2016年09月11日

二日続けて大当たり(CLACLA日記)

 どんよりとした感じはありつつも、晴天が続く。

 気温は上昇し、暑さを感じた一日。
 まだまだ本格的な秋とは言えず。
 皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。


 両耳の不調が続く。
 特に、左耳がうっとうしい。
 聴覚に問題がないだけ、まだましとはいえ。


 元衆議院議員の加藤紘一が亡くなった。77歳。
 名古屋の生まれで山形県の鶴岡に育つ。
 東京大学卒業後、外務省に入省するも、父精三の地盤を継ぎ自民党所属の衆議院議員となり、大平派に所属する。
 以後「宏池会」(池田→前尾→大平→宮澤派)のホープとして防衛庁長官や内閣官房長官、党三役などを歴任し、自ら派閥の領袖となった。
 リベラル保守を代表する人物として首相の座を期待されたこともあったが、2000年のいわゆる「加藤の乱」で半ば政治生命を断たれた。
 そして、この「加藤の乱」が自民党内のリベラル派、ハト派の大凋落の一歩ともなってしまった。
 黙祷。


 北朝鮮の核実験もミサイル発射も度し難い。
 だからこそ、原子力発電所の稼働が正気の沙汰とは思えない。


 目くらましの八百長猿芝居には騙されまい。


 昨夜、内田光子が弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第15番&第18番<PHILIPS>を聴いたりしながら作業を進めたのち、2時半に寝床に就く。

 で、8時に起きる。

 午前中、NHKラジオ第1の『音楽の泉』(ニコラウス・アーノンクール指揮コンツェントゥス・ムジクス・ウィーンが演奏したモーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン」が放送されていた)、NHK・FMの『名演奏ライブラリー』(ピアニストのクリフォード・カーゾンの特集)を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進めたり、『痾紅毛日記』のちょっとした打ち直しを行ったり、黒川創の『鷗外と漱石のあいだで』<河出書房新社>を読み進めたりする。


 午後、NHK・FMの『トーキング・ウィズ・松尾堂』を聴いたりしながら、仕事関係の作業を進める。


 14時過ぎに外出して、アトリエ劇研へ。
 ブルーエゴナクの『ラッパーRapper』(穴迫信一君作・演出)を観る。
 昨日のアガリスクエンターテイメントと同じく、二日続けて大当たりだった。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。
 ああ、面白かった!!

 開演前終演後、演者陣やスタッフ陣、関係各氏と話をする。
 月亭太遊さんの出演ということもあり、錦湯さんのネオ落語・セントラルの常連さんも結構お見えになっており、お話することができた。

 終演後、出町柳のスーパー(安い!)で買い物をすませ、19時ちょうどに帰宅する。


 途中夕飯を挟み、NHK・FMの『ブラボー!オーケストラ』で、アンドレア・バッティストーニ指揮東京フィルが演奏したレスピーギの『教会のステンドグラス』、マスカーニの歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲、ヴェルディの歌劇『ナブッコ』序曲のライヴ録音などを聴く。

 続けて、NHK・FMの『リサイタル・ノヴァ』を聴く。
 ファゴットの小山莉絵の出演。

 さらに、チョン・ミュンフン指揮東京フィルが演奏したロッシーニのスターバト・マーテルとドヴォルザークの交響曲第3番&第7番<ともにドイツ・グラモフォン>を聴く。


 夕飯後、『ラッパーRapper』の観劇記録を投稿したり、諸作業を進めたりする。


 今日も、甘いものは食さず。
 我慢我慢。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブルーエゴナク『ラッパーRapper』

☆ブルーエゴナク『ラッパーRapper』

 作・演出:穴迫信一
 演出助手:杉本奈月
(2016年9月11日15時半開演の回/アトリエ劇研)


 すこぶる面白くってめっぽう心を動かされたので、終演後あれこれ語りたい。
 と、ここまでは同じでも、さらに細かく書き連ねていきたいお芝居と、あえてくどくど書きたくないお芝居の二種類がある。
 昨日のアガリスクエンターテイメントの『七人の語らい(ワイフ・ゴーズ・オン)/心の太字』が前者の代表格とすれば、北九州の劇団ブルーエゴナクが第二の拠点とも呼ぶべき京都で今回上演した『ラッパーRapper』は、さしずめ後者の典型といえるだろう。
 題名が作品を象徴する、とは『心の太字』の劇中の台詞だけれど、その題名通り『ラッパーRapper』は、ラッパーから演劇に転じた穴迫信一の渾身の直球勝負。
 野村明里演じるラッパー、メイコと彼女を取り巻く人々を通してラッパー=ラップそのものが語られ、それと不可分のものとして人の一生、人の生き死にが描かれていく。
 劇が始まって、登場人物たちがラップで掛け合うそのリズム感、ビートにまずもってすっと惹き込まれる。
 そして、メイコをはじめとした登場人物たちの言葉や姿に強く心を動かされる。
 しかも、劇の途中では、登場人物の呼びかけに僕(ら)が応じる場面まであって、ラップのライヴさながら舞台と客席の一体感がひと際生み出されまでもする。
 と、こう記すと、「なあんだそういうことね」としたり顔の訳知り顔をする向きもあるかもしれないが、この『ラッパーRapper』が神頼みならぬ感性頼み、感情一直線とは一線を画す、どころかそれとは正反対の視座が保たれた作品であることはやはり指摘しておかなければなるまい。
 いずれ再演されるだろうから、わざと詳細は省くのだけれど、ちょうどよい頃合いで跳躍する展開や、あと一歩でお涙頂戴に終わるところをさっとかわして切り上げる捻りとくすぐりを見れば、穴迫信一が全体を見通しつつ細部に到るまで目配りを届かせることのできる冷静さを兼ね備えた創作者であることがよくわかるはずだ。

 当然のことながら、そうした穴迫君のバランス感覚は演出面、俳優の起用そのものや動かし方にも十全に発揮されている。
 また、野村(普通姓だけの場合は敬称をつけるんだけど、いろいろあって演劇に関係する前から彼女のことをよく知っているので、敬称略がどうにもしっくりくる)、鈴木晴海(ただ一人、九州からの来演)、しらとりまな、佐々木峻一、月亭太遊、楳山蓮の演者陣も穴迫君の意図や作品世界に沿うべく、彼女彼らにとって最良の、といえば言い過ぎになるかもしれない(し、これまでの経験が今回の演技に繋がっている)ので、それに近い演技を披歴していた。
 むろんラップ面での努力は言うまでもないが、そこに留まるのではなく、個々の特性を表しながら各々の役柄を演じ切っていた点、並びに限られた時間の中で非常にインティメートなアンサンブルを生み出していた点を高く評価したい。

 などと気がつけば長々と記してしまっていた。
 いずれにしても、本当に観ておいてよかったと思える作品であり、公演だった。
 これでラップに目醒める人も少なくないんじゃないのかな。
 ああ、面白かった!!
posted by figarok492na at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする