どんよりとした感じはありつつも、青空の見えた一日。
夕方の外出時に観た月が美しかった。
気温は上昇せず、寒さが厳しい。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
特に、風邪やインフルエンザ、ノロウイルスにはお気をつけのほど。
両耳の不調が続く。
心身両面で重だるい。
アメリカのトランプ次期大統領が選挙後初めて会見を行う。
けんか殺法というかなんというか。
商売人ならばまだしも、一国の、それも世界を左右する大国の大統領のとる方法とはとうてい思えず。
卑しさの極み。
暗澹たる気分になる。
卑しさでは、この国も負けてはいない。
目先鼻先口先舌先の徒が蠢いている。
目くらましの八百長猿芝居も横行蔓延している。
絶対に騙されまい。
昨夜、OBCでAKB48のオールナイトニッポンを聴いたりしながら作業を進め、3時過ぎに寝床に就く。
8時45分に起きる。
午前中、アナトール・ウゴルスキが弾いたムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』他<ドイツ・グラモフォン>、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィル他が演奏したベートーヴェンの『献堂式』&『レオノーレ・プロハスカ』の音楽<同>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『いずくにか』の改稿作業を進めたり、鹿島茂の『モンフォーコンの鼠』<文藝春秋>を読み進めたりする。
午後、ABCラジオの『桑原征平粋も甘いも木曜日』や、フォルテピアノのロバート・レヴィンとクリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックが演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲第23番&第22番<オワゾリール>を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『モンフォーコンの鼠』を読み進めたりする。
17時過ぎに外出して、堀川御池のビジョンメガネへ。
中近用の眼鏡をあつらえることにする。
なんとか予算内におさまってほっとした。
これで、目の疲れや首肩背中の凝りも少しは軽減すればいいが。
その後、夕飯用の買い物をすませて、帰宅した。
途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ベスト・オブ・クラシック』で、アナ・ヴィドヴィチの来日ギター・リサイタルのライヴ録音(2015年11月26日、東京文化会館小ホール)を聴く。
続けて、リカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団他が演奏したマーラーの交響曲第4番&ベルクの初期の7つの歌(バーバラ・ボニーのソプラノ独唱)とストラヴィンスキーのバレエ音楽『プルチネッラ』全曲<ともにDECCA>を聴く。
夕飯後、仕事関係の作業を進めたり、『いずくにか』の改稿作業を進めたり、『モンフォーコンの鼠』を読み進めたりする。
今日は、甘いものは食さず。
我慢我慢。
緊縮財政を強化しなければ。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2017年01月12日
オーケストラ・アンサンブル金沢 ニューイヤーコンサート2017 in大阪
☆オーケストラ・アンサンブル金沢 ニューイヤーコンサート2017 in大阪
指揮&バロック・ヴァイオリン:エンリコ・オノフリ
独唱:森麻季(ソプラノ)
チェンバロ:繻`亜樹子
管弦楽:オーケストラ・アンサンブル金沢
座席:2階LA列16番
(2017年1月11日19時開演/いずみホール)
イル・ジャルディーノ・アルモニコのソロ・コンサートマスターをはじめ、いわゆるピリオド楽器やピリオド・スタイルの演奏で活躍し、鬼才の異名を持つエンリコ・オノフリがオーケストラ・アンサンブル金沢のニューイヤーコンサートを指揮するというので、迷わず大阪のいずみホールまで足を運んだ。
一般的なニューイヤーコンサートいえば、ヨハン・シュトラウスらウィーンのワルツ・ポルカということになるが、そこはオノフリ、ヴィヴァルディにヘンデル、モーツァルトとバロック・古典派の、それも「祝祭」をイメージしたプログラムが組まれていた。
まずは、ルイ15世の息子の誕生を祝して作曲されたヴィヴァルディのセレナータ『祝されたセーナ』のシンフォニア(劇の冒頭に演奏される器楽曲)が演奏されたが、黒いマフラー然としたものでバロック・ヴァイオリンを身体に固定したオノフリの弾き振りの下、オーケストラ・アンサンブル金沢がピリオド・スタイルの演奏を当為のものとして披歴していた点に感心した。
ちなみに、指揮者と向き合う形で舞台中央にチェンバロが置かれたほかは、第1ヴァイオリンの隣に第2ヴァイオリンという通常配置がとられていた。
続く、ヴァイオリン協奏曲ト長調(協奏曲集「調和の霊感」作品3より3)では、スリリングさとパッションに満ちたオノフリのソロを愉しむ。
オーケストラ・アンサンブル金沢の弦楽器群は、コンサートマスターのアビゲイル・ヤングとともにオノフリのソロをよく支えていた。
3曲目は、独唱の森麻季を迎えたヘンデルのオラトリオ『時として覚醒の勝利』より「神によって選ばれた天の使者よ」。
森麻季の歌声とオノフリのヴァイオリン・ソロの掛け合いが実に魅力的だった。
前半最後は、同じくヘンデルの王宮の花火の音楽。
この曲からオノフリは指揮に専念したのだけれど(指揮棒は持たず)、狂気の沙汰は金次第ならぬ狂気の沙汰は指揮次第というのか、「祝祭」性というよりも良い意味での気違いっぷりが十分十二分に示された演奏に仕上がっていた。
特に、グンナー・フラスの痛烈なティンパニ・ソロに始まる序曲は、目まぐるしいテンポで走る走る。
トランペットに元N響の関山幸弘が加わったオーケストラの面々も、激しい身振り手振りのオノフリの指揮によく喰いついて無事ゴールに到着した。
騒々しい、ではなく躁々しい演奏とでも呼べようか。
後半1曲目は、再び森麻季が登場してモーツァルトのモテット『踊れ、喜べ、幸いなる魂よ』を歌う。
前半のヘンデルもそうだったのだが、このモーツァルトでも、伸びがあって透明感のある声質とコントロールのよく聴いた歌唱という彼女の特性美質が十全に発揮されていた。
中でも、有名な「アレルヤ」や協奏曲のカデンツァにあたるソロの部分に強く心を動かされた。
オノフリ指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢も目配りの届いた伴奏を行っていた。
盛大な拍手に応えてのアンコールは、森麻季の十八番といえるヘンデルの歌劇『リナルド』より「涙の流れるままに」。
上述した特性美質に情感の豊かさも加わって、「はあ」と喜びのため息が出そうな歌唱を堪能することができた。
繻`亜樹子のチェンバロとルドヴィート・カンタのチェロによる低音も強く印象に残った。
コンサート最後は、モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」。
本来ザルツブルクのハフナー家の当主の爵位授与を祝うために作曲された作品で、ここでもオノフリは強弱緩急とメリハリのよく効いた演奏を生み出していた。
ただ、それが単なるそれいけドンドン超特急ではないことは、抒情性と静謐さを感じさせた第2楽章を聴けば明らかだろう。
なお、第1楽章では反復が省略されていたが、これは劇場感覚・コンサート感覚に則った判断だったと思う。
と、音楽を聴く愉しみに満ち満ちたコンサートで、足を運んで本当に大正解。
ああ、面白かった!!
ところで、非常に残念だったのは空席がとても目立っていたこと。
1階の後半三分の一以上やバルコンのほとんどが埋まっていなかった。
趣向に富んで良質なコンサートだっただけに、もっとなんとかならなかったものか。
指揮&バロック・ヴァイオリン:エンリコ・オノフリ
独唱:森麻季(ソプラノ)
チェンバロ:繻`亜樹子
管弦楽:オーケストラ・アンサンブル金沢
座席:2階LA列16番
(2017年1月11日19時開演/いずみホール)
イル・ジャルディーノ・アルモニコのソロ・コンサートマスターをはじめ、いわゆるピリオド楽器やピリオド・スタイルの演奏で活躍し、鬼才の異名を持つエンリコ・オノフリがオーケストラ・アンサンブル金沢のニューイヤーコンサートを指揮するというので、迷わず大阪のいずみホールまで足を運んだ。
一般的なニューイヤーコンサートいえば、ヨハン・シュトラウスらウィーンのワルツ・ポルカということになるが、そこはオノフリ、ヴィヴァルディにヘンデル、モーツァルトとバロック・古典派の、それも「祝祭」をイメージしたプログラムが組まれていた。
まずは、ルイ15世の息子の誕生を祝して作曲されたヴィヴァルディのセレナータ『祝されたセーナ』のシンフォニア(劇の冒頭に演奏される器楽曲)が演奏されたが、黒いマフラー然としたものでバロック・ヴァイオリンを身体に固定したオノフリの弾き振りの下、オーケストラ・アンサンブル金沢がピリオド・スタイルの演奏を当為のものとして披歴していた点に感心した。
ちなみに、指揮者と向き合う形で舞台中央にチェンバロが置かれたほかは、第1ヴァイオリンの隣に第2ヴァイオリンという通常配置がとられていた。
続く、ヴァイオリン協奏曲ト長調(協奏曲集「調和の霊感」作品3より3)では、スリリングさとパッションに満ちたオノフリのソロを愉しむ。
オーケストラ・アンサンブル金沢の弦楽器群は、コンサートマスターのアビゲイル・ヤングとともにオノフリのソロをよく支えていた。
3曲目は、独唱の森麻季を迎えたヘンデルのオラトリオ『時として覚醒の勝利』より「神によって選ばれた天の使者よ」。
森麻季の歌声とオノフリのヴァイオリン・ソロの掛け合いが実に魅力的だった。
前半最後は、同じくヘンデルの王宮の花火の音楽。
この曲からオノフリは指揮に専念したのだけれど(指揮棒は持たず)、狂気の沙汰は金次第ならぬ狂気の沙汰は指揮次第というのか、「祝祭」性というよりも良い意味での気違いっぷりが十分十二分に示された演奏に仕上がっていた。
特に、グンナー・フラスの痛烈なティンパニ・ソロに始まる序曲は、目まぐるしいテンポで走る走る。
トランペットに元N響の関山幸弘が加わったオーケストラの面々も、激しい身振り手振りのオノフリの指揮によく喰いついて無事ゴールに到着した。
騒々しい、ではなく躁々しい演奏とでも呼べようか。
後半1曲目は、再び森麻季が登場してモーツァルトのモテット『踊れ、喜べ、幸いなる魂よ』を歌う。
前半のヘンデルもそうだったのだが、このモーツァルトでも、伸びがあって透明感のある声質とコントロールのよく聴いた歌唱という彼女の特性美質が十全に発揮されていた。
中でも、有名な「アレルヤ」や協奏曲のカデンツァにあたるソロの部分に強く心を動かされた。
オノフリ指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢も目配りの届いた伴奏を行っていた。
盛大な拍手に応えてのアンコールは、森麻季の十八番といえるヘンデルの歌劇『リナルド』より「涙の流れるままに」。
上述した特性美質に情感の豊かさも加わって、「はあ」と喜びのため息が出そうな歌唱を堪能することができた。
繻`亜樹子のチェンバロとルドヴィート・カンタのチェロによる低音も強く印象に残った。
コンサート最後は、モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」。
本来ザルツブルクのハフナー家の当主の爵位授与を祝うために作曲された作品で、ここでもオノフリは強弱緩急とメリハリのよく効いた演奏を生み出していた。
ただ、それが単なるそれいけドンドン超特急ではないことは、抒情性と静謐さを感じさせた第2楽章を聴けば明らかだろう。
なお、第1楽章では反復が省略されていたが、これは劇場感覚・コンサート感覚に則った判断だったと思う。
と、音楽を聴く愉しみに満ち満ちたコンサートで、足を運んで本当に大正解。
ああ、面白かった!!
ところで、非常に残念だったのは空席がとても目立っていたこと。
1階の後半三分の一以上やバルコンのほとんどが埋まっていなかった。
趣向に富んで良質なコンサートだっただけに、もっとなんとかならなかったものか。