2019年02月18日

精神的に疲弊した一日(CLACLA日記)

 晴天。
 いいお天気、いい青空の一日。

 日中、気温も上昇する。
 それでも、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
 風邪やインフルエンザにはお気をつけのほど。


 体調、今一つ。
 精神的にとてもダル。
 両耳の不調も続く。
 うっとうしい。


 映画監督の佐藤純彌が亡くなった。86歳。
 佐藤監督といえば、やはり『新幹線大爆破』、『君よ憤怒の河を渉れ』ということになるか。
 深く、深く、深く黙禱。


 安倍内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。


 記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、作業を進めたのち3時50分頃寝床に就く。
 諸々重なって、怒りがどんどん自己増殖していく状態。
 度し難し。


 9時台には起きる。

 毎週恒例の洗濯をすませる。
 乾き、非常によろし。
 ああ、すっきりした!
 精神的には、ちっともすっきりしていないが。

 午前中、マッジーニ・カルテットが演奏したバックスの弦楽4重奏曲第1番&第2番<NAXOS>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『Yの話』を書き進めたりする。


 午後、仕事関係の予定をすませる。

 その後、フォルテピアノのジョス・ファン・インマゼール他が演奏したシューベルトのピアノ5重奏曲「ます」<アルファ>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、浅田次郎の『おもかげ』<毎日新聞出版>を読み進めたりする。


 夕方になって外出し、大垣書店四条店で『ぶらあぼ』3月号を入手し、京都芸術センターで用件を片付ける。
 その後、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』でハルトムート・ヘンヒェン指揮デンマーク王立管弦楽団のコンサートのライヴ録音を聴く。
 ニールセンの歌劇『仮面舞踏会』序曲、ヤン・フォーグラーの独奏によるショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番、ブラームスの交響曲第1番、シューベルトの劇音楽『キプロスの女王ロザムンデ』から間奏曲が演奏されていた。


 夕飯後、インマゼール他が演奏した『シューベルティアーデ』<アルファ>の2枚目、ABCラジオの『よなよな…』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、ササハラ組の連絡作業を行ったり、『おもかげ』を読み進めたりする。


 今日も、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 精神的に疲弊した。
 本格的に作業を再開するのは明日の午後以降だ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:38| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オペラを愉しみ、ササハラ組の打ち合わせに参加した(深夜のCLACLA)

 青空は見えつつも、どんよりとした感じも強し。
 雨や雪も降ったりした。

 気温は下がり、寒さがとても厳しい。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
 風邪やインフルエンザにはお気をつけのほど。


 体調、今一つ。
 身体のメンテナンスでだいぶん楽になったが、諸々あってちょっと心身ともに疲れが出た。
 疲労困憊。
 両耳の不調も続く。


 安倍内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。


 記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、こわたひよりさんのアルバムやKBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、2時40分過ぎに寝床に就く。


 9時過ぎに起きる。

 午前中、テオドール・クルレンツィス指揮ムジカ・エテルナ他が演奏したモーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』<SONY/BMG>の第1幕と第2幕フィナーレを聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『Yの話』を書き進めたり、浅田次郎の『おもかげ』<毎日新聞出版>を読み進めたりする。


 正午少し前に外出し、京都市立病院前から73系統の市バスに乗って国道沓掛口へ。
 そこから歩いて京都市立芸術大学まで行き、講堂で京都市立芸術大学第160回定期演奏会・大学院オペラ/モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』を愉しむ。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 ああ、面白かった!!!


 終演後、出演者の藤居知佳子さんとの挨拶もそこそこに、73系統の市バスに乗って京都市立病院前へ。
 そこから移動し、ササハラ組の打ち合わせに加わる。
 すでに撮影ばかりでなく、読み合わせなどもすんでいて、これなら一バス遅らせて藤居さんとゆっくり話をしてきたらよかったかなと思わないでもない。
 それでも、今後のスケジュールやロケ地の問題をはじめ、いろいろと話をすることができたが。


 で、解散し、夕飯難民となって疲弊しきり。
 23時半過ぎに帰宅した。


 その後、ヴェンツェル・フックスとフィルハーモニア・カルテット・ベルリンが演奏したレーガーのクラリネット5重奏曲&弦楽4重奏曲第4番<NAXOS>を聴いたりしながら、『ドン・ジョヴァンニ』の感想をアップする。


 いやあ、疲れた!!!
posted by figarok492na at 02:22| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都市立芸術大学第160回定期演奏会・大学院オペラ公演 モーツァルト:歌劇『ドン・ジョヴァンニ』

☆京都市立芸術大学第160回定期演奏会 大学院オペラ公演
 モーツァルト:歌劇『ドン・ジョヴァンニ』

 指揮:小ア雅弘
 演出:今井伸昭
管弦楽:京都市立芸術大学アカデミーオーケストラ
(2019年2月17日14時開演/京都市立芸術大学講堂)


 鬼才テオドール・クルレンツィスと手兵ムジカ・エテルナが遂に来日した。
 京都国際舞台芸術祭を名乗るのであれば、彼ら一党を呼んでモーツァルトのダ・ポンテ三部作の一挙上演に踏み切ったらいいではないか!
 と、常日頃から公言、及び広言していた人間だもの、そりゃフェスティバルホールでの公演には足を運んだ…かというとさに非ず。
 むろん、ロームシアター京都ではなくフェニーチェ堺が勧進元になったことに僻めを感じたってわけではなくて、まずは経済的な事情。
 加えて、音響はひとまず置くとして、フェスティバルホールなんて大きめのホールではちょっと聴きたくないなと思ったのがその主たる理由である。
 これが演奏会形式でもいい、モーツァルトのオペラ、中でも『ドン・ジョヴァンニ』あたりの上演だったら迷わず足を運んだことだろう。
 その怪僧ラスプーチン的な容貌風貌もあいまって(と、言っても彼はギリシャ出身だけれど)、クルレンツィスの強烈な個性と鋭い音楽解釈には『ドン・ジョヴァンニ』がよく似合う。
 実際、耳にしたCD録音のうち、やはり『ドン・ジョヴァンニ』が彼の柄にぴったりのように感じられた。
 デモーニッシュでサタニッシュな音楽世界、劇的世界。
 が、音楽家が誰しもクルレンツィスになれるわけではない。
 し、またクルレンツィス流儀のみが音楽家の生き方、在り方なわけでもない。
 そのよい例の一人が、昨日目にし耳にしたチェリストの遠藤真理ということになるのではないか。

 と、そんなことを、京都市立芸大講堂で開催された第160回定期演奏会/大学院オペラの『ドン・ジョヴァンニ』公演で、大学院修了生である高橋純(ドン・ジョヴァンニ/大柄な歌いぶり)、蔦谷明夫(ドン・オッターヴィオ/美声)、浦方郷成(マゼット)、畑奨(騎士長)と並んで真摯な歌唱を聴かせる原田菜奈(ドンナ・アンナ)、禅定由理(ドンナ・エルヴィラ)、藤居知佳子(ヅェルリーナ)、宮尾和真(レポレッロ)ら出演者たちに接しながら、考えずにはいられなかった。
(いや、彼女彼らの中にもクルレンツィスに通じる天才気質や音楽的デモーニッシュ、サタニッシュの萌芽を感じさせる人がいないわけではなかったが、たぶんそのことを本人は自覚していないはずなので、あえて名指しは避ける。避けるが、技術的な巧拙よりも前に、そうした自分自身の性質、本質と向き合うことが、実は技術的なステップアップにも結果的に繋がるのではないかと思わずにはいられない)
 それはそれとして、今後の課題は様々にあるだろうけれど、これぞヒロインといった原田さん、ラストで修道院に入ると口にするのがぴったりな清教徒的清楚さをためた禅定さん、コケティッシュでコメディエンヌぶりの藤居さん(声域的に難しい役どころだったろうが、よく乗り切っていた)、コメディリリーフ的な要素を巧く引き受けた宮尾君と、上述の面々ともども登場人物のキャラクターによく副った声質と雰囲気で、十分に愉しむことができた。

 もちろん、そこには今井伸昭の細かな演技指導を含む演出の存在も忘れてはなるまい。
 「教育」が公演の基礎にあることや出演者がオペラ経験の少ない院生中心であること、さらには予算的な限界もあって基本部分はオーソドックスな演出といえるだろうが、昨年の『コジ・ファン・トゥッテ』以上に目配せを感じる内容となっていたのではないだろうか。
 ドン・ジョヴァンニという小悪党の色事師が、好き勝手をやらかしているうちに、因果応報地獄に落ちる…。
 などとまとめてしまっては、それこそ身も蓋もない話になるけれど、19世紀以降、『ドン・ジョヴァンニ』の再評価のもととなったロマンティックでヒロイック、デモーニッシュでサタニッシュ一辺倒の解釈ではなく、もっと日々の生活と地続きの中で起こった物語というか。
 よりぶっちゃけていえば、シリアスな部分もあれば滑稽で馬鹿馬鹿しい部分もある、よくよく考えてみれば整合性は薄くて無理筋だけど、劇場感覚には満ち満ちた作品であることを音楽的、ばかりでなく視覚的にも再現していたように感じた。
 特に作品の持つ、と共に作品の背景にある様々な分裂が可視化された第1幕大詰め直前、舞曲が交差する場面が印象に残った。

 京都オペラ協会も含め、各地でオペラ公演の指揮を振っている小ア雅弘は、いわゆるピリオド・スタイルも意識しつつ、速めのテンポで流れのよい伴奏を行っていた。
 京都市立芸術大学アカデミーオーケストラ(大学院管弦楽団)も、そうした小アさんによく応えて大健闘。
 中でも、チェンバロとともに通奏低音を担ったチェロ奏者の男性(鷲見敏?)にひときわ拍手を送りたい。

 ああ、面白かった!!!

 そうそう、一つ気にかかったのは、休憩時間が延びた際に、はじめ全くアナウンスが行われなかったこと。
 公演が始まってすぐ、客席より観て左側の字幕が映らないという事態が発生しており、休憩中、演出の今井さんやスタッフさんがずっと調整を行っていたので、当然そのことだろうとは思ったのだけれど、休憩の20分がまず終わり、さらに10分が経過して舞台監督さんがマイクを手にするまで、うんともすんともない。
 時間が延びること自体は仕方ないし、結果字幕が映らないままということも仕方ない。
 今井さんや担当のスタッフさんが必死なのも重々わかっている。
 だからこそ、どうして事務方は先回りをして「ただいま字幕の復旧作業を行っております」と一言アナウンスすべきと考えなかったのか。
 しかも、開演前に終演時間を尋ねた際、「昨日トラブルがあって」云々というのだから、なおさらのことだ。
 舞台監督さんの機転のきいた言葉があったので救われたが、もしあと5分も遅れたら、「誰かきちんと説明すべきですよ」と大声を上げるところだった(怒鳴り声ではない。あくまでも大声)。
 昨年指摘したバスの乗り場等、細やかな対応がされていただけにとても残念でならない。
 今後、京都駅の南の崇仁地区に京都市立芸術大学が移転したならば、なおのこと上述したような心遣い、対応が必要になってくると考えるので、あえて記しておく。
posted by figarok492na at 02:07| Comment(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする