晴天が続く。
気温はそれほど上昇せず。
夕方以降は、涼しさが増す。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の不調が続く。
イタリアのタオルミナでG7サミットが開催されている。
当然、日本からは安倍晋三首相が出席している。
いろいろと考えることあり。
安倍内閣・自民党は、加計学園問題に関する前川喜平前文部科学事務次官の証人喚問を拒否した。
野党からご都合主義との言葉が出ているが、全くもってその通りだ。
後ろ暗いところが全くないのであれば、すぐに証人喚問に応じればよい。
安倍昭恵首相夫人の問題に関してもそうだけれど、そのやり口の汚さには腹立たしさを覚える。
このような連中が道徳だのなんだのと声高に主張することの嘘くささ胡散臭さ。
このまま許してはなるまい。
目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、4時過ぎに寝床に就く。
9時20分に起きる。
ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業や『鶴丸文造の遍歴時代』の改稿作業を進める。
午後、リカルド・シャイー指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団が演奏したヴェルディの序曲・前奏曲集<DECCA>、YouTubeにアップされたロナルド・ブラウティハムとミハエル・シェーンヴァント指揮オランダ放送室内フィルが演奏したブラームスのピアノ協奏曲第2番、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮オランダ放送フィルが演奏したストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、吉田修一の『橋を渡る』<文藝春秋>を読み進めたりする。
夕方になって外出し、夕飯用の買い物をすませる。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『N響 ザ・レジェンド』を聴く。
「N響をしごいたマエストロ」と題して、ヴィルヘルム・シュヒターがNHK交響楽団を指揮した、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第10番、チャイコフスキーの交響曲第5番、ブラームスのハンガリー舞曲第5番&第6番、蛍の光が放送されていた。
チャイコフスキーのシンフォニーは絞りに絞ってよくコントロールされた演奏だった。
続けて、『クラシックの迷宮』を聴く。
作曲家小森昭宏の特集が組まれていた。
片山杜秀らしいチョイスで、実に面白かった!!
さらに、『FMシアター』の飯野陽子作『蛍の光、窓の雨』も聴く。
淡々としているけれど、淡々としているからか、心にぐっと入ってくるドラマだった。
関西出身の中村靖日と大路恵美の繊細で誠実な演技にも好感がもてた。
夕飯後、仕事関係の作業を進める。
『橋を渡る』を読了する。
ああ、面白かった!!
続けて、松田青子の『ワイルドフラワーの見えない一年』<河出書房新社>を読み始める。
今日は、甘いものは食さず。
我慢我慢。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2017年05月27日
人とは話してみるもんですね(深夜のCLACLA)
青空は見えつつも、どんよりとした感じが強し。
気温もなんだか下がる。
特に、夕方以降下がる。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の不調が続く。
馬鹿につける薬はない。
そして、馬鹿を支持し許容し黙認する人間こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなりたくないし、なってはいけない。
今は一番の馬鹿になるかどうかの本当の瀬戸際だ。
目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
9時過ぎに起きる。
午前中、ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したハイドンの交響曲第88番「V字}&第90番<SONY>を聴いたりしながら、仕事関係の作業や『鶴丸文造の遍歴時代』の改稿作業を進める。
午後、仕事関係の作業を進めたり、吉田修一の『橋を渡る』<文藝春秋>を読み進めたりする。
16時半過ぎに外出し、用件を片付けたのち祇園四条から京阪で京橋へ。
いずみホールで飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団のいずみ定期演奏会No.35を愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
ああ、面白かった!!
ところで、ホールに入って座席に近寄ったところ、隣にスキンヘッドで丸っこい身体つきをした壮年の男性が座っており、こちらにちらちら妙な視線を送っている。
うぬぬ、なんやごらと聞こえるか聞こえないかで呟いていると、やおらその男性がハイドンに関して質問してきた。
どうやらクラシック音楽について話をしたかったらしい。
で、かつてカラヤンとベルリン・フィルのコンサートのチケットを入手するために徹夜したことなど、昔話をうかがうことができた。
人とは話してみるもんですね。
反省。
終演後、京阪で祇園四条まで戻り、買い物をしたりしながら22時半過ぎに帰宅する。
以上、5月26日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
気温もなんだか下がる。
特に、夕方以降下がる。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
両耳の不調が続く。
馬鹿につける薬はない。
そして、馬鹿を支持し許容し黙認する人間こそ一番の馬鹿だ。
一番の馬鹿にはなりたくないし、なってはいけない。
今は一番の馬鹿になるかどうかの本当の瀬戸際だ。
目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
9時過ぎに起きる。
午前中、ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したハイドンの交響曲第88番「V字}&第90番<SONY>を聴いたりしながら、仕事関係の作業や『鶴丸文造の遍歴時代』の改稿作業を進める。
午後、仕事関係の作業を進めたり、吉田修一の『橋を渡る』<文藝春秋>を読み進めたりする。
16時半過ぎに外出し、用件を片付けたのち祇園四条から京阪で京橋へ。
いずみホールで飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団のいずみ定期演奏会No.35を愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
ああ、面白かった!!
ところで、ホールに入って座席に近寄ったところ、隣にスキンヘッドで丸っこい身体つきをした壮年の男性が座っており、こちらにちらちら妙な視線を送っている。
うぬぬ、なんやごらと聞こえるか聞こえないかで呟いていると、やおらその男性がハイドンに関して質問してきた。
どうやらクラシック音楽について話をしたかったらしい。
で、かつてカラヤンとベルリン・フィルのコンサートのチケットを入手するために徹夜したことなど、昔話をうかがうことができた。
人とは話してみるもんですね。
反省。
終演後、京阪で祇園四条まで戻り、買い物をしたりしながら22時半過ぎに帰宅する。
以上、5月26日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
日本センチュリー交響楽団 いずみ定期演奏会No.35
☆日本センチュリー交響楽団 いずみ定期演奏会No.35
指揮:飯森範親
独奏:水無瀬一成
座席:2階LA列5番
(2017年5月26日19時開演/いずみホール)
CDで聴き馴染んだハイドンの交響曲第90番、第76番、第92番「オックスフォード」が演奏されるので、大阪のいずみホールまで足を運んだ。
本来の室内オーケストラ編成という持ち味を活かすとともに、オーケストラを鍛える目的もあって新首席指揮者の飯森範親が始めた日本センチュリー交響楽団のいずみ定期「ハイドン・マラソン」(ハイドンの交響曲全曲演奏)の9回目、今シーズン最初の演奏会である。
ハイドンといえば、CDでも実演でもあまり客が集まらないと言われて久しいが、満席大入りとはいかずとも6割程度か、なかなかの入りでまずは何よりである。
で、弦楽器は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが向かい合う対向配置で、8,8、6、5、3の編成。
指揮者の正面にチェンバロ(パブロ・エスカンデ。適切な通奏低音を披瀝していた)が置かれ、その後ろにオーボエ2とフルート1、さらにその後ろにファゴット2、ホルン2が並ぶ。
また、客席から見て右斜め後ろにティンパニとトランペット2が陣取っていた。
一曲目は、交響曲第90番。
フランスのドニィ伯爵のために作曲された交響曲の一つで、ハ長調という調性に相応しい晴れ晴れしい祝祭性を持つ一方、転調を活かした音楽的な仕掛けも施されるなど、ハイドンの機智が十全に示された作品となっている。
強弱緩急のメリハリが効いてテンポが速く、ヴィブラートも控えめといういわゆるピリオド・スタイルが援用されていることは言うまでもないが、飯森さんの場合はそこにスタイリッシュというか表面的な精度の高さが加わってくる。
そうしたスタイルはロマン派以降の作品ともなると、若干喰い込みの足りなさを感じさせる場合もあるのだけれど、古典派、特にハイドンの交響曲では効果的に発揮されているように思う。
この交響曲では、第1楽章でのヴァイオリンのためや第3楽章のトリオでのオーボエ・ソロの即興的装飾(宮本克江が妙技を聴かせた。第1楽章の終盤にも同様の場面があって、宮本さんのほか、フルートの永江真由子も即興的な装飾を効かせていた)も巧く利用されており、聴き応えのある演奏に仕上がっていた。
ただ、この交響曲の一番の聴かせどころである終楽章の転調後の偽終結は不発。
というか、あえてあっさり流したような。
飯森さんのことだから、一回どころか二回は仕掛けてくるかと待ち構えていたのだが。
もしかしたらお客さんの多くもこの曲の騙しを知っていたのかもしれないし、まあ仕方ないか。
続いては、昨シーズンより京都市交響楽団の副首席奏者からセンチュリーのトップに転じた水無瀬一成の独奏によるモーツァルトのホルン協奏曲第2番。
若干不安定なところもあったけれど、鳴りのよい朗々としたソロを愉しむことができた。
特に、第3楽章が強く印象に残る。
飯森さんとセンチュリー響の面々も、同僚のソロをよく支えて過不足がなかった。
休憩を挟んだ三曲目は、交響曲第76番。
ロンドン訪問を当て込んで書かれた三曲中の一曲で、変ホ長調。
モーツァルト同様、ティンパニとトランペットを除いた編成で書かれてはいるが、飯森さんとセンチュリー響は作品の持つ音楽的起伏(シンフォニックな部分と室内楽的な部分)や旋律の美しさをよく再現していた。
そして、プログラム最後は交響曲第92番。
ハイドンのオックスフォード大学名誉音楽博士号贈呈記念演奏会で演奏されたことから「オックスフォード」の愛称で知られる、ト長調の交響曲だ。
なお、この曲ではチェンバロが退き、ティンパニとトランペット2が戻って来る。
楽曲の構造構成や楽器の使用法などでハイドンの筆致はさらに進化を遂げており、第2楽章のヴァイオリン(首席客演コンサートマスターの荒井英治)とチェロ(首席奏者の北口大輔)の掛け合い等々聴きどころもたっぷりである。
中でも、ぐいぐいと追い込んでいくエネルギッシュな終楽章に心動かされた。
ソロ・アンサンブル両面で、日本センチュリー交響楽団は安定してまとまりのよい演奏を披瀝し、飯森さんの解釈によく応えていた。
本音をいえば、ジョヴァンニ・アントニーニらバロック・ロック的な劇的な演奏でも触れてみたいが、まずはハイドンのこの3曲の交響曲の良質な実演に接することができたことに感謝したい。
ああ、面白かった!!
指揮:飯森範親
独奏:水無瀬一成
座席:2階LA列5番
(2017年5月26日19時開演/いずみホール)
CDで聴き馴染んだハイドンの交響曲第90番、第76番、第92番「オックスフォード」が演奏されるので、大阪のいずみホールまで足を運んだ。
本来の室内オーケストラ編成という持ち味を活かすとともに、オーケストラを鍛える目的もあって新首席指揮者の飯森範親が始めた日本センチュリー交響楽団のいずみ定期「ハイドン・マラソン」(ハイドンの交響曲全曲演奏)の9回目、今シーズン最初の演奏会である。
ハイドンといえば、CDでも実演でもあまり客が集まらないと言われて久しいが、満席大入りとはいかずとも6割程度か、なかなかの入りでまずは何よりである。
で、弦楽器は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが向かい合う対向配置で、8,8、6、5、3の編成。
指揮者の正面にチェンバロ(パブロ・エスカンデ。適切な通奏低音を披瀝していた)が置かれ、その後ろにオーボエ2とフルート1、さらにその後ろにファゴット2、ホルン2が並ぶ。
また、客席から見て右斜め後ろにティンパニとトランペット2が陣取っていた。
一曲目は、交響曲第90番。
フランスのドニィ伯爵のために作曲された交響曲の一つで、ハ長調という調性に相応しい晴れ晴れしい祝祭性を持つ一方、転調を活かした音楽的な仕掛けも施されるなど、ハイドンの機智が十全に示された作品となっている。
強弱緩急のメリハリが効いてテンポが速く、ヴィブラートも控えめといういわゆるピリオド・スタイルが援用されていることは言うまでもないが、飯森さんの場合はそこにスタイリッシュというか表面的な精度の高さが加わってくる。
そうしたスタイルはロマン派以降の作品ともなると、若干喰い込みの足りなさを感じさせる場合もあるのだけれど、古典派、特にハイドンの交響曲では効果的に発揮されているように思う。
この交響曲では、第1楽章でのヴァイオリンのためや第3楽章のトリオでのオーボエ・ソロの即興的装飾(宮本克江が妙技を聴かせた。第1楽章の終盤にも同様の場面があって、宮本さんのほか、フルートの永江真由子も即興的な装飾を効かせていた)も巧く利用されており、聴き応えのある演奏に仕上がっていた。
ただ、この交響曲の一番の聴かせどころである終楽章の転調後の偽終結は不発。
というか、あえてあっさり流したような。
飯森さんのことだから、一回どころか二回は仕掛けてくるかと待ち構えていたのだが。
もしかしたらお客さんの多くもこの曲の騙しを知っていたのかもしれないし、まあ仕方ないか。
続いては、昨シーズンより京都市交響楽団の副首席奏者からセンチュリーのトップに転じた水無瀬一成の独奏によるモーツァルトのホルン協奏曲第2番。
若干不安定なところもあったけれど、鳴りのよい朗々としたソロを愉しむことができた。
特に、第3楽章が強く印象に残る。
飯森さんとセンチュリー響の面々も、同僚のソロをよく支えて過不足がなかった。
休憩を挟んだ三曲目は、交響曲第76番。
ロンドン訪問を当て込んで書かれた三曲中の一曲で、変ホ長調。
モーツァルト同様、ティンパニとトランペットを除いた編成で書かれてはいるが、飯森さんとセンチュリー響は作品の持つ音楽的起伏(シンフォニックな部分と室内楽的な部分)や旋律の美しさをよく再現していた。
そして、プログラム最後は交響曲第92番。
ハイドンのオックスフォード大学名誉音楽博士号贈呈記念演奏会で演奏されたことから「オックスフォード」の愛称で知られる、ト長調の交響曲だ。
なお、この曲ではチェンバロが退き、ティンパニとトランペット2が戻って来る。
楽曲の構造構成や楽器の使用法などでハイドンの筆致はさらに進化を遂げており、第2楽章のヴァイオリン(首席客演コンサートマスターの荒井英治)とチェロ(首席奏者の北口大輔)の掛け合い等々聴きどころもたっぷりである。
中でも、ぐいぐいと追い込んでいくエネルギッシュな終楽章に心動かされた。
ソロ・アンサンブル両面で、日本センチュリー交響楽団は安定してまとまりのよい演奏を披瀝し、飯森さんの解釈によく応えていた。
本音をいえば、ジョヴァンニ・アントニーニらバロック・ロック的な劇的な演奏でも触れてみたいが、まずはハイドンのこの3曲の交響曲の良質な実演に接することができたことに感謝したい。
ああ、面白かった!!