快晴。
いいお天気、いい青空の一日。
気温はそこそこの上昇。
夕方以降気温が下がり、若干肌寒さを感じる。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
花粉禍、ひどし。
目の周りの痒みとくしゃみの連発に悩まされる。
そして、両耳の不調も続く。
昨夜、3時過ぎに寝床に就くも、夜カフェインを摂取し過ぎて眠ることができず。
目を閉じたままでぼおっとしている。
で、6時台にはぱっと冴えてしまったので、7時過ぎに起きる。
毎週恒例の洗濯をすませる。
乾き、よろし。
ああ、すっきりした!
NHK・FMの『名演奏ライブラリー』(指揮者のウィリアム・スタインバーグの特集)を聴いたりしながら、ブルーエゴナクの観劇記録を投稿したり、仕事関係の作業を進めたりする。
11時台に外出し、金券ショップでバスの一日乗車券を購入したのち、3系統の市バスで四条烏丸へ。
大垣書店四条店で調べものをしてから、65系統の市バスで国際会館へ。
地下鉄を使えばあっという間だが、百万遍、松ヶ崎などを回って結局40分ほどかかって到着。
少し休んでから、52系統の京都バスで幡枝(妙満寺)へ。
一日乗車券が使えると思っていたら、一日観光券との勘違いで別途料金が発生する。
ありゃりゃりゃりゃ。
で、時間があるので、しばらく近辺を散策する。
少し歩いて、院生時代の親しい友人に車で何度か連れて行ってもらったことのあるマックさんの家を見つける。
そうか、ここにあったのか。
20年以上ぶりで本当に懐かしかった。
というより、時の流れの速さに啞然となった。
その後、総本山妙満寺へ。
本堂でお参りしたり、寶物展示を拝観したり、ついでに写真展も拝見したりした。
寶物展示では松永貞徳の肖像画を観ることができたのも収穫だった。
それから、京都精華大学人文学部堤研究室の学生さんや卒業生の人たちによる会談研究と朗読公演の一座「百物語の館」のイベントを拝聴拝見する。
錦湯劇場の常連さんが出演するということもあって足を運んだ企画で、まずは堤邦彦先生のお話から。
妙満寺の寶物として展示されている道成寺の鐘のことなども絡めつつ、「安珍清姫」の話題を中心に語られていて学ぶところ大だった。
で、出演者の怪談朗読が始まる。
今日は、「幽霊滝」(小泉八雲)、「人面瘡」(日本民話)、「怪妊のこと」(根岸鎮衛『耳嚢』)、「安珍と清姫」(『道成寺縁起絵巻』)の4話が選ばれていたのだけれど、四者四様の個性がよく出た、それでいてしっかりと言葉が伝わる朗読で、十分愉しむことができた。
特に、妙満寺とゆかりの深い「安珍と清姫」の朗読が聴き応えがあった。
ああ、面白かった!!
終了後、岩倉操車場まで歩き、65系統の市バスで高野方面へ。
仕事関係の予定をすませる。
それから百万遍方面へ。
身体のメンテナンスをすませる。
ああ、すっきりした!!
17系統の市バスで河原町まで出て、仕事関係の用件と夕飯用の買い物をすませる。
で、32系統の市バスで四条大宮まで戻った。
帰宅後、ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したハイドンの交響曲第82番「熊」〜第84番、第85番「女王」〜第87番<SONY>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業や『鶴丸文造の遍歴時代』の改稿作業を進める。
町田康の『珍妙な峠』<双葉社>を読了する。
町田節全開。
ああ、面白かった!!
続けて、中山咲の『血と肉』<河出書房新社>を読み始める。
今日は、甘いものは食さず。
我慢我慢。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2017年04月23日
ブルーエゴナク『ふくしゅうげき京都ver.』
☆ブルーエゴナク『ふくしゅうげき京都ver.』
作・演出:穴迫信一
(2017年4月22日19時開演/アトリエ劇研)
現在視聴者の注目を集めているテレビドラマの一つに、テレビ朝日が連日お昼過ぎから放映している『やすらぎの郷』がある。
脚本はあの倉本聰で、彼自身を仮託したと思しき脚本家がテレビ界をリタイアした人々の共住する「やすらぎの郷」へと居を移すものの、やすらぎの郷とは名ばかり、日々ややこしい人間関係と諸々の雑事に振り回されて…。
といった具合にドラマは続いている。
あいにく動画サイトにアップされたものを拾い観した程度だが、脚本家を演じる石坂浩二(小林信彦も指摘していたように倉本さんそっくり)をはじめとした贅沢なキャスティングはもちろんのこと、ゆったりとしたテンポの噛んで含めるような台詞のやり取りから窺える倉本聰の人間観察の鋭さと時に噴出する激しい感情、切実な願望には大いに興味をそそられる。
北九州を拠点とするブルーエゴナクにとってアトリエ劇研での三度目の公演となる『ふくしゅうげき京都ver.』を観ながら、僕はふとその『やすらぎの郷』のことを思い出した。
舞台は、その街では結構な歴史を有しており、評判もなかなか悪くないらしい中華料理店の半月。
とある出来事から、そこに集う人々の関係は崩れ始め…。
テレビドラマと演劇の違いはひとまず置くとしても、『やすらぎの郷』に対してこちらはアップテンポで台詞も基本的には要所急所を押えていくスタイル、出演者が若い分エネルギーの量も大きいし、『ふくしゅうげき』というタイトルに相応しく、集団組織に発生する無意識の悪意や欲求欲望が、ときに滑稽さをまぶしながら身体表現や場面や時系列の跳躍を効果的に活かしつつ綿密に描かれていく。
当然、『やすらぎの郷』とこの作品をそっくり似通ったものだなどと評するつもりは毛頭ない。
ただ、アフターイベントで穴迫君自身が語っていた如く、かつてのアルバイト先の実話をもとにしてこうした一つの虚構を仕立て上げる冷静な観察眼やストーリーテリングの妙には、倉本聰という劇の作り手表現者と相通じるものがあるように思わないでもない。
それに、この『ふくしゅうげき京都ver.』は、終盤大きな転調を行う。
正直、それ以降繰り広げられる「変奏」には、若干長さを感じないでもない。
けれど、それが単なる物語の説明や伏線の回収に留まるものでないこともまた事実だ。
この「変奏」を通して、それまで用意周到に距離を保ち続けていた登場人物と穴迫君自身(そっくりさんどころではない、彼自身が出演しているにもかかわらず、出演しているからこそ)、登場人物と彼の切実な願い、彼の痛切な想いがこれ見よがしにではなく、だがしっかりと重なり合う。
きっとその切実な願いや痛切な想いは、上述したアルバイト先の実話ばかりでなく、より根深く根強いこれまでの経験や体験の記憶の反映でもあるだろう。
そして、その切実な願いや痛切な想いがフィクションの中でしか適わないもの、現実には適いようのない儚いものであるゆえに、穴迫君個人のものからより普遍的で一般的なものへと拡がっていくようにも感じた。
その意味で、僕はこの「変奏」に十分納得と理解がいった。
(そうそう、この『ふくしゅうげき京都ver.』を観て、穴迫君の作品の基盤となるものがリズム、韻律、音律というか、「音楽性」であることを改めて確認することができたことを付け加えておきたい)
高杉征司や西村貴治(アクシデントへの対応に何日もの長を感じる)のベテラン勢、田崎小春や平嶋恵璃香(劇団員)の北九州勢とともに、野村明里、倉橋愛美(倉橋さんの演技に接するのは初めてだが、役回りのつき具合もあって強く印象に残った)、小川晶弘、佐々木峻一の演者陣は、ライヴ特有の傷や経験技量の長短はありつつも、役柄に沿った演技を行いながら各々の特性魅力を発揮する努力を重ねていた。
もちろんそこには、穴迫君の個々の演技者と全体的なアンサンブルに対する細やかな目配りとコントロールも忘れてはなるまいが。
いずれにしても、あえて劇場まで足を運ぶに足る作品であり公演だった。
ああ、面白かった!!!
作・演出:穴迫信一
(2017年4月22日19時開演/アトリエ劇研)
現在視聴者の注目を集めているテレビドラマの一つに、テレビ朝日が連日お昼過ぎから放映している『やすらぎの郷』がある。
脚本はあの倉本聰で、彼自身を仮託したと思しき脚本家がテレビ界をリタイアした人々の共住する「やすらぎの郷」へと居を移すものの、やすらぎの郷とは名ばかり、日々ややこしい人間関係と諸々の雑事に振り回されて…。
といった具合にドラマは続いている。
あいにく動画サイトにアップされたものを拾い観した程度だが、脚本家を演じる石坂浩二(小林信彦も指摘していたように倉本さんそっくり)をはじめとした贅沢なキャスティングはもちろんのこと、ゆったりとしたテンポの噛んで含めるような台詞のやり取りから窺える倉本聰の人間観察の鋭さと時に噴出する激しい感情、切実な願望には大いに興味をそそられる。
北九州を拠点とするブルーエゴナクにとってアトリエ劇研での三度目の公演となる『ふくしゅうげき京都ver.』を観ながら、僕はふとその『やすらぎの郷』のことを思い出した。
舞台は、その街では結構な歴史を有しており、評判もなかなか悪くないらしい中華料理店の半月。
とある出来事から、そこに集う人々の関係は崩れ始め…。
テレビドラマと演劇の違いはひとまず置くとしても、『やすらぎの郷』に対してこちらはアップテンポで台詞も基本的には要所急所を押えていくスタイル、出演者が若い分エネルギーの量も大きいし、『ふくしゅうげき』というタイトルに相応しく、集団組織に発生する無意識の悪意や欲求欲望が、ときに滑稽さをまぶしながら身体表現や場面や時系列の跳躍を効果的に活かしつつ綿密に描かれていく。
当然、『やすらぎの郷』とこの作品をそっくり似通ったものだなどと評するつもりは毛頭ない。
ただ、アフターイベントで穴迫君自身が語っていた如く、かつてのアルバイト先の実話をもとにしてこうした一つの虚構を仕立て上げる冷静な観察眼やストーリーテリングの妙には、倉本聰という劇の作り手表現者と相通じるものがあるように思わないでもない。
それに、この『ふくしゅうげき京都ver.』は、終盤大きな転調を行う。
正直、それ以降繰り広げられる「変奏」には、若干長さを感じないでもない。
けれど、それが単なる物語の説明や伏線の回収に留まるものでないこともまた事実だ。
この「変奏」を通して、それまで用意周到に距離を保ち続けていた登場人物と穴迫君自身(そっくりさんどころではない、彼自身が出演しているにもかかわらず、出演しているからこそ)、登場人物と彼の切実な願い、彼の痛切な想いがこれ見よがしにではなく、だがしっかりと重なり合う。
きっとその切実な願いや痛切な想いは、上述したアルバイト先の実話ばかりでなく、より根深く根強いこれまでの経験や体験の記憶の反映でもあるだろう。
そして、その切実な願いや痛切な想いがフィクションの中でしか適わないもの、現実には適いようのない儚いものであるゆえに、穴迫君個人のものからより普遍的で一般的なものへと拡がっていくようにも感じた。
その意味で、僕はこの「変奏」に十分納得と理解がいった。
(そうそう、この『ふくしゅうげき京都ver.』を観て、穴迫君の作品の基盤となるものがリズム、韻律、音律というか、「音楽性」であることを改めて確認することができたことを付け加えておきたい)
高杉征司や西村貴治(アクシデントへの対応に何日もの長を感じる)のベテラン勢、田崎小春や平嶋恵璃香(劇団員)の北九州勢とともに、野村明里、倉橋愛美(倉橋さんの演技に接するのは初めてだが、役回りのつき具合もあって強く印象に残った)、小川晶弘、佐々木峻一の演者陣は、ライヴ特有の傷や経験技量の長短はありつつも、役柄に沿った演技を行いながら各々の特性魅力を発揮する努力を重ねていた。
もちろんそこには、穴迫君の個々の演技者と全体的なアンサンブルに対する細やかな目配りとコントロールも忘れてはなるまいが。
いずれにしても、あえて劇場まで足を運ぶに足る作品であり公演だった。
ああ、面白かった!!!
ブルーエゴナクを愉しんだあと、いろいろとあって帰宅が遅れる(深夜のCLACLA)
晴天へ。
気温もそれなりに上昇する。
が、夕方以降気温が下がり冷え込む。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
花粉禍、ひどし。
目の周りの痒みとくしゃみの連発に悩まされる。
そして、両耳の不調も続く。
国会で共謀罪に関する質疑が続いているが、どうにもこうにも胡散臭くきな臭いかぎりだ。
今すぐどうかではない、中期的長期的に見てどうなのかということなのである。
それに、この法案を推し進めている安倍内閣と与党の増長慢ぶりが不信感に輪をかけもする。
いろいろ考えることあり。
極右森友学園への国有地売却問題はもはや終わったものであるかのような状況だ。
予想通りではあるものの、あまりの予想通りぶりに情けなくもなる。
記憶力の欠如、甚だしい。
目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、NHKのラジオ深夜便を聴いたりしながら作業を進めたのち、3時半過ぎに寝床に就く。
8時少し前に目醒め、8時過ぎに起きる。
アルカント・カルテットが演奏したドビュッシー、デュティユー、ラヴェルの弦楽4重奏曲集<ハルモニアムンディ・フランス>、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業や『鶴丸文造の遍歴時代』の改稿作業を進めたり、町田康の『珍妙な峠』<双葉社>を読み進めたりする。
午後、アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番他<PHILIPS>、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第1番〜第3番と第30番〜第32番<ともに同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『珍妙な峠』を読み進めたりする。
17時台に外出して、アトリエ劇研へ。
ブルーエゴナクの『ふくしゅうげき京都ver.』(穴迫信一作・演出)を愉しむ。
詳しい感想は、明日以降にアップします。
ああ、面白かった!!!
開演前終演後、出演者をはじめとした関係各氏と話をする。
その後、いろいろとあって帰宅が2時頃になる。
様々に刺激を受けた。
以上、4月22日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
気温もそれなりに上昇する。
が、夕方以降気温が下がり冷え込む。
季節の変わり目、皆さんくれぐれもご自愛くださいね。
花粉禍、ひどし。
目の周りの痒みとくしゃみの連発に悩まされる。
そして、両耳の不調も続く。
国会で共謀罪に関する質疑が続いているが、どうにもこうにも胡散臭くきな臭いかぎりだ。
今すぐどうかではない、中期的長期的に見てどうなのかということなのである。
それに、この法案を推し進めている安倍内閣と与党の増長慢ぶりが不信感に輪をかけもする。
いろいろ考えることあり。
極右森友学園への国有地売却問題はもはや終わったものであるかのような状況だ。
予想通りではあるものの、あまりの予想通りぶりに情けなくもなる。
記憶力の欠如、甚だしい。
目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、NHKのラジオ深夜便を聴いたりしながら作業を進めたのち、3時半過ぎに寝床に就く。
8時少し前に目醒め、8時過ぎに起きる。
アルカント・カルテットが演奏したドビュッシー、デュティユー、ラヴェルの弦楽4重奏曲集<ハルモニアムンディ・フランス>、ABCラジオの『征平吉弥の土曜も全開!!』を聴いたりしながら、仕事関係の作業や『鶴丸文造の遍歴時代』の改稿作業を進めたり、町田康の『珍妙な峠』<双葉社>を読み進めたりする。
午後、アルフレッド・ブレンデルが弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第20番他<PHILIPS>、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第1番〜第3番と第30番〜第32番<ともに同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『珍妙な峠』を読み進めたりする。
17時台に外出して、アトリエ劇研へ。
ブルーエゴナクの『ふくしゅうげき京都ver.』(穴迫信一作・演出)を愉しむ。
詳しい感想は、明日以降にアップします。
ああ、面白かった!!!
開演前終演後、出演者をはじめとした関係各氏と話をする。
その後、いろいろとあって帰宅が2時頃になる。
様々に刺激を受けた。
以上、4月22日の日記。
今日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。