2019年01月20日

オーケストラを聴いたあと、身体のメンテナンスをすませた(CLACLA日記)

 どんよりとしたお天気の一日。
 青空も見えはしたが、雨も降る。

 じめ寒さが強かった。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
 風邪やインフルエンザにはお気をつけのほど。


 体調、今一つ。
 気圧と湿度のWパンチ。
 両耳の不調も続く。


 センター試験の二日目。
 後述百万遍近辺で、ぞろぞろと歩く受験生たちの姿を目にし、例年のことではあるけれど、なんでこの時期にやるんやろうと思わずにはいられない。


 安倍内閣が今日も続く。
 厚顔無恥で因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救い難い状況である。


 御用御用の風が吹く。
 現状肯定の相対主義の風も吹く。
 今日も今日とて奴隷根性が押し付けられている。
 どうにもこうにも。


 いずれにしても、近きより。
 記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、KBS京都でオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、2時半過ぎに寝床に就く。


 8時台に起きて、仕事関係の用件を片付ける。

 その後、二度寝し、10時40分頃起きる。

 午前中、ABCラジオの『全力投球!!妹尾和夫です サンデー』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、坂口恭平の『建設現場』<みすず書房>を読み進めたりする。


 午後、アナトール・ウゴルスキが弾いたムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』他<ドイツ・グラモフォン>やNHK・FMの『きらクラ!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 14時40分過ぎに外出し、北山の京都コンサートホールへ。
 大ホールでマルク・アンドレーエ指揮による京都市交響楽団の第630回定期演奏会の後半を聴く。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 ああ、面白かった!!!

 予約しておいた、4月7日の下野竜也指揮による京都市交響楽団スプリングコンサートのチケットも購入しておいた。


 演奏会終了後、いくつか用件を片付けてから百万遍方面へ。
 身体のメンテナンスをすませる。
 じっくりメンテナンスしてもらって、だいぶん楽になる。
 ああ、すっきりした!!

 で、夕飯用の買い物をすませて、18時40分過ぎに帰宅する。


 帰宅後、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』でシュテファン・ヴラダー指揮オーケストラ・アンサンブル金沢のコンサートのライヴ録音を聴いたりしながら、コンサート記録をアップしたりする。
 『ブラボー!オーケストラ』では、ヴラダーが弾き振りしたモーツァルトのピアノ協奏曲第24番と、交響曲第41番「ジュピター」(第2楽章抜き)が放送されていた。


 途中夕飯を挟み、『リサイタル・ノヴァ』を聴く。
 チェロの佐藤桂菜の出演。

 さらに、『クラシックの迷宮』を聴く。
 「わたしの試聴室」の回で、ソフィオ・アルモニコが演奏したスザートのダンスリーを中心とした放送になっていた。


 その後、MBSラジオの『ヤンタン日曜日』を聴きながら、仕事関係の作業を進めたり、『Yの話』を書き進めたりする。


 『建設現場』を読了する。
 いろいろと考えることあり、


 今日は、チョコクリームサンドビスケットを食す。
 河原町の業務スーパーで購入した税込み53円のフィリピン原産のチョコビスケットで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!
(帰りがけ、どうにもお腹がすいて買ってしまったもの。2枚だけ食べ、あとは夕飯後に食べた)


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:33| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大きいこともいいことだ! 後半券とはいいことだ! 京都市交響楽団第630回定期演奏会(後半のみ)

☆京都市交響楽団第630回定期演奏会(後半のみ)

 指揮:マルク・アンドレーエ
 管弦楽:京都市交響楽団

 座席:3階LB列5番
(2019年1月20日/京都コンサートホール大ホール)


 一言で言い表すならば、大きいこともいいことだ!
 となる。
 昨日聴いたアンサンブル・ディアーロギが小さいことのよさ、室内楽の魅力をたっぷり教えてくれたならば、今日の京響の演奏は大きいことのよさ、大管弦楽の魅力をたっぷり教えてくれた。

 諸事情があって、ゲルハルト・オピッツをソロに迎えたブラームスのピアノ協奏曲第1番は泣く泣く断念し、雨もやんだからと自転車をこいで京都コンサートホールに向かい、後半のムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』を聴く。
 指揮は、スイス出身のマルク・アンドレーエ。
 1939年11月生まれだから、今年で80歳になるがなかなかそうは見えない頑健な風貌だ。
 指揮者、作曲家である祖父のフォルクマール・アンドレーエをはじめ、スイスを代表する音楽家一族の一人だが、終演後のサイン会用かマルクがボーンマス交響楽団を指揮したフォルクマールの管弦楽曲集<Guild>がCDコーナーに並んでいたのにはちょっと驚いた。
 LP時代から録音に積極的で、『展覧会の絵』もミュンヘン・フィルと共にBASFレーベルに録音していた。
 と、言っても、一般にはなじみの少ないトゥシマロフ版(リムスキー=コルサコフ版)を使ったもので、マルク・アンドレーエとトゥシマロフ版の『展覧会の絵』といえば、非公式な形ではあるけれどNHK交響楽団との1993年の実演の映像がYouTubeにアップされてもいる。
 ただし、今回京都市交響楽団と演奏したのは、よく知られているラヴェル版。
 泣く子と地頭、ではなく、一般的な客受けにはかなわぬという訳か。

 が、そこはマルク・アンドレーエ、ただでは転ばない、じゃない手を振らない。
(ちなみに、彼は指揮棒を使っていなかった)
 ハラルド・ナエスの朗々としたトランペット・ソロはまだしも、最初のプロムナードから何やら一癖も二癖もある音楽づくりなのだ。
 もちろんラヴェルのオーケストレーションにも十分配慮しつつも、そこに独自の色付けを重ねていく。
 それって、スペインの教会で素人のおばあさんが補修をしたようなもの?
 違う、断然違う!
 多分にそれは、ムソルグスキーの原曲の持つイメージ(といっても、表面的な「絵画性」ではなく、ヴィクトル・ハルトマンの絵画よりムソルグスキーが受けた精神的反応、テキストの持つ文脈と言ったほうがよいだろう)を管弦楽によって再現するというものではなかったろうか。
 当然、キエフの大門の圧倒的な音響には強く心を動かされたが、それは例えば同じ曲の弱音部分が象徴するような細かい積み重ねがあってのものでもあるだろう。

 上記ナエスをはじめ、京都市交響楽団もそうしたマルク・アンドレーエの解釈によく副ってソロ、アンサンブルいずれも精度の高い演奏を繰り広げていた。
(京響の『展覧会の絵』を聴くのは、ちょうど30年ぶりになるが、この間のこのオーケストラの大きな変化を改めて痛感した)

 いやあ、室内楽もいいけど、オーケストラもいいな。
 ああ、面白かった!!!

 それにしても、B席ならば後半券が1000円とは安過ぎる。
 後半券とはいいことだ!!!
posted by figarok492na at 19:44| Comment(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする