2017年05月21日

京都市交響楽団を愉しんだあと、月亭太遊さんのフェアトレード落語は聴きそびれた(CLACLA日記)

 ちょっとどんよりとした感じはありつつも、晴天が続く。

 気温も上昇し、暑さがとても厳しい。
 初夏どころか夏だこりゃ。
 暑い暑い。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。


 咳き込みとれず。
 そして、両耳の不調も続く。


 イランの大統領選は、保守穏健派で現職のロハニ候補が勝利した。
 いろいろと考えることあり。


 TPPが動きを見せている。
 もしや、トランプ後を見据えてのことか?


 馬鹿につける薬はない。
 ということを痛感する今日この頃。
 そして、馬鹿を支える者こそ一番の馬鹿だ。
 一番の馬鹿にはなるまい。


 目くらましの八百長猿芝居がますます横行蔓延するだろう。
 絶対に騙されまい。


 昨夜、クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団が演奏したブルックナーの交響曲第5番<DECCA>、OBCでオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進めたのち、2時40分頃寝床に就く。


 9時半に起きる。

 毎週恒例の洗濯をすませる。
 乾き、実によろし。
 ああ、すっきりした!!

 NHK・FMの『名演奏ライブラリー』(ニコライ・ギャウロフの特集)を聴いたりしながら、仕事関係の作業や『鶴丸文造の遍歴時代』の改稿作業を進めたり、小川洋子の『琥珀のまたたき』<講談社>を読み進めたりする。


 13時頃外出し、京都コンサートホールへ。
 大ホールで、高関健指揮京都市交響楽団第612回定期演奏会を愉しむ。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 ああ、面白かった!!!


 終演後、仕事関係の用件を片付けたのち、河原町へ。
 月亭太遊さんのフェアトレード寄席を聴くべく裏寺町のシサムコウボウに足を運んだが、ああ残念、終了寸前。
 終わったあとに顔を出すのもなんだかなあと思い、大きな笑い声を耳にしつつシサムコウボウをあとにする。

 で、夕飯用の買い物をすませて17時40分過ぎに帰宅。


 帰宅後、京都市交響楽団の定期演奏会の感想を投稿する。

 その後、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』を聴く。
 シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団が演奏したマーラーの交響曲第1番「巨人」のライヴ録音の第2楽章以降が放送されていた。
 番組の都合であることはわかるが、全然ブラボーじゃない。
 リサイタル・ノヴァとの兼ね合いもあるんだろうけど、1時間20分ほどの番組にはできないものなのか。
 ブラボー!
 の名が泣くぜ!!


 夕飯後、仕事関係の予定をすませる。


 その後、フォルテピアノのバート・ファン・オールトが弾いたハイドンのピアノ・ソナタ第41番、第16番、第2番、第32番、第46番と第33番、第1番、第12番、第42番、第50番<ともにBRILLIANT>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『琥珀のまたたき』を読み進めたりする。


 今日も甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 史料の外的批判(史料そのものが本物であるかどうか)と内的批判(史料そのものは本物であるが、書かれている内容に「バイアス」がかかっていないか、かかっているとすればどの程度のものか)とはちょっと違うかもしれないが。
 一見合理的、正論的な内容が書かれた文章であったとしても、その文章がどのような立場に立つ人間によって書かれたかを検証考察することなしに行われる判断は、結局のところ妄信でしかない。
 絶対的な中立などあり得はしないのだから。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都市交響楽団 第612回定期演奏会

☆京都市交響楽団 第612回定期演奏会

 指揮:高関健

 座席:3階LB1列5番
(2017年5月21日14時半開演/京都コンサートホール大ホール)

 へび、長すぎる
 とは、ルナールの『博物誌』の一節だけれど、その伝でいくと、
 ブルックナーの5番、長すぎる
 ではないか。
 初期の数曲を除けば概して長大なブルックナーの交響曲の中でも、第8番と並んで第5番は特に長い。
 で、へびは長さばかりが原因ともいえまいが、ブルックナーの交響曲第5番のほうは長さがとっつきにくさに直結している。
 じっくり耳を傾ければ実は聴きどころ満載なのだけれど、やはり構え見てくれが災いして、というやつだ。
 CDは置くとして、僕自身、ブルックナーの交響曲第5番の実演に接したのは、朝比奈隆指揮大阪フィルの第250回定期演奏会(1990年7月20日、フェスティバルホール)とハンス・フォンク指揮ケルンWDR交響楽団の定期演奏会(1993年10月29日、ケルン・フィルハーモニー)の二回きりである。
 前者は、とっつきにくいものはとっつきにくくて何が悪い、男は黙ってブルックナーの5番といった武骨な流儀、後者は作品の性質を大きく掴んで再現しようという意図はよくわかったものの、指揮者とオーケストラの嚙み合わせが今一つの感が強かった。
(というか、朝比奈さんのほうは開演前にフェスティバルホールの下のビュッフェでビーフカレーの大盛りを慌てて冷水で流し込んだせいで、第2楽章あたりからお腹の調子がおかしくなり、ああやっと曲が終わったと思ったら、なんと『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲がアンコールで始まるという地獄の責め苦のことばかり思い出す。僕の朝比奈さんに対する好感の薄さは、けっこうこのことによるものかもしれない)

 一方、今日聴いた高関健指揮京都市交響楽団のブルックナーの交響曲第5番は、目配り腑分けがしっかり行き届いており、耳馴染みのよい演奏に仕上がっていたのではないか。
 もちろん、上述したようなこの交響曲本来の堅固堅牢な構成構造がないがしろにされているわけ訳ではないのだけれど、それとともに、例えば第2楽章の叙情性、歌唱性(弦楽器が美しく響く)や第3楽章の跳ねるような感じというか舞曲性もしっかりクローズアップされるなど、様々な聴きどころが丁寧に再現されていたからである。
 そのおかげで、この第5番がそれまでの一連の交響曲の積み重ねの上にあることも再認識することができた。
 慌てず騒がず、けれど鳴らすべきところは鳴らし、テンポも細やかに変化させる。
 実に見通しがよくて、バランスのとれたブルックナーの交響曲第5番だった。
(ちなみに、高関さんはノンタクト=指揮棒なしでの指揮)

 コンサートマスターに石田泰尚、第2ヴァイオリン首席に長岡聡季、チェロ首席にルドヴィート・カンタをゲストで迎え、対向配置(第1、第2のヴァイオリンが向き合って座る。なお、コントラバスは舞台後方正面で、ティンパニは客席から見てその右隣)に陣取った京都市交響楽団はソロ、アンサンブル両面で精度の高い、高関さんの意図によく沿った明晰な演奏を繰り広げていた。

 プレトークでの高関さんのお願いも効いてか、フライングブラボーも一切なし。
 息を飲み込む一瞬の静けさも嬉しく、ブルックナーの交響曲第5番の魅力を改めて感じたコンサートでした。
 ああ、面白かった!!!
posted by figarok492na at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサート記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする