2017年10月30日

朝から洗濯をすませた(早めのCLACLA)

 晴天。
 いいお天気、いい青空へ。

 気温は下がり、肌寒さを感じる。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。


 体調、今一つ。
 両耳の不調も続く。


 選挙期間中のあれこれはどこ吹く風、選挙に勝ったとたん、いつもの如き傲慢卑劣を繰り返す安倍首相一党である。
 ただし、これも全て予測されたこと。
 彼彼女ら自身の責任も重いが、それを支持許容黙認している人間の責任も重い。
 それこそ、自己責任自業自得ではないか。
 度し難い。


 記憶力と読解力(文脈を読む力)、そして判断力を一層鍛えていかなければと思う今日この頃だ。


 馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。


 目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、NPO Radio4で大野和士指揮オランダ放送フィルが演奏したデュティユーの交響曲第1番、ベンジャミン・グローブナーの独奏によるサン・サーンスのピアノ協奏曲第2番とグローブナーがアンコールで弾いた『動物の謝肉祭』から「白鳥」、ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、ラヴェルのバレエ音楽『ダフニスとクロエ』第2組曲(2013年11月16日、アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール)、ミヒャエル・シェーンヴァント指揮オランダ放送室内フィルが演奏したモーツァルトの歌劇『後宮からの逃走』序曲とビゼーの劇音楽『アルルの女』第1&第2組曲(2009年9月12日、同)、エド・デ・ワールト指揮オランダ放送フィルが演奏したシュレーカーの劇音楽『皇女の誕生日』組曲(2004年11月13日、同)を聴いたりしながら、『冬の宿』を書き進めたり、桐野夏生の『猿の見る夢』<講談社>を読み進めたりしたのち、3時過ぎに寝床に就く。
 大野和士の指揮はよくコントロールされたもので、間然としない演奏。
 プログラムも秀逸だ。


 8時過ぎに起きる。

 で、毎週恒例の洗濯を決行する。


 午前中、NPO Radio4でデ・ワールト指揮オランダ放送フィル他が演奏したツェムリンスキーの歌劇『こびと』(同)、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮オランダ放送フィルが演奏したショスタコーヴィチの交響曲第4番(1989年12月2日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『冬の宿』を書き進めたり、『猿の見る夢』を読み進めたりする。
 デ・ワールトが指揮したシュレーカーとツェムリンスキーの作品は、ともにオスカー・ワイルドの原作によるもの。
 後期ロマン派流儀のたっぷり艶やかな音楽だが、デ・ワールト指揮はそれに溺れることなく急所要所を押さえた演奏に仕上げている。
 『こびと』の歌手陣もバランスがよい。
 ゲルギエフのショスタコーヴィチは一気呵成だ。


 午後、NPO Radio4でデヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団が演奏したハンス・ツェンダーの33の変奏による33の変奏(2013年10月17日、チューリッヒ・トーンハレ大ホール)を聴きながら、仕事関係の作業を進める。
 ハンス・ツェンダーの作品は、ベートーヴェンのディアベッリの主題による33の変奏曲を下敷きにしたもの。
 そこはツェンダーだから、原曲を素直に管弦楽用に編曲したものではない。
 同趣向のシューベルトの歌曲集『冬の旅』の管弦楽伴奏の如くアコーディオンを活用したり、モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』冒頭のレポレロ風の変奏では、同時に石像がドン・ジョヴァンニに語りかける部分を鳴らしたりと仕掛けはたっぷりである。
 ジンマンとチューリッヒ・トーンハレ管も万全の演奏で、大いに愉しめた。


 仕事関係の予定をすませる。


 その後、ウラディーミル・アシュケナージさんが弾いたハワード・ブレイクのピアノ作品集<DECCA>、NPO Radio4でベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第1番とショスタコーヴィチの交響曲第5番(1987年3月12日、アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール)、オットー・クレンペラー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第1番(1964年7月9日、同)、アルド・チッコリーニが弾いたリスト編曲によるワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』から愛の死、リストのメフィスト・ポルカ(2011年6月26日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『猿の見る夢』を読み進めたりする。


 まもなく外出の予定。
 3回目となる座錦湯なり。
 それじゃあ、行って来ます!
posted by figarok492na at 18:35| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする