正月三日目。
どんよりとした感じはありつつも、青空の見えた一日。
気温は上昇せず、寒さがとてつもなく厳しい。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいませ。
風邪など召しませんように。
体調、今一つ。
両耳の不調も続く。
昨夜、NPO Radio4でアンドリス・ネルソンス指揮バーミンガム・シティ交響楽団が演奏したブラームスのヴァイオリン協奏曲とショスタコーヴィチの交響曲第8番(協奏曲の独奏はクリスティアン・テツラフ/2010年9月22日、バーミンガム・シンフォニーホール)、ナハトムジークが演奏したモーツァルトのセレナード第11番(1996年3月10日、アムステルダム・コンセルトヘボウ小ホール)、ヨハン・クリスティアン・バッハの管楽器のためのシンフォニア第6番(1999年11月14日、同)を聴いたりしながら作業を進めたのち、3時半過ぎに寝床に就く。
9時過ぎに起きる。
午前中、NPO Radio4でナハトムジークが演奏したベートーヴェンの管楽6重奏曲、モーツァルトの歌劇『皇帝ティトゥスの慈悲』序曲、ウェーバーのアダージョとロンド(同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、川良浩和の『忘れられないひと、杉村春子』<新潮社>を読み進めたりする。
午後、NPO Radio4でヘルベルト・ブロムシュテット指揮ケルンWDR交響楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第8番とブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」(2010年11月26日、ケルン・フィルハーモニー)、ピエタリ・インキネン指揮ケルンWDR交響楽団が演奏したヴァスクスのムジカ・ドロローサ、ヨハネス・モーザーの独奏によるショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番、チャイコフスキーの交響曲第5番(2011年2月25日、同)、フランツ・バウアー=トイスル指揮ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団が演奏したヨハン・シュトラウスU世のワルツ『ウィーン気質』、『南国のばら』、『美しく青きドナウ』<PHILIPS>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『忘れられないひと、杉村春子』を読み進めたりする。
夕方になって外出し、仕事関係や創作関係の用件を片付け、夕飯用の買い物をすませる。
帰宅後、NPO Radio4でバリトンのクリスティアン・ゲルハーヘルがゲロルト・フーバーのピアノ伴奏で歌ったシューベルトの歌曲集『美しき水車小屋の娘』(同年9月20日、ロンドン・ウィグモアホール)を聴いたりしながら、『忘れられないひと、杉村春子』を読み進めたり、雑件を片付けたりする。
ゲルハーヘルは実によくコントロールされた精緻な歌唱。
そして、たぶんシューベルトが曲を付けていないヴィルヘルム・ミュラーの詩の朗読の美しさも強く印象に残った。
僕は、やはり精度が高くて巧いものが好きなのだと改めて感じる。
途中夕飯を挟み、ABCラジオの『伊藤史隆のラジオノオト』を聴く。
中田治雄(軍治)時代のWヤングの漫才を聴けたのが大収穫。
続けて、NPO Radio4でイヴァン・フィッシャー指揮ケルンWDR交響楽団が演奏したマーラーの交響曲第6番「悲劇的」(2010年10月22日、ケルン・フィルハーモニー)、エリザベート・レオンスカヤが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第4番と4つの即興曲作品番号90、D.899の第3曲(2013年4月28日、アムステルダム・コンセルトヘボウ小ホール)を聴く。
ちなみに、シューベルトのソナタ第4番第2楽章の旋律は、レオンスカヤが同じ日に弾いたソナタ第20番の終楽章に転用されている。
第20番は今夜遅くに聴くつもりだ。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『忘れられないひと、杉村春子』を読み進めたりする。
今日は、甘いものは食さず。
我慢我慢。
なんとかに刃物というけれど、そのなんとかに刃物を渡す人間の罪も重いと強く思う今日この頃。
それにしても厄介なのは、自分を才能のあるなんとかに見せようとするなんとかだ。
なんとかと謗られること自体は仕方ないし構わないけれど、そういうなんとかと一緒に並べられるのだけは御免こうむりたい。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。