2018年08月14日

宮部みゆきに改めて脱帽した(CLACLA日記)

 晴天。

 気温は今日も上昇し、暑さがとても厳しい。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。


 体調、芳しからず。
 咳込みが続く。
 が、あともう少しの辛抱か。
 両耳の不調も続く。


 安倍首相(自民党総裁)が憲法改正憲法改正と喧しい。
 森友学園問題や加計学園問題をうやむやにし、無理無体無法無謀を続ける人間の口にする改憲がどれほど危険極まるものか火を見るよりも明らかだろう。
 本当に度し難いかぎり。


 記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、YouTubeでジェレミー・ローレル指揮ル・セルクル・ドゥラルモニー他が演奏したモーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』から第1幕を聴いたりしながら作業を進めたのち、1時50分頃寝床に就く。


 細切れ睡眠ののち、10時半頃起きる。

 午前午後と部屋にこもって、仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたりする。


 宮部みゆきの『希望荘』<小学館>を読了する。
 『誰か somebody』にはじまる杉村三郎シリーズの短篇集。
 久しぶりに宮部さんの作品を読んだが、その文章の明晰さと細やかさには改めて脱帽である。
 もちろん、作品にこめられた宮部さんの想いもよく伝わってくる。
 あえて詳細には触れないのだけれど、どうしても記しておきたいことを一つ。
 作中のある登場人物が、母親が倒れたので故郷へ帰らなければならなくなった、その故郷は長崎だ、というやり取りがある。
 そのあとすぐにカステラの話も出て来るわけだから、この登場人物は長崎市の出身と思しい。
 昭和から平成にかけての時期に故郷へ帰らなければならなくなり、今ではいい歳のばあちゃんという彼女について語られるのは、実はそのくだりだけだ。
 だけれど、長崎市内で生まれ育った人間としては、そのことの「含み」を考えずにはいられない。
 宮部さんは、単に地理的に東京から「遠い」場所として長崎を選んだのか?
 僕はそうではない気がしてならないのだ。
 ああ、面白かった!!!


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、町田康の『湖畔の愛』<新潮社>を読み始めたりする。


 今日も、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:06| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする