晴天。
いいお天気、いい青空の一日。
気温は下がり、肌寒さを感じる。
が、もはや冬の寒さではなし。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
風邪など召しませんように。
目の周りのがさがさやくしゃみの連発等、花粉禍が増す。
が、後述身体のメンテナンスでだいぶん楽になった。
両耳の不調も続く。
指揮者のヘスス・ロペス=コボスが亡くなった。78歳。
スペインの出身で、ウィーンにおいてハンス・スワロフスキーに指揮を学ぶ。
オーケストラ・オペラの両面で活躍し、来日経験も豊富だった。
今年も来日の予定があったが、健康上の理由で中止になったばかりである。
深く、深く、深く、深く黙禱。
森友学園への国有地売却問題に関する文書について、財務省が問題発覚後、書き換えの疑いがある旨報じられ、国会でもそれが追及された。
加計学園問題に関しても、真相の究明はなおざりにされたまま。
このような状況で、何が改憲かと思う。
度し難いかぎり。
働き方改革などと名乗ったところで、結局それは搾取の新しい、というより復古的形態への回帰ではないのか。
経団連の会長があれだけ推進しているだけでも、胡散臭いシステムであることは明らかだろう。
記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対騙されまい。
昨夜、NPO Radio4でサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルが演奏したシューマンの交響曲第4番とブラームスの交響曲第4番(2014年9月26日、ベルリン・フィルハーモニー)を聴いたりしながら作業を進めたのち、3時半過ぎに寝床に就く。
9時少し前に起きる。
午前中、NPO Radio4でラトル指揮ベルリン・フィルが演奏したシューマンの交響曲第3番「ライン」とブラームスの交響曲第3番(同年同月25日、同)、シューマンの交響曲第1番「春」(同年同月18日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『痾紅毛日記』の読み直しを進めたりする。
午後、NPO Radio4でラトル指揮ベルリン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第1番(同)、シューマンの交響曲第2番とブラームスの交響曲第2番(同年同月19日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『痾紅毛日記』の読み直しを進めたり、町田康の『生の肯定』<毎日新聞出版>を読み進めたりする。
ラトルとベルリン・フィルによるシューマンとブラームスの全ての交響曲を聴き終えたが、いやあ実に立派で精度の高い演奏であり、非常に聴き応えがあった。
17時過ぎに外出し、百万遍方面へ。
身体のメンテナンスをすませる。
しっかりじっくりメンテナンスをしてもらう。
ああ、すっきりした!!
途中夕飯を挟み、ABCラジオの『伊藤史隆のラジオノオト』を聴く。
夕飯後、NPO Radio4でトゥガン・ソヒエフ指揮ベルリン・フィルが演奏したフランクの交響詩『呪われた狩人』、ニコライ・ルガンスキーのピアノ独奏によるラフマニノフのパガニーニの主題による変奏曲、リムスキー=コルサコフの交響組曲『シェエラザード』他(2016年10月15日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『痾紅毛日記』の手直しを進めたり、『生の肯定』を読み進めたりする。
今日は、ビッグブロック・ボンボンを食す。
六角通のローソンストア100で、税込み52円だったもの。
ピーナッツ入りのブロックチョコで、
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2018年03月02日
ニュートラルについて
パーシヴァル将軍に迫ったかの山下奉文ではないけれど。
イエスか? ノーか?
ニュートラルな立場などない。そのどちらかで決めてしまえ。
という発想ほどうっとうしくて不愉快なこともない。
もちろん、この世に生きているかぎり、絶対的な中立などというものがありえないということや、どんなに判断に窮する事柄でも、イエスかノーかの何れかを選びとらなければならないことがあるということは百も承知のうえである。
それでも、いや、そうであるからこそ、有無も言わせぬイエスかノーかの強制にはたとえようもない拒否反応を示したくなるのだ。
そしてそれは、単にイエスかノーの判断を強いる「システム」そのものに対してと言うよりも、そうしろそうしろそれが当為のことだと、まるでそれが最高善の絶対善であるかのようにはなから決めつけておかしがらない人間に対する拒否反応であり、不快感であると言い換えることもできるだろう。
加えてそれは、人の生命に関わるような重大な判断(例えば、軍事的な戦略に関して、死刑制度に関して、脳死問題に関して等々)までを、何の躊躇もなく即断即決することができ、なおかつ自らと同様に為すことを他者に強いる人間への絶対的な不信感と大きくつながっているとも言える。
ひるがえって、ニュートラルとは現にかく在る状態ではなく、どうしてもイエスかノーかの判断を行わざるをえない、結果としてどちらかに偏らざるをえない人間が、揺らぎ躊躇し迷いながらいったん留まって、自らの判断について深く考察しようとする強い意志をこそそう呼ぶべきなのではないだろうか。
だからこそ僕は、我はニュートラルなり、と広言してはばからない人間に対しても、うさん臭さと嘘臭さを感じてしまう。
ニュートラルって、それほど簡単なことじゃあるまいに!
イエスか? ノーか?
ニュートラルな立場などない。そのどちらかで決めてしまえ。
という発想ほどうっとうしくて不愉快なこともない。
もちろん、この世に生きているかぎり、絶対的な中立などというものがありえないということや、どんなに判断に窮する事柄でも、イエスかノーかの何れかを選びとらなければならないことがあるということは百も承知のうえである。
それでも、いや、そうであるからこそ、有無も言わせぬイエスかノーかの強制にはたとえようもない拒否反応を示したくなるのだ。
そしてそれは、単にイエスかノーの判断を強いる「システム」そのものに対してと言うよりも、そうしろそうしろそれが当為のことだと、まるでそれが最高善の絶対善であるかのようにはなから決めつけておかしがらない人間に対する拒否反応であり、不快感であると言い換えることもできるだろう。
加えてそれは、人の生命に関わるような重大な判断(例えば、軍事的な戦略に関して、死刑制度に関して、脳死問題に関して等々)までを、何の躊躇もなく即断即決することができ、なおかつ自らと同様に為すことを他者に強いる人間への絶対的な不信感と大きくつながっているとも言える。
ひるがえって、ニュートラルとは現にかく在る状態ではなく、どうしてもイエスかノーかの判断を行わざるをえない、結果としてどちらかに偏らざるをえない人間が、揺らぎ躊躇し迷いながらいったん留まって、自らの判断について深く考察しようとする強い意志をこそそう呼ぶべきなのではないだろうか。
だからこそ僕は、我はニュートラルなり、と広言してはばからない人間に対しても、うさん臭さと嘘臭さを感じてしまう。
ニュートラルって、それほど簡単なことじゃあるまいに!
3月スタート! 大切な予定をすませた(深夜のCLACLA)
3月スタート!
一日一日を本当に大切にして、自らの為すべきこと為したいことをしっかり為していかなければ。
そして、死を絶対に忘れないこと。
どんよりとしたお天気が続く。
深夜から明け方にかけて、春の嵐が吹いていた。
日中は気温が上昇する。
どんどん花粉が勢いを増している。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
体調、今一つ。
両耳の不調も続く。
顎や歯、腕、腹の痛みは心臓からきている場合もあると…。
なんだか心臓まで重い感じがしてきた…。
まだまだ死にたくない!
安倍内閣が、働き方改革関連法案(このネーミング自体が欺瞞であり愚劣だが)から裁量労働を削除することを決めた。
当然といえば当然のことだが、裏に何があるの、そして今後どういった展開を見せるのは非常に気になるところである。
それにしても、安倍首相一党の因循姑息ぶりには際限がない。
本当に度し難い。
記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対騙されまい。
昨夜、NPO Radio4でマーク・エルダー指揮ロッテルダム・フィルが演奏したフローリアン・マグヌス・マイアーのロッテルダム、イザベル・ファウストの独奏によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『英雄の生涯』(2018年2月23日、ユトレヒト・ティヴォリフレデンブルク)、ロレンツォ・ヴィオッティ指揮ネーデルラント・フィルが演奏したグリンカの歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲、ルカーシュ・ヴォンドラチェクの独奏によるプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』・1911年版(同年2月25日、同)を聴いたりしながら作業を進めたのち、4時少し前に寝床に就く。
ファウストがソロを務めたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の第1楽章のカデンツァは、クリスティアン・テツラフらと同様、ベートーヴェン自身がこの曲をピアノ協奏曲に編曲した際のカデンツァを援用したもの。
ティンパニのテントンテントンという響きが印象的で、今ではこちらのカデンツァでないとちょっと残念に思うほどだ。
10時過ぎに起きる。
3月早々、朝寝坊してしまった。
午前中、NPO Radio4でエド・デ・ワールト指揮オランダ放送フィルが演奏したコープランドの静かな都会、サッシャ・クックのメゾソプラノ独唱によるバーンスタインの交響曲第1番「エレミア」、ブラームスの交響曲第1番(同年1月26日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、3月の創作活動について考えたり、『痾紅毛日記』の再確認を行ったりする。
午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』や『武田和歌子のぴたっと。』、NPO Radio4でクリストフ・ポッペン指揮ネーデルラント・フィルが演奏したシベリウスの交響詩『フィンランディア』、シトコヴェツキー・トリオの独奏によるベートーヴェンの3重協奏曲、メンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」(同年2月5日、アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール)、アイヴァー・ボルトン指揮ネーデルラント・フィルが演奏したレントヘンの交響曲第9番「複調」、エフゲニー・スドビンの独奏によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」(2015年10月17日、同)、モシェレスの序曲『ジャンヌ・ダルク』、ヴェロニカ・エーベルレの独奏によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」他(メンデルスゾーンは、ラストが途切れる/2016年9月19日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『冬の宿』について考えたり、『痾紅毛日記』の手直しを行ったりする。
前田司郎の『愛が挟み撃ち』<文藝春秋>を読了し、町田康の『生の肯定』<毎日新聞出版>を読み始める。
18時半過ぎに外出し、夕飯をとりながら大切な予定をすませる。
ああ、愉しかった!!
今日は、昨日の板チョコの残りを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
そして、今月がいい月でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
一日一日を本当に大切にして、自らの為すべきこと為したいことをしっかり為していかなければ。
そして、死を絶対に忘れないこと。
どんよりとしたお天気が続く。
深夜から明け方にかけて、春の嵐が吹いていた。
日中は気温が上昇する。
どんどん花粉が勢いを増している。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
体調、今一つ。
両耳の不調も続く。
顎や歯、腕、腹の痛みは心臓からきている場合もあると…。
なんだか心臓まで重い感じがしてきた…。
まだまだ死にたくない!
安倍内閣が、働き方改革関連法案(このネーミング自体が欺瞞であり愚劣だが)から裁量労働を削除することを決めた。
当然といえば当然のことだが、裏に何があるの、そして今後どういった展開を見せるのは非常に気になるところである。
それにしても、安倍首相一党の因循姑息ぶりには際限がない。
本当に度し難い。
記憶力、読解力、判断力を一層鍛えていかなければ。
そして、目くらましの八百長猿芝居には絶対騙されまい。
昨夜、NPO Radio4でマーク・エルダー指揮ロッテルダム・フィルが演奏したフローリアン・マグヌス・マイアーのロッテルダム、イザベル・ファウストの独奏によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『英雄の生涯』(2018年2月23日、ユトレヒト・ティヴォリフレデンブルク)、ロレンツォ・ヴィオッティ指揮ネーデルラント・フィルが演奏したグリンカの歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲、ルカーシュ・ヴォンドラチェクの独奏によるプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』・1911年版(同年2月25日、同)を聴いたりしながら作業を進めたのち、4時少し前に寝床に就く。
ファウストがソロを務めたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の第1楽章のカデンツァは、クリスティアン・テツラフらと同様、ベートーヴェン自身がこの曲をピアノ協奏曲に編曲した際のカデンツァを援用したもの。
ティンパニのテントンテントンという響きが印象的で、今ではこちらのカデンツァでないとちょっと残念に思うほどだ。
10時過ぎに起きる。
3月早々、朝寝坊してしまった。
午前中、NPO Radio4でエド・デ・ワールト指揮オランダ放送フィルが演奏したコープランドの静かな都会、サッシャ・クックのメゾソプラノ独唱によるバーンスタインの交響曲第1番「エレミア」、ブラームスの交響曲第1番(同年1月26日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、3月の創作活動について考えたり、『痾紅毛日記』の再確認を行ったりする。
午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』や『武田和歌子のぴたっと。』、NPO Radio4でクリストフ・ポッペン指揮ネーデルラント・フィルが演奏したシベリウスの交響詩『フィンランディア』、シトコヴェツキー・トリオの独奏によるベートーヴェンの3重協奏曲、メンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」(同年2月5日、アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール)、アイヴァー・ボルトン指揮ネーデルラント・フィルが演奏したレントヘンの交響曲第9番「複調」、エフゲニー・スドビンの独奏によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」(2015年10月17日、同)、モシェレスの序曲『ジャンヌ・ダルク』、ヴェロニカ・エーベルレの独奏によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」他(メンデルスゾーンは、ラストが途切れる/2016年9月19日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『冬の宿』について考えたり、『痾紅毛日記』の手直しを行ったりする。
前田司郎の『愛が挟み撃ち』<文藝春秋>を読了し、町田康の『生の肯定』<毎日新聞出版>を読み始める。
18時半過ぎに外出し、夕飯をとりながら大切な予定をすませる。
ああ、愉しかった!!
今日は、昨日の板チョコの残りを食す。
ごちそうさま!
明日がいい日でありますように!
そして、今月がいい月でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。