2017年09月15日

2時間弱で目が醒めた(CLACLA日記)

 晴天。
 どんよりとした感じはありつつも。

 気温がだいぶん下がってきた。
 今年は秋が早くやって来そうだ。
 季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。


 体調、今一つ。
 両耳の不調も続く。


 北朝鮮がまたぞろミサイルを発射した。
 こうやって戦時体制が醸成されていくのだ。
 本当に度し難い。

 それにしても、日本海沿岸の原子力発電所は今日も稼働を続けている。
 しかも、東京電力は柏崎刈羽原子力発電所の再稼働を押し進めている。
 おまけに、安倍首相はインドで原子力発電所の売り込みに勤しんでいる。
 なんともかとも。


 森友学園問題や加計学園問題はますますうやむやのままにされるだろう。
 おめでたい話である。


 目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。


 昨夜、yleのサイトにアップされたルイ・ラングレ指揮フィンランド放送交響楽団が演奏したウェーベルンのパッサカリアとシューマンの交響曲第4番(2016年4月1日、ヘルシンキ音楽センター・コンサートホール)、SWRのサイトにアップされたミヒ・ガイック指揮オルフェオ・バロック・オーケストラが演奏したモーツァルトの交響曲第21番と第33番(2013年6月7日、シュヴェツィンゲン・ロココ劇場)を聴いたりしながら、『京都映画百景 等持院「はりま」』を書き進めたり、西田敏行の『役者人生、泣き笑い』<河出書房新社>を読み進めたりしたのち、3時少し前に寝床に就く。
 岡村隆史のオールナイトニッポンは、プチ歌謡祭企画だったためパス。


 3時少し過ぎに眠ったというのに、昨日カフェインを多めに摂ったせいか5時少し前には目が醒める。
 その後、結局寝直すことができず7時ちょうどに起きる。

 BR(バイエルン放送)のサイトにアップされたファンホ・メナ指揮バイエルン放送交響楽団が演奏したマーラーの交響曲第1番「巨人」(2017年6月16日、ヘラクレスザール)、ベルゲン・フィルのサイトにアップされたソプラノのサリー・マシューズとメナ指揮ベルゲン・フィルが演奏したマーラーの交響曲第4番(2015年4月16日、ベルゲン・グリーグホール)、日本テレビのサイトにアップされた下野竜也指揮読売日本交響楽団が演奏したモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」(2016年4月19日、サントリーホール大ホール)、YouTubeにアップされたフランソワ・グザヴィエ・ロト指揮ロンドン交響楽団が演奏したドビュッシーの牧神の午後への前奏曲(2017年4月23日、ロンドン・バー美観センター)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『京都映画百景 等持院「はりま」』を書き終えてブログや縦書き文庫等にアップしたり、『役者人生、泣き笑い』を読み進めたりする。

 8時台から、二つ隣の部屋の室内工事が行われていて、非常にかまびすしい。
 本来ならば昨日のうちに騒々しい作業は終わっていたはずが、急遽今日も追加されている。
 しかも、作業そのものに加え、ドアの開け閉めもやかましいかぎり。
 どうにも度し難し。


 11時台に食事をすませたあと、あまりの眠たさに正午過ぎからついつい昼寝をしてしまう。
 ただし、上述騒音に何度も起こされたが。


 午後、yleのサイトにアップされたダニエル・ブレンドゥルフ指揮フィンランド放送交響楽団が演奏したラヴェルのスペイン狂詩曲(2015年10月9日、ヘルシンキ音楽センター・コンサートホール)、ハンヌ・リントゥ指揮フィンランド放送交響楽団が演奏したコッコネンの交響曲第4番(2017年3月16日、同)、ポール・アグニュー指揮フィンランド放送交響楽団が演奏したハイドンの交響曲第85番「王妃」と『アルミーダ』抜粋(後者はソプラノのキャスリーン・ワトソンとアグニュー自身の独唱。2015年2月5日、同)を聴く。
 テノール歌手でレザール・フロリサンの指揮者でもあるアグニューはもちろんピリオド・スタイルを援用した演奏。
 ワトソンの伸びやかで艶やかで清澄な歌声も魅力的だ。
 また、なかなか接する機会のないコッコネンの交響曲を耳にすることができたのも収穫。


 仕事関係の作業を進めたり、『役者人生、泣き笑い』を読み進めたりする。


 夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 帰宅後、鈴木雅明指揮タピオラ・シンフォニエッタが演奏したストラヴィンスキーの『プルチネッラ』組曲他<BIS>を聴いたりしながら、雑件を片付ける。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』の特集「プロムス2017」で、シャルル・デュトワ指揮ロイヤル・フィルのコンサートのライヴ録音(2017年8月17日、ロンドン・ロイヤル・アルバートホール)を聴く。
 ステファニー・ドゥストラックのメゾ・ソプラノ独唱によるファリャの『恋は魔術師』ハイライト、ジョシュア・ベルのヴァイオリン独奏によすラロのスペイン交響曲、キャメロン・カーペンターのオルガン独奏によるサン・サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」が演奏されていた。

 続けて、YouTubeにアップされたジュリアン・クエルティ指揮hr交響楽団が演奏したリムスキー=コルサコフの交響組曲『シェエラザード』(2015年1月16日、フランクフルト・アルテ・オーパー)、デトロイト交響楽団のサイトにアップされたカルロス・ミゲル・プリエト指揮デトロイト交響楽団が演奏したマルケスのダンソン・ヌメロ・ドス(2017年5月13日、デトロイト・オーケストラホール)を聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、新しい作品について考えたりする。


 『役者人生、泣き笑い』を読了する。
 ああ、面白かった。

 続けて、福田逸の『父・福田恆存』<文藝春秋>を読み始める。


 今日も、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:45| Comment(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都映画百景 等持院「はりま」

☆京都映画百景 等持院「はりま」


 年に一回か二回、どうしても急に食べたくなるものがある。
 烏丸今出川・まろみ屋のコンビーフカレー、西院・三番食堂のとん汁と焼き鯖定食、百万遍・チックタックのボロネーゼ、そして等持院・はりまの豆腐丼。
 学生時代、はりまには何度となく通ったものだ。
 おつゆがしっかりしみ込んだ厚揚げ、玉子、牛すじ、こんにゃく、大根、ちくわのおでん定食。
 わらじ大のチキンカツがどんと鎮座したビッグチキンカツ定食。
 けれど、やっぱり一番先に選んでしまうのは、はりま名物の豆腐丼だった。
 大ぶりの丼鉢にあつあつのごはん、その上に刻み海苔を敷き、絹ごし豆腐を一丁載せてじゃこと薄切りのおくらを散らし、かつぶし、みりん、薄口醤油で味付けした出汁をたっぷりかける。
 竜安寺商店街の名店の絹ごしと代々秘伝の出汁が絡み合って、これがもう本当に美味いのだ。
 特に夏の暑い盛り、めっきり食欲が落ちている時分でも、はりまの豆腐丼ならぺろりといける。
 先日、映画関係のシンポジウムで母校を訪ねる機会があったので、せっかくだからとはりまに足を伸ばした。
 文学部棟前の門を出て、等持院横の小さな道を嵐電の駅に向かってぶらぶらと歩く。
 しばらくすると、年季が入った建物が見えてくる。
 濃紺に白地で右斜め上からはりまと染められた暖簾をくぐって、ガラス戸を開けると、
「いらっしゃい、おお」
と、ご主人が声をかけてきた。
 ご主人の播磨和夫さん、などと書いてしまうとなんだかこそばゆい。
 と、言うのも、播磨と私は学生時代、同じサークルに所属していた同回生なのである。
 久しぶりやな、一年ぶりやね、どうしてまた、映画のシンポジウムがあって、にしても立命に映画の学部ができるなんて思わんかったよな、という毎度のやり取りをすませたのち、一番奥のテーブルに腰を下ろした。
 お茶を持ってくるのは、播磨のお嫁さん登美子さん。
「豆腐丼やんね」
 登美子さんともかれこれ三十年近くの付き合いだ。
「もちろん。ああ、ゆっくりで構わんし」
「わかってるよ」
 厨房から播磨が応える。
 ルイボスティーを口に含みながら、店内を見回す。
 あるべきものがきちんとそこにある、そんな些細なことがとても嬉しい。
 はりまでは、今は亡き川谷拓三さんや有川博さんといった映画演劇関係の諸兄姉をお見かけしたことがあったが、軽く会釈をする程度で、話しかけるなんて無粋な真似は一切しなかった。
 だいたい、はりま自体があれだけ映画人の通う店だというのに、サインの一枚も貼り出してはいない。
 ただ、播磨の高祖父にあたる先々々々代の弥太郎さんと勝見善三が肩を組んだセピア色に変色した写真が一葉架けてあるだけだ。
 それも、店の片隅にひっそりと。
 よほどの映画ファンでも、勝見善三の名をご存じの方は少ないのではないか。
 勝見善三。
 大正の末から昭和の初めにかけて離合集散を繰り返した等持院撮影所(そう、等持院には映画の撮影所が設けられていた)の中で、大きく異彩を放った映画監督が彼である。
 よし、はい、いいよ、でついたあだ名は早撮りの勝見、韋駄天の善さん。
 それでいて、出来上がった作品に全く隙はない。
 盟友中村辨之丞と組んだ一連のチャンバラ作品は中辨物として大いに人気を博した。
 『七転八倒起ノ介』、『天下泰平碁盤の目』、『大流鏑馬』その他諸々。
 けれど、実は勝見善三の作品は数多くの無声映画がそうであるように、一本たりとて現存していない。
 今から二十五年ほど前になるか、コレクターとして著名な神戸のO氏が香芝市の旧家で『天下泰平碁盤の目』の保存状態のよいフィルムの一部を発見し大きな話題となったが、さあこれから公開するぞという折も折、阪神大震災が発生し、その他の貴重なコレクションと共に失われてしまった。
 しかも、等持院撮影所が閉鎖されて以降の勝見善三の消息も不明だ。
 東京に移った、満洲に渡った、アメリカに渡ったなどと、巷間様々に噂はされているのだけれど、実際のところは謎のままなのである。
 そんな勝見善三は、はりまの豆腐丼を愛した。
 と、言うより、そもそも勝見善三のために弥太郎さんは豆腐丼を考案したのであった。
「勝見さんは早撮りの人やろう。食事もささっと取りたがったそうやねんけど、あいにく細長いものは苦手とかで麺類が大嫌い。おまけに、肉や魚もほとんど食べん人で、豆腐がやたらに好きやったとか。それで、弥太郎さんが考え出したんがこの豆腐丼やねんな」
 とは、当代主人の播磨の言。
 そうそう、豆腐丼におくらが使われているのも、勝見善三がネギを嫌っていたからだとか。
 彼は相当な偏食家だったようだ。
 それにしても、はりまの豆腐丼がこうして残ったことは非常に嬉しい反面、結局勝見善三の名を現在に伝えるものがこれだけだとすると、なんとも哀しい。
 そういえば、先ごろ亡くなった母校の恩師が、芸術は長く人生は短しという言葉を好んで口にしていたが、ときにそれは生活は長く芸術は短しと言い換えなければならないのではないか。
 勝見善三に倣って七味をたっぷりとかけた豆腐丼を頬張りながら、私はそう思わずにはいられなかった。
posted by figarok492na at 07:59| Comment(0) | 創作に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする