晴天。
いいお天気、いい青空の一日。
気温が上昇し、暑さがとても厳しい。
暑い暑い暑い暑い。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
ここのところ暴飲が続き、胃腸の調子が非常にわろし。
そして、両耳の不調が続く。
馬鹿につける薬はない。
昨夜、市川崑監督の『細雪』(1983年、東宝映画)のDVDを観る。
久しぶりに観たが、やっぱり面白かった。
むろん原作とは相当異なるのだけれど、谷崎潤一郎の作品が持つ絢爛さと淫靡さ、滑稽さがよく表されていたからだ。
それに、関西弁に問題はあるものの、岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子の四姉妹に婿の伊丹十三、石坂浩二といった役者陣にも心魅かれる。
例えば、脇の小坂一也と常田富士夫のコンビ(特に小坂さん)など滑稽さを通り越してこわ哀しくもある。
そして、着物。
ああ、面白かった!!!
3時過ぎに寝床に就く。
9時半少し前に起きる。
午前中、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴いたりしながら、『馬猿譚』を書き進めたり、仕事関係の予定をすませたりする。
13時過ぎに外出し、京都コンサートホールへ。
大ホールで、京都市交響楽団第614回定期演奏会を愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
ああ、面白かった!!!
旧知の本保弘人さんも来ていたので、終演後のレセプションなどで話をする。
その後、百万遍方面へ。
身体のメンテナンスをすませる。
ああ、すっきりした!!!
で、夕飯用の買い物をすませ、19時20分過ぎに帰宅した。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『N響 ザ・レジェンド』を聴く。
先ごろ亡くなったイルジー・ビエロフラーヴェクの指揮によるスメタナの連作交響詩『わが祖国』(1994年12月8日、NHKホール)とドヴォルザークの序曲『謝肉祭』(1984年9月19日、同)のライヴ録音が放送されていた。
続いて、『クラシックの迷宮』を聴く。
「西洋クラシック音楽の中の日本」という特集が組まれていた。
さらに、YouTubeにアップされたエマニュエル・アックスとアンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮hr交響楽団が演奏したリヒャルト・シュトラウスのブルレスケ(2015年12月11日、フランクフルト・アルテ・オーパー)を聴く。
夕飯後、コンサート記録をアップしたり、仕事関係の作業を進めたりする。
今日も、甘いものは食さず。
我慢我慢。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2017年07月15日
京都市交響楽団 第614回定期演奏会
☆京都市交響楽団 第614回定期演奏会
指揮:広上淳一
独奏:ピンカス・ズーカーマン
座席:3階LB1列5番
(2017年7月15日14時半開演/京都コンサートホール大ホール)
614回目となる京都市交響楽団の定期演奏会は、シェフの広上淳一の指揮。
世界的な名ヴァイオリニストであるピンカス・ズーカーマンを迎え、ブラームスの大学祝典序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ブラームスの交響曲第3番の3曲が演奏された。
一曲目の大学祝典序曲は、ブラームスが名誉博士号を授与された返礼としてブレスラウ大学のために作曲されたコンサート用の序曲で、学生歌の旋律が巧みに援用されている。
タタタタタータータタタタタータータタタタタタタタータータタタ…というおなじみのメロディをはじめ、実に耳馴染みがよくて快活な音楽だが、一方でブラームスらしいリリカルさもためた作品だ。
広上さんの指揮に応え、京都市交響楽団は鳴らすべきところはしっかり鳴らし歌うべきところは歌って堂々と演奏し切った。
特に、弦楽器(コンサートマスターは客演の豊嶋泰嗣)の明るさに満ちた旋律美が印象に残った。
続いては、ズーカーマンの独奏によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
少し小さめの編成に刈りこまれたオーケストラが、機能性に富んでメリハリがよくきいたクリアでスマートな演奏を行ったのに対し、ズーカーマンはオールドスタイルというと言い過ぎかもしれないけれど、嘯き鳴るというのか、明快軽やかに鳴り響くソロを披瀝した。
歌い崩したりはしないものの、節回しが自在なため、オーケストラとの演奏の違いに最初はちょっとおやと思っていたのだが、第1楽章のカデンツァにいたって、ああこのカデンツァならばそりゃああいう鳴らし方を続けなければ一貫性がないもんな、と大いに納得がいった。
強いて喩えるならば、ラストの大団円を見据えて周囲の役者陣と全く異なる重た苦しい台詞遣いを続けた深作欣二監督の『柳生一族の陰謀』の萬屋錦之助の演技ということになるか。
もちろん、ズーカーマンは重た苦しさとは正反対、軽やかに高らかなヴァイオリン・ソロだったが。
そして、カデンツァ後、ソロと共にゆっくりと目醒めていくようなオーケストラの演奏がまた美しかったのだ。
続く第2楽章の優美さ、第3楽章の軽快さも巧みに再現されていき、まさしく千両役者の名演技を観るかのような面白さだった。
これだけでももうお腹がいっぱいなのだけれど、休憩を挟んだブラームスの交響曲第3番がまた聴き応えがあった。
映画の『さよならをもう一度』で引用された第3楽章をはじめ、旋律美と抒情性に満ちあふれる一方、鬱屈した感情がときに放出されるようなウェットな激しさと全ての楽章を弱音で終えるといった作曲的な技巧が凝らされた一筋縄ではいかない交響曲でもある。
広上さんはそうした作品の持つ多様な性質を、強弱緩急を適切にコントロールしながら細やかに再現していた。
ここでも弦楽器の流麗な響きに魅せられたほか、第2楽章や上述した第3楽章ではホルンのソロ(垣本昌芳)をはじめ、木管楽器の掛け合いも魅力的だった。
(一つだけ残念だったのは、曲が終わってすぐに拍手をした人が結構いたこと。せっかくの余韻が…)
名曲の名曲たる所以を存分に知ることのできたコンサート。
ああ、面白かった!!!
指揮:広上淳一
独奏:ピンカス・ズーカーマン
座席:3階LB1列5番
(2017年7月15日14時半開演/京都コンサートホール大ホール)
614回目となる京都市交響楽団の定期演奏会は、シェフの広上淳一の指揮。
世界的な名ヴァイオリニストであるピンカス・ズーカーマンを迎え、ブラームスの大学祝典序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ブラームスの交響曲第3番の3曲が演奏された。
一曲目の大学祝典序曲は、ブラームスが名誉博士号を授与された返礼としてブレスラウ大学のために作曲されたコンサート用の序曲で、学生歌の旋律が巧みに援用されている。
タタタタタータータタタタタータータタタタタタタタータータタタ…というおなじみのメロディをはじめ、実に耳馴染みがよくて快活な音楽だが、一方でブラームスらしいリリカルさもためた作品だ。
広上さんの指揮に応え、京都市交響楽団は鳴らすべきところはしっかり鳴らし歌うべきところは歌って堂々と演奏し切った。
特に、弦楽器(コンサートマスターは客演の豊嶋泰嗣)の明るさに満ちた旋律美が印象に残った。
続いては、ズーカーマンの独奏によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
少し小さめの編成に刈りこまれたオーケストラが、機能性に富んでメリハリがよくきいたクリアでスマートな演奏を行ったのに対し、ズーカーマンはオールドスタイルというと言い過ぎかもしれないけれど、嘯き鳴るというのか、明快軽やかに鳴り響くソロを披瀝した。
歌い崩したりはしないものの、節回しが自在なため、オーケストラとの演奏の違いに最初はちょっとおやと思っていたのだが、第1楽章のカデンツァにいたって、ああこのカデンツァならばそりゃああいう鳴らし方を続けなければ一貫性がないもんな、と大いに納得がいった。
強いて喩えるならば、ラストの大団円を見据えて周囲の役者陣と全く異なる重た苦しい台詞遣いを続けた深作欣二監督の『柳生一族の陰謀』の萬屋錦之助の演技ということになるか。
もちろん、ズーカーマンは重た苦しさとは正反対、軽やかに高らかなヴァイオリン・ソロだったが。
そして、カデンツァ後、ソロと共にゆっくりと目醒めていくようなオーケストラの演奏がまた美しかったのだ。
続く第2楽章の優美さ、第3楽章の軽快さも巧みに再現されていき、まさしく千両役者の名演技を観るかのような面白さだった。
これだけでももうお腹がいっぱいなのだけれど、休憩を挟んだブラームスの交響曲第3番がまた聴き応えがあった。
映画の『さよならをもう一度』で引用された第3楽章をはじめ、旋律美と抒情性に満ちあふれる一方、鬱屈した感情がときに放出されるようなウェットな激しさと全ての楽章を弱音で終えるといった作曲的な技巧が凝らされた一筋縄ではいかない交響曲でもある。
広上さんはそうした作品の持つ多様な性質を、強弱緩急を適切にコントロールしながら細やかに再現していた。
ここでも弦楽器の流麗な響きに魅せられたほか、第2楽章や上述した第3楽章ではホルンのソロ(垣本昌芳)をはじめ、木管楽器の掛け合いも魅力的だった。
(一つだけ残念だったのは、曲が終わってすぐに拍手をした人が結構いたこと。せっかくの余韻が…)
名曲の名曲たる所以を存分に知ることのできたコンサート。
ああ、面白かった!!!