どんよりとしたお天気の一日。
じめじめむしむしとして快ならず。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
気圧と湿度のWパンチ。
体調、今一つ。
両耳の不調も続く。
安倍内閣が今日も続く。
厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
いつまで続く泥濘ぞ。
本当に救い難い状況である。
馬鹿に付ける薬はない。
馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなるまい。
そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、YouTubeでセシル・ウーセが弾いたドビュッシーのピアノのために(プレリュード、サラバンド、トッカータ)、金色の魚、アナカプリの丘、花火、ラサール・カルテットが演奏したドビュッシーの弦楽4重奏曲、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、2時40分過ぎに寝床に就く。
9時40分過ぎに起きて洗濯をすませたのち、YouTubeでカルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団が演奏したシューベルトの交響曲第7番「未完成」、カール・ベーム指揮ベルリン・フィル楽団が演奏したシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『さすらう親方の歌』の手直しを行ったり、梯久美子の『狂うひと』<新潮社>を読み進めたりする。
午後、YouTubeでロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルが演奏したシベリウスの交響曲第5番、ラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィルが演奏したワーグナーのジークフリート牧歌と歌劇『ローエングリン』第1幕への前奏曲、NHK・FMの『きらクラ!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『狂うひと』を読み進めたりする。
16時過ぎに外出し、河原町方面へ。
ライト商會三条店の2階ギャラリーで、演劇企画<部屋>を愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
ああ、面白かった!!!
終演後、夕飯用の買い物をすませて19時少しまえに帰宅する。
帰宅後、YouTubeでウラディーミル・アシュケナージさんが弾いたショパンの前奏曲嬰ハ短調作品45とスケルツォ第1番&第2番、シューマンの幻想曲を聴いたりしながら、観劇記録をアップする。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『リサイタル・パッシオ』を聴く。
テノールの清水徹太郎の出演。
夕飯後、YouTubeでヴァーツラフ・ノイマン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が演奏したリストの交響詩『前奏曲』とグリンカの幻想曲『カマリンスカヤ』、スメタナの歌劇『売られた花嫁』抜粋(序曲と舞曲)とドヴォルザークの歌劇『悪魔とカーチャ』抜粋、コリン・デイヴィス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したハイドンの交響曲第88番「V字」、フリッツ・ライナー指揮交響楽団が演奏したハイドンの交響曲第95番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたりする。
『狂うひと』を読了する。
「死の棘」の妻・島尾ミホと副題にある通り、作家島尾敏雄の妻で彼の『死の棘』の登場人物でもあった島尾ミホの生涯を追うとともに、『死の棘』がどのように創作されていったものなのかについて検証考察した一冊。
非常に刺激を受けた。
ああ、面白かった!!!
今日は、甘いものは食さず。
我慢我慢。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2019年06月23日
演劇企画<部屋>
☆演劇企画<部屋>(○○企画)
(2019年6月23日17時開演の回/WRIGHT商會三条店2階ギャラリー)
笑うのが苦手な人
人ごみが苦手な人
会社が苦手な人
学校が苦手な人
それからあとは、恋が終わった人、恋が始まりそうな人、とか、人を誤解してしまう人、人に誤解されてしまう人、といった感じで毎回違った言葉が続く。
もう20年近くも前になってしまうのか。
今も現役で活躍中のaikoがオールナイトニッポンのパーソナリティーを務めていた頃、番組のおしまいにそうやってリスナーに呼び掛けていた。
笑うのが苦手だったり、人ごみが苦手だったり…。
もしも順風満帆で何事もハッピー、お気楽C調、この世は春なんて人(でも、そんな「おめでたい人」なんているのだろうか?)は別にして、何かを抱えて日々を生きている人にはきっと大きな慰めとちょっとした勇気を与える言葉ではなかったろうか。
そして、aikoの歌に耳を傾けているだけでは足りなくて、まだ足りなくて、それでも生きていこうと想う人が、aikoと同じように歌ったり、演じたり、書いたり、描いたりするのだろうとも思う。
WRIGHT商會のギャラリーで行われた演劇企画<部屋>に出演した4人の女性たちも、きっとそうだろう。
毎回企画名を変えつつ公演を重ねている「○○企画」だが、今回は4人の女性の演者一人一人がそれぞれの部屋で過ごしている姿を描き出そうという趣向の、その名も<部屋>。
まさしく4者4様のバラエティに富んだ内容になっていた。
一室目<八三二>号室は、振付・構成:ゆざわさな、出演:畑迫有紀による「ノクターン」。
フォルムへの傾斜、完璧主義と、他者との齟齬や自分自身の限界をよく認識する知性、内面の鬱屈や大きな揺れ、激しい動きが絡まって、ときに演技にこわばりというか硬さを若干感じることもある畑迫さんだが(って、役を割り振ってる側の問題も大きいんだけど。自戒をこめて記せば)、この「ノクターン」は彼女のバレエの素養も相まって、表現表出の両面で優れた演技(踊り)を見せていた。
て、なんだかそれらしい言葉だなあ、もっと率直に言えば、彼女の抱えているものが高い精度を保ってストレートにたたき付けられ投げかけられているようで、非常に心を動かされた。
続く<一〇二号室>は、雛野あきの朗読による小川未明作の「青い時計台」。
読み聞かせ風の淡々とした朗読で、演技という意味ではもっとも「仕掛け」は少ないのだけれど、小川未明の作品自体にとても含みがあり、なおかつこの作品を選んだことにも含みがある。
外から「部屋」を眺める少女さよ子が感じ取っていくことと感じ取ったことが、作品の大きな肝だ。
三室目の<一〇三号室>は、平野啓一郎訳のオスカー・ワイルドの『サロメ』をもとに私道かぴが脚本化し、稲垣綾菜が出演した「サロメ」。
3月の○○企画の公演/集団迷子の『星の王子さま』でも存在感を示した稲垣さんだが、ここでも、少女と大人の端境にあるサロメを感情の振れ幅激しく演じ切った。
ただし、稲垣さんをいわゆる憑依型の演者だと判断するのは大きな間違いのような気がする。
例えば、ヨカナーンに模された林檎を齧るあたりの演技にもよく表されていたけれど、彼女の特性は自分自身の内側にあるだろう狂気だとか、エロスだとか、自己顕示だとか、そういったあれこれを手の内に入れて反芻した上で改めて演じてみせるところにあるのではないか。
いずれにしても、強く印象に残った。
最後は<四〇四号室>で、柴幸男作、にさわまほ出演による「反復かつ連続」。
ラヴェルのボレロ、とはちょっと違うか、四人の娘と母親をにさわさんが演じ分けていくのだけれど、同時に五人を演じるのではなく、まず一番下の娘から演じていって、次の登場人物のパートを演じる際は前の登場人物のパートは録音されたものとなっている。
つまり、録音されたパート(二人目、三人目と重ね録りされているということ。音響監修は武田暢輝。ちなみに武田君も私道さんもにさわさんと同様、安住の地のメンバーだ)にあわせて、にさわさんは演技を連続させていくのだ。
それこそ安住の地という演劇的な「前衛」(アヴァンギャルド)の地で活躍しているにさわさんらしい選択であり、自ら演出を手掛けているだけあってぶれのない演技でもあったのだが、それが頭でっかちに終わっていないのは、彼女の持つフラ(おかしみ)も大きいと感じた。
そして、それは技のための技に終わらない、柴幸男の本にもよく合っているとも感じた。
いずれにしても、観てよかったと思える公演だった。
ああ、面白かった!!!
そうそう、aikoの呼び掛けの最後の言葉を書き忘れていた。
あしたもよい日でありますように!
この公演に出演した4人をはじめ、関わった皆さん、観客の皆さん、そしてこの記事をご覧いただいている皆さん。
あしたもよい日でありますように!
(2019年6月23日17時開演の回/WRIGHT商會三条店2階ギャラリー)
笑うのが苦手な人
人ごみが苦手な人
会社が苦手な人
学校が苦手な人
それからあとは、恋が終わった人、恋が始まりそうな人、とか、人を誤解してしまう人、人に誤解されてしまう人、といった感じで毎回違った言葉が続く。
もう20年近くも前になってしまうのか。
今も現役で活躍中のaikoがオールナイトニッポンのパーソナリティーを務めていた頃、番組のおしまいにそうやってリスナーに呼び掛けていた。
笑うのが苦手だったり、人ごみが苦手だったり…。
もしも順風満帆で何事もハッピー、お気楽C調、この世は春なんて人(でも、そんな「おめでたい人」なんているのだろうか?)は別にして、何かを抱えて日々を生きている人にはきっと大きな慰めとちょっとした勇気を与える言葉ではなかったろうか。
そして、aikoの歌に耳を傾けているだけでは足りなくて、まだ足りなくて、それでも生きていこうと想う人が、aikoと同じように歌ったり、演じたり、書いたり、描いたりするのだろうとも思う。
WRIGHT商會のギャラリーで行われた演劇企画<部屋>に出演した4人の女性たちも、きっとそうだろう。
毎回企画名を変えつつ公演を重ねている「○○企画」だが、今回は4人の女性の演者一人一人がそれぞれの部屋で過ごしている姿を描き出そうという趣向の、その名も<部屋>。
まさしく4者4様のバラエティに富んだ内容になっていた。
一室目<八三二>号室は、振付・構成:ゆざわさな、出演:畑迫有紀による「ノクターン」。
フォルムへの傾斜、完璧主義と、他者との齟齬や自分自身の限界をよく認識する知性、内面の鬱屈や大きな揺れ、激しい動きが絡まって、ときに演技にこわばりというか硬さを若干感じることもある畑迫さんだが(って、役を割り振ってる側の問題も大きいんだけど。自戒をこめて記せば)、この「ノクターン」は彼女のバレエの素養も相まって、表現表出の両面で優れた演技(踊り)を見せていた。
て、なんだかそれらしい言葉だなあ、もっと率直に言えば、彼女の抱えているものが高い精度を保ってストレートにたたき付けられ投げかけられているようで、非常に心を動かされた。
続く<一〇二号室>は、雛野あきの朗読による小川未明作の「青い時計台」。
読み聞かせ風の淡々とした朗読で、演技という意味ではもっとも「仕掛け」は少ないのだけれど、小川未明の作品自体にとても含みがあり、なおかつこの作品を選んだことにも含みがある。
外から「部屋」を眺める少女さよ子が感じ取っていくことと感じ取ったことが、作品の大きな肝だ。
三室目の<一〇三号室>は、平野啓一郎訳のオスカー・ワイルドの『サロメ』をもとに私道かぴが脚本化し、稲垣綾菜が出演した「サロメ」。
3月の○○企画の公演/集団迷子の『星の王子さま』でも存在感を示した稲垣さんだが、ここでも、少女と大人の端境にあるサロメを感情の振れ幅激しく演じ切った。
ただし、稲垣さんをいわゆる憑依型の演者だと判断するのは大きな間違いのような気がする。
例えば、ヨカナーンに模された林檎を齧るあたりの演技にもよく表されていたけれど、彼女の特性は自分自身の内側にあるだろう狂気だとか、エロスだとか、自己顕示だとか、そういったあれこれを手の内に入れて反芻した上で改めて演じてみせるところにあるのではないか。
いずれにしても、強く印象に残った。
最後は<四〇四号室>で、柴幸男作、にさわまほ出演による「反復かつ連続」。
ラヴェルのボレロ、とはちょっと違うか、四人の娘と母親をにさわさんが演じ分けていくのだけれど、同時に五人を演じるのではなく、まず一番下の娘から演じていって、次の登場人物のパートを演じる際は前の登場人物のパートは録音されたものとなっている。
つまり、録音されたパート(二人目、三人目と重ね録りされているということ。音響監修は武田暢輝。ちなみに武田君も私道さんもにさわさんと同様、安住の地のメンバーだ)にあわせて、にさわさんは演技を連続させていくのだ。
それこそ安住の地という演劇的な「前衛」(アヴァンギャルド)の地で活躍しているにさわさんらしい選択であり、自ら演出を手掛けているだけあってぶれのない演技でもあったのだが、それが頭でっかちに終わっていないのは、彼女の持つフラ(おかしみ)も大きいと感じた。
そして、それは技のための技に終わらない、柴幸男の本にもよく合っているとも感じた。
いずれにしても、観てよかったと思える公演だった。
ああ、面白かった!!!
そうそう、aikoの呼び掛けの最後の言葉を書き忘れていた。
あしたもよい日でありますように!
この公演に出演した4人をはじめ、関わった皆さん、観客の皆さん、そしてこの記事をご覧いただいている皆さん。
あしたもよい日でありますように!