どんよりとしたお天気が続く。
ようやく夜になって空が澄み始め、美しい月が見えた。
気温は下がったか。
冷たい風が吹き、肌寒い。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
特に、風邪など召しませんように。
両耳の不調が続く。
理屈の裏には利害があると思ってしまう今日この頃。
目くらましの八百長猿芝居には絶対に騙されまい。
昨夜、ジョヴァンニ・アントニーニ指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコが演奏したハイドンの交響曲第46番、第22番「哲学者」<Alpha>、OBCでオードリーのオールナイトニッポンを聴いたりしながら、作業を進める。
その後、いろいろとあって楠海緒さんの降板とそれに対する笑の内閣の高間響上皇の騒動について、思うところをツイートし、明け方4時半に寝床に就く。
9時過ぎに起きる。
毎週恒例の洗濯をすませる。
思ったほど乾きよろしからず。
まあ、仕方ない。
NHK・FMの『名演奏ライブラリー』(指揮者のマニュエル・ロザンタールの特集)、アントニーニ指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコが演奏したヴォルフガング・フリーデマン・バッハの交響曲ヘ長調、ハイドンの交響曲第47番<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業や『鶴丸文造の遍歴時代』の改稿作業を進めたりする。
正午少し前に外出し、阪急で西宮北口へ。
兵庫県立芸術文化センター小ホールで、ジャン・ロンドーのチェンバロ・リサイタルを愉しむ。
詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
ああ、面白かった!!!
心のメンテナンスをすませて、16時40分頃帰宅する。
帰宅後、コンサート記録を投稿したのち、18時過ぎに再び外出して百万遍方面へ。
今度は身体のメンテナンスをすませる。
ああ、すっきりした!!!
その後、夕飯用の買い物をすませたのち、20時20分に帰宅する。
夕飯後、テオドール・クルレンツィス指揮ムジカ・エテルナ他が演奏したラモーの『輝きの音』<SONY>を聴いたりしながら、『鶴丸文造の遍歴時代』の改稿作業を進めたり、金原ひとみの『クラウドガール』<朝日新聞出版>を読み進めたりする。
今日も、甘いものは食さず。
我慢我慢。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2017年04月09日
ジャン・ロンドー チェンバロ・リサイタル
☆ジャン・ロンドー チェンバロ・リサイタル
楽器:ヤン・カルスペック製作 ジャーマン2段チェンバロ(M.ミートケモデル)
座席:1階B列1番
(2017年4月9日14時開演/兵庫県立芸術文化センター小ホール)
この二年ほど二週間に一回の割合で、信頼のおける親しい友人に紹介してもらった整体院に通っている。
ブログなどで身体のメンテナンスと記しているものだが、これが実にありがたい。
ごりごりぐいぐいの力任せとは全く正反対、身体の不調のポイントをしっかり見極め、あるときは強弱のバランスをとりながら動かし、あるときは緩急のテンポを変えながらさすり、あるときは指をあてて固まり強張った場所をじっくり緩めていく。
ここのところ、それなりにデスクワークが進んでいるのも、この身体のメンテナンスのおかげである。
フランスの若手チェンバリスト、ジャン・ロンドーが弾くヨハン・セバスティアン・バッハのゴルトベルク変奏曲を聴いていて、僕はすぐに身体のメンテナンスのことを思い出した。
一つには、座った席の加減で、ロンドーの両手の動きがしっかり目に入ったからでもあるのだが、その演奏の進め具合と生み出された音楽そのものに身体のメンテナンスと通じるものを感じたからだ。
ロンドーが弾いたゴルトベルク変奏曲には、様々な仕掛けが施されいた。
ただ、それは理知的にしっかりと構築されたものというよりも、感興感情に忠実というか、ロンドーの心の動きが透けて見える(聴こえる)ものともなっていた。
だいいち、ロンドーはこの曲を一つの音楽の流れとして一気呵成に弾き切るのではなく、変奏変奏のまとまりごとに休止を挟んで演奏したのである。
で、そうした休止・中断に若干のもどかしさを感じる反面、一つ一つの変奏の性質表情、音楽の旋律や構造の美しさがゆっくりとしたテンポで丹念に示されていた点には、それこそ心のメンテナンスというのか心地よさを感じたことも事実で、時折小さな寝息の音が客席から聞こえてきたこともやむをえないとまで思ったほどだ。
(そういえば、広上淳一さんが京都市交響楽団を指揮してエルガーのエニグマ変奏曲を演奏したときも、変奏ごとに休止が入って同様の感想を持ったのだった)
もちろん、ロンドーの演奏が実は緩急自在のものであることは、ゴルトベルクの速いテンポの変奏やアンコール2曲目のラモーの未開人でよく証明されていたのではないか。
いずれにしても、興味深く聴き心地のよい時間を過ごすことができた。
なお、ちょっとしたスピーチののちに演奏されたアンコール1曲目はクープランの神秘的なバリケード(障壁)。
遠目で調子のよい鍛冶屋さんかと見間違ったが、よくよく確かめてみるとフランス紳士だったといった曲調の美しい小品である。
ああ、面白かった!!!
楽器:ヤン・カルスペック製作 ジャーマン2段チェンバロ(M.ミートケモデル)
座席:1階B列1番
(2017年4月9日14時開演/兵庫県立芸術文化センター小ホール)
この二年ほど二週間に一回の割合で、信頼のおける親しい友人に紹介してもらった整体院に通っている。
ブログなどで身体のメンテナンスと記しているものだが、これが実にありがたい。
ごりごりぐいぐいの力任せとは全く正反対、身体の不調のポイントをしっかり見極め、あるときは強弱のバランスをとりながら動かし、あるときは緩急のテンポを変えながらさすり、あるときは指をあてて固まり強張った場所をじっくり緩めていく。
ここのところ、それなりにデスクワークが進んでいるのも、この身体のメンテナンスのおかげである。
フランスの若手チェンバリスト、ジャン・ロンドーが弾くヨハン・セバスティアン・バッハのゴルトベルク変奏曲を聴いていて、僕はすぐに身体のメンテナンスのことを思い出した。
一つには、座った席の加減で、ロンドーの両手の動きがしっかり目に入ったからでもあるのだが、その演奏の進め具合と生み出された音楽そのものに身体のメンテナンスと通じるものを感じたからだ。
ロンドーが弾いたゴルトベルク変奏曲には、様々な仕掛けが施されいた。
ただ、それは理知的にしっかりと構築されたものというよりも、感興感情に忠実というか、ロンドーの心の動きが透けて見える(聴こえる)ものともなっていた。
だいいち、ロンドーはこの曲を一つの音楽の流れとして一気呵成に弾き切るのではなく、変奏変奏のまとまりごとに休止を挟んで演奏したのである。
で、そうした休止・中断に若干のもどかしさを感じる反面、一つ一つの変奏の性質表情、音楽の旋律や構造の美しさがゆっくりとしたテンポで丹念に示されていた点には、それこそ心のメンテナンスというのか心地よさを感じたことも事実で、時折小さな寝息の音が客席から聞こえてきたこともやむをえないとまで思ったほどだ。
(そういえば、広上淳一さんが京都市交響楽団を指揮してエルガーのエニグマ変奏曲を演奏したときも、変奏ごとに休止が入って同様の感想を持ったのだった)
もちろん、ロンドーの演奏が実は緩急自在のものであることは、ゴルトベルクの速いテンポの変奏やアンコール2曲目のラモーの未開人でよく証明されていたのではないか。
いずれにしても、興味深く聴き心地のよい時間を過ごすことができた。
なお、ちょっとしたスピーチののちに演奏されたアンコール1曲目はクープランの神秘的なバリケード(障壁)。
遠目で調子のよい鍛冶屋さんかと見間違ったが、よくよく確かめてみるとフランス紳士だったといった曲調の美しい小品である。
ああ、面白かった!!!