2019年05月28日

雨降りの一日(CLACLA日記)

 雨降り。
 どんよりとしたお天気の一日。

 気温は少し下がったが、じめじめじめじめとして快ならず。
 季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。


 気圧と湿度のWパンチ。
 体調、今一つ。
 両耳の不調も続く。


 安倍内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。


 アメリカのトランプ大統領が日本を去った。
 ただただ恥をさらしただけだ。
 何が美しい国か。
 醜くみじめなだけではないか。


 川崎市(登戸)で、19人が刺され2人が亡くなるという事件が発生する。
 身柄を確保された50代の男も自らの首を刺しており、死亡したという。
 いろいろと想い、いろいろと考えることあり。
 狙うのであれば…。
 以下は自粛する。


 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、作業を進めたのち、3時20分過ぎに寝床に就く。


 夜にカフェイン(緑茶)を摂ったせいか、8時過ぎには起きてしまう。

 午前中、YouTubeでイェルク・デムスとミラン・ホルヴァート指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団が演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第21番&第26番「戴冠式」、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』、楽劇『ばらの騎士』からワルツ、交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』、歌劇『火の危機』から愛の情景、パウル・ヒンデミット指揮ベルリン・フィルが演奏したヒンデミット自身の交響曲『画家マティス』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『ほそゆき』の二十五について考えたり、横溝正史の『真珠郎 由利・三津木探偵小説集成1』<柏書房>を読み進めたりする。


 午後、YouTubeでアレクサンドル・グラズノフ指揮管弦楽団が演奏したグラズノフ自身のバレエ音楽『四季』、ジノ・フランチェスカッティとトーマス・シッパーズ指揮ニューヨーク・フィルが演奏したメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲フランチェスカッティとジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団メンバーが演奏したチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団が演奏したハチャトゥリアンのバレエ音楽『仮面舞踏会』組曲、イベールのディヴェルティメント、コダーイのガランタ舞曲、マスネの歌劇『ル・シッド』からバレエ音楽、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団が演奏したロッシーニの歌劇『ウィリアム・テル』からバレエ音楽、歌劇『セビリャの理髪師』序曲を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、ササハラ組の連絡作業を行ったり、『ほそゆき』の二十五を書き終えてブログ等にアップしたり、『真珠郎』を読み進めたりする。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。
 強い降りで、少し濡れる。


 帰宅後、YouTubeでフェリックス・ワインガルトナー指揮ロンドン交響楽団が演奏したヘンデルの合奏協奏曲作品6−6、ウォルター・グマインドル指揮ベルリン市立管弦楽団が演奏したカンナビヒの交響曲変ロ長調を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『真珠郎』を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』でジョナサン・ノット指揮スイス・ロマンド管弦楽団のコンサートのライヴ録音を聴く。
 ディーター・アマーンのオーケストラのための「コア」、ピエール・ローラン・エマールの独奏によるバルトークのピアノ協奏曲第1番、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」が演奏されていた。


 夕飯後、YouTubeでヴァイオリンのパウル・リヒャルツとロベルト・ヘーガー指揮ベルリン国立管弦楽団が演奏したレスピーギのグレゴリオ風協奏曲、ABCラジオの『よなよな…』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『真珠郎』を読み進めたりする。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:02| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ほそゆきのパイロット版25

☆ほそゆきのパイロット版25


 結局、雪子と詠美が笑顔を見せたのは、約二時間半にも及ぶ上演の間、それが最初で最後であった。あとは、またもや自己顕示と自己満足と自己懐疑と自己卑下のオンパレード。雪子や詠美ばかりか、たぶん大多数のお客さんにとって、地獄の責め苦が続きに続いたのである。
 四度も続いた偽のフィナーレの末、はい、おわります、の一言で尻切れトンボに上演が終わったとき、ずっと生理現象を我慢していたと思しき最前列左端の頭髪の薄い男性は、阿修羅の如き形相で会場入口横のトイレへと向かって行った。
 最前列真ん中の派手な女性はささっとアンケートを書き上げると、着信音を鳴らした中年女性を睨みつけつつ憤然とした様子で会場を後にした。
「なあ、ともちゃんどこに出てた」
「ううん、わからんかったなあ」
「にしても、あれやなあ」
「ほんまやな」
 という疲れ切った親御さんたちの会話も聞こえてくる。
 詠美は雪子と顔を見合わせて、はあ、と大きなため息を吐くと、
「杉浦さんとあさがおちゃんはよかったな」
と言った。
「杉浦さんって」
「おじいちゃん。杉浦さんは、スタジオ・カホウって劇場の小屋主さんなんやけど、昔すぐり座って劇団の劇団員やってたんよ」
「へえ、そうなん。あの歌、ほんまよかったなあ」
「うん。それに、あさがおちゃんも流石やな」
「十五役やってた子やんね」
「そう。舞台芸術学科の後輩なんやけど、彼女ほんま凄いわ」
 と、トイレから出て来た頭髪の薄い男性が、雪子や詠美と同じ列に座った若い女性に声をかけられ苦笑いを浮かべた。
「あっ、トイレ行ってくるわ」
 そう言って詠美が席を立ったので、雪子はアンケート用に配られた鉛筆をくるくると左手で器用に回しながら、会場中を見るとはなしに見ていた。
 すると、それまでアンケートを書き続けていた平原が急に後ろを振り返った。雪子が一人であることに気づいた平原は、これ幸いと彼女のほうにやって来る。
「なあ、野川さん、隣にいたのは野川さんの妹さんなんやろ。野川さんなあ、あんなんではあかんで。社会的常識ってもんがなさ過ぎるんとちゃう。映画の世界で生きようって段階で、普通の女性とはいろいろと異なってはいるんやろうから、そこはまあしゃあないとして、それでもやっぱり日本人としての、日本の女性としての道徳観念と貞操観念はしっかり持たせなあかんよ。妹さんは、異常者や。残念ながら正真正銘の異常者や。それで、そんな妹さんを野放しにしている野川さんも異常者や。正常極まる僕のような人間から見たら、もうこれは恐怖でしかないよ。異常者は矯正していかなあかん。矯正が不可能やったら排除していかなあかん」
 などと言い募ることに必死な平原は、迫り来る恐怖を一切察知することはなかった。
「何が異常者じゃ、この異常者のちんかす野郎が」
 詠美の蹴りがストレートに腰に決まった平原は、ひでぶぶぶう、と意味不明な叫びを上げて、最前列まで吹っ飛んだ。
「二度と私の前に近づくな。ゆっこちゃんの前にも近づくな。佐田の前にも近づくな」
 平原は慌てて起き上がり、
「めろう、覚えてろ」
と陳腐な捨て台詞を残すと、腰を擦り擦り荷物をまとめて、脱兎の勢いで逃げ去った。
 集中する周囲の視線を意識して、ほんま怖かったわあ、あのストーカー、と声を上げた詠美に、
「ほんまに怖いんは、詠美ちゃんのほうや」
と、雪子はたまらず呟いた。
posted by figarok492na at 16:48| Comment(0) | 創作に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

降旗康男が亡くなった(深夜のCLACLA)

 晴天からどんよりとしたお天気に。
 明日は雨らしい。

 気温は少し下がったか。
 それでも、暑さは感じるが。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。


 体調、今一つ。
 両耳の不調も続く。


 映画監督の降旗康男が亡くなった。84歳。
 長野県の出身で、東京大学を卒業後東映に入社し、『非行少女ヨーコ』で監督デビューを果たす。
 東映時代より高倉健との関係が深く、特にフリーとなって以降の『駅 STATION』、『居酒屋兆治』、『あ・うん』、『鉄道員』、『ホタル』、『あなたへ』で知られた。
 遺作は、2017年公開の『追憶』。
 深く、深く、


 安倍内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。


 来日したアメリカのトランプ大統領に対する安倍総理の卑屈な姿を見て、未だにこの日本という国が実質的な「占領下」にあることを痛感する。
 それでいて、自己の権力維持のために愛国心を利用していることの見苦しさ。
 恥知らずの極みである。


 馬鹿に付ける薬はない。
 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、YouTubeでウラディーミル・アシュケナージさんとゲオルク・ショルティ指揮シカゴ交響楽団が演奏したベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番、阿部加奈子指揮大阪交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第29番とシューマンの交響曲第1番「春」(2017年4月26日、いずみホール)、ゲンナディ・ロジェストヴェンスキー指揮エストニア国立交響楽団が演奏したシューマンの交響曲第2番、アナトール・キテインが弾いたブラームスのワルツ集作品39とバラード作品10−1、シュトロース・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第4番を聴いたりしながら、横溝正史の『真珠郎 由利・三津木探偵小説集成1』<柏書房>を読み進めたり、作業を進めたりしたのち、3時過ぎに寝床に就く。


 10時に起きて洗濯をすませたのち、YouTubeでシュトロース・カルテットが演奏したベートーヴェンの弦楽4重奏曲第2番、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルが演奏したスメタナの交響詩『モルダウ』とヨハン・シュトラウスU世の皇帝円舞曲(SP録音)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『ほそゆき』の二十四を書き進めたりする。


 11時台に外出して、郵便局や銀行を回る。


 午後、ヘルマン・アーベントロート指揮ベルリン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第1番、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィルが演奏したリストの交響詩『前奏曲』、クナッパーツブッシュ指揮ロンドン・フィルが演奏したワーグナーの歌劇『リエンツィ』序曲と歌劇『ローエングリン』第3幕への前奏曲、バス・バリトンのパウル・シェフラーとクナッパーツブッシュ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第2幕から「リラの花がなんとやわらかく」、エリー・ナイとマックス・フィードラー指揮ベルリン・フィルが演奏したブラームスのピアノ協奏曲第2番、ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したブラームスの交響曲第3番、ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルが演奏したメンデルスゾーンの序曲『フィンガルの洞窟』、メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』、ディマ・スロボデニューク指揮ガリシア交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」(2019年1月12日、ア・コルーニャ)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『ほそゆき』の二十四を書き終えブログ等にアップしたり、『真珠郎』を読み進めたりする。


 19時過ぎに外出して用件を片付けたのち、錦湯さんへ。
 第74回座錦湯を愉しむ。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 ああ、面白かった!!

 終了後、常連さんと夕飯をとって、23時半少し前に帰宅する。

 で、YouTubeでバリリ・カルテットが演奏したモーツァルトの弦楽4重奏曲第1番とディヴェルティメントK.138、K.136、K.137、弦楽4重奏曲第2番〜第5番、プロ・アルテ・カルテット他が演奏したモーツァルトの弦楽5重奏曲第5番、ディミトリ・ミトロプーロス指揮ミネアポリス交響楽団が演奏したモーツァルトの劇音楽『エジプト王ターモス』幕間音楽T&Uを聴いたりしながら、座錦湯記録をアップしたり、仕事関係の作業を進めたりする。


 以上、5月27日の日記。
posted by figarok492na at 01:15| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第74回座錦湯

☆第74回座錦湯

 出演:桂文五郎さん、笑福亭笑利さん
(2019年5月27日20時開演/錦湯)


 5月下旬というのに夏かと思うほどの暑さが続く京この頃。
 それでも、夕方頃から少しは涼しくなってきたか。
 今夜は無事時間を確保できたので、錦湯さんへと足を運ぶ。
 74回目となる座錦湯は、差配の桂文五郎さんに、久しぶりの登場となる笑福亭笑利さんのお二人の出演だ。
 ちなみにお客さんのほうは、常連さんにリピーターさん、そして別のお客さんに偶然誘われてという京都を旅行中の方が顔を揃えていた。

 冒頭のトークでは、近況報告も兼ねて、ここのところの落語家としての活動状況を語って大いに盛り上げた。

 さて、頃合いのよいところで文五郎さんが高座へ。
 マクラは近況報告をさらに詳しく。
 約40年ぶりに復活した祇園花月での「はなしか団地」の模様などが語られる。
 で、今夜は「船づくし」という趣向で文五郎さんの本題は『兵庫船』。
 なぞかけなど、喜六と清八をはじめとした船上の人々の掛け合いが肝となる噺で、文五郎さんはぽんぽんぽんぽんぽんぽぽんとテンポよい口演だ。
 ところどころ挟まれる、文五郎さんの「懐疑の念」も薬味というか、よいくすぐりになっていた。

 トリは、笑利さん。
 能楽師の安田登さんとのお付き合いの中で演じることとなった『船弁慶』のネタおろしである。
 マクラでは、落語のもととなった『船弁慶』の梗概に加え、能そのものについても簡単な説明が行われていた。
 ちなみに、同時代の文献資料から考察するに、昔の能は現在よりも相当速いテンポで演じられていたのではないかということだ。
 クラシック音楽にピリオド奏法、ピリオド・スタイルがあるように、能楽でもそうしたオーセンティックな上演が行われることがいずれあったりして…。
 錦湯さんでの『船弁慶』といえば、名は体を表すじゃない、体は藝を表す的な桂恩狸さんの大柄、かつ登場人物が強烈でアグレッシブな口演が印象的だけれど、笑利さんはネタおろしということもあってか、丹念、かつ緩急強弱の間合いをしっかり取りながらの噺運び。
 とともに、登場人物が人好かれするというか、人を惹きつける感じも笑利さんらしいと感じた。
 上述した本番の企画のほうも気になるところだ。

 と、落語二席をたっぷりと愉しみました。
 ああ、面白かった!!
posted by figarok492na at 00:58| Comment(0) | 落語・ネオ落語記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする