2018年07月16日

三連休の最終日 宵山なれど出歩かず(CLACLA日記)

 海の日。
 世は三連休の最終日。

 そして、祇園祭の宵山の夜。
 が、近くも近くなれど出歩かず。


 晴天。

 今日も今日とて気温が上昇し、暑さがとてつもなく厳しい。
 暑い暑い暑い暑い暑い!!!!!
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。


 体調、今一つ。
 暑さバテ。
 両耳の不調も続く。


 馬鹿に付ける薬はないと痛感する今日この頃。
 そして、馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だとも痛感する今日この頃。
 一番の馬鹿にはなるまい。
 そのためにも、記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
 目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、YouTubeでパブロ・エラス=カサド指揮レ・シエクルが演奏したドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、管弦楽組曲第1番、管弦楽のための映像、交響詩『海』(グラナダ)、フランソワ・グザヴィエ・ロト指揮フランス国立管弦楽団他が演奏した今年の革命記念日のコンサートのライヴ録音(2018年7月14日、パリ)を聴いたりしながら作業を進めたのち、4時20分過ぎに寝床に就く。


 10時に起きる。

 午前中、仕事関係の予定をすませる。

 その後、仕事関係の作業を進めたり、李琴峰の『独り舞』<講談社>を読み進めたりする。


 午後、YouTubeでロリン・マゼール指揮ガリシア交響楽団が演奏したヴェルディの歌劇『運命の力』序曲(2012年5月17日、ア・コルーニャ)、ボヤン・ヴィデノフ指揮マンハイム・フィルが演奏したロッシーニの歌劇『どろぼうかささぎ』序曲(同年6月、マンハイム・ローゼンガルテン)、マイスキー一家が独奏したベートーヴェンの3重協奏曲(2013年9月、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 『独り舞』を読了する。


 16時過ぎに外出し、下京図書館へ。
 『独り舞』、角野卓造の『万事正解』<小学館>、高見のっぽの『夕暮れもとぼけて見れば朝まだき』<岩波書店>、瀧井敬子の『夏目漱石とクラシック音楽』<毎日新聞出版>、サクラ・ヒロの『タンゴ・イン・ザ・ダーク』<筑摩書房>、ヨナス・カウフマンとジョナサン・ノット指揮ウィーン・フィルが演奏したマーラーの大地の歌<SONY>を返却し、小松政夫の『時代とフザケた男』<扶桑社>、綿矢りさの『意識のリボン』<集英社>、宮内悠介の『ディレイ・エフェクト』<文藝春秋>、坂口恭平の『家の中で迷子』<新潮社>、川村伸秀の『斎藤昌三 書痴の肖像』<晶文社>、パトリツィア・コパチンスカヤとテオドール・クルレンツィス指揮ムジカ・エテルナ他が演奏したチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲&ストラヴィンスキーの『結婚』<SONY>を新たに借りる。

 その後、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 帰宅後、早速チャイコフスキー&ストラヴィンスキーのCDを聴く。
 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、コパチンスカヤとクルレンツィス&ムジカ・エテルナのコンビネーションが見事に決まったエネルギッシュでスリリングな、まさしく切れば血が出るような演奏に仕上がっていて実に愉しい。
 一方、ストラヴィンスキーの『結婚』は、この作曲家のバーバリズムの下にある怜悧さ精緻さが改めてよくわかる演奏となっていた。


 その後、YouTubeでウラディミール・アシュケナージさん指揮ヨーロッパ室内管弦楽団が演奏したシューマンの交響曲第2番(2008年、パリ)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたり、『時代とフザケた男』を読み進めたりする。


 夕飯後、YouTubeでヴァレンティーナ・リシッツァが弾いたリスト編曲によるピアノ独奏版のシューベルトの白鳥の歌、ハイドンのピアノ・ソナタ第52番を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたりする。


 『時代とフザケた男』を読了する。
 小松政夫が植木等やクレージーの面々以外の人々との関係を中心に語った一冊。
 面白くって、ついつい読み終えてしまった。
 それにしても、エノケンこと榎本健一が小松さんにかけた、
「ここで生きていく、ってツラいだろう? でも、ここで生きていく以上は努力しなくちゃダメなんだ」
「何もしなくても笑わせる。そう大衆が見てくれるようにするのが努力ってもんよ」
という言葉が重い。


 今日も、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:51| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする