2018年01月01日

夕飯前に友達と話をした(CLACLA日記)

 改めまして
 新年あけましておめでとうございます
 本年も何卒よろしくお願い申し上げます


 晴天。
 年の初めに相応しい、いいお天気、いい青空となる。
 夜に観た月も非常に美しかった。

 気温は上昇せず。
 寒さがとても厳しい。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいませ。
 風邪など召しませんように。


 イランで反政府運動が激化し、アメリカのトランプ大統領がイラン政府を強く非難しているという。
 どうにも胡散臭く、きな臭い。
 いろいろと考えることあり。


 世界中で戦争や紛争、各種の暴力や差別が続いている。
 そのことを噛み締める。


 記憶力や読解力、判断力を一層鍛えていかなければならない。
 そして、一過性のガス抜きに満足してはなるまい。


 目くらましの八百長猿芝居には絶対騙されまい。


 9時半少し前に起きたあと、NPO Radio4でニコラウス・アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第27番、ヤコブ・スローターの独奏によるホルン協奏曲第4番、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」(1988年10月16日、アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール)、アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したヨハン・シュトラウスU世のポルカ『浮気心』と『雷鳴と電光』、ワルツ『美しく青きドナウ』<TELDEC>を聴いたりしながら、ブログ等に記事をアップしたり、年賀状のチェックをしたりする。


 午後、NPO Radio4でトレヴァー・ピノック指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの弦楽のための交響曲ト長調wq.182-1、メナヘム・プレスナーの独奏によるモーツァルトのピアノ協奏曲第27番、プレスナーが弾いたショパンの夜想曲第20番、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」(2013年12月22日、同)、ハイドンの交響曲第83番「めんどり」、アンドレアス・サンデンの独奏によるモーツァルトのクラリネット協奏曲(2012年3月25日、同)を聴いたりしながら、多和田葉子の『百年の散歩』<新潮社>を読み始めたり、雑件を片付けたりする。


 17時台に外出して、河原町方面へ。
 人出はそこそこか。
 目当てのお店が閉まっていたりして、結局買い物をすませた程度。

 帰りがけ、梛神社で初詣をすませる。


 帰宅後、NPO Radio4でピノック指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」(同)を聴いたりしながら、『百年の散歩』を読み進めたり、雑件を片付けたりする。


 友達より連絡があり、しばらく話をする。
 新年早々、いろいろと話ができて本当に嬉しく、ありがたかった。
 お互い、いい2018年にしていきたい。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMでリカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの実況中継(ウィーン・ムジークフェラインザール)を聴く。
 チャチャチャチャチャチャーというメロディの引用が印象的な、『仮面舞踏会』のカドリーユを聴けたのが嬉しかった。

 続けて、NPO Radio4でフランス・ブリュッヘン指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団他が演奏したモーツァルトの歌劇『魔笛』序曲、合唱と幕間音楽『エジプト王ターモス』全曲、ロナルド・ブラウティハムの独奏によるピアノ協奏曲第25番(1991年11月28日、アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール)を聴く。
 『エジプト王ターモス』ではオーケストラとともに、合唱が美しい。
 今日は、ピリオド・スタイルの指揮者とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の組み合わせの録音を愉しんだ。


 夕飯後、『百年の散歩』を読み進めたり、雑件を片付けたりする。


 今日は、マルーハ・アーモンドチョコレート(準チョコレート)を食す。
 六角通のローソン100で購入した、スペイン元さんのアーモンド入りの板チョコで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 そして、今年がいい一年でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:34| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新年あけましておめでとうございます!!

 新年あけましておめでとうございます!!
 旧年中は本当にお世話になりました。
 改めて心より感謝を申し上げます。
 そして2018年も何卒よろしくお願いいたします!!


 年が明けてすぐに実家に電話をかけ、両親に新年の挨拶をすませる。
 迷惑をかけてばかりの子である、反省しきり。


 その後、4時少し前に寝床に入ったが、いろいろと考えごとをしていて、結局5時台まで眠れず。
 しかも、8時台には目が醒め、9時半少し前に起きた。

 その間、NPO Radio4でニコラウス・アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したブラームスのヴァイオリン協奏曲と交響曲第1番(協奏曲の独奏はギドン・クレーメル/1996年3月24日、アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール)、ABCラジオの『日曜落語〜なみはや亭〜』で桂吉弥さんが演じた『地獄八景亡者戯』の最後の部分と三喬時代の笑福亭松喬さんが演じた『らくだ』、六代目笑福亭松鶴さんが演じた『正月丁稚』、NHK・FMの『ラジオ深夜便』で柳家さん喬さんへのインタビューの後半部分、ABCラジオに戻って『征平・吉弥の元旦も全開!!』を聴く。
 アーノンクールが指揮したブラームスは、クレーメルの独奏ともども非常に癖の強いもの。
 ブラームスの音楽の持つぎくしゃくとした感じがよく再現されていた。
 だからこそなお、ブラームスの旋律美や抒情性、ロマンティックな雰囲気も現れていたのだけれど。
 一方、松喬さんが演じた『らくだ』では、くず屋が酔ってらくだの亡骸をぞんざいに扱う部分と、その亡骸を漬物樽に放り込んで葬斂に出かける際、長屋の連中が冷淡な態度をとることに対して、くず屋がらくだの意外な一面(子供たちへの優しさ)を語る対比が強く印象に残った。
 その前の、「人間のくず」というくず屋の自嘲が効いている。
 また、松鶴さんでは冒頭の「正月は冥途の旅の一里塚…」がよい伏線となっていた。


 それにしても、クラシック音楽や落語に限らず、こうして「古典」、それも上質のものに接していて強く感じるのは、桎梏を桎梏と感じるにはそれなりの才能が必要だということだ。
 そして、桎梏を桎梏と感じるからこそ、次のステップへ踏み出すための激しい葛藤も起こり得るのだと思う。
 むろん、そのためにも「古典」を学ぶこと、基礎をしっかりと積むことが重要なのだろうが。
 新年早々、自省あるのみである。
 まさしく、めでたくもありめでたくもなしか。


 皆さん、よいお正月をお過ごしくださいませ。
 風邪など召しませんように。
posted by figarok492na at 11:11| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする