☆平成30年度 京都市立芸術大学大学院音楽研究科 修士課程
修士演奏T
独唱:藤居知佳子(メゾソプラノ)
伴奏:出口青空(ピアノ)
(2019年1月16日20時から/京都市立芸術大学講堂)
2013年6月23日の元・立誠小学校講堂での夕暮れ社 弱男ユニットの『夕暮れ、海のリハーサル』で「出会って」以来、この5年近く、夕暮れ社の公演はもちろんのこと、同志社女子大学でのオーケストラ・コンサートや『フィガロの結婚』に、関西の音大生を集めたオーケストラ公演でのマーラーの交響曲第2番「復活」、京都市立芸大の『コジ・ファン・トゥッテ』等々、藤居知佳子の歌唱には度々接してきたし、錦湯さんでのシューマンの女の愛と生涯(夕暮れ社の面々の解説演技付き)の件ではちょっとしたお手伝いをさせてもらったこともある。
その藤居さんが京都市立芸大を修了するというのだから、感慨もひとしおだ。
と、こう記すと、なあんだ身びいきの身内びいきかと勘違いする向きもあるかもしれないけれど、さに非ず。
もし藤居さんの歌声に、歌唱に魅かれなかったら、僕はここまで彼女が出演するコンサートや公演には足を向けなかっただろう。
(すでに何度も記している通り、僕の声質の好みのストライクゾーンは非常に狭い。正直、メゾソプラノで好んで聴くのは、マグダレーナ・コジェナーとマリアンヌ・クラバッサ程度だ)
歌に生き、恋に生き、ならぬ、歌に生き、歌に生き。
モーツァルトのハ短調ミサより「我らの主をほめ」、デュルフレのレクイエムより「ピエ・イエス」シューマンのメアリー・スチュアート女王の詩、ブラームスのアルト・ラプソディ、ヴェルディの歌劇『運命の力』より「この占い師のところへおいでよ」、ドニゼッティの『ラ・ファヴォリータ』より「ああ、私のフェルナンド」という今夜のプログラムを目にし、彼女の歌唱を耳にしたら、ついそういう風に評してみたくなる。
自分が今歌いたい歌、歌うべき歌を並べた分、背伸びも当然あったろうが、声量の豊かさと声域の広さといった藤居さんの特性魅力がよく示されていて嬉しかった。
『ラ・ファヴォリータ』などドラマティックな表現の「あい」具合は、これまでのコンサートや公演ですでに承知していたことだけれど、今夜は中でもシューマン、ついでブラームスにこの間の研鑽と変化を大きく感じた。
いずれにしても、オペラはひとまず置いて、藤居さんのこの間の総決算とでもいえる修士演奏を耳にできて本当によかった。
そして、4月からは藤居さんの新天地での活動が始まる。
ますますの研鑽と活躍を心より祈りたい。
伴奏は錦湯さんにも出演した出口青空。
よいコンビネーションを発揮していた。
2019年01月16日
京都市立芸術大学大学院音楽研究科 修士演奏T 禅定由理(ソプラノ)
☆平成30年度 京都市立芸術大学大学院音楽研究科 修士課程
修士演奏T
独唱:禅定由理(ソプラノ)
伴奏:生熊茜(ピアノ)
(2019年1月16日19時から/京都市立芸術大学講堂)
Prima la Musica,Poi le Parole
まずは音楽、お次は言葉
とは、オランダ総督夫妻のための祝宴にあわせてヨーゼフU世が作曲をサリエリとモーツァルトに依頼した音楽劇のうち、サリエリが作曲したオペラ・ブッファの題名であり、のちにリヒャルト・シュトラウスが歌劇『カプリッチョ』の下敷きにした言葉でもあるのだけれど、京都市立芸術大学大学院音楽研究科の修士演奏T、禅定由理の歌唱を聴いているうちにふとその言葉を思い出した。
と、こう記すと、禅定さんの歌唱が言葉なんて知ったことか、歌ってものは歌ってなんぼ、声まずありきのもの、と早とちりする向きがいるかもしれないが、もちろんそういうことじゃない。
修士演奏のための冊子の「はじめに」で禅定さん自身が記しているように、林光の四つの夕暮の歌、マスネのエレジーと歌劇『ル・シッド』より「泣け、泣け、わが瞳よ」、ワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集と歌劇『ローエングリン』より「ただ一人もの悲しい日々に」と並べたプログラムは、人生においての「夜」、「孤独」そして「夢」をテーマに精緻に組まれたものであるし、中でも四つの夕暮の歌の2(誰があかりを消すのだろう)や4(死者のむかえる夜のために)、そしてワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集や『ローエングリン』における表出表現の強さは、深いテキストの読み込みによるものでもあるだろう。
ただ、そうした表出表現やプログラミングの背景というか、基礎、根底には、禅定さんの歌唱、歌声の特性魅力があることもやはり否めまい。
事実、今回のプログラムは彼女の伸びがあってリリカルで清澄な声質を十全に発揮させるために適切な内容だったと思う。
(禅定さんの特性魅力については、2017年12月22日に京都市立京都堀川音楽高等学校音楽ホールで開催されたクリスマスチャリティーコンサート『親子で楽しむオペラの世界』で歌った、モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』の二重唱でも感じたことだ)
いずれにしても、禅定さんの今後の研鑽と活躍が愉しみだ。
特に、彼女が歌うシューベルトの『夜と夢』やリヒャルト・シュトラウスの4つの最後の歌を聴いてみたい。
なお、生熊茜は禅定さんの歌唱に副って抒情性をためた伴奏。
『ローエングリン』のアリアでの、第1幕への前奏曲にも登場する聖杯(ローエングリン)の旋律が強く印象に残った。
修士演奏T
独唱:禅定由理(ソプラノ)
伴奏:生熊茜(ピアノ)
(2019年1月16日19時から/京都市立芸術大学講堂)
Prima la Musica,Poi le Parole
まずは音楽、お次は言葉
とは、オランダ総督夫妻のための祝宴にあわせてヨーゼフU世が作曲をサリエリとモーツァルトに依頼した音楽劇のうち、サリエリが作曲したオペラ・ブッファの題名であり、のちにリヒャルト・シュトラウスが歌劇『カプリッチョ』の下敷きにした言葉でもあるのだけれど、京都市立芸術大学大学院音楽研究科の修士演奏T、禅定由理の歌唱を聴いているうちにふとその言葉を思い出した。
と、こう記すと、禅定さんの歌唱が言葉なんて知ったことか、歌ってものは歌ってなんぼ、声まずありきのもの、と早とちりする向きがいるかもしれないが、もちろんそういうことじゃない。
修士演奏のための冊子の「はじめに」で禅定さん自身が記しているように、林光の四つの夕暮の歌、マスネのエレジーと歌劇『ル・シッド』より「泣け、泣け、わが瞳よ」、ワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集と歌劇『ローエングリン』より「ただ一人もの悲しい日々に」と並べたプログラムは、人生においての「夜」、「孤独」そして「夢」をテーマに精緻に組まれたものであるし、中でも四つの夕暮の歌の2(誰があかりを消すのだろう)や4(死者のむかえる夜のために)、そしてワーグナーのヴェーゼンドンク歌曲集や『ローエングリン』における表出表現の強さは、深いテキストの読み込みによるものでもあるだろう。
ただ、そうした表出表現やプログラミングの背景というか、基礎、根底には、禅定さんの歌唱、歌声の特性魅力があることもやはり否めまい。
事実、今回のプログラムは彼女の伸びがあってリリカルで清澄な声質を十全に発揮させるために適切な内容だったと思う。
(禅定さんの特性魅力については、2017年12月22日に京都市立京都堀川音楽高等学校音楽ホールで開催されたクリスマスチャリティーコンサート『親子で楽しむオペラの世界』で歌った、モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』の二重唱でも感じたことだ)
いずれにしても、禅定さんの今後の研鑽と活躍が愉しみだ。
特に、彼女が歌うシューベルトの『夜と夢』やリヒャルト・シュトラウスの4つの最後の歌を聴いてみたい。
なお、生熊茜は禅定さんの歌唱に副って抒情性をためた伴奏。
『ローエングリン』のアリアでの、第1幕への前奏曲にも登場する聖杯(ローエングリン)の旋律が強く印象に残った。