それにしても、若いころの三國連太郎って、やっぱり佐藤浩市に似ているなあ。
(ちなみに、自衛隊員がクーデターを起こそうとして「さくら」を乗っ取り、おしまいには大銃撃戦を巻き起こしてしまうという政治サスペンス劇『皇帝のいない八月』は、国鉄の協力を得ることはできなかった…。そういや、三國連太郎のほか、小沢栄太郎も両方の作品に出ているんだった)

 あと、印象的だったのが、朝焼けの中に黒く浮き上がる原爆ドームだ。
 もちろんそれは、「さくら」の停車駅広島をイメージさせる映像であることに間違いはないのだけれど、関川秀雄が『ひろしま』の、新藤兼人が『原爆の子』のそれぞれ監督であるだけに、いろいろと感じ、想い、考えてしまった。
posted by figarok492na at 17:14| Comment(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする