2018年11月13日

久しぶりにブックオフで本を買った(CLACLA日記)

 青空は見えつつも、どんよりとした感じも強いお天気。

 気温は下がりつつあり。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
 風邪など召しませんように。


 体調、今一つ。
 胃が痛む。
 両耳の不調も続く。
 やれやれ。


 安倍内閣が今日も続く。
 因循姑息な無理無体無法無謀が今日も押し進められる。
 自分で自分の首を絞めて平然としている人間ほど、馬鹿な人間もいないだろう。
 いつまで続く泥濘ぞ。
 本当に救いがたい状況だ。


 御用御用の風が吹き続けている。
 恥も外聞もありゃしない。


 記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夕、18時過ぎに外出し、賃貸管理会社で用件をすませてから錦湯さんへ。
 51回目となる座錦湯を愉しむ。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 ああ、面白かった!!

 終了後、買い物をすませて、21時台に帰宅する。

 遅めの夕飯後、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第7番(1955年録音)<WARNER>を聴きながら、錦湯記録をアップする。

 その後、クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第7番&バレエ音楽『プロメテウスの創造物』抜粋<同>、NHKのラジオ深夜便を聴いたりしながら作業を進めたのち、2時過ぎに寝床に就く。


 9時半過ぎに起きる。

 ルドルフ・ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデン他が演奏したリヒャルト・シュトラウスのオーボエ協奏曲、クラリネットとファゴットのための二重小協奏曲<同>を聴いたりしながら、木内昇の『火影に咲く』<集英社>を読み進め、読了する。
 『火影に咲く』は、幕末の京都を舞台に、実在の人物たちと女性たち(実在の人物もいれば架空の人物もいる)の感情の移ろいを細やかに描いた短篇集だ。
 巧みな筆運びとと共に、木内さん自身の伝えようとすることがしっかりと伝わってくるところにも感心した。
(木内さんの新選組物はまだ読んでいない。ぜひ読んでおかないと)


 11時少し前に外出し、堀川五条のブックオフへ。
 竹内誠の『大系日本の歴史10 江戸と大坂』<小学館ライブラリー>を購入する。
 たぶん未読と思しき美品が100円で出ていたので、迷わず買った。
 17世紀の日本の通史が手元にないこともあってだが。
(学研の『日本と世界の歴史』を持ってはいるものの、ちょっと刊行が古いのだ。まあ、この竹内さんの著書も1993年に補筆再刊されたものだけれど)


 午後、ABCラジオの『森脇健児のケンケン・ゴウゴウ!』、アントネッロ・マナコルダ指揮カンマーアカデミー・ポツダムが演奏したメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」&第1番<SONY/BMG>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、「噤む(饒舌なポルトレ1 清水元 黒澤明監督『悪い奴ほどよく眠る』)を書き上げブログ等にアップしたり、『江戸と大坂』を読み進めたりする。
 饒舌なポルトレは、映画やテレビドラマにおけるある俳優の印象的な演技・シーンを中心にあれこれ書き連ねていこうという試みである。
 今後、「手を振る/見送る ヘンリー大川 成瀬巳喜男監督『浮雲』」、「しゃくれる 伊達三郎 吉村公三郎監督『夜の河』」、「虫食む(むしばむ) 柳永二郎 市川崑監督『日本橋』」などをちまちまと書いていければと思っている。


 17時台に外出し、京都芸術センターとウイングス京都で用件を片付ける。
 その後、夕飯用の買い物をすませて18時半過ぎに帰宅した。


 帰宅後、ABCラジオの『伊藤史隆のラジオノオト』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『江戸と大坂』を読み進めたりする。


 途中夕飯を挟み、『伊藤史隆のラジオノオト』を聴き続ける。


 夕飯後、マティアス・バーメルト指揮ロンドン・フィルが演奏したパリーの交響曲第5番他<CHANDOS>、ABCラジオの『よなよな』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『江戸と大坂』を読み進めたりする。


 昨日今日と、ハッピーポケットのプチガレット ココアクリーム&ビスケットを食す。
 昨夜、六角通のローソンストア100で購入したもの。
 ココアクリームをサンドしてチョコで包んだトルコ原産のビスケットで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:27| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

噤む(饒舌なポルトレ1)

☆噤む
 清水元 黒澤明監督『悪い奴ほどよく眠る』


 物言えば唇寒し秋の風 芭蕉

 桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成すという、沈黙は金という、はては雉も鳴かずば撃たれまいという。
 確かに、べちゃらくちゃらと唾まき散らかしておしゃべりに狂じる様は見苦しい。
 ましてや、自慢傲慢の自己顕示に人様の悪口陰口噂話ならなおさらのこと。
 男も女も黙ってサッポロビール。
 って古いや。

 が、ことは時と場合によりけり、ものには限度がある。
 いかな理不尽にも忍従忍耐、無法無謀の無理無体にも唯々諾々と従うなんてまさか奴隷じゃあるまいし。
 目醒めよ惰眠は貪るな、この世の不正義には抗え立ち向かえ!!
 と、激しく叫び続けるかの如き映画が、黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る』だ。
 ここでの三船敏郎は黙ってビールを飲み干す真似などせず、圧殺された父親の復讐を遂げるべく、政官財の癒着構造に対し敢然と起ちあがり、闘いを挑む。
 元ネタとなったハムレットの懊悩ぶりなんて糞くらえ、闘うべきだ闘うべきだどこが問題だ!? の勢いである。
 けれど、同じゲリラ戦でもメディアコントロールも含めた組織力を誇ったベトコンとでは比較にもならぬ三船チーム(加藤武はまだしも、残る一人は藤原釜足だもの)は多勢に無勢、大きな力の前に圧し潰される。
 これでいいのか!!
 「よし、わかった!」と訳知り顔になる前の加藤武の絶叫は、まさしく黒澤明の憤りそのものだろう。
(『花田清輝評論集』<岩波文庫>所収の『胆大小心録』で、花田清輝が「カツドウヤ」である黒澤明の「集団の組織者としての自覚」に言及しているのは、もしかしたら『七人の侍』を受けてのものかもしれない。ただ、シナリオの共同執筆といったその創作姿勢はひとまず置くとして、黒澤明という人は、『静かなる決闘』や『生きる』、『生きものの記録』等々、「個」の闘いを良しとする人でもあった。それにはもしかしたら、左翼時代の苦い経験も影響しているのかもしれないが)

 そうした『悪い奴ほどよく眠る』において、沈黙は当然金ならず、禁である。
 追及されても口を割らない志村喬、『北の国から』ならぬ北の国か東の国の手先もびっくり荒唐無稽な殺し屋田中邦衛、何事も知らず頭を下げる葬儀の場での千石規子、自分のせいで愛しい相手を殺してしまい心ここに非ず、どころか気がふれてしまった香川京子…。
(2010年にテレビドラマとしてリメイクされた『悪い奴ほどよく眠る』は、その造りのあまりのチープさに辟易したものだけれど、三橋達也がとよだ真帆/男性→女性に置き換えられていた点や、深作欣二の『暴走パニック 大激突』や『バトルロワイアル』を想起させるラストは興味深かった。だいたい、本来のシナリオの穴を香川京子/女の愚かさに収斂させる映画版の展開はちょっとね)

 そして、もっとも哀れな沈黙者は映画の序盤あたり、一言も発さず自殺す建設会社の経理担当の重役三浦だろう。
 検察の厳しい取り調べに対し黙秘を貫いてようやく釈放されたと思ったら、そこに現れる検察事務官(土屋嘉男!)たち。
 再逮捕してまたぞろ厳しく絞ろうということだ。
 そんな三浦に対して、中村伸郎演じる会社の弁護士はそっと社長の言葉を告げる。
 「あなたを信頼しているからよろしく」
 進退窮まった三浦は鬼気迫る表情で車に飛び込む。
 ああ、忖度、忖度、忖度…。

 この三浦を演じていたのが、清水元(1907年〜1972年)である。
 宮本顕治の目をちょっと大きくして好人物にした感じ、遠藤太津朗や冨田仲次郎から狡さを抜いて不器用さを加えた感じ、と言ってもわかりにくいだけかな。
 要するにブルドック顔にブルドック体形の人物だ。
 清水さんは父親が経営する広告代理店の勤務を経て新劇の世界に入り、戦後も映画やテレビドラマに出演する傍ら、表現座という劇団を主宰していたという。
 役の軽重はあれど、当然の如く台詞を宛がわれた役者さんだったが、どうしても『悪い奴ほどよく眠る』で意識した人だけに、成瀬巳喜男監督の『乱れる』の警察署長役で高峰秀子相手に普通にしゃべっているのを目にしたときは、あっあの人が! と心底びっくりしたものだ。
 それから、東宝やら大映やらの映画で何度もその演技に接したわけだけど、やっぱり清水さんといえば、『悪い奴ほどよく眠る』のなんとも言えない表情に尽きる。
 正直、器用とは言えない、けれど切羽詰まった曰く言い難いあの顔は、何行何十行もの台詞を費やしても伝えきれないどうしようもない感情をためていた。
(あの清水さんの顔には、ずばりサイレント時代の怪奇映画などに通ずる表現主義的な誇張を感じる。『羅生門』の本間文子、『生きる』の志村喬や伊藤雄之助、『白痴』に『生きものの記録』、『蜘蛛巣城』の三船敏郎、『用心棒』のラストの藤原釜足、『乱』の炎城の際の仲代達矢、『八月の狂詩曲』のラストの村瀬幸子…。挙げだせばきりがない)

 あと『悪い奴ほどよく眠る』では、笠智衆演じる検事も忘れられないなあ。
 小津作品のくたびれた中年男性や『男はつらいよ』の御前様、ブラームスの室内楽を思わせるかのような山田太一のドラマでの渋さも渋い姿とは対照的に、ここでの彼は隆々としたキレる検事を演じている。
 それがはまり役かどうかは別にして。

 そうそう、『男はつらいよ』といえば、第一作で、あの口から先に生まれて来たような広川太一郎がつんとすましかえっているのがおかしかったんだ。
 倍賞千恵子演じるさくらのお見合いを寅さん渥美清が木っ端みじんにぶち壊すのだけれど、あのときの見合いの相手こそ広川さんなのである。
 この無言の青年が、後年寅さんの啖呵とは違った形の名調子を聴かせることになるとは誰が予想しただろう!

 あっ、声優繋がりで思い出した、テレビ草創期に活躍した、というより、鉄腕アトムの吹き替えで鳴らした清水マリは清水元の娘さんなのだった。
 あの清水元が家庭においては、どんな人だったのか。
 むすっと仏頂面の口を噤んで寡黙な人だったのか、それともおしゃべり好きの陽気な人だったのか。
 かなうことならば、清水さんに伺ってみたいものだ。
posted by figarok492na at 16:43| Comment(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする