2019年05月19日

マーク・パドモアの『白鳥の歌』に改めて感心した(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気が続く。
 が、夕方頃には青空がしっかり見えていた。

 気温はあまり上昇せず。
 季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。


 体調、今一つ。
 両耳の不調も続く。


 安倍内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。


 記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、YouTubeでアンタル・ドラティ指揮ミネアポリス交響楽団が演奏したバルトークの弦楽のためのディヴェルティメントとモーツァルトの交響曲第31番「パリ」、バルトークの管弦楽のための協奏曲、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、2時50分過ぎに寝床に就く。


 9時台に起きて、洗濯をすませる。


 10時台に外出し、下京図書館へ。
 一條次郎の『ざんねんなスパイ』<新潮社>、町屋良平の『ぼくはきっとやさしい』<河出書房新社>を返却し、予約しておいた堀田百合子の『ただの文士』<岩波書店>、アン・アップルボームの『鉄のカーテン』上・下<白水社>、横溝正史の『真珠郎 由利・三津木探偵小説集成1』<柏書房>を新たに借りる。


 帰宅後、YouTubeでアナトール・フィストゥラーリ指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したリムスキー=コルサコフの『雪娘』組曲とおとぎ話を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『ほそゆき』の二十一について考えたりする。


 午後、YouTubeでズビン・メータ指揮ロサンゼルス・フィルが演奏したビゼーの歌劇『カルメン』から第1幕と第4幕への前奏曲、スッペの喜歌劇『詩人と農夫』序曲、チャイコフスキーのスラヴ行進曲、ヴェルディの歌劇『運命の力』序曲、ラヴェルのボレロ、ロジェ・デゾルミエール指揮パリ音楽院管弦楽団が演奏したショパンの音楽によるバレエ音楽『レ・シルフィード』とイベールのディヴェルティメント、NHK・FMの『きらクラ!』、YouTubeでウラディミール・ゴルシュマン指揮セントルイス交響楽団が演奏したプロコフィエフのバレエ音楽『道化師』からとファリャのバレエ音楽『三角帽子』からを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『ほそゆき』の二十一を書き終えてブログ等にアップしたり、『ただの文士』を読み始めたりする。
 『ただの文士』は、副題に「父、堀田善衛のこと」とあるように、堀田善衛の娘である著者が自らの父について綴ったもの。


 夕方になって再び外出し、京都芸術センターへ。
 ぶらあぼの6月号を入手する。
 その後、河原町界隈で仕事関係の用件を片付け、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、YouTubeでラファエル・クーベリック指揮シカゴ交響楽団が演奏したヒンデミットのウェーバーの主題による交響的変容とシェーンベルクの管弦楽のための5つの小品、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルが演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『ただの文士』を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』で大友直人指揮オーケストラの日祝祭管弦楽団のコンサートのライヴ録音を聴く。
 竹澤恭子の独奏によるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、ボレロ、ビゼーの『アルルの女』組曲第2番からファランドールが放送されていた。

 続けて、『リサイタル・パッシオ』を聴く。
 ソプラノの森野美咲の出演。


 夕飯後、テノールのマーク・パドモアがポール・ルイスのピアノ伴奏で歌ったシューベルトの歌曲集『白鳥の歌』<ハルモニアムンディ・フランス>、YouTubeでフランツ・リトシャウアー指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団が演奏したウォルトンのバレエ音楽『賢い乙女たち』とトマジーニのバレエ音楽『機嫌のいい女』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『ほそゆき』の二十二について考えたり、『ただの文士』を読み進めたりする。
 パドモアの『白鳥の歌』では、「影法師」の絶唱のあとに歌われる「鳩の使い」(もともと大好きな歌)がとても痛切だ。
 慈しみに満ちた歌唱。
 それを支えるルイス。
 パドモアとルイスの演奏に改めて感心した。


 今日は、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:50| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ほそゆきのパイロット版21

☆ほそゆきのパイロット版21


×月×日

 帰国して、そろそろひと月近くが経つ。ヨーロッパで過ごしたのと、ちょうど同じくらいの時間。けれど、過ごした時間の長さは同じでも、その質は大きく異なっている。稀薄。本当は重苦しくって仕方がないのに、そんなことなどなんでもないかの如くさらさらと毎日が過ぎ去っていく。あまりにも薄っぺらい。私のように。
 今日学校で平原を見かけた。韓国の兵士みたいな服装をしている。気持ちが悪い。あのこけしみたいな首がギロチンで切り落とされるところを想像して、ますます気持ちが悪くなった。早く消えてしまえ。
 研究室で古屋さんに演劇の公演(劇団あぶらむし)を誘われたが、なんとか断る。知らない劇団のお芝居なんかに二千五百円も払いたくない。帰ってえみちゃんに話をしたら、その劇団は外れやでと即答した。やっぱり断ってよかった。古屋さんの元彼が演出しているそう。腐れ縁。腐った縁。
 夕飯後、ベルンハルトにメールを送る。ディーツェンバウムの『Dの死』(フランス語版)のテキストを送ってもらったことへのお礼。ベルリンのHAUで観た『Dの死』は、とても面白かった。



×月×日

 岩谷大三さんが亡くなられた。梅之助じいちゃん。梅じい。とびうめの春のイベントではお元気そうだったのに。本当に哀しい。岩谷さんやったら『親知らず』(鹿ケ谷浩介監督)やで、とえみちゃんからDVDを貸してもらう。主人公を追い詰める刑事役。映画自体は今一つやけど、岩谷さんがむっちゃええねん、というえみちゃんの言葉通りだった。岩谷さんの目!
 夕方、佳穂姉と北山のアンゲリカでお茶をした。佳穂姉とは半年ぶり。さつまいものソフトクッキー、習ってきたわ、と焼き上がったばかりのクッキーをもらう(帰宅後、みんなで食べる。とても美味しかった)。お土産のオーデコロンを渡したら、ゆっこちゃんの気ぃつかい、と頭を撫でられた。佳穂姉の指は細くて長い。
 息抜き代わりにでもなればと、『Dの死』を少し訳してみたが、全然息抜きにはならなかった。何事も難しい。



×月×日

 日野君に誘われて、岡崎の国立近代美術館まで小川芋銭展を観に行く。いたずら描きのような滑稽で、でもどこかかなしさをためた作品が並ぶ。とても気に入ったので、河童の絵葉書を買った。
 ぽつりぽつりときたので、六盛でスフレを食べた。美味しい。日野君はぽつりぽつりとしゃべる。研究のこととか、地元の倉敷のこととか。小川芋銭の絵みたい。
 日野君とは、図書館の前で別れた。
 家に帰って、ずっと河童を眺めている。



×月×日

 古屋さんにまた劇団あぶらむしを誘われる。ベルリンやロンドンでお芝居を観て来たことを話したから、演劇好きと思われてしまったのか。しつこい人は苦手だ。チラシを渡されたが、黄色地に赤で、俺の心の襞を見ろって題名だけが書かれている。裏には、大勢出ます!愉しいよ!面白いよ!泣けるよ!損はしないよ! という!の連打。悪趣味。大勢出るのは本当だろうけど、愉しくないだろうし面白くないだろうし泣けないだろうし、損した気分になると思う。
 余裕がないからと断ったけど、公演日直前にまた何か言ってきそう。しつこい人は苦手だ。
 今日も河童を眺める。
posted by figarok492na at 14:14| Comment(0) | 創作に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする