☆The錦湯 第15回
出演:桂あおばさん
(2017年9月4日20時開演/錦湯)
15回目となるThe錦湯は、支配人の桂三幸さんがお休み。
けれど、錦湯さんではもうおなじみの桂あおばさんがやって来たので全く無問題。
で、出演者もあおばさん一人というまさしく正真正銘の独演会となったのだが、常連さんリピーターさんとお客さんも入って、結構な会となった。
定刻20時頃に、やおらあおばさんが登場。
今夜は自分だけの会なのでと一言断ってから、トークを繰り広げながら舞台で着替えを披露する。
ちょうど昨日終わったばっかりの彦八まつりや、師匠の桂ざこばさんとのエピソードで大いに盛り上げる。
で、程よい頃合いで高座へ。
一席目は『替り目』。
師匠のざこばさんとは切っても切れない酒の話題をマクラで語ってから、本題に入る。
今日も今日とて酔っ払って帰宅した男、まだ飲み足りないと女房にかんとだき(おでん)を買いに行かせるが…。
それこそざこばさんを彷彿とさせる酔態ぶりもおかしいが、やはりあおばさんの肝は、男が女房への愛情を語るところ。
あおばさんが好んでかける新作『ハンカチ』に通ずるおかかなしい情の世界が描かれた。
続く二席目は、題名だけを口にした上でお客さんのアンケートをとった結果の『肝つぶし』。
マクラの部分で、この噺の演じ手がほとんどいない理由を明かしてから本題に入る。
何やら奇妙な病にとりつかれた男のために、ここは男の父親に受けた大きな恩をかえす機会とばかり兄は妹の肝を切り取ろうとするが…。
と、ここだけ聴くとやけにグロテスクのような噺だけれど、そこは落語。
どんな病にとりつかれたかを説明する男と兄との会話は、やけに滑稽だ。
ただし、ここでも肝となったのは、兄と妹のやり取りだろう。
加えて、サゲ直前のいったん緊張が緩まるところもおかしかった。
で、本来はここで終演となるところだったが、ぎりぎりになってお客さんがやって来られたので、その方のために『鉄砲勇助』の木曽山中の部分をあおばさんはテンポよく演じ、滑稽に〆た。
と、桂あおばさんの特性魅力が十分十二分に発揮された会でした。
大喜利のないThe錦湯もすっきりしてよきかな。
ああ、面白かった!!
ちなみに、10月25日には大阪・ABCホールであおばさんの独演会が予定されています。
ご都合よろしい方はこちらもぜひ!!
2017年09月04日
デトロイト交響楽団の動画を愉しんだ(早めのCLACLA)
どんよりとした感じの強いお天気。
青空は見えつつも。
気温はあまり上昇せず。
過ごしやすし。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
右脇腹の重痛みが続く。
悪い病気ではないのか心配だ。
そして、両耳の不調も続く。
北朝鮮の核実験が大きく取り沙汰されている。
北朝鮮そのものはもちろんのこと、そうした核技術が他国に流れた場合のことも考えると、確かに重大な問題で激しい憤りを感じる。
加えて、北朝鮮の動向が安倍内閣の諸問題を糊塗する材料、さらには北朝鮮の脅威を煽ることによって国内世論を一方向に導くことに巧く利用されている点にも腹立たしさを覚える。
本当に度し難い。
(ただ、だからといって威勢のよい発言を繰り返すこともやはり辞しておきたい。挑発にやすやすと乗ることは、結果として相手を利するだけになるだろうからだ)
元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である。
という平塚らいてうの言葉をふと思い出す。
目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、デトロイト交響楽団のサイトにアップされたネーメ・ヤルヴィ指揮デトロイト交響楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』、リャードフの音楽の玉手箱(たぶん、オッフェンバックの『ホフマン物語』のオランピアのアリアを意識しているはず)、スーザの星条旗よ永遠なれ(2014年12月13日、デトロイト・オーケストラホール)、ロベルト・トレヴィーノ指揮デトロイト交響楽団が演奏したギョーム・コネソンのコスミック・トリロジーから第1部「アレフ」、ストラヴィンスキーの『火の鳥』組曲(2015年1月31日、同)、レナード・スラットキン指揮デトロイト交響楽団が演奏したヒナステラの『エスタンシア』から4つの舞曲(同年4月17日、同)を聴いたりしながら作業を進めたのち、3時過ぎに寝床に就く。
9時過ぎに起きる。
午前中、デトロイト交響楽団のサイトにアップされたペル・テングストラントとネーメ・ヤルヴィ指揮デトロイト交響楽団が演奏したステンハンマルのピアノ協奏曲第1番(リヒャルト・シュトラウス等と同)、ハンヌ・リントゥ指揮デトロイト交響楽団が演奏したショスタコーヴィチの交響曲第5番(2015年5月9日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『ほそゆき』を書き進めたりする。
木内昇の『光炎の人』下<角川書店>を読了する。
郷司音三郎と彼を取り巻く人々の変遷を通して、日本という国の近代化の明と暗、歪みを克明に描いた作品。
そして、過去はそのまま現代の日本に繋がっているということも強く思い知らされる。
木内さんの表現者としての矜持も二重三重に示されていた。
ああ、面白かった!!
午後、yleのサイトにアップされたアンドラーシュ・シフ指揮フィンランド放送交響楽団が演奏したハイドンの交響曲第80番とモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」(2016年3月10日、ヘルシンキ音楽センター・コンサートホール)、タカーチュ・カルテット他が演奏したシューベルトの弦楽4重奏曲第15番他<DECCA>、デトロイト交響楽団のサイトにアップされたスラットキン指揮デトロイト交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第4番(2015年4月25日、デトロイト・オーケストラホール)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、ササハラ組の『鴨川☆ラヴァーズ』の台詞をさらったり、畑野智美の『家と庭』<角川書店>を読み始めたりする。
まもなく外出し、錦湯さんへ。
The錦湯なり。
それじゃあ、行って来ます!
青空は見えつつも。
気温はあまり上昇せず。
過ごしやすし。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
右脇腹の重痛みが続く。
悪い病気ではないのか心配だ。
そして、両耳の不調も続く。
北朝鮮の核実験が大きく取り沙汰されている。
北朝鮮そのものはもちろんのこと、そうした核技術が他国に流れた場合のことも考えると、確かに重大な問題で激しい憤りを感じる。
加えて、北朝鮮の動向が安倍内閣の諸問題を糊塗する材料、さらには北朝鮮の脅威を煽ることによって国内世論を一方向に導くことに巧く利用されている点にも腹立たしさを覚える。
本当に度し難い。
(ただ、だからといって威勢のよい発言を繰り返すこともやはり辞しておきたい。挑発にやすやすと乗ることは、結果として相手を利するだけになるだろうからだ)
元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である。
という平塚らいてうの言葉をふと思い出す。
目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、デトロイト交響楽団のサイトにアップされたネーメ・ヤルヴィ指揮デトロイト交響楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』、リャードフの音楽の玉手箱(たぶん、オッフェンバックの『ホフマン物語』のオランピアのアリアを意識しているはず)、スーザの星条旗よ永遠なれ(2014年12月13日、デトロイト・オーケストラホール)、ロベルト・トレヴィーノ指揮デトロイト交響楽団が演奏したギョーム・コネソンのコスミック・トリロジーから第1部「アレフ」、ストラヴィンスキーの『火の鳥』組曲(2015年1月31日、同)、レナード・スラットキン指揮デトロイト交響楽団が演奏したヒナステラの『エスタンシア』から4つの舞曲(同年4月17日、同)を聴いたりしながら作業を進めたのち、3時過ぎに寝床に就く。
9時過ぎに起きる。
午前中、デトロイト交響楽団のサイトにアップされたペル・テングストラントとネーメ・ヤルヴィ指揮デトロイト交響楽団が演奏したステンハンマルのピアノ協奏曲第1番(リヒャルト・シュトラウス等と同)、ハンヌ・リントゥ指揮デトロイト交響楽団が演奏したショスタコーヴィチの交響曲第5番(2015年5月9日、同)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『ほそゆき』を書き進めたりする。
木内昇の『光炎の人』下<角川書店>を読了する。
郷司音三郎と彼を取り巻く人々の変遷を通して、日本という国の近代化の明と暗、歪みを克明に描いた作品。
そして、過去はそのまま現代の日本に繋がっているということも強く思い知らされる。
木内さんの表現者としての矜持も二重三重に示されていた。
ああ、面白かった!!
午後、yleのサイトにアップされたアンドラーシュ・シフ指揮フィンランド放送交響楽団が演奏したハイドンの交響曲第80番とモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」(2016年3月10日、ヘルシンキ音楽センター・コンサートホール)、タカーチュ・カルテット他が演奏したシューベルトの弦楽4重奏曲第15番他<DECCA>、デトロイト交響楽団のサイトにアップされたスラットキン指揮デトロイト交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第4番(2015年4月25日、デトロイト・オーケストラホール)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、ササハラ組の『鴨川☆ラヴァーズ』の台詞をさらったり、畑野智美の『家と庭』<角川書店>を読み始めたりする。
まもなく外出し、錦湯さんへ。
The錦湯なり。
それじゃあ、行って来ます!